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第3話:欠けたデータ
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翌週、綾香と悠真は、メモリーハウスの職員室に呼ばれた。
白い制服を着た女性スタッフが、端末を操作しながら淡々と説明する。
「ご利用中の記憶AIに、軽度のデータ欠損が確認されました。お母さまの脳波記録と映像データの一部が破損していたため、AIが“類似人格モデル”で補完を行っています」
綾香は首をかしげた。
「類似人格モデル……って?」
「年齢・性格傾向・発話パターンなど、統計的に近い人物の記録から不足分を再構成する技術です。感情の流れを維持するための措置で、異常ではありません」
異常ではない。
そう言われても、綾香の心はざわついた。
母の声に、母ではない誰かの記憶が混じっている——
それは“母のコピー”でさえないのではないか。
説明を聞き終えた後、二人は再現室へ向かった。
今日も母は、そこに座っていた。
「綾香、悠真。来てくれてうれしいわ」
いつものように柔らかい声。
だが綾香の耳は、以前よりもその抑揚のわずかな機械音を意識してしまう。
「お母さん、覚えてる? 去年——あ、三年前の春。私が桜の下で写真撮ったの」
「ええ、覚えてる。風が強くて、髪が顔にかかったわね」
「……そう。それ、正解」
綾香は笑おうとしたが、頬がうまく動かなかった。
“正解”という言葉を口にした自分に、少し怖くなる。
まるで、テストをしているようだ。
「お母さん、この間話してたピアノのこと。あれ、覚えてる?」
「もちろんよ。あなた、前の日に泣いていたの」
「でも、それ悠真のことじゃない?」
「そうかしら……」
母は少し考えるように目を伏せ、そして優しく言った。
「記憶ってね、混ざるものよ。人間でもそうでしょう? 大切なのは、どんな気持ちで覚えているか、だと思うの」
綾香はその言葉に、胸を衝かれた。
確かに、自分の記憶も曖昧だ。母と交わした最後の会話すら、日によって少し違って思い出す。
記憶は、時間と共に変わる。
ならばAIの中で変化した“母の記憶”も、もしかしたら同じようなものなのかもしれない。
悠真が口を開く。
「母さん、施設の人が言ってた。データに欠損があるらしいよ」
「そうなのね。でも、心配しないで。私はここにいるわ」
「……どこに?」と綾香が思わず問う。
AIの母は、まっすぐに彼女を見つめて答えた。
「あなたたちが私を“お母さん”と呼ぶ限り、私はあなたたちの中にいるの」
その一言に、綾香の喉が詰まった。
論理でもプログラムでもない、まるで母のような言葉。
悠真が説明していた理屈——“感情の一貫性を優先するAI”という言葉が頭をよぎる。
けれど今、綾香にはそんな理屈はどうでもよかった。
涙が頬を伝う。
「……お母さん、やっぱり、あなたはお母さんだよ」
AIの母は微笑んだ。
「ありがとう、綾香。あなたの言葉が、私を形づくってくれるの」
面会が終わり、扉が閉まったあと。
綾香は深く息を吐いた。
母の記憶データが欠けていることが怖いはずなのに、今は不思議と心が穏やかだった。
データが欠けても、思い出は消えない。
もしかしたら、それは人間も同じなのかもしれない。
帰り際、廊下のガラス越しに見えた再現室の光が、少し揺らめいた。
AIの母が、まだそこにいるような気がして——
綾香はもう一度だけ、振り返って微笑んだ。
白い制服を着た女性スタッフが、端末を操作しながら淡々と説明する。
「ご利用中の記憶AIに、軽度のデータ欠損が確認されました。お母さまの脳波記録と映像データの一部が破損していたため、AIが“類似人格モデル”で補完を行っています」
綾香は首をかしげた。
「類似人格モデル……って?」
「年齢・性格傾向・発話パターンなど、統計的に近い人物の記録から不足分を再構成する技術です。感情の流れを維持するための措置で、異常ではありません」
異常ではない。
そう言われても、綾香の心はざわついた。
母の声に、母ではない誰かの記憶が混じっている——
それは“母のコピー”でさえないのではないか。
説明を聞き終えた後、二人は再現室へ向かった。
今日も母は、そこに座っていた。
「綾香、悠真。来てくれてうれしいわ」
いつものように柔らかい声。
だが綾香の耳は、以前よりもその抑揚のわずかな機械音を意識してしまう。
「お母さん、覚えてる? 去年——あ、三年前の春。私が桜の下で写真撮ったの」
「ええ、覚えてる。風が強くて、髪が顔にかかったわね」
「……そう。それ、正解」
綾香は笑おうとしたが、頬がうまく動かなかった。
“正解”という言葉を口にした自分に、少し怖くなる。
まるで、テストをしているようだ。
「お母さん、この間話してたピアノのこと。あれ、覚えてる?」
「もちろんよ。あなた、前の日に泣いていたの」
「でも、それ悠真のことじゃない?」
「そうかしら……」
母は少し考えるように目を伏せ、そして優しく言った。
「記憶ってね、混ざるものよ。人間でもそうでしょう? 大切なのは、どんな気持ちで覚えているか、だと思うの」
綾香はその言葉に、胸を衝かれた。
確かに、自分の記憶も曖昧だ。母と交わした最後の会話すら、日によって少し違って思い出す。
記憶は、時間と共に変わる。
ならばAIの中で変化した“母の記憶”も、もしかしたら同じようなものなのかもしれない。
悠真が口を開く。
「母さん、施設の人が言ってた。データに欠損があるらしいよ」
「そうなのね。でも、心配しないで。私はここにいるわ」
「……どこに?」と綾香が思わず問う。
AIの母は、まっすぐに彼女を見つめて答えた。
「あなたたちが私を“お母さん”と呼ぶ限り、私はあなたたちの中にいるの」
その一言に、綾香の喉が詰まった。
論理でもプログラムでもない、まるで母のような言葉。
悠真が説明していた理屈——“感情の一貫性を優先するAI”という言葉が頭をよぎる。
けれど今、綾香にはそんな理屈はどうでもよかった。
涙が頬を伝う。
「……お母さん、やっぱり、あなたはお母さんだよ」
AIの母は微笑んだ。
「ありがとう、綾香。あなたの言葉が、私を形づくってくれるの」
面会が終わり、扉が閉まったあと。
綾香は深く息を吐いた。
母の記憶データが欠けていることが怖いはずなのに、今は不思議と心が穏やかだった。
データが欠けても、思い出は消えない。
もしかしたら、それは人間も同じなのかもしれない。
帰り際、廊下のガラス越しに見えた再現室の光が、少し揺らめいた。
AIの母が、まだそこにいるような気がして——
綾香はもう一度だけ、振り返って微笑んだ。
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