異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―

橘靖竜

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第六章 奪われた座標

第八十一話 実験途中

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【現実世界・オルタリンクタワー/深部・円形区画】

ひび割れは、音にならなかった。
音がない代わりに、空間の“重さ”が変わる。

床の赤黒い線が、一斉に息を止めたみたいに静まり
――次の拍で、逆向きに脈を打った。
供給が、乱れた。
白い廊下の数字の粒が、
吸い上げられるのではなく、こぼれるように落ちてくる。

落ちる粒は、光なのに冷たかった。
肩に触れた瞬間、皮膚の下の血が一拍遅れて流れる感覚がする。
現実の温度じゃない。

台座の白い膜が、薄く剥がれた。
膜の下に、金属でも石でもない“骨組み”が見える。
継ぎ目がない。人工物なのに、自然物のように滑らかだ。

ハレルは焦点を合わせずに前へ出た。
一歩。
もう一歩。
台座に手が届く距離。

胸元の主鍵が、痛いほど熱い。
バッグの中、薄緑が弱く震える。光は薄い。
黒い粒が混ざって、脈が途切れかける。
それでも色は薄緑のまま
――日下部の核は、まだ日下部だと主張している。

「……近づきすぎるな」
アデルが低く言う。
剣先は台座の影へ向けたまま、
体だけを半歩前へ出してハレルを止める位置に立つ。
守る動き。斬る動きじゃない。

リオは床の線を見て、舌打ちした。
「供給が乱れてる。……今なら“固定”が揺れる」
言い方は淡々としているのに、喉の奥が硬い。
焦りが声の端に混ざっていた。

セラが一歩ぶん距離を保った場所から、いつもの調子で言葉を整える。
「揺れた瞬間に“名前”を与えないで。
こちらが理解した形で固定すると、相手に利点が生まれます」

「……分かってる」
ハレルは短く返す。
分かっている、の一言に自分の怒りを押し込める。

台座の上。
人の形――日下部の器が、わずかに身じろぎする。

起き上がろうとする動きではなく、“中身”がずれる動き。
胸の奥で別の鼓動が鳴りかけるような、不快なズレ。

そして、声。

「……いた……」

日下部の声じゃない。
若くて、軽い。
笑いを含んだ、あの少年の声。
サロゲート。

台座の影の胸元に、暗い渦が浮かび、そこから細い糸みたいな黒が伸びる。
黒い糸は、器の口元へ向かっている。
“流し込み”。
入れ替えの途中。

「ほら、見えるでしょ」
サロゲートの声が、区画のあちこちから滲む。位置がない。
「器って便利だよね。空っぽじゃなくても入る。混ぜればいいだけ」

サキが反射で一歩出そうとして、止まった。
ハレルの袖を掴む指先に力が入る。
握っているのはスマホじゃない。
今は、自分の理性だ。

「……やめろ」
ハレルの声は低い。
「その中は――日下部だ」

「うん、知ってる」
サロゲートは笑う。
「だから面白い。壊れかけのところに、別の“声”を入れるとさ。
 ……すっごく綺麗に、割れるんだよ」

台座の影が、ぴくり、と跳ねた。
日下部の輪郭が一瞬だけ戻り、次の瞬間、暗い渦に押し戻される。
苦しむ動き。
息ができない動き。

バッグの薄緑が、応えるように脈を打った。
途切れかけの脈が、無理やり繋がろうとして跳ねる。

(……聞こえる)
(“戻りたい”って)

ハレルはバッグの口に手をかけた。
開ける。
薄緑のカプセルを取り出す。
光が薄い。黒い粒が、底の方に溜まっているみたいに見える。
粒は揺れて、脈と一緒に動いている。

サキが息を呑む。
「……お兄ちゃん、それ……」

「持ってるのに、ここに引かれてる」
ハレルは短く言う。説明じゃない。事実を置くだけ。

セラの視線がカプセルと台座の器を繋いだ。
「カプセルは“核の座標”を保持している。
 器は“座標に固定されかけている”。
 ――二つを繋ぐのは、あなたの主鍵です」

「俺の……」

「ええ。ですが、鍵は刃にもなります。
 繋ぎ方を間違えると、固定されるのは“相手の実験”です」

サロゲートが楽しそうに言う。
「そうそう。鍵ってね、便利だよ。扉も開くし、首も落とせる」

アデルが剣を少しだけ持ち上げた。
刃先が、暗い渦の“糸”に向いた。

「切る」
アデルの声は短い。
躊躇がない。けれどそれは冷酷さじゃなく、覚悟だ。

「待て」
リオが即座に言った。
「糸は供給線の一部だ。斬った反動で“固定”が跳ねる。器が割れる」

アデルの眉が動く。
「じゃあ、どうする」

リオは床の赤黒い線を睨んだ。
「“根”を折った。次は“固定”の残り。固定が弱い今なら、器を引き抜ける」

「引き抜くって……」
サキが小さく呟く。
「そのまま連れていく、ってこと?」

「違う」
セラが静かに言う。
「“座標”を戻す。器をここから解放して、カプセルの座標に繋ぎ直す」

ハレルはカプセルを握りしめた。
薄緑が、弱く揺れる。黒い粒が、脈の合間でざらつく。
日下部の“声”が混ざりかけているのが分かる。
混ざったら、戻せない。

(今だ)
(ここで、戻す)

◆ ◆ ◆

【異世界・オルタ・スパイア/塔内部・基礎区画】

同じ瞬間、異世界側の床の根が、白くひび割れたまま痙攣していた。
赤黒い線が逆流し、杭の紋が一瞬だけ淡くなる。

リオは膝をついたまま、鎖の術式を根の周囲に絡め続けている。
鎖は光ではなく、重い。
鉄の重さが魔術になったみたいに、空間へ沈む。

アデルは黒ローブへ剣を向け、距離を取って牽制していた。
黒ローブたちは攻撃してこない。
ただ、手を掲げ、杭の紋へ“維持”を流し込む。
維持するだけで、こちらの呼吸が乱れるほど空間が圧を増す。

イヤーカフから、ノノの声が飛ぶ。
「固定の値、落ちてる……今なら引き戻せる!」

リオとアデルに対して、いつもの速度で、必要な情報だけを投げる。
「でも雑にやると器が割れる。リオ、根の残り押さえて。
 アデル、黒ローブ近づけないように。――持久戦じゃない、今だけ!」

「分かってる」
リオが短く返す。

歯を食いしばり、鎖を締める。
根の反動が、腕へ来る。骨が軋む。
けれど離せない。離せば、固定が戻り、実験が完成する。

アデルが息だけで笑う。
「近づけない。……来たら斬る」

黒ローブの一人が、一歩踏み出した。
影の奥で、目だけが光った気がした。
アデルの剣先が、迷いなくそちらへ向く。

その瞬間、基礎区画の壁が――現実側の円形区画へ繋がる“窓”みたいに開いた。

台座。
器。
暗い渦。
黒い糸。

(……やってる)
リオは目を逸らさない。逸らすと、見えない相手の手が進む。

ノノの声が、少しだけ低くなった。
「……来るよ。実験、完成させにくる」

◆ ◆ ◆

【現実世界・オルタリンクタワー/深部・円形区画】

空気が変わった。
笑い声の温度が、下がる。

サロゲートが言った。
「じゃあ、急ごっか。
 ……君たちが“戻す”なら、ボクは“入れる”。同時進行、いいね」

暗い渦が強くなる。
黒い糸が、器の口元へ滑り込もうとする。
器の指が、痙攣する。
日下部の体が、抵抗するように揺れた。

ハレルは、カプセルを両手で包んだ。
薄緑の光が、指の隙間から漏れる。薄い。けれど、まだ消えない。

「サキ」
ハレルは呼ぶ。

サキはすぐに顔を上げた。
恐怖はある。けれど目が逃げない。ここまで来た、の目だ。

「……私、どうすれば」

「俺の鍵と、お前の――」
言いかけて、ハレルは止める。言葉にした瞬間、確定する。
でも、確定しないと進めない局面もある。

セラが、静かに補う。
「二つの鍵は“同じ歩幅”で動く必要があります。
ハレルが繋ぐなら、サキは“揺れない”こと。
恐怖を消せとは言いません。揺れたまま、歩幅を合わせて」

サキは、唇を噛んで頷いた。
「……分かった。揺れても、離れない」

アデルが剣を構え直す。
「私が糸を斬るのは最後だな。――まず、引き戻す」

リオが床の線を指で辿り、中心の根を示した。
「ここ。根の残りを押さえてる。
 固定が落ちてる今しかない。……ハレル、引くなら今」

ハレルは深く息を吸う。
白い廊下の匂い。焦げた匂いと、ガラス粉の冷たさ。
父の残した“癖”のような揺れが、胸元で脈を打つ。

(戻す)
(今、戻す)

ハレルはカプセルを台座へ近づけた。
触れさせない。
近づけるだけ。
座標だけを重ねる。

カプセルの薄緑が、わずかに強く揺れた。
黒い粒が、ふわりと浮き、脈の間へ散る。

器の胸元が、ぎくり、と反応した。
暗い渦が一瞬だけ乱れ、糸が揺らぐ。

サロゲートが、初めて苛立ちを含んだ声を出す。
「……っ、やるじゃん」

アデルの剣が、半歩前に出た。
「今だ」

リオが床の根を抑える鎖を締める。
セラが言葉を落とす。
「“日下部”と呼ばないで。今は名を与えない。座標だけを返す」

サキが、ハレルの手首に両手を添えた。
揺れる手を、揺れたまま支える。

ハレルは、カプセルの薄緑を“引く”意識を持った。
器を引っ張るのではない。
座標を引き戻す。
ただ、それだけ。

器の影が、びくり、と跳ね――
暗い渦が、裂ける。

黒い糸が、器の口元から抜けかけた。

サロゲートの声が、冷たく落ちる。
「――返さない」

渦の奥から、別の“声”が覗く。
それはサロゲートの声より低く、粘りがあり、古い。

影が笑った。

その瞬間、薄緑の脈が、途切れかけのまま強く跳ねた。
まるで「まだいる」と言うみたいに。

ハレルの喉が焼ける。
叫びたい。名前を呼びたい。
でもセラの言葉が刺さっている。

名を与えるな。
今は座標だけを返せ。

ハレルは歯を食いしばり、無言で“引いた”。
サキが同じ歩幅で支えた。
リオが根を押さえた。
アデルが糸を斬る瞬間を待った。
セラが確定を避ける言葉で空間を縛った。

器が、こちらへ――わずかに、確かに、戻り始める。

だが完全じゃない。
暗い渦はまだ残っている。
“実験途中”のまま、こちらに引き出されようとしている。

そして、サロゲートが楽しそうに囁いた。

「途中って、一番面白いよね」


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