Arrive 0

黒文鳥

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3章

17

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 ひやりとした石の床に、手をつく。
 ぐらりと揺れた曖昧な視界を定めようと、アトリは奥歯を噛んで頭を振る。
 どうなった?
 リンの手に触れる前に、その衝撃は破裂したはずだ。
 魔術の展開など到底叶わなかった。
 せめて、とリンとロッタの間に割って入ろうとしたところまでは覚えている。
 
「……い、痛ぅ」

 左腕が脈打つように熱い。
 咄嗟に確かめようとして、痺れたような右手が柔らかい何かを抱えていることに気が付く。
 アトリは重い身体を起こした。
 腕の中にいたのは、リンだ。
 
「リン」

 くたりと横たわった彼女は、瞼を閉じたまま返事をしない。
 こうやって抱え込めたということは酷い怪我はしていないと信じたいけれど。
 床についた左手を支えにして、そっと彼女の頭を下ろす。
 力を入れた瞬間、左腕の痛みが増した。
 右手で恐る恐る触れたが、薄手の服の下に傷口らしきものは確認出来ない。
 手を床につけたのだから折れてもいないだろう。
 ただ質の悪い打撲くらいにはなっていそうだと、冷や汗をかきながら思った。
 アトリは痛みを散らすように浅い呼吸をしながら、周囲を見渡そうと視線を上げる。
 同じように床に転がっていた少年と、すぐに目が合った。
 彼は真っ青な顔をして、「ごめん、悪かった」と呻く。
 ロッタが意図して自身を攻撃したとでも思ったのだろう。
 アトリが一言紡ぐ前に、彼は這いずりながら身体を起こしてのろのろと逃げて行ってしまう。

「待て、ってば……」
 
 人を呼んで来て欲しいと、その背に頼もうとして声を張る。
 ずくりと腕に鈍痛が走って、アトリはぐっと言葉を飲んだ。
 まあ、暴発による破裂音はあったから遅かれ早かれ誰か駆けつけてくれるだろう。
 アトリは座り込んだまま、ゆっくりと背後を振り返った。
 僅か数歩の距離。
 予想に反して、ロッタはまだ意識があるようだった。
 両手をついてぺたりと腰を下ろした彼女は、信じられないものでも見るようにアトリを見る。
 何が起こったのか、わかっていないのだろう。

「ロッタ、大丈夫か?」

 掠れそうになる声を、アトリは咳払いをして誤魔化す。
 乱れたシナモン色の髪を直そうともせず、ロッタは呆然と「アトリさん」と呟いた。
 
「あ、れぇ? どう、しちゃったのかな、今、あれ?」

「うん、痛いとこは? ない?」

「ない。ない、けど。ううん、え? え? なんでぇ?」

 その瞳は見開かれたまま、床に寝かされたリンを映している。
 落ち着いていたはずの呼吸が、乱れていくのがわかった。
 ロッタは苦しそうに、胸の辺りを押さえる。
 ちりと緊張感に肌が粟立った。
 アトリは咄嗟にリンの手を掴む。
 
「びっくりしたな。でも、大丈夫だから。落ち着けって」

 セルから無理やりに魔力をもらうのは、非効率だし疲れるがやってやれないことはない。
 もう一度があるのなら、それを真正面で受けることだけは避けたかった。

「ロッタ」

 ぜぇぜぇと音のする息をしながら、ロッタはくしゃりと顔を歪めた。
 苦しいかも、と辛うじて彼女はそう言う。
 大丈夫だからと宥め続けるのも無理があった。
 この状況でそんな空虚な言葉が意味を成すとは思えない。
 先手を打って彼女を止められることが出来れば一番なのだが、そんな器用な真似は逆立ちしたって出来そうもなかった。
 リンから魔力をもらって魔術を編んだところで、威力の調整の出来ないアトリではロッタを傷つけるだけだろう。

「ゆっくり、息して。もう誰か来るから。な?」

 ロッタはこくこくと頷く。
 頷きながら、「ごめんね」と謝った。
 彼女が悪い訳ではない。
 魔術の暴発なんて滅多に起きるものではないし、原因が何であれそれは事故のようなものだ。
 苦しそうなのはもちろんのこと、その謝罪は正直なところ見ていられなかった。
 いっそのこと、すとんと眠らせてあげられたら良かったのだが。
 眠らせて。
 脳裏を過ったのは、やはり相棒の涼しげな横顔だった。
 何だか散々な目に合った気はするのだが、ユーグレイと試した方法であれば或いは。

「って、肝心な時にいないんだよなぁ」

 アトリはぽつりと呟いて、笑った。
 こんなことなら「良いからお前も付き合え」と、問答無用でユーグレイを引っ張ってくれば良かった。
 本当に全く、今日はツイていない。
 
「ね、え、アトリさん。リンちゃん連れて……、行って、欲しいなぁ。近くに二人がいるの、怖い」

「…………そーいう訳にもいかねぇだろ」

 ロッタの懇願にアトリはゆるりと首を振った。
 実際のところ、リンを抱き抱えるには腕の痛みが酷い。
 それに。
 こうして会話が出来ているにも関わらず、張り詰めた緊張感は一向に和らぐ気配もない。
 恐らくはほんの些細なきっかけで、魔術は膨れ上がって暴発するだろう。
 ばたばたと慌ただしい足音が近付いて来る。
 やはり異常事態に気付いては貰えたらしい。
 幾人かの声が聞こえて来て、アトリは肺の奥に留まっていた息を深く吐き出した。

「ほら、みんな来てくれたし」

 大丈夫と続けようとして、ロッタの真っ青な顔が更に強張るのを見て口を閉じた。
 近くに二人がいるの、怖い。
 そうロッタは言った。
 何が起きたのか完全には理解していないだろうが、リンが意識を失っているのが自身のせいであることはわかっているのだろう。
 助けが来る安堵とは別に、周囲に人が集まる状況に精神的な負荷を感じるのは当然のことだ。
 その負担は、きっとトリガーになる。
 アトリは声のする方を見た。
 ちょっと待った、と叫ぼうとして。

「アトリ!」

 名前を呼ばれて、自分がどういう顔をしたのかわからない。
 誰より先に駆けて来たのは、ユーグレイだ。
 意識もせず、アトリはリンの手を離して立ち上がる。
 ユーグレイはこの状況を見て、さっと眉を寄せた。

「ユーグ!」

 ロッタも彼に気付いたのだろう。
 怒られるとでも思ったのか、ひくんと小さく肩が跳ねるのが視界の端に見える。
 アトリは手を伸ばした。

「任せる! 怪我させたら、怒るからな!」

「君は、無茶を、言うッ!」

 ああ、でもちゃんと全部わかってんじゃん。
 神経質そうな少し大きな手が、アトリの手を掴んだ。
 
 
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