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第5話:名前のない再会
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春の風が、街をやわらかく撫でていく。
並木道の桜は満開を迎え、花びらが静かに舞い落ちていた。
凛は待ち合わせ場所に少し早く着いて、ベンチに座っていた。
この道を歩くのは、何度目になるだろう。
それでも今日は、はじめてみたいに緊張している。
「名前を忘れて、もう一度出会えたなら」
そう願ったあの日から、わずか数週間。
思い出せないまま、でもたしかに感じていた気持ちは、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。
ふと、背後から名前を呼ばれる気がして振り向く。
そこに立っていたのは、奏だった。
白いシャツに、少しだけ乱れた黒髪。
初めて会ったときと、何も変わらないはずなのに——
彼がそこにいるだけで、心がふっとあたたかくなる。
「……待たせましたか?」
「ううん、わたしが早く来すぎただけ」
そう言って、ふたりは自然に並んで歩き出す。
会話はたどたどしく、時折ぎこちない。
でもそれが悪くないと思えるのは、無理に思い出そうとしなくても“今”が心地よいから。
「ねえ、奏さん」
「はい」
「——わたし、まだ何も思い出してないんです」
「ぼくもです」
ふたりは顔を見合わせて、少しだけ笑った。
「でも、それでも」
「それでも?」
「あなたを好きだった気がする、って思えるんです」
奏は立ち止まり、凛の方をしっかりと見つめた。
「ぼくも……同じです。
きっと何かを選んで、名前も記憶も手放した。
でも、また出会ってしまった。こんなにも自然に、こんなにも惹かれて」
言葉は少なかった。けれど、それだけで十分だった。
感情は、記憶よりもずっと深いところで、二人をつなぎ続けていたのだ。
「だったら、やっぱり……出会い直しましょうか」
凛が微笑んで手を差し出す。
奏は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐにその手を優しく取った。
「はじめまして」
「——はじめまして」
春風がふたりの間をすり抜けて、どこか遠くへ吹き抜けていく。
もう名前に縛られない。記憶にすがらなくていい。
これは、新しい始まりなのだから。
「じゃあ、今日はどこに行きましょうか」
「んー……じゃあ、まずはあなたの“好きな場所”を教えて?」
「それ、ぼくも知りたいです」
ふたりは笑いながら歩き出す。
かつての記憶の残像ではなく、これから紡いでいく新しい時間を刻むように。
——名前を忘れても、想いは残る。
記憶を失っても、心が覚えている。
そして、それだけで、また恋は始められる。
並木道の桜は満開を迎え、花びらが静かに舞い落ちていた。
凛は待ち合わせ場所に少し早く着いて、ベンチに座っていた。
この道を歩くのは、何度目になるだろう。
それでも今日は、はじめてみたいに緊張している。
「名前を忘れて、もう一度出会えたなら」
そう願ったあの日から、わずか数週間。
思い出せないまま、でもたしかに感じていた気持ちは、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。
ふと、背後から名前を呼ばれる気がして振り向く。
そこに立っていたのは、奏だった。
白いシャツに、少しだけ乱れた黒髪。
初めて会ったときと、何も変わらないはずなのに——
彼がそこにいるだけで、心がふっとあたたかくなる。
「……待たせましたか?」
「ううん、わたしが早く来すぎただけ」
そう言って、ふたりは自然に並んで歩き出す。
会話はたどたどしく、時折ぎこちない。
でもそれが悪くないと思えるのは、無理に思い出そうとしなくても“今”が心地よいから。
「ねえ、奏さん」
「はい」
「——わたし、まだ何も思い出してないんです」
「ぼくもです」
ふたりは顔を見合わせて、少しだけ笑った。
「でも、それでも」
「それでも?」
「あなたを好きだった気がする、って思えるんです」
奏は立ち止まり、凛の方をしっかりと見つめた。
「ぼくも……同じです。
きっと何かを選んで、名前も記憶も手放した。
でも、また出会ってしまった。こんなにも自然に、こんなにも惹かれて」
言葉は少なかった。けれど、それだけで十分だった。
感情は、記憶よりもずっと深いところで、二人をつなぎ続けていたのだ。
「だったら、やっぱり……出会い直しましょうか」
凛が微笑んで手を差し出す。
奏は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐにその手を優しく取った。
「はじめまして」
「——はじめまして」
春風がふたりの間をすり抜けて、どこか遠くへ吹き抜けていく。
もう名前に縛られない。記憶にすがらなくていい。
これは、新しい始まりなのだから。
「じゃあ、今日はどこに行きましょうか」
「んー……じゃあ、まずはあなたの“好きな場所”を教えて?」
「それ、ぼくも知りたいです」
ふたりは笑いながら歩き出す。
かつての記憶の残像ではなく、これから紡いでいく新しい時間を刻むように。
——名前を忘れても、想いは残る。
記憶を失っても、心が覚えている。
そして、それだけで、また恋は始められる。
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