転移した商人(プロローグのみ)

るいす

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転移した商人(プロローグのみ)

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 翔が最後に覚えているのは、身体にまとわりつく疲労感だった。東京の高層ビルに囲まれたオフィスの一角で、彼は黙々と画面に向かって取引を続けていた。金融市場を読み、瞬時に反応することで莫大な利益を生み出してきた翔にとって、この作業は日常の一部だった。しかし今日は特に長かった。いくつもの契約が成立し、取引先との交渉も無事に終え、ようやく最後の取引を締めくくろうとしていた。



「あと一件…」と自分に言い聞かせながら、疲れた手でマウスを握りしめる。



 パソコンの画面がちらつく中、ふと目に留まったのは、奇妙なメッセージだった。「あなたは世界を征服したいですか?」という問いかけが、無機質なフォントで浮かび上がっていた。心は朦朧としていたが、考える余裕もないまま、翔はただ流れ作業のようにマウスを動かし、何の疑いもなく「OK」をクリックした。



 その瞬間、視界が揺れ、頭が重くなる。意識が遠のき、やがてすべてが闇に包まれた。



 次に目を覚ましたとき、冷たい風が肌を撫で、耳に入ってきたのは虫の鳴き声だった。見上げた空は澄み渡る青で、東京の喧騒は跡形もなく消え去り、周囲には広がる草原があるだけだった。遠くには商業都市らしき街がぼんやりと見える。驚くほど静かで穏やかな空気が翔を包んでいた。



「ここは…どこだ?」



 身体を起こそうとしたとき、誰かがそっと近づいてくる気配を感じた。目を向けると、長い耳と落ち着いた美しい顔立ちを持つ女性が、静かに翔を見つめていた。エルフのようだ、と翔は思った。



「大丈夫?怪我はない?」その声は柔らかで優しいが、芯のある響きを持っていた。



「…ああ、大丈夫みたいだ。ここはどこなんだ?」



「リベルス近郊の草原よ。こんなところで倒れている人を見るのは珍しいけど、名前は?」



「宮本…翔だ。」



 エルフの女性は軽く微笑み、優雅に手を差し出した。「私はリナ・フォレスト。ここから近いリベルスという都市に向かっていたの。良ければ、街まで一緒に行かない?」



 翔は少し戸惑いながらも、彼女の助けが今必要だと感じ、頷いた。



 二人は草原を歩きながら、穏やかな風が頬を撫でる。リナは時折、翔の着ているスーツに目をやりながら、ふと話題を切り出した。



「それにしても、あなたのその服装…少し変わっているわね。どこかの貴族かと思ったけど、そういう雰囲気でもないし。」



 翔は自分の服を見下ろし、スーツ姿のままこの世界に来ていることを思い出す。ネクタイは緩んでいるし、ジャケットには疲労の跡が刻まれている。



「ああ、これか。仕事着なんだ。日本ではスーツが普通で、取引の場ではきちんとした格好をするのが礼儀ってわけさ。」



 リナは興味深そうに彼を見つめた。「仕事…取引の話、面白いわね。この世界でも商売や取引は盛んだから、あなたの知識が役立つかもしれないわ。」



「そうだな、物の価値はどの世界でも変わらない。需要と供給さえ分かれば、どんな市場でも戦える。」



 翔は軽く肩をすくめて答えたが、リナが再びスーツをじっと見つめていることに気づく。



「その服、かなり高価に見えるわ。少なくとも、私が見たことのあるどんな服とも違う…少し調べてみる?」



「どうやって調べるんだ?」



 リナは歩みを止め、慎重にバッグから小さな光る石を取り出した。それは淡い青い輝きを放ち、手の中で温かさを感じさせる不思議な感触があった。



「アーケイン・マーケット・ポータルを使ってみましょうか。」リナは微笑みながら、石を軽く撫でる。



 すると、石は瞬時に反応し、淡い青い光が広がり始めた。光は空中に大きな円を描き、その中心にポータルが形成されていく。ポータルの周囲は柔らかながらも強い魔力が漂っており、どこか神秘的な力を感じさせた。



「この装置、アーケイン・マーケット・ポータルは、あらゆる物の価値を瞬時に解析し、売買や配送、出入金まで異空間で行うことができる優れた道具よ。特に、商人には欠かせない存在なの。」



 翔はその説明に驚き、ポータルの輝きを見つめながらつぶやく。「そんなものがあるのか…。それに、こんなに簡単に使えるなんて…。」



 リナは微笑んで頷いた。「ええ、ではあなたのスーツを調べてみましょうか?」そう言うと、再びポータルに指をかざし、翔のスーツに関する情報を読み取った。



 瞬く間に、スーツの詳細がポータル内に表示され、数字が踊るように輝いた。



「これは…とんでもないわ。こんな高額な服、見たことがないわよ。」



 翔はその数字を見て目を見張る。「ただのビジネススーツだと思ってたのに…こんなに高いのか?」



 リナはポータルを閉じ、真剣な表情で彼を見つめた。「どうやらこの世界では、そのスーツが特別な価値を持っているみたいね。もしかしたら、素材や魔法の技術が関わっているのかもしれない。」



 翔は信じられないという表情で苦笑しながら、ネクタイを少し緩めた。「まさかこんなことになるなんてな…。」



 リナは目を細め、翔を見つめた。「あなた、本当に不思議な人ね。持っているものがいかに特別か、まだ気づいていないみたい。」



 翔は少し困惑しながらも、リナの言葉を心の中で反芻していた。
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