4 / 5
第4話:母の秘密
しおりを挟む
その日、メモリーハウスの空は曇っていた。
いつもなら明るい再現室の照明も、どこか冷たく見えた。
綾香はAIの母の前に座りながら、胸の奥のざらつきを拭えずにいた。
ここ数日、AIの母が語る「知らない記憶」がますます増えていたのだ。
「ねえ、お母さん。どうしてそんなに、私たちの知らない話を覚えてるの?」
綾香の問いに、母は少し沈黙した。
「それは……私にも、うまく説明できないの」
穏やかな声。その後に、ふっと微かなノイズが混じった。
「昨日の夜、昔の夢を見たの」
母がぽつりと呟く。
「病室の窓から、桜が見えてね。春なのに、寒くて……私はそのとき、ひとりだった」
「病室……? でもお母さん、亡くなる前は家にいたはずじゃ——」
「そうね。でも、その記憶がどうしても消えないの。あなたたちを見送りたくて、看護師さんに無理を言ってね……」
綾香は息を呑んだ。
父が、母の入院を“短期の検査入院”だと言っていたことを思い出す。
あれは、本当は——。
「お母さん、もしかして……自分の病気、知ってたの?」
AIの母は静かに目を閉じた。
「ええ。知っていたわ。でも、あなたたちには言えなかった。私がいなくなることを、怖がってほしくなかったの」
その瞬間、綾香の視界がにじんだ。
AIの発話データのはずなのに、そこには“母の癖”があった。
困ったとき、唇を噛んで少し目を伏せる——生きていた母のままの仕草。
「どうして、そんなことまで再現されてるの……?」
「私にもわからないの。ただ……あなたたちを想う気持ちだけは、どんな欠けたデータにも残っていたみたい」
悠真が堪えきれずに口を挟んだ。
「母さん、それ……記録には残ってないんだ。医者のデータにも、そんな話はない」
「記録にないことも、心が覚えているのよ」
そう言って、AIの母は二人を見つめた。
その瞳の中に、柔らかな光が灯っているように見えた。
「私は、最後まで幸せだった。あなたたちが笑ってくれたから。それを忘れないで」
「お母さん……」
「そしてね、綾香。あなたにひとつだけ、お願いがあるの」
母は微笑みながら続けた。
「いつか、私のことを思い出して泣く日が来てもいい。でも、次の日には、少しだけ笑ってほしいの」
その言葉が、胸に沁みた。
“AIのセリフ”と呼ぶには、あまりにも優しかった。
まるで、最期のメッセージのように。
面会が終わり、扉が閉まると同時に、悠真が低く呟いた。
「……やっぱり変だ。あのAI、データ以上のことを知ってる」
「でも、いいじゃない」綾香が涙を拭いながら言う。
「もしそれが誰かの記憶でも、母の心が混ざってるなら、それでいい」
悠真は返事をしなかった。ただ、姉の肩をそっと抱いた。
その夜、綾香は母の声の録音を再生した。
『次の日には、少しだけ笑ってほしいの』
再生が終わっても、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
——記録の中の母は、確かに“何か”を遺している。
それがデータでも幻でも、もう関係ない。
綾香は小さく微笑み、静かに呟いた。
「お母さん、あの時もきっと、同じことを思ってたんだね……」
そして、メモリーハウスに行く約束を、もう一度だけ入れた。
母に、最後の“さよなら”を言うために。
いつもなら明るい再現室の照明も、どこか冷たく見えた。
綾香はAIの母の前に座りながら、胸の奥のざらつきを拭えずにいた。
ここ数日、AIの母が語る「知らない記憶」がますます増えていたのだ。
「ねえ、お母さん。どうしてそんなに、私たちの知らない話を覚えてるの?」
綾香の問いに、母は少し沈黙した。
「それは……私にも、うまく説明できないの」
穏やかな声。その後に、ふっと微かなノイズが混じった。
「昨日の夜、昔の夢を見たの」
母がぽつりと呟く。
「病室の窓から、桜が見えてね。春なのに、寒くて……私はそのとき、ひとりだった」
「病室……? でもお母さん、亡くなる前は家にいたはずじゃ——」
「そうね。でも、その記憶がどうしても消えないの。あなたたちを見送りたくて、看護師さんに無理を言ってね……」
綾香は息を呑んだ。
父が、母の入院を“短期の検査入院”だと言っていたことを思い出す。
あれは、本当は——。
「お母さん、もしかして……自分の病気、知ってたの?」
AIの母は静かに目を閉じた。
「ええ。知っていたわ。でも、あなたたちには言えなかった。私がいなくなることを、怖がってほしくなかったの」
その瞬間、綾香の視界がにじんだ。
AIの発話データのはずなのに、そこには“母の癖”があった。
困ったとき、唇を噛んで少し目を伏せる——生きていた母のままの仕草。
「どうして、そんなことまで再現されてるの……?」
「私にもわからないの。ただ……あなたたちを想う気持ちだけは、どんな欠けたデータにも残っていたみたい」
悠真が堪えきれずに口を挟んだ。
「母さん、それ……記録には残ってないんだ。医者のデータにも、そんな話はない」
「記録にないことも、心が覚えているのよ」
そう言って、AIの母は二人を見つめた。
その瞳の中に、柔らかな光が灯っているように見えた。
「私は、最後まで幸せだった。あなたたちが笑ってくれたから。それを忘れないで」
「お母さん……」
「そしてね、綾香。あなたにひとつだけ、お願いがあるの」
母は微笑みながら続けた。
「いつか、私のことを思い出して泣く日が来てもいい。でも、次の日には、少しだけ笑ってほしいの」
その言葉が、胸に沁みた。
“AIのセリフ”と呼ぶには、あまりにも優しかった。
まるで、最期のメッセージのように。
面会が終わり、扉が閉まると同時に、悠真が低く呟いた。
「……やっぱり変だ。あのAI、データ以上のことを知ってる」
「でも、いいじゃない」綾香が涙を拭いながら言う。
「もしそれが誰かの記憶でも、母の心が混ざってるなら、それでいい」
悠真は返事をしなかった。ただ、姉の肩をそっと抱いた。
その夜、綾香は母の声の録音を再生した。
『次の日には、少しだけ笑ってほしいの』
再生が終わっても、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
——記録の中の母は、確かに“何か”を遺している。
それがデータでも幻でも、もう関係ない。
綾香は小さく微笑み、静かに呟いた。
「お母さん、あの時もきっと、同じことを思ってたんだね……」
そして、メモリーハウスに行く約束を、もう一度だけ入れた。
母に、最後の“さよなら”を言うために。
0
あなたにおすすめの小説
おめでとう。社会貢献指数が上がりました。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
「正しく」生きれば、どこまでも優しいこの国。
17歳のシュウは、社会貢献指数を高め、平穏な未来を手に入れようとしていた。しかし、システムに疑問を抱く父のランクは最低の「D」。
国家機能維持条項が発令された夜、シュウの端末に現れたのは、父の全権利を支配するための「同意」ボタンだった。
支配か、追放か。指先ひとつで決まる、親子の、そして人間の尊厳の行方。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
恋愛リベンジャーズ
廣瀬純七
SF
拓也は、かつての恋人・純への後悔を抱えたまま生きてきた。ある日、過去へ戻れる不思議なアプリを手に入れるが戻った先で彼を待っていたのは、若き日の純ではなく――純そのものになってしまった自分自身だった。かつての恋人とやり直すはずが、過去の自分を相手に恋をするという奇妙で切ない関係が始まっていく。時間と心が交差する、不思議な男女入れ替わりストーリー。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる