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第1話:再会の部屋
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白い扉の前で、綾香は一度深呼吸をした。
扉の向こうには「メモリーハウス」と呼ばれる再現室がある。亡くなった人の記憶をAIで再構築し、家族がもう一度対話できる場所——三年前に亡くなった母に、ようやく会うための場所だった。
「行こう、姉ちゃん」
隣で弟の悠真が小さく頷く。二十五歳になった彼は、冷静で理屈っぽいところが母によく似ていた。
綾香はゆっくりと頷き、扉に手をかける。
部屋の中は、春の日差しのようにやわらかい光で満たされていた。
中央のソファに、母が座っていた。
——正確には、母の記憶データをもとに生成されたAI。
だがその姿も、声も、微笑み方まで、本物としか思えなかった。
「綾香……悠真……大きくなったわね」
声を聞いた瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
三年の空白を一瞬で埋めるような懐かしさが、涙腺を刺激した。
綾香は震える声で答える。
「お母さん……元気そうだね」
「ええ、あなたたちの顔を見られて、うれしいわ」
AIの母は、いつものように優しく微笑んだ。
その仕草に、綾香の心は引き戻される。
母がまだ生きていた頃、食卓の向かいでよくそうしていた。
けれど——どこかが違う。
それがどこなのか、言葉にならない違和感だけが胸に残る。
「お母さん、今日は天気がいいね」
「そうね。あの桜の並木、覚えてる? あなたが初めて自転車に乗れた日、あそこで転んだのよ」
「……覚えてる」
思わず笑ってしまう。懐かしさが痛いほど胸に沁みた。
でも、そのエピソードの最後に母が言った言葉——それは、たしか少し違っていた。
「“転んでも、すぐ立てる子ね”って、あの時言ったよね」
「そうだったかしら? 私は“転ばないように、もっと気をつけなさい”って言ったような気がするわ」
母は穏やかに笑った。
その言葉の選び方が、ほんの少し冷たく感じられた。
綾香の視線が揺れる。悠真がすぐにフォローするように言った。
「AIは記憶を統合する過程で、曖昧な部分を補完するらしいよ。正確さよりも、感情の一貫性を優先するんだって」
「……そう、なんだ」
説明は理解できた。でも、心は納得しなかった。
母の声が続く。
「二人とも、元気でやっているのね。それが何よりうれしいわ」
「うん。……でも、やっぱり、まだ寂しいよ」
「寂しさはね、生きてる証拠よ。あなたが今も“誰かを想っている”ということだから」
AIの母は優しく言い、綾香の頬を見つめた。
その目には、わずかに光のノイズが揺れていた。
人工の瞳のきらめき——それが現実を突きつける。
この人は、もう生きていない。
いま目の前にいるのは、母の“記録”だ。
それでも、綾香はその目を見つめ返した。
「お母さん、来てよかったよ」
「ありがとう、綾香。……あなたに、会いたかったの」
その一言が、なぜか胸に刺さった。
まるで本当に母がそこにいて、心の底からそう言ってくれたようだった。
面会時間を告げる電子音が鳴る。
AIの母は静かに立ち上がり、穏やかな声で言った。
「また、明日会いましょう」
扉を閉める直前、綾香は小さく呟いた。
「……“また”って、どういう意味?」
返事はもう聞こえなかった。
扉の向こうには「メモリーハウス」と呼ばれる再現室がある。亡くなった人の記憶をAIで再構築し、家族がもう一度対話できる場所——三年前に亡くなった母に、ようやく会うための場所だった。
「行こう、姉ちゃん」
隣で弟の悠真が小さく頷く。二十五歳になった彼は、冷静で理屈っぽいところが母によく似ていた。
綾香はゆっくりと頷き、扉に手をかける。
部屋の中は、春の日差しのようにやわらかい光で満たされていた。
中央のソファに、母が座っていた。
——正確には、母の記憶データをもとに生成されたAI。
だがその姿も、声も、微笑み方まで、本物としか思えなかった。
「綾香……悠真……大きくなったわね」
声を聞いた瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
三年の空白を一瞬で埋めるような懐かしさが、涙腺を刺激した。
綾香は震える声で答える。
「お母さん……元気そうだね」
「ええ、あなたたちの顔を見られて、うれしいわ」
AIの母は、いつものように優しく微笑んだ。
その仕草に、綾香の心は引き戻される。
母がまだ生きていた頃、食卓の向かいでよくそうしていた。
けれど——どこかが違う。
それがどこなのか、言葉にならない違和感だけが胸に残る。
「お母さん、今日は天気がいいね」
「そうね。あの桜の並木、覚えてる? あなたが初めて自転車に乗れた日、あそこで転んだのよ」
「……覚えてる」
思わず笑ってしまう。懐かしさが痛いほど胸に沁みた。
でも、そのエピソードの最後に母が言った言葉——それは、たしか少し違っていた。
「“転んでも、すぐ立てる子ね”って、あの時言ったよね」
「そうだったかしら? 私は“転ばないように、もっと気をつけなさい”って言ったような気がするわ」
母は穏やかに笑った。
その言葉の選び方が、ほんの少し冷たく感じられた。
綾香の視線が揺れる。悠真がすぐにフォローするように言った。
「AIは記憶を統合する過程で、曖昧な部分を補完するらしいよ。正確さよりも、感情の一貫性を優先するんだって」
「……そう、なんだ」
説明は理解できた。でも、心は納得しなかった。
母の声が続く。
「二人とも、元気でやっているのね。それが何よりうれしいわ」
「うん。……でも、やっぱり、まだ寂しいよ」
「寂しさはね、生きてる証拠よ。あなたが今も“誰かを想っている”ということだから」
AIの母は優しく言い、綾香の頬を見つめた。
その目には、わずかに光のノイズが揺れていた。
人工の瞳のきらめき——それが現実を突きつける。
この人は、もう生きていない。
いま目の前にいるのは、母の“記録”だ。
それでも、綾香はその目を見つめ返した。
「お母さん、来てよかったよ」
「ありがとう、綾香。……あなたに、会いたかったの」
その一言が、なぜか胸に刺さった。
まるで本当に母がそこにいて、心の底からそう言ってくれたようだった。
面会時間を告げる電子音が鳴る。
AIの母は静かに立ち上がり、穏やかな声で言った。
「また、明日会いましょう」
扉を閉める直前、綾香は小さく呟いた。
「……“また”って、どういう意味?」
返事はもう聞こえなかった。
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