Arrive 0

黒文鳥

文字の大きさ
7 / 217
1章

6

しおりを挟む

「ユーグはさ、こういうのホント弱いよなー」

 アトリは手札をテーブルに開くと、「上がり」と宣言した。
 向かいで難しい表情をしていたユーグレイは、無言のまま手札を置く。
 夕食時はとうに過ぎて、騒がしいほどだった食堂は酒盛りを楽しむ人と夜間哨戒まで休息を取る人が僅かに残るのみだった。
 照明もすでにいくつかは消えている。
 
「三十五連敗か」

「四十敗したら何か奢ってくれんだろ?」

 カードを纏めながらアトリは笑う。
 ユーグレイは一瞬考え込むような目をしてから、飲んでいた麦酒の小瓶をアトリの方に押しやった。

「仕方がない。一本であれば奢ろう」

「もう一声。お前、三十連敗した時も一本しか奢ってくんなかっただろ?」

「………………つまみも小皿なら許容する」

「熟考してそれ!?」

 少しだけ目元を緩めて、相棒が笑う。
 哨戒任務を急遽切り上げて、有無を言わさず診察を受けさせられたものの、結局異常は何も見当たらず。
 アトリ自身も体調的にどうと言うこともなかった。
 病み上がりだからという診断を受けて、そういうこともあるのかもと納得した訳である。
 その後は念のためと回された書類仕事をして上がりになった。
 ユーグレイには早く休んだ方が良いともっともなことを言われたが、これまでも療養期間でばっちり寝ていたせいだろう。
 自室に引っ込んでも寝れる気がしない。
 寝れる気がしないのにベッドに横になるのは、とても暇である。
 眠くなったらすぐ寝るから、と何とか相棒を説得したアトリは、いつものように夕食後の時間をだらだらと過ごしていた。

「……確か談話室に、大陸で流行しているボードゲームが置いてあっただろう」

「ああ、この間旅行に行ったやつが買って来たの?」

「今度はあれで勝負と言うのは」

「懲りないな、ユーグ。俺、相棒がいつかカモられるんじゃないかって結構真剣に心配してんだけど」

 夜間哨戒がない時は、大体がこんな調子である。
 食堂で何かをつまみに飲みながら、ゲームをしたり雑誌を見たり。
 時には談話室で映画を見ることもあった。
 仲は、良いだろうと思う。
 全く違うように見えて、多分アトリとユーグレイは呼吸のテンポが同じなのだろう。
 一緒にいて酷く楽だから、結局何をするにも彼を相方に選んでしまうのだ。 
 
「僕が弱いのではなく、アトリが強すぎるのだと思うが」

 淡々と言うユーグレイの声には、若干の不満が滲む。
 こういう所は完全に年下だ。
 あまり笑うと流石に機嫌を損ねる。
 アトリは纏め終えたカードをテーブルに置いた。
 ユーグレイは小瓶の麦酒を飲み切って、視線を上げる。
 食堂の壁にかけられた大時計は、まだ午後十時半を示していた。
 明日は新人相手の講習会があり現場に出る予定はなかったが、明後日は夜間哨戒が入っている。
 普段であればもう少しのんびりするのだが、そこまでは甘く見てはもらえないらしい。
 徐に腰を上げたユーグレイは、空の小皿と小瓶を手に食堂の返却棚に向かう。
 お開きの合図だ。
 アトリは引き留めもせずその背を見送った。
 単純な怠惰はもちろんなのだが、無理無茶無謀に対してもユーグレイは容赦がない。
 アトリとしては「普段通り」で塗り潰したい染みのような不安があったが、それは言葉にして説明するにはあまりに曖昧で姿がはっきりしない。
 
「………………別に、どっか痛いわけでもないんだけどな」

 纏めたカードをケースに戻して、羽織っているローブのポケットに仕舞う。
 割り当てられている個室も食堂と同じ第四防壁内だが、そこまでは少し距離がある。
 戻ってきたユーグレイが無言で傍に立った。
 アトリも立ち上がって、歩き出した彼の後を追う。
 そういえば明日の講習会は、と言いかけて。

 照明を落としたように視界が暗転した。

 椅子の足に脛をぶつけて、その痛みで意識は急浮上する。
 テーブルの角に辛うじて手をつき、崩れ落ちる瞬間で何とか耐えたようだ。
 振り返ったユーグレイが慌てて駆け寄ってくるところを見ると、本当に刹那の意識消失だったらしい。
 どうした、と慌ただしく詰問されて、咄嗟にアトリは首を振った。

「いや、足を、ぶつけただけ」

「…………そうか」

 ふぅと息を吐かれて、悪いと謝る。
 まだ食堂に残っている数人からも大丈夫か、と声を掛けられてそれに軽く返事をした。
 
「もうさっさと寝ろ」

「躓いたくらいで、ひでぇ」

 呆れたように端的にそう言われて、アトリは呑気に笑って見せる。
 けれどテーブルについた手は酷く冷え切っていて感覚がない。
 指先に力を入れて身体を支え、悟られない程度に慎重に立ち上がる。
 大丈夫だ。
 強いて言うならば、少しだけ身体が怠いだろうか。
 気分が悪いわけでも、どこか致命的に痛むわけでもない。
 それなのに。
 何か歯車が壊れて空回りしているような、どうしようもない違和感と不安が燻っている。
 
「行くぞ、アトリ」

 わざわざ声を掛けてくる辺り、相棒はやはり心配してくれているらしい。
 はいはいと応えて、歩き出す。
 大丈夫。
 もう、何ともない。
 直視してはいけないと何故か思った。
 誤魔化して、寝てしまって、忘れるのが一番だ。
 それで明日は、と何てことのない話題を振って、アトリはその違和感から意識を逸らした。
 
 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...