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1章
3
しおりを挟むアトリはふうと息を吐いて、声を落とした。
「いや、だってユーグさん。これは正当な療養期間なんだから堂々と休んで良いわけですよ。そもそも俺が出れなきゃ、ペアのお前だって基本は休日。ありがたーく規定ギリギリまで休暇を頂くのが賢いわけで」
「快癒したなら招集がかかっている。三日も休んだんだ。その分は取り返す」
ばっさりである。
融通が効かないと言うか、生真面目がすぎると言うか。
「お前、もうちょっとゆるゆるって生きた方が良くない?」
「何の話だ」
「……相棒が社畜脳で心配ですって話」
「アトリ」
別に完全な仮病というわけではないのだから、圧を込めて名前を呼ぶのは勘弁して欲しい。
不満は当然顔に出たらしい。
あんま相方をいじめんなよー、とまた他のテーブルから軽口と笑い声が響いた。
甘やかすなと言ったり、いじめるなと言ったり、外野はまあ好き勝手言うものだ。
そもそも俺、こいつより二つ年上なんですが。
まもなく二十二、立派な成人なのだが、ユーグレイと並ぶとアトリはどうしても幼く見えるのだろう。
背も相棒の方が高いし、そもそも骨格が違う。
見劣りするほど華奢ではないはずだが、大体こんな扱いである。
新人の頃は「黒髪黒目のちっこいの」と呼ばれていたことを思い出して、アトリはため息を吐いた。
「まだ辛いのか」
そのため息をどう捉えたのか。
ユーグレイは殆ど表情を変えずに言った。
恐らく付き合いの浅い人間であれば、咎められているような気になっただろう。
だが実際は、単純な問いで彼に責めるような意図はないのだ。
これでもペアとして仕事をするようになって五年目。
氷結王子とかクソダサい渾名をつけられている相棒が実のところ愛想がないだけで、心無い連中が影で噂をするような血も涙もないような人間ではないことをアトリは正しく理解していた。
「……身体の調子は?」
「あー、うん」
興味なさそうに投げかけられたユーグレイの問いは、真摯な響きを持っていた。
やっぱり頭痛が、と喉元まで出かかって、その表情を見て言葉を飲み込む。
アトリとユーグレイ、そしてもう一組の女性ペア。
あの日揃って第三区画の人魚討伐に出て、女性ペアの片割れが人魚に呑まれ。
その救助達成と同時に、再びの襲撃でアトリは人魚に攫われかけた。
幸いユーグレイとの接触で彼から魔力を受け取り、アトリは人魚の討伐に成功。
けれどその辺りからアトリは記憶がない。
人魚に呑まれかけたからか、或いは夢中で魔力を放つような荒技に出たからか。
意識を失ったアトリは防壁内の病院に運び込まれたわけである。
何だったら、先に襲われた少女の方が早々に回復して業務に戻っているとか。
腹痛、頭痛は言葉の綾としても、真実体調はここのところ良くはなかったのだ。
「もう、大丈夫だけどさ」
「そうか」
だがこの真っ直ぐな友人が、この一件を気に病んでいることもわかってはいた。
だから軽ーくサボりを決め込もうと思っていたのだが。
この辺りが諦め時か。
アトリはテーブルに頬杖をつく。
「招集、招集ねー。第ニか、第三辺りの哨戒だろ?」
仕方がない。
これで給料を貰って生活しているのだから、当然仕事は仕事としてきちんとする。
けれど何かに追い立てられるかのように人魚狩りに向かうユーグレイとは違って、アトリにはそこまでの情熱はない。
人魚が人を襲わないのであれば、それこそ放置していても良いと思っている。
それが生き物ではないのだとしても、ああやって動くものを自身の意思で攻撃するのは決して楽しい気分ではない。
「そうだろうが、油断はするなよ」
「流石に未帰還者になんのはごめんだって。あんな馬鹿はもうしない」
ひらひらと手を振ると、相棒は「そうだな」と低い声で同意した。
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