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第二章 それぞれの出会い

2-14 マルス ~王都参内 その五(監視の目と贈り物)

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 マルスとクレインの話は続く。

「クレイン殿は、アザシ族という名をご存知ですか?」

「ほう、武芸のみならず学門においても抜きん出たお人と噂は聞いていたが、・・・。
 今は僕も知っている。
 だが三月前には全くその名を知らなかった。
 侯爵家の筆頭学士であるリオンが古文書を漁って見つけてきた名だ。
 二百年ほど前にエルモ大陸全土で暗躍した暗殺団だそうだ。
 だが百五十年ほど前に、ジオン公国、ハタル王国それにデハル僭主国の三国がこのアザシ族の本拠地を突き止め、数万の軍勢で攻め込んで一族を皆殺しにしたとされている。
 それ以降アザシ族の名は歴史から消えた。」

「そのアザシ族が本拠地としていたのがカリギュリス地方に隣接するマタハスです。
 そうして彼らは毒物の扱いに長けており、時には壷の中に毒蛇を入れて狙ったものの足元に落とし命を奪ったとか。
 ロハドを使った火付も彼らの常套手段でした。
 ですからアザシ族の生き残りが暗躍を始めた可能性が高いと思われます。」

「リアンもそう言っていた。
 文書では一族皆殺しとあったのだが・・・。」

「エルモ大陸全域で暗躍していた暗殺団です。
 本拠地は確かにマタハスだったのでしょうが、それぞれの地域ごとに根城が有ってもおかしくはありません。
 私が読んだ書簡では、ブダス、カラハ、ミコノスの三か所に少なくとも拠点があったものと推測されています。」

「ミコノス?
 何とベンシャ公国の第三の城塞ではないか。」

「ええ、その真偽のほどは判りませんが、あるいはこのバルディアスにも何らかの根城があるやもしれません。」

「ふむ、そいつは根が深い。
 ひょっとするとマルビスにもあるかもしれぬし、このサドベランスにもあるやもしれぬと・・・。
 後で父上にもお話しておかねばなるまいな。」

 その話は一旦けりがついた。

「ところで、アンリ殿のお姿が無いようですが如何なされましたか?」

「おう、ようやくそこに気づいたか。」

「いえ、この屋敷に到着した時にお姿が見えなかったので何かあったのかと・・・。」

「マルス殿は可愛い妹が初めて好いた男子おのこらしいでの。
 少しは心配をしてもらわねばこちらも困るが、・・・。
 大したことではない。
 マルス殿が来ると言うので朝から何となくアンリが高ぶり、浮かれていて、はずみで今日着るはずの衣装を家具にひっかけて破ってしまったのよ。
 アンリが大層気に入っていた品でな。
 大騒ぎでその品を作った店に飛んで行ったわ。
 他にいくつも衣装があると言うに何故こだわるのかわからないが、ま、そういうわけでアンリは今屋敷にはおらぬ。
 じゃが、夕餉までには間違いなく戻って来るはず。
 仮に間に合わぬようならばすぐに戻って来ると申して居った。
 そのアンリに頼まれた。
 アンリが戻るまでマルス殿のお相手を務めてくれとな。
 マルス殿、庭でも散歩するか。
 それとも戦将棋でもするか。」

「はい、それでは最初にお庭を拝見して、その後戦将棋をお願い申します。」

 クレインは頷いて立ち上がった。
 陽は少し傾き始めていた。

 一刻も経たず夕焼けになる頃合いである。
 連立って二人外に出ると、そこは池が配置され噴水があり木立が見事に配置された立派な庭であった。
その中を二人が連立って歩く。

「これは見事な配置の庭ですね。
 どなたの差配ですか?」

「お爺様のドラコ様が風流を好まれてな、当時王宮の庭師を務めていたマイセリンという名工の手になるものじゃそうな。
 王宮の庭ほど広くはないが、サディス家が誇れるものの一つじゃ。」

「なるほど確かに名園と言うにふさわしきお庭にございますな。
 ところで、監視の目がございますな。」

「ふむ、警護の者をあちらこちらに配置しているでのぉ。
 気になるか?」

「いえ、そちらの方は問題無きようですが・・・。
 それ以外の目があります。」

「うん?
 それ以外の目とは?」

「西側石垣の外にハエ楡の大木が聳えておりますが、あの梢の中に一人、それと東側石垣の外にある遠方の高台の上に一人屋敷内を伺っている者がおります。」

 クレインは西側楡の大木を見て、更に東側高台の方を見たが、人影を見ることはできなかった。

「僕には見えんが・・・。
 確かにいるのか?」

「はい、おります。
 西側石垣の外はどのようになっていますか?」

「確か隣家はブルマン近衛騎士団長の館の筈。
 間に通りは無い。」

「ブルマン近衛騎士団長の館なれば館を守る騎士が居られますね。
 なれば、どなたかをお隣に遣わしてハエ楡の大木の梢に潜む者が居りますと通報なされれば宜しいでしょう。
 あ、急いてはなりませぬ。
 気づかれぬように隣家にお伝えすれば宜しいでしょう。」

 クレインは頷き、側にいた用人に何事か囁いた。
 用人は一礼をしてその場を立ち去った。

 それから間もなくして隣家で大騒ぎが持ち上がった。
 ハエ楡の大木の下で槍を構えた騎士数人がハエ楡の梢の茂みを盛んに突きだしたのである。

 騎士たちが驚いたことにその梢から濃緑装束の者が一人飛び降りてきた。
 身長の三倍ほどもある高さからしなやかに飛び降りて、その不審者はやにわに騎士に斬りかかり、そうして逃走にかかったのである。

 その逃げる後ろ姿に騎士側で弓矢を放った者が複数おり、背中と左足に矢が突き立って、賊は転倒した。
 騎士一人が手傷を負ったほかは誰にもけがはなく、賊は捕えられたものの、賊は捕縛される前に毒をあおって自殺した。

 そうした報告は事後にサディス家に通知されたものであるが、クレインもその族が梢から飛び降りるところを目撃していた。
 その男が動くまではクレインの目には何も見えなかった。

「しかし、よくわかったな。
 僕には奴が動き始めるまで全く分からなかった。」

「ええ、そうですね。
 人の重みで枝が少し曲がって不自然な枝振りと茂みができていたんです。
 それで誰かが潜んでいるとわかったのです。」

「それで、東側の監視は?」

「東側の監視も騒ぎが起きると同時に消えました。
 賊の一味なのでしょう。
 仲間が見つかったのでその連絡をしに戻ったのではないでしょうか。」

「やれやれ、この分ではサディス家が本当に狙われているという事だろうな。」

「間違いありませんね。
 明日にでも高台に人をやって調べをさせると良いかもしれません。
 草地に人の踏み跡があるはずです。
 少なくともここ数日はそこにいた形跡があるのではないかと思います。
 場所的には、フィルデ松が二本ならんでいる間の周辺です。」

 クレインが高台を見ると確かに天頂にまっすぐに梢を伸ばしているフィルデ松が二本並んでいるのが見えた。
 その周囲は灌木に覆われている草地である。

 高台は市民の憩いの場になっている公園でもあった。
 それから、クレインとマルスは屋敷に入り、クレインの部屋で戦将棋を始めた。

 序盤戦は互角であったものの、中盤に入りクレインの旗色が悪くなっていた。
 クレインが将棋盤を見ながらしきりに唸っている時間が増えている。

 そのとき、クレインの部屋の扉が叩かれ訪問者があるのを知った。
 アンリであった。

 これ幸いとクレインは将棋盤の配置を崩した。

「よし、今日のところはこれまで。
 マルス殿、また別の機会に対戦しよう。」

「あら、お兄様から盤を崩されるなんてお珍しい。
 さては苦戦していたのかな。」

「まぁな、一応アンリが不在の間のお相手は済んだな。
 後は夕餉までアンリの役割だ。」

「はい、ありがとうございました。
 マルス様、お出迎えもせずに大変失礼をいたしました。」

「いいえ、でもさすがにわざわざお求めになるほどの衣装ですね。
 アンリ殿にとても似合っていますよ。」

 腰の部分を引き締め、スカート部を膨らませた明るい緑色のロングドレスは、フレアの部分や袖に細い黒線が入って全体をバランスよくまとめており、アンリを歳以上に大人びて見せる効果があった。
 胸の膨らみもさほどではないにしても13歳前の娘にして大きく見える効果がある。

 その言葉を聞いて、アンリは嬉しそうに微笑んだ。
 そうして、アンリはマルスを案内して自分の部屋に招き入れた。

 女官がすぐにお茶を持ってきた。
 マルスは持ってきた包みをアンリに差し出した。

「これはアンリ殿への贈り物です。
 宴に招かれたお礼に侯爵家にはワインを少々お届けしましたが、アンリ殿にはこれが良いかなと思いまして。」

 リボンがつけられて綺麗に包装され、角が丸みを帯びた細長い四角の箱である。
 受け取ると少し重量感のあるものである。

 目を輝かせてアンリが言った。

「まぁ、なんでしょう?
 開けても宜しゅうございますか?」

「はい、ご遠慮なくどうぞ。」

 アンリは包装をいそいそとかつ丁寧に開いた。
 綺麗ななめし皮のケースが出てきて、それを開けると白銀のモルゼックが姿を現し、アンリが息を飲んだ。

「これは、もしや、アノス楽器店におかれていたモルゼックでは?」

「ええ、そうです。
 御店の方にアンリ様用に非売品として飾られている品とお聞きしましたので、無理を言って贖って参りました。」

「まぁ、とてもお高い品でしたでしょうに。
 この品は、モルゼックの名工第二代ダランデックの遺作と聞いております。
 とても造りが良いのでいつかは手に入れたいと思ってはいましたが・・・。」

「お店の方の話では、アンリ様の腕前はこれを扱うにふさわしい領域に入っていると申されていました。
 アンリ様からのご要望で今少し待ってほしいとの話があったのは承知していますが、いずれ手になさるなら早い方が宜しいでしょう。
 楽器は使われてこそ値打ちがある物、飾っておくものではありません。」

「でも、私は自分の腕がさほどに上手とは思っていないのです。
 未だ納得のできない部分が多くて・・・。」

「アンリ殿、できれば演奏をお聞かせいただけませんか。
 何かアドバイスができるやもしれません。」

「マルス様が?
 そうですわね。
 青の楽師団を始め、エルモ大陸で名にしおう五大楽師団が一目いちもくおくマルス様なれば、私の未熟な部分を直していただけるかも。
 これを使っても宜しいでしょうか?」

「これは、もうあなたのものです。
 お使いになるのに私に遠慮はいりません。」
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