Arrive 0

黒文鳥

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3章

9

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「嫌です」

 何で、と悲しい声を上げたセナに、アトリは「何で?」と聞き返す。
 いや、寧ろ何で良いと思った。

「話聞いてました? ヤバかったって言ってんでしょうが」

「え? だから試してみたいんだけど」

「……どーいう思考ですか」
 
 セナは子どものように頬を膨らませて、「ちぇー」とぼやいた。


 定期的な診察のために訪れた第五防壁。
 病院は、いつもより少し混んでいた。
 ここんとこ忙しいんだよね、と言いつつ迎えてくれたセナは常より丁寧にアトリの診察を進める。
 最早健診だ。
 身長体重、血圧を測られて、心音チェックするからとベッドに寝かされた。
 流石に何故か問うと、体調不良が増えてるからと返される。
 ただでさえ問題抱えてる君に何かあると怖いでしょ、君の相棒が。
 そう揶揄うような顔で言われては、返す言葉もない。
 極めつけの長い問診の最中。
 先日ユーグレイと試したことを説明したら、これだ。
 
「そうは言っても多分私と君とじゃそこまでの同調はしないと思うんだけどね。彼相手だから君もそこまで許したんでしょ。いや、ホント『愛』だね?」

「愛」

 そうでしょ、と首を傾げられてアトリも同じように頭を傾けた。
 愛とは。
 セナは気にした様子もなく、カルテに視線を落として続ける。

「ま、とりあえずそれ悪い発想じゃないと思うよ。君の防衛反応は、君自身が治せない以上誰かに治してもらうしかない」

 君の相棒は良く考え付くものだね、と彼女は感心したように頷く。

「最近ノティスには優秀な術者がいるらしいって噂もあるけど、そんなの頼りにする訳にもいかないでしょ? 治癒というほどの効果が出るかはわからないけど、根気良く続けてみたら良いんじゃないかな」

 ノティスと言えば最近も耳にした、皇国の隣に位置する小さな国だ。
 優秀な術者か。
 確かにそれが真実であれば頼りたいところではあるが、この手の噂は正直キリがない。
 何なら、皇国には旧時代の本物の魔術師がまだ生きているなんて話もあるくらいだ。
 現実的じゃない。
 とは言え根気良くあれを続けるのかと考えて、アトリは額を押さえた。
 防衛反応の快感は直接的で暴力的で、苦しいほどに気持ちが良い。
 ただあれは、それとは少し違った。
 身体がと言うより、脳が思考が達する感覚。
 ただ舌を絡ませただけなのに。
 意識を失うほどに、気持ち良かった。

「だから、ヤバいんですってば」

「痛いとか苦しいとかならともかく、気持ち良いんでしょ? せっかくだし色々楽しめばいいじゃない」

「……他人事だと思って」

「んん? 私は親身に話を聞きたいけど良いのかな? 詳しく話す覚悟があるってことだね?」

 どんな苦行なんですか、それは。
 詳しく話せるはずもない。
 アトリは間髪入れずに首を振った。
 セナは本気で残念そうに、じとりと視線を寄越す。
 
「絶対愉しい話聞けるのに」

 すっと細められる瞳は妖艶で、背筋に震えが走った。
 腕出して、と言われて咄嗟に戸惑う。
 セナは自身の片手を差し出したまま、診察台の脇の棚から注射器を取り出した。
 採血か。
 袖を捲って腕を出すと、セナの手が血管を探るように肌を滑った。

「アトリ君。変なこと言うようだけど、君ちょっと気を付けなよ?」

「はい?」

「エルは本能的に優秀なセルを求める。逆もそう。セルは優秀なエルを無意識に求める。雄が雌を探すのと一緒でね」

 言葉にされたらしみじみとそうなのかとしか言えないが、実際そうであることは知っていたような気もする。
 ただそれはユーグレイには関係があるが、アトリ自身にはさして関わりがないことだ。
 セナはアトリの腕を掴んで、少し顔を近付ける。
 薄桃色の髪から、微かに甘い匂いがした。

「うん、だから君も気を付けなさいってこと」

 薄らと青く見える血管をぐりと親指で押される。
 痛くはないけれど、アトリは眉を寄せた。
 だから気を付けなさい?

「俺、残念ながら落ちこぼれ組ですよ。ユーグがいるからそこそこの働きしてるように見えるだけで」

「そう? でも君はあの夜、他人の致命傷を『治した』でしょう」

「……それは、防衛反応が」

「その上で、特殊個体を一撃で仕留めた」

 事実を列挙されただけなのに、何故か怖いと思った。
 自身がやったことだとは、到底思えない。
 淡々と突きつけられて初めて、普通じゃないと理解が出来た。
 アトリは黙ったまま、セナのヘーゼル色の瞳を見返す。
 
「アトリ君はもう優秀なエルとして分類されるんだよ。実際君がどう壊れていようと、多くのセルがそう認識する」

 セナの指先から力が抜ける。
 消毒液を含んだ綿で拭われて、銀色の針が皮膚に触れた。
 
「怖い思いをしたくなかったら、ちゃんと相棒に囲われておきなさい」

「囲われ……ッて!」

 じゃあちょっと多めに貰っとくね、とセナは微笑みながら針を刺し込んだ。

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