それでも君と、愛にならない恋をしたい

蓮美ちま

文字の大きさ
8 / 52
第二章

しおりを挟む

その日も十八時に図書室を出て、無駄にゆっくり歩いて帰宅した。

本当は英語の課題をしようと思ったのに、楓先輩とのやりとりを思い返してはひとり悶えて、なにも手につかなかった。

ずっと遠くで見ていただけの先輩と、連絡先を交換して、一緒にテスト勉強をする約束までしてしまった。

もちろんふたりきりじゃないし、目的は京ちゃんと日野先輩の距離を縮めるためだけど、それでもドキドキと胸が高鳴って仕方ない。どう頑張っても頬が緩み、つい舞い上がってしまいそう。

けれど、家が近付いてくると徐々にその気持ちは萎んでいき、さっきまでとは違った意味で息苦しくなってくる。

「ただいま」

玄関の扉を開けながらそう言うのは、幼い頃からの習慣。家に誰がいようがいまいが、必ず帰ってきたらただいまと言う。

そのまま目の前の階段をのぼって二階に上がってしまえば、誰とも会わずに自分の部屋へ行けるけど、そんなことをするのは反抗期の子供っぽい気がして一度もしたことがない。

階段の下にスクールバッグを置いて洗面所へ行き、手洗いとうがいをしてリビングに顔を出すと、栗色の柔らかそうな髪をシュシュで纏め、シンプルなエプロンをつけた女性がこちらを見て微笑んだ。

「おかえりなさい」

彼女は真央まおさん。お父さんの再婚相手で、私の義理の母になった人。

今年の三月、私の中学卒業と同時に再婚し、高校進学とともに引っ越して、この家で父と彼女と私の三人で暮らしている。

実の母は、私が小学校三年生の頃に病気で亡くなった。

膵臓がんと診断された頃には手遅れで、最終的には身体のいろんなところに転移し、手術もできないままに逝ってしまった。

お母さんが亡くなった時の記憶は、正直ほとんどない。

そのくらい悲しくて苦しくて、日常というよりは世界が崩れてしまったような感覚だった。

喪失感よりも恐怖が先に立ち、もうこの世に大好きなお母さんがいないのだという現実を、小学校三年生の私は受け止めきれなかった。

毎日声が枯れるまで泣き、帰ってきてほしいと必死に願った。

誕生日プレゼントも、サンタさんからのプレゼントも、お年玉もいらない。ちゃんと宿題をするし、テストも百点取れるように頑張るし、家事のお手伝いだってする。誰よりもいい子になる。

だから神様、お母さんを私に返して……!

ひたすらにそう祈り続けたけれど、願いが聞き届けられることはなく、母は天国の住人となった。

お母さんはハッキリ物を言うサバサバした性格で、儚げな美人顔に似合わず豪快な笑い方をする人だった。

友達も多かったし、母の周りはいつも明るくて、まるで向日葵のような人だと思う。

だからきっと、天国でもたくさんの人に囲まれて幸せに暮らしているに違いない。大好きだったコーヒーを飲みながら、きっと私たちを見守ってくれているはずだ。

「洋司さん、今日は遅くなるんだって。先に夕飯食べちゃおうか」
「……うん。カバン置いて着替えてきます」

洋司さん、と鈴の鳴るような声で父を呼ぶ彼女がふわりと微笑む。なるべく直視しないようにして踵を返した。

そして、すぐに罪悪感に胸が軋む。

今の、感じ悪かったかな。ふたりきりの夕食だと知って、少し声が低くなってしまったかもしれない。

リビングにはキッチンから漂うデミグラスソースのいい匂いが充満していて、否が応でも食欲をそそられる。

彼女はとても料理上手で、なにを食べても美味しい。夕食はもちろん、毎日の朝食もお弁当も嫌な顔ひとつしないで手作りしてくれる。

血の繋がらない連れ子の私を疎んだりしないし、それどころかいつもにこにこ笑って接してくれる。

わかってる。悪い人じゃない。むしろとってもいい人だと思う。

四十歳のお父さんより八つ年下の三十二歳と聞いているけれど、二十代と言われてもわからないほど若く、服装もとてもおしゃれ。

いつも私より先に起きていて、朝からメイクもバッチリだし、髪もスタイリングされている。だらけた姿なんて見たことがない。

きっと今の関係じゃなければ、理想の大人の女性として憧れを抱くほど、見た目も中身も素敵な人だと、心のどこかではちゃんと理解している。

だけど、私は彼女を〝お母さん〟とは呼べないし、呼びたくない。いまだにお父さんとの再婚を素直に祝福できないままだ。

幸せそうに『結婚を前提にお付き合いをしてるんだ』と彼女を紹介された時も、反対だと声を出せなかっただけで、賛成とは言わなかった。

お母さんが亡くなって約七年。ずっとお父さんとふたりで生きてきた。寂しさも、悲しさも、やるせなさも、全部一緒に乗り越えてきた。

家事が壊滅的に下手なお父さんのために、必死に料理を覚えたし、洗濯も掃除も頑張った。

学校から帰ったらまず学校に行く前に干した洗濯物を取り込み、スーパーへ行く。夕飯と明日の朝ごはん用の材料を買い、夕食の下ごしらえをしてからお風呂洗い。

お父さんが帰宅してから夕食の仕上げをして一緒に食べて、そのあとに宿題をする。

寝る前にはお父さんのワイシャツのアイロンをかけたり、季節の変わり目にはスーツや制服をクリーニングに出したり、慣れない家事にてんてこ舞いになりながら生活していた。

当然、友達と遊んだりする暇もなく、やるべきことに追われる日々。

お父さんは「家事なんてほどほどでいいんだよ」なんて言っていたけど、外食やお弁当ばかりの食事は飽きるし、しわくちゃの制服を着るのも、埃っぽい部屋で暮らすのも嫌だった。

だから家事を頑張って覚えたし、私を育てるためにお母さんを亡くした悲しみから立ち上がり、働いてくれているお父さんの役に立ちたかった。

天国から見守っているお母さんを心配させないよう、頑張って一生懸命笑って生きてきたのに。

お父さんがお母さんを想ってた気持ちはどこに行っちゃったの? もう好きじゃないの? どうして他の人と結婚するの……?

胸の奥でグルグルと渦巻く感情を吐き出せないまま、ずっと持て余している。

考えれば考えるほど苦しくて、お母さんを思うとやりきれない。

子供心にも仲のいい両親だった。互いを「洋ちゃん」「亜紀ちゃん」と呼び、私の前でも平気でハグするような夫婦だった。そんなふたりが大好きで、私もハグをしてもらいにふたりに抱きつきにいったりして……。

お母さんが亡くなった時のお父さんの憔悴ぶりは凄まじく、いつの間にか私のほうが励ます側に回ったりもしていたのに。

どうして再婚なんてしたんだろう。お母さんを嫌いになったり、離婚したりしたわけじゃないのに……。

鬱々とした気持ちを吐き出すように大きく深呼吸をして、スクールバッグを拾って階段をのぼる。自分の部屋に入るとようやくホッとした。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

あいみるのときはなかろう

穂祥 舞
青春
進学校である男子校の3年生・三喜雄(みきお)は、グリークラブに所属している。歌が好きでもっと学びたいという気持ちは強いが、親や声楽の先生の期待に応えられるほどの才能は無いと感じていた。 大学入試が迫り焦る気持ちが強まるなか、三喜雄は美術部員でありながら、ピアノを弾きこなす2年生の高崎(たかさき)の存在を知る。彼に興味を覚えた三喜雄が練習のための伴奏を頼むと、マイペースであまり人を近づけないタイプだと噂の高崎が、あっさりと引き受けてくれる。 ☆将来の道に迷う高校生の気持ちの揺れを描きたいと思います。拙作BL『あきとかな〜恋とはどんなものかしら〜』のスピンオフですが、物語としては完全に独立させています。ややBLニュアンスがあるかもしれません。★推敲版をエブリスタにも掲載しています。

眠らせ森の恋 おまけ

菱沼あゆ
キャラ文芸
「眠らせ森の恋」その後のお話です。 私……おそろしいものを手に入れてしまいました……。

丘の上の王様とお妃様

よしき
恋愛
木崎珠子(35才)は、大学を卒業後、帝国財閥の子会社に勤めていた、ごくごく平凡なOLだった。しかし、同じ職場の彼に二股をかけられ、職場にも居づらくなり、あげくに両親が交通事故でいっぺんに他界。結局会社を退職し、両親がやっていた喫茶店「坂の上」を引き継ごうと、地元へ帰ってくる。喫茶店の仕事は、会社務めに比べると、珠子にはなんとなくあっているようで...ご近所さんを相手にユルくやっていた。そんな珠子が地元へ戻ってから半年ほどして、喫茶店「坂の上」の隣にある、通称「お化け屋敷」と呼ばれる大豪邸に、帝国財閥の偉い人が越してくると話題になる。珠子は、「別の世界の人間」だからと、あまり意識をしていなかったのだか... 「お化け屋敷」の噂からひと月後。いつもは見ない紳士が、喫茶「坂の上」によってきて。そこから始まる現代シンデレラ物語

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~

けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。 私は密かに先生に「憧れ」ていた。 でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。 そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。 久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。 まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。 しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて… ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆… 様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。 『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』 「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。 気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて… ねえ、この出会いに何か意味はあるの? 本当に…「奇跡」なの? それとも… 晴月グループ LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長 晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳 × LUNA BLUホテル東京ベイ ウエディングプランナー 優木 里桜(ゆうき りお) 25歳 うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

モース10

藤谷 郁
恋愛
慧一はモテるが、特定の女と長く続かない。 ある日、同じ会社に勤める地味な事務員三原峰子が、彼をネタに同人誌を作る『腐女子』だと知る。 慧一は興味津々で接近するが…… ※表紙画像/【イラストAC】NORIMA様 ※他サイトに投稿済み

処理中です...