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第5話:声の届かない部屋
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壁の裂け目は、音もなく広がった。
白い壁紙の裏側から、黒い空洞が覗く。
まるでそこが“次の部屋”へ続く通路であるかのように。
咲良は、逃げようとしなかった。
恐怖よりも、どこか懐かしさのような感情が勝っていた。
あの声は、ずっと前から自分の中にあった気がする。
孤独な夜、締め切った部屋で原稿を書き続けていた日々。
“話し相手”を求めていたのは、他でもない自分自身だったのだ。
鏡の中の咲良が、ゆっくりと手を差し出した。
その指先は、裂け目の向こう側と同じ闇の色をしていた。
“こちらへおいで”と、声にならない声が響く。
部屋の明かりが一度、ぱちんと消える。
電気の復旧に数秒かかったが、その間、何かが入れ替わったような感覚がした。
再び照明が点いた時、鏡の中の咲良はいなかった。
代わりに、壁の裂け目は完全に閉じていた。
――夢だったのだろうか。
そんな言葉が頭をよぎった瞬間、部屋のドアがノックされた。
トン、トン、トン。
静かに、しかし確実に。
息を呑む。
外に誰かがいる気配はない。
覗き穴から見ても、廊下には誰もいなかった。
それでも、ノックは止まらない。
まるで「開けて」と催促するように。
スマホが震えた。
画面を見ると、通知が一つ。
送信者は「sakura_01」。
――自分の本来のアカウント。
けれど、送信内容に息を詰まらせた。
『開けて。寒いの。』
咲良は、思考を止めたまま、玄関へ歩いた。
手がドアノブに触れる。
今度は、冷たさも脈動も感じない。
ただ、静かに回した。
ドアを開けると、そこには“自分”が立っていた。
少しだけ髪が長く、服装も同じ。
表情だけが違う。
こちらの咲良は、穏やかに微笑んでいた。
「やっと会えたね」
その声に、心の奥がざわめいた。
どちらが本物か――もう、わからない。
相手はそっと部屋に入り、靴を脱ぎ、テーブルの上のマグカップを手に取った。
当然のように、そこに座った。
咲良は声を出せない。
ただ立ち尽くす。
「少し、書きかけの原稿を見てもいい?」
相手の問いに、無意識にうなずいてしまう。
パソコンが勝手に起動する。
白い画面の上で、カーソルが点滅を始める。
そして、ひとりでに文字が打たれた。
『この部屋には、もう一人の咲良が住んでいる。
声を出してはいけない。
呼ばれたら、答えてはいけない。
気づかれたら、入れ替わってしまうから。』
打ち終わると、カーソルは止まった。
相手――“もう一人の咲良”がゆっくりこちらを振り返る。
微笑みながら、静かに言った。
「これでようやく、静かに書けるね」
咲良は、息を呑んだ。
自分の声が出ない。
声帯が動いていないのではない。
声を出す“場所”が、もうどこにもなかった。
モニターの中で、“もう一人”が微笑む。
その背後にある部屋は、どこか見覚えがある。
――自分が今まで住んでいた部屋だ。
部屋の空気が止まる。
パソコンの画面が静かに暗転し、反射する。
そこには、もうひとりの咲良だけが映っていた。
白い壁紙の裏側から、黒い空洞が覗く。
まるでそこが“次の部屋”へ続く通路であるかのように。
咲良は、逃げようとしなかった。
恐怖よりも、どこか懐かしさのような感情が勝っていた。
あの声は、ずっと前から自分の中にあった気がする。
孤独な夜、締め切った部屋で原稿を書き続けていた日々。
“話し相手”を求めていたのは、他でもない自分自身だったのだ。
鏡の中の咲良が、ゆっくりと手を差し出した。
その指先は、裂け目の向こう側と同じ闇の色をしていた。
“こちらへおいで”と、声にならない声が響く。
部屋の明かりが一度、ぱちんと消える。
電気の復旧に数秒かかったが、その間、何かが入れ替わったような感覚がした。
再び照明が点いた時、鏡の中の咲良はいなかった。
代わりに、壁の裂け目は完全に閉じていた。
――夢だったのだろうか。
そんな言葉が頭をよぎった瞬間、部屋のドアがノックされた。
トン、トン、トン。
静かに、しかし確実に。
息を呑む。
外に誰かがいる気配はない。
覗き穴から見ても、廊下には誰もいなかった。
それでも、ノックは止まらない。
まるで「開けて」と催促するように。
スマホが震えた。
画面を見ると、通知が一つ。
送信者は「sakura_01」。
――自分の本来のアカウント。
けれど、送信内容に息を詰まらせた。
『開けて。寒いの。』
咲良は、思考を止めたまま、玄関へ歩いた。
手がドアノブに触れる。
今度は、冷たさも脈動も感じない。
ただ、静かに回した。
ドアを開けると、そこには“自分”が立っていた。
少しだけ髪が長く、服装も同じ。
表情だけが違う。
こちらの咲良は、穏やかに微笑んでいた。
「やっと会えたね」
その声に、心の奥がざわめいた。
どちらが本物か――もう、わからない。
相手はそっと部屋に入り、靴を脱ぎ、テーブルの上のマグカップを手に取った。
当然のように、そこに座った。
咲良は声を出せない。
ただ立ち尽くす。
「少し、書きかけの原稿を見てもいい?」
相手の問いに、無意識にうなずいてしまう。
パソコンが勝手に起動する。
白い画面の上で、カーソルが点滅を始める。
そして、ひとりでに文字が打たれた。
『この部屋には、もう一人の咲良が住んでいる。
声を出してはいけない。
呼ばれたら、答えてはいけない。
気づかれたら、入れ替わってしまうから。』
打ち終わると、カーソルは止まった。
相手――“もう一人の咲良”がゆっくりこちらを振り返る。
微笑みながら、静かに言った。
「これでようやく、静かに書けるね」
咲良は、息を呑んだ。
自分の声が出ない。
声帯が動いていないのではない。
声を出す“場所”が、もうどこにもなかった。
モニターの中で、“もう一人”が微笑む。
その背後にある部屋は、どこか見覚えがある。
――自分が今まで住んでいた部屋だ。
部屋の空気が止まる。
パソコンの画面が静かに暗転し、反射する。
そこには、もうひとりの咲良だけが映っていた。
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