Arrive 0

黒文鳥

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6章

0.1

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 ユーグレイ・フレンシッドは機嫌が悪かった。
 顔には出ていないようで、すれ違う同僚たちからの指摘は一切ない。
 気付いているのはアトリくらいだが、その彼も口に出してどうかしたのかと問うことはしなかった。
 改めて問うまでもないからだろう。
 ユーグレイは重く息を吐いて、アトリに視線を送った。
 困ったような表情で肩を竦めた彼は小さく首を振る。
 するりと腕に触れた手はアトリのものではない。

「ユーグレイさん、聞いてます?」

 身体を寄せてユーグレイを見上げる茶色い髪の少女。
 名乗られた気はするが興味がないため記憶してはいない。
 はっきりと拒否の言葉を口にしているはずが、この手の接触は何度目なのか。
 ユーグレイは遠慮なく少女の手を払った。
 常であれば「ほどほどに」と冷淡な態度を嗜めるアトリも、流石に何も言えないようだ。
 
「邪魔だと言ったはずだが」

 口にした言葉は、冷ややかに廊下に響き渡った。
 纏わりつくようにしてすぐ隣を歩いていた少女は、きょとんとして。
 
「ユーグレイさんって意外と恥ずかしがり屋なんですね!」

 そう言って、無邪気に微笑んだ。


 入院生活はまだ続いていた。
 とはいえ当初と比べれば大方快癒したと言えるだろう。
 これが特殊個体から受けた傷でなければとうに退院している頃合いである。
 アトリは自身の通院や管理員の呼び出しなどの合間を縫ってユーグレイの見舞いに来た。
 売店で軽食を買って来たり、暇だろうからと本や雑誌を差し入れてくれたりと気を回してくれたのだが。
 ユーグレイとしてはアトリが来てくれるだけで十分で、同時にその邂逅が制限されることが酷く耐え難かった。
 かつては当たり前に「また明日」とそれぞれの部屋に帰っていたはずが、それすらも苦痛で仕方がない。
 
「散歩でも行く? ユーグ」

 リハビリの名目で日中三時間ほどの外出許可を取ってきた辺り、アトリもわかっていたのだろう。
 病室を出て、第五防壁の広い廊下を並んで歩く。
 本当に文字通りの健全な「散歩」だったが、その行為は日常の気配に満ちていて胸に押し寄せる焦燥を静かに晴らしてくれた。
 なんてことない話をしながら、時には第四防壁の食堂まで足を伸ばして。
 会える時間はそう変わりはないが、このリハビリは身体的にも精神的にもとても良かった。
 良かったのだが。

「ユーグレイさん、今日は調子良いんじゃないですか? いつもは廊下を二周して談話室で休憩して戻るのに、今日はもう三周もしてますもん! リハビリずぅーっと頑張ってますし、私嬉しいです」

 肩にかかる茶色い髪を指先で弄りながら、少女は何故か感慨深げにそう言った。
 いや、彼女は医師でも看護師でもない。
 ユーグレイがアトリと病室を出て散歩をするようになってから、唐突に姿を見せるようになった大変迷惑な闖入者である。
 この類の人間は飽きるほど見ている。
 ただこうも図々しいのは久しぶりだ。
 アトリ曰く、件の特殊個体の対処で自身はまた不要な注目をされているらしい。
 普段冷たい王子様が自分のペア守って怪我しながらもヤバい人魚を退治したとか大盛り上がりするだろ、と言われたところでユーグレイとしては甚だ心外である。
 心底どうでも良い。
 まるで知り合いのように気安く声をかけて来るのも、いつも見計らったようにリハビリに同行しようとするのも不快でしかない。
 そうと彼女に伝えているはずなのに、一向に諦める気配がないことにも辟易していた。
 気分転換になればとユーグレイを連れ出したアトリは責任を感じたようで、それとなく少女を諭してくれたが当然それも無視である。
 けれど病室に籠っても解決には至らないことは、何よりユーグレイが理解していた。
 これは一度思い知らないと身を引かない質の相手だ。
 だから「嫌な思いをしてまで行かなくても」と言うアトリには申し訳なかったが、こうして変わらずリハビリに繰り出してはこの少女を拒絶する日が続いているのである。
 何より大切な相手との時間を削って、だ。
 さて、これ以上の説明は必要ないだろう。
 ユーグレイ・フレンシッドはとても機嫌が悪かった。

 

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