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黒文鳥

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間章

2

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「だから、えぇ……?」

 額を押さえたアトリは考え込む。
 彼としてはもちろん深い意味はなくて、必死に謝ったニールに気にしなくて良いと伝えたかっただけだろう。
 言葉の綾として聞き流されるべきものだと思ったけれど、そうとユーグレイに伝える勇気はやはり出なかった。
 そもそもどうしてそんなに怒るのだろうか。
 アトリは困った表情のままニールたちをちらと見て、それから降参とばかりに軽く両手を挙げた。
 そうして自身の相棒に向ける視線は、呆れ半分どこか柔らかい。

「だから、ユーグに言われたら気にするけど、そうじゃないなら別に良いって意味」

 ユーグレイはその真意を聞かされて「そうか」とだけ答えた。
 そんな風に言い切ってしまえるのは、結構凄いことだと思うのに。
 アトリはそんなユーグレイの反応を予想していたようで、全くと言いたげに小さく息を吐く。

「そうかぁ? もうちょっと何か言うことねぇの、お前」

「最初からそう言えば良かっただろう、君は」

 そーですね、と不貞腐れたように答えてアトリはグラスに残っていた酒を呷った。
 二人にとってはこれくらいのやり取りは言い合いに分類されないのだろう。
 緊張が緩むのと同時に、傍で同じように成り行きを見守っていたカグが「くっだらね」と吐き捨てるのを聞いた。
 そこに以前のような苛烈な感情は感じられない。
 だって何というか、そう。
 
「痴話喧嘩かよ」

「カグくんてば……!」

 慌ててその発言を諌めはしたが、その表現に酷く納得してしまう。
 うん、なるほど。
 アトリとペアを組むことで不利益を被ると考えたことはない、と言ったユーグレイ。
 彼は誰より自身のペアに勘違いされたくはなかったのだろう。
 その意図がなかったのだとしても、それは聞き逃せない言葉だったに違いない。
 揶揄されたアトリは呆けたような顔をして「痴話喧嘩?」と聞き返す。

「……………、何で?」

 少しの間。
 カグは親切に説明する気はないだろう。
 ニールは「えっと」と口籠もりながら答える。

「だって、アトリくん。ユーグレイくん以外はどうでも良いみたいな言い方、してたよ?」

 自分が口にした言葉の意味を反芻したらしい。
 アトリは空になったグラスを見て、それから澄ました顔で傍観者に戻った相棒に向かって首を傾げた。
 
「んな言い方、してた?」

「していたな」

 ユーグレイは間髪入れずそう答えて、ふっと笑う。
 何だ気付いていなかったのかと聞き返され、アトリは口元を覆って呻いた。
 さっと耳まで染まるのが見えて、それが何だかとても微笑ましい。
 ああ、なんだ。
 
「ユーグレイくんもアトリくんも、お互いのことすごく好きだよね」

 ふわふわとあたたかい気分で思ったままを口にしたニールは、沈黙を受けて瞬いた。
 周囲のテーブルでそれとなく耳を澄ましていた同僚たちも、一様にニールを見ている。
 何かとんでもない失言をしたのかもしれない。
 
「あ、あの、悪い意味とかじゃ」

 何がいけなかったのかわからないまま頭を下げようとして。

「そうだな」

 躊躇いのないユーグレイの肯定に、ニールは何も言えなかった。
 彼の澄んだ碧眼が揺らめく。
 そこに滲む感情は、友情とか親愛とかそういうものよりもずっと深くて果てがない。
 何故か見てはいけないものを見てしまった気がした。
 咄嗟に絞り出した謝罪は、突如湧き上がった歓声に呑まれる。
 つい先程まで口を閉ざしていた同僚たちが笑いながら「良く言った、ニール!」と一気に囃し立てた。
 こんなで良くペア解消なんて話になったもんだ、とか。
 結局セットじゃなきゃ駄目なんだろお前らは、とか。
 好き勝手な言葉が飛び交う中、アトリが小さく首を振るのが見えた。

「ユーグ、お前そーいうのどうかと思う」

「何故?」

「何故も何もないだろーが。ったく」
  
 仕方ないなという表情をするアトリは、結局怒りはしないらしい。
 騒ぎは徐々に広がり、いつの間にかカンディードで一番仲の良いペアは誰だなんて話になっている。
 もうこのまま飲み会になるんだろう。
 いくつかの名前が挙がるのを聞きながら、カグに促されて彼らの側を離れた。
 輪の中心にいる二人を振り返って、ニールは自身のペアの名を呼ぶ。
 
「ねぇ、カグくん」

「あ?」

 少し不機嫌な声に、やっぱり少しだけたじろいでしまう。
 ニールは多分アトリのようにはなれない。
 いつだって他人の目が気になるし、カグの何もかもを受け止めて仕方ないと笑うような度量もない。
 でもそれで良かったのだろう。
 だってカグは、アトリをペアに選んだ訳じゃない。
 
「ぼくたち、今回すっごく頑張ったよね」

 狭いテーブルの間。
 カグは振り返ってニールを見た。
 少しだけ遠くなった喧騒と、食器が奏でる軽やかな音。
 それに消えないだけの声で「ありがとう」と続ける。
 そうちゃんと、これだけは伝えないと。
 カグのペアは自分なのだから。
 
「一緒に頑張ってくれて、ありがとう。カグくん」
 
 たくさんのことをしてあげられなくても、誰より仲が良いと胸を張れなくても。
 そう言えるのは、自分だけだ。
 カグは一瞬驚いたように目を瞠って、それからいつものように笑う。
 ちょっと馬鹿にしたような、でもどこか優しい笑み。

「お互い様だろ、ニール」

 当然のように、カグはそう答えた。



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