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3章
8
とても静かだから、きっと外は雪が降っている。
薄い毛布の中で身体を丸めて、指先を擦り合わせる。
あまり降るとまた屋根が抜けるな、と重い瞼を持ち上げた。
でもきちんと直してもらうようなお金もないし、直してくれるような人にも心当たりがない。
薄暗い部屋。
外れかけた窓枠から、冷たい風が吹き込んでいる。
物は殆どない。
狭くて寂しい部屋は、けれどどうしたって懐かしい空気に満ちていた。
すぐ傍のベッドを見上げる。
布を被っているのは、血の繋がりはなかったが何の気紛れか保護者の真似事をしてくれた老人だった。
優しくはなかったが、別に意地悪でもなかった。
少なくともアトリのような役にも立たない子どもでも売り払うような真似はしなかったから、悪い人ではなかったのだろう。
具合が悪くなって数日で呆気なく逝ってしまって、寂しいと思うほどには慕っていたとは思う。
悲しいほどに厚みのないベッドの膨らみは、ただそこにあるだけでもう動いたりはしない。
この雪が溶けたら、誰かに埋葬を手伝ってもらわないといけないだろう。
でも、それまで自分もここにいるだろうか。
彼と同じように眠ったまま二度と目覚めないか、それとも何処かに売られて死ぬか。
どっちでも良かったのに、結局どっちにもならなかったなとふと思った。
なんだ、珍しい。
昔の夢を見ているのだと、アトリはようやく気付く。
思い出しても楽しいことはあまりないからか、カンディードに来てからは子どもの頃の夢なんて見た覚えはないのに。
それならさっさと目を覚ましてしまおうと思うのに、夢は未だ形を保ったままだった。
この先だって、別に大したことはない。
アトリはこの冬を生きて乗り越えて、けれど予想通り老人の埋葬をする間もなく見知らぬ大人に連れられて家を出た。
売られることに、抵抗はなかった。
あの国の人間の殆どがそういう末路を辿ったから、当然だと思っていた節もある。
何人かの大人たちに連れ回されて、気が付いたら故郷を出ていて。
見知らぬ街で、随分と豪奢な身なりの男に首輪を着けられた。
これは良い買い物をしたと、それまでアトリを連れていた大人に男が代金を渡すのを見て。
何となく納得がいかなくて、気が付いたら逃げ出していた。
もっとも弱り切った子どもが大人たちから逃げ切れるはずもなく、早々に捕まって酷い目に遭ったのだが。
ただそれが偶然居合わせたカンディードの調査員の目に留まり、少しの騒動を経て海を渡ることになった。
だからきっと。
あの国の誰より、アトリは運が良かった。
まだ薄闇に漂う意識。
視線の先、布を被った骸に「じいちゃん」と声をかける。
頼りなく幼い声。
自分は思ったより良い値で売れたらしい。
だから。
働き手にもならない子どもなんてさっさと売って、国を出て医者にかかれば良かったのに。
そうじゃなくたって、最期に少しくらい美味しいものを食べられたかもしれないのに。
あの時他人の手に渡ったその「代金」が、正しくこの人の手に渡るのだとしたらきっと逃げたりはしなかった。
逃げたりは、しなかったんだよ。
返事はない。
今アトリがカンディードの組織員として世界を守る仕事をしているなんて言ったら、この人はどんな顔をするのだろうか。
いや、もう、顔もぼんやりとしか思い出せないけれど。
自身が息を吐く気配がして、夢の終わりが近いことを悟る。
ちゃんと弔いも出来なくて、ごめん。
それだけはやっぱりちょっと心残りだったな、と刺すような痛みを飲み込んだ。
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