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1章
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しおりを挟む息が止まると思った。
いや、実際止まっていたかもしれない。
なんで、こんなのは絶対に可笑しい。
絶叫して、みっともなく泣き喚いて。
そして「もっと」と懇願したくなるようなそれは、確かに快感に分類されるものだった。
いっそそれが痛みを伴ってくれればと思うほどに、ただ全身が気持ち良いのだと叫んでいる。
細胞の一つ一つが達したかのような、意識が焼き切れるほどの強烈な絶頂。
理性も思考もとっくにぐずぐずに溶けて跡形もなかった。
けれど怖い。
それは覚えのある快感とは、全く様相が異なった。
どこが終わりなのか、わからない。
それは、海溝のように底が見えなかった。
気持ち良くて気持ち良くて、達したのにずっと達しているはずなのに。
どこまで行っても果てなく、ただ落ちていく。
もう嫌だ。
こんなにも、気持ち良いなんて。
駄目だ。
だって、だって、もう。
壊れる。
「…………ッ!!」
ぱっと開けた視界に、真っ白い天井が映る。
独特の匂いで、横たわっているのが病室のベッドだと理解が出来た。
啜り泣くような酷い呼吸をすると、一気に血が巡ったかのように激しく胸が上下した。
そんな器官を持つはずはないのに。
胎の奥がまだ、痙攣している。
パニックである。
飛び起きて頭から水でも被りたかったが、悲しいかな、反応したのは手の小指くらいなもので。
重く動かない身体で、強烈な快感の名残を舐めるように味わうしかなかった。
苦しくて苦しくて空気を呑んだ喉が、ひゅうと音を立てる。
「アトリさん?」
病室を仕切るカーテンが揺れて、開かれる。
静かな足音が、急速に現実感を強めた。
視界の端、白衣の女性がゆっくりとベッド脇に近づいて来る。
小柄な若い看護師だ。
人懐っこそうな垂れ目に優しい色を浮かべた彼女は、アトリの顔を覗き込んで微笑んだ。
「おはようございます、アトリさん。気分はどうですか? 今、先生を呼んできますからねー」
色んな意味で、声も出なかった。
額を叩き割られたかのような衝撃に、一瞬で血の気が引く。
ほとんど反射的に、全力で頭を起こした。
「ダメですよー、いきなり動いたら」
「なん、か……うるさ、かったですか、俺」
掠れた声で、アトリは必死に「寝ぼけてました」と付け加える。
さっきのは何だ?
いや、そもそも。
夢現に気持ち良くなって、はぁはぁしてましたとか。
その上もし実際喘いじゃっていたり、それを聞かれていたりしたら。
死にたい。
そうじゃなくても、とんでもない失態を見られたかのような絶望を味わっていると言うのに。
看護師はきょとんと瞳を瞬かせると、少し首を傾げる。
「へ? アトリさん、静かーに寝ていらっしゃいましたよ? なんか怖い夢でも見ちゃいました?」
もう大丈夫ですからね、と柔らかく言った彼女は到底嘘を吐いているようには見えない。
きっと情けない顔でもしていたのだろう。
彼女は宥めるようにアトリの腕をぽんぽんと軽く叩き「待ってて下さいね」と言い残すと、くるりと踵を返してカーテンの向こうに消えていく。
僅かに持ち上がった頭。
白い毛布がかけられた身体は、本当に何ともない。
何ともない?
ようやく思い出したように動いた手を、下腹部に伸ばす。
確信に反して、身体は全く何の反応もしていなかった。
思い出すのが怖いほどのあれを、味わったと言うのに。
いやそれって、男としてどうなのだろう。
アトリはがっくりと枕に頭を埋めた。
長く吐き出した息は何の色も含まない。
「……よかっ、た?」
何かひやりとしたものが思考のどこかを過ぎった気がした。
けれどそれを直視するには何もかもが唐突で脈絡がなく、ただ恐怖でしかなかった。
忘れよう。
経験はないけれど、生存本能云々でそういった欲求は強くなるそうだ。
目立った外傷はないが、あの状況を生命の危機と脳が判断することは十分にあり得る気がした。
でもそれなら、可愛い女の子とそういう展開になる夢を見とけよ。
もうちょっと妄想逞しく生きろ、自分。
酷く疲弊した思考で自身につっこみを入れたら、何だかもう限界だった。
アトリはゆるゆると、抗うことなく瞼を閉じた。
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