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1章
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しおりを挟む「アトリさん、どうかしました?」
目の前で、ふわふわした金髪を揺らして少女が首を傾げる。
今期の新人である彼女は、不安そうに蜂蜜色の瞳を瞬かせた。
一瞬ぼうっとしていたらしい。
アトリはごめんそれで、と話の続きを促した。
第三防壁内のホール。
吹き抜けの天井には古く大きなシャンデリアが吊られている。
横幅はあまりないが、ちょっとしたパーティーなんかは余裕で開ける広さだ。
とは言え開かれているのは華やかさとは程遠い講習会。
周囲でも現役の組織員が新人たちとおしゃべりをしている。
実際カンディードではどんな生活をしているのか。
現場に出るとどうなのか。
ちゃんと能力を扱えるか不安で、どういう訓練をしたらいいか。
新人たちからの質問は尽きない。
相棒はそれとは別に女の子たちに囲まれて大変そうだが、それも毎年恒例だ。
新人研修の一環であるこの講習会は、例年現役のペアも強制参加である種交流会の様相を呈する。
カンディードの調査員たちが世界中から見つけ出す「素養持ち」の子どもたち。
かつてはそうと判断されると半ば誘拐のような形で防壁内に連れ去られ、教育を受けて強制的に組織に加えられていたそうだ。
けれど当然現在は、本人と家族の同意があって初めてカンディードに迎えられる。
命の危険がないとは言わないが、福利厚生はしっかりしているし何より給料が良い。
防壁内に缶詰ということもなく、帰省も旅行も申請さえすれば自由である。
更に「世界を守る仕事」という箔がつくのだから、決して悪くはない就職先だろう。
アトリの目の前で首を傾げた少女。
リン・アルカウェラと名乗った彼女も、十七歳で故国を離れてここまで来たのだから色々と覚悟はして来たはずだ。
「……それで、仲良くなったエルの子に少し魔力を渡してみたんです。でも、何か私たち合わないかもって言われてしまって」
しゅん、と華奢な肩を落として、リンは息を吐く。
講義後の休憩時間という名の交流会が始まり、他の新人たちが我先にと先輩を捕まえるのに対して。
彼女だけは、ぽつんとホールの壁際に佇んでいた。
それが存在感をなくそうと息を殺す小動物のようで、どうにも気になったのである。
出会ったばかりの頃の相棒にも少し似ていたからかもしれない。
アトリが声をかけると彼女は驚いたような表情をしたが、幸いそれとなく水を向けると重く口を開いてくれたのだ。
曰く、自分はもしかしたらセルとして上手く能力を使えないかもしれない、と。
「何か失敗してしまったのかと思ったんですけど、わからないんです。同じセルの人に相談しようにも、その、男の子が多くて」
「あー、セルって割合的には男の方が多いもんな」
アトリが頷くと、リンは「やっぱりそうなんですね」と視線を落とす。
魔力を生成する側であるセルは男性が多く、魔術を行使するエルは女性が多い。
リンのように女性のセル、アトリやニールのように男性のエルも当然いるが、やや珍しいことは確かだ。
まだ付き合いの浅い同期、しかも異性となると場合によっては相談もしにくいだろう。
彼女は自分の手を握り込むようにして、絞り出すように「私と」と言う。
「私と、ペアになってくれる人なんて、いるんでしょうか」
「………………」
新人が陥りやすい不安だとは思った。
けれど、笑い飛ばすような軽いものではない。
今にも潤みそうな瞳を見て、アトリは軽く手を差し出した。
それなら、これが一番わかりやすいだろう。
リンははっとして顔を上げる。
「申し訳ないけど俺はエルだから、セル側の事情にはあんま詳しくなくて。でもほら、受け取る側のことだったら任せてもらえれば」
「……えっ、でも」
「痛かったら痛いってちゃんと言うから大丈夫」
嫌じゃなければだけど、と付け加えるとリンはアトリをじっと見て、それからそっと手を重ねる。
ユーグレイとは違う、柔らかく細い手だ。
触れた肌から遠慮がちに魔力が流れてくる。
それをどう譬えたら良いのか。
ユーグレイの魔力は冷たさを帯びているが、彼女のそれは熱を持った煌めきだった。
燃え上がりそうな熱さは一瞬で消え、またぱっと弾ける。
ぱちぱちと星が踊るような、不思議な感覚だった。
これは恐らく受け取ったエルは酷く驚いただろう。
多くの場合、魔力というのは少し温かいくらいで他に何かを感じさせるわけではない。
ユーグレイやリンは多分特別なのだ。
相棒がそうであるように、リンもきっとセルとしての才能に恵まれている。
不安がることは何もない。
アトリが思わず笑うと、リンの手が小さく震えた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。いや、何か万華鏡みたいに綺麗で驚いたけど」
「………………綺麗、ですか?」
離れそうだった手は、まだ重ねられたままだ。
アトリは頷いて、続ける。
「俺は全然平気だな。エルも受け取り方に差があるらしいから一概には言えないけど、心配することはないって」
まだちらちらと瞼の裏を星が散っている。
リンは「痛く、ないんですね?」と心配そうに問う。
痛みはまるでない。
そろそろどこか痛みを感じるだろうという気配すらなかった。
まだ魔力の受け渡しに慣れていない彼女との接触に、多少なりとも脳からの警告はあるだろうと踏んでいたのに。
何もない?
ひやりとした危機感に、アトリはそっとリンの手を離した。
瞬間、目眩のように逃れようのないあの感覚が蘇る。
それは脳裏に焼きついた苦痛の残滓に過ぎなかったが、さっと血の気が引いたのがわかった。
いやいや、こんなところで、こんな時に唐突に座り込んでみろ。
リンはますます萎縮してしまうだろう。
アトリは平静を装って、笑顔を作った。
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