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第二章 それぞれの出会い
2-16 アリス ~キティホークでの催事 その一(演奏会の依頼)
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「乗客の皆様にお知らせします。
本船は無事にワームホールを通過し、メィビスの恒星を光学的に補足しております。
本船は予定通り進行しておりますが、これより減速措置のため本船の向きを変えます。
概ね進路変更のために1分ほど無重力状態が続きますので、皆様そのままでお待ちください。」
そうして不意に無重量状態になった。
キティホークが加速を停止したために1Gの重力が消滅したのである。
それから約一分間キティホークの船首が逆方向を向くまで無重力状態が続いた。
それから船内放送があって、徐々に重力が戻り始めた。
完全に服したのは5分後の事であった。
「乗客の皆様にお知らせします。
本船は減速のための加速を始めました。
メィビスの軌道衛星近傍までこの加速度が保たれます。
シートレストを外して通常の生活にお戻りください。
ご協力を感謝するとともに、残り半分の旅行をどうぞお楽しみくださるようお願い申し上げます。」
私(アリス)はシートレストを上げ、立ち上がって、カスリンに微笑んだ。
午後はケルヴィスを構成する元素とその予想される原子構造の解明を続けた。
概ね12個の有機物からなるベンゼン環のような六角構造を持った有機分子は、中央に穴が開いており、小さな分子構造を透過させるが、大きなものは透過させないフィルターのような働きをする。
だが、仮に大きな分子構造を有する有機物がそこを通り抜けようとすると穴が塞がり、やがてフィルターの役目は果たせなくなる。
その場合は、多分反対側から水その他の圧力をかけてフィルターの掃除をしなければならないのではないかと思われるのである。
仮にそうした構造に配慮しないまま圧力をかけて透過させるならば多少の変形は可能であり、概ね穴の径の2割ぐらいまでは拡大する可能性がある。
それ以上に拡げればケルヴィスの分子構造そのものが壊れる可能性があるからである。
微妙な自然の創造物であるケルヴィスを人工的に作り出すのは非常に難しい。
一方で結晶体を粉末にする場合もそうした分子構造をできるだけ保存したままで極小化することが望ましいので、どの程度の力で粉末にするかが問題である。
私は原子間の核子力を概算で導き出し、最も適切な数値を選び出す作業に入っていた。
無論、実際に使用している結晶体や夾雑物を調べ、その上での判断が必要なのであるが、理論的にはA結晶体の構造が一番大きく、重量も大きい。
次にB結晶体で、最後はC結晶体になるのだが、困ったことにBとCの重量は極めて近い数値になる。
但し、C結晶体の方が容積は僅かに大きいのである。
分子量としてはほぼ同じであるにもかかわらず、C結晶体の方が2割ほど空隙空間が広い分大きくなるのである。
従ってその空隙を利用して、一方は内部に浸潤し、一方は浸潤しない液体に放り込めば浮力の違いから沈降率で分離できるかもしれないのである。
分離を促進させるには遠心力を使えばいい。
最も近い比重の液体はボナビアンという液体化合物であり、特殊な繊維業界で用いられている。
計算してみるとボナビアンの分子はC結晶体の中には浸潤するが、B結晶体には浸潤しない。
つまりはこの液の中では、空隙に空気が溜まる分だけB結晶体の浮力が大きいのである。
ケルヴィスの結晶構造をある程度保ったままで粉末状にするには一旦、230ケルビン度まで下げてやると有機分子を結び付けている力が理論的には一番弱くなるのではないかと言う推論が立てられた。
それよりも温度を低くすると有機分子そのものが崩壊しかねない。
このことはA、B、C各結晶体について言えることであった。
概ね混合結晶体を粉末状にする手立てが考案できたので、次に触媒機能を増加させる方策を検討し始めた。
但し、実際にハマセドリンの分子構造や大きさを特定しないとこちらは難しい。
ただ民間伝承の利用という話から見て、おそらくはC結晶体の空隙を通り抜けられる分子構造を有するものではないかという推論は立てている。
従って、同じ大きさの多孔質浸透膜を利用すればあるいは、必要な液体を選別できる可能性がある。
無ければ人工的に造るまでであり、これには若干の作業が必要だった。
おそらくはポリカーバネイドで目的に有ったいくつかの多孔質浸透膜ができるだろうと言う見込みが立てられたのはその翌日であった。
24日の日の夕食後、私の部屋でマイクと一緒に話をしていると、キティホークの事務部長がわざわざ部屋を訪ねてきた。
彼が持ち込んだ話は極めて異例のお願いであった。
翌日25日から三日間の予定で開催されるケイシー・ドグマンのバリ・アルショーク演奏会にマイクと私の二人が共演者として参加してほしいという依頼であった。
「そんな無茶ですよ。
連合でも有名を馳せている方とご一緒に演奏するなんて。
私達は素人の趣味で演奏ができるだけです。
演奏会に出せるような腕前ではありません。」
私がそう言うと、事務部長のカシアス・ベックマンがため息をつきながら言った。
「私どもも、そのようにケイシーさんには申し上げたのですが、ケイシーさんは何としてもお二方の出馬を頂かねば演奏を中止するとまで申されたのです。
ケイシーさんの演奏は今回の目玉でもあり、私どもとしても中止になれば会社の信用にもかかわりますので大問題なのです。
昨日、私どもの興業責任者であるケリー・ウェルソンと専属バンドマスターのワッツ・ベルガーの両名が内緒でお二人の演奏を聴きに参りました。
彼らはそれなりに耳が肥えておりまして、その二人があなた方二人の演奏に太鼓判を押しました。
ケイシーさんはふとしたことからあなた方お二人の演奏を聞かれ、それ以降一日おきに演奏されるあなた方の練習を一日とて欠かさずに拝聴されたそうで、彼曰くお二人に惚れ込んでいるそうでございます。
そうして、ケリーとワッツもそのケイシー氏の意見に同意したのです。
お二人のご迷惑は重々承知の上ながら、私どもとしましてはお二人に共演をお願いするしかございません。
ケイシーさんとも十分お話しした上で、二時間半の演奏会のうち最後の二曲だけをお二人の共演にお願いするということでケイシーさんのご理解を得ておりますが、肝心なのはお二人の御意向にございます。
どうか、どうか私どもの苦境をお助け下さいませ。」
私は困って、マイクの方を見た。
マイクはしょうがないという風に両手を広げて肩をすくめるジェスチャーをした。
「止むを得ないから協力してあげようよ。
ここでケイシーさんが演奏会の中止をしたら、悪者は僕たち二人になってしまう。」
「まぁ、なんてこと。
まるで脅迫だわ。
でも、仕方がないわね。
演目はどうするの?
明日の話でしょう。
練習だってしていないのに・・・。」
「私どもには理解できませんでしたが、ケイシーさん曰く、明日の共演の二曲はこれだから二人に渡してほしいとそう言われました。
但し、ワッツ曰く、バリ・アルショークの独奏曲の譜面二つです。
ですがケイシーさんは
『これを二人に渡せば、彼らは天才だから十分に判る筈で、リハーサルの必要は有りません。
それよりも彼らに合せるように私は精一杯の努力をしなければならない。』
そう言って、音楽室に籠って練習を続けられているのです。
ケイシーさんのお付のアシスタント曰く、これほど打ち込むケイシーさんの姿は初めて見るそうです。」
そう言って恐る恐る事務部長は譜面の束をテーブルの上に置いた。
「わかりました。
出来るだけのことは致しましょう。
事務部長さん、恐れ入りますが明日の午後1時から3時までの間、音楽室の一つを予約できますか。」
「それは勿論、万難を排して確保します。
ヤーヴェロンも最良の物をご用意します。
ただ、マイク様は色々な楽器を使われるとのこと、どのような楽器をご用意すればいいのかわかりませんが・・・。」
「それは明日の午前中に決めます。
場合によっては複数の楽器をご用意いただくことになるかもしれません。」
「はい、何でもお申し付けください。
普段貸し出しております楽器とは別に演奏家のために予備の楽器は用意しております。
少なくともそちらの方が貸し出し分よりは良い楽器の筈でございます。」
「わかりました。
では明日の午前中に事務部長さんにご連絡いたします。
服装は、やはり正装が宜しいのでしょうね。」
「はい、できますれば、・・・。
必要があれば私どもで衣装もご用意できるとは存じますが。」
「いいえ、その必要はないでしょう。
アリス、大丈夫だよね?」
「ええ、衣装ぐらいなら何とか手持ちで・・・。」
「じゃぁ、取り敢えず、事務部長さん、明日の演奏会に参加するということでケイシーさんにお知らせください。
我々二人、出来るだけのことはしてみますとお伝えください。
多分、彼もその知らせを待っているでしょう。」
事務部長は丁重にお礼を言って去って行った。
「マイク、大丈夫かしら。
名だたる演奏家と共演だなんて、私の母が生きていたらきっとびっくりするわ。」
「大丈夫だよ。
君には僕が付いているし、何より君の演奏も凄く上達した。
それよりも譜面を読んでみようか。
初見で譜面を見て音を確認する。
その後で編曲だ。
面倒だけれど、今の君の能力なら大丈夫。」
二人はリンクして譜面を読み、その後で編曲の作業を行った。
私が曲想から得たヤーヴェロンの音を合わせると、マイクがダルフェルの音色で音を返してきた。
それを元に再度編曲してマイクに返す、驚くほど素早い交信が行われて、「マリエルの恋人」の編曲が1時間ほどで終わった。
次いで「四季の海」は難解であったが、マイクがセロディエスの旋律を奏で、私がヤーヴェロンで合わせると、すぐにマイクがセロディエスの旋律で返してきた。
そのようにして1時間で編曲したが、最終的にマイクはマリエルの恋人にセロディエスを、四季の海にダルフェルに変えた。
その変更で再度ヤーヴェロンにも変更が生じた。
二人で納得したのは夜の10時を越えたあたりであった。
それをマイクが手書きで譜面に落としてくれることになっている。
翌日、午前中はいつものようにジョギングとトレーニングマシーンの後に、護身術のスパーリング、私は結構素早い動作で蹴りと手刀を繰り出すのだが、ことごとくマイクに受け止められる。
挙句に凄まじい打撃が襲ってくるのだが、とっさに防御するのでダメージは無い。
とはいいつつも派手に身体ごと持って行かれるのだから、傍目で見ているものには驚くべき練習風景に違いない。
凄まじい速度で二人が打ち合いをするのだから、本当の喧嘩のように見えるに違いない。
ここ三日ほどは透明な隔壁の外から眺めている観客が多く、それも確実に増えている。
私も30分間の休息なしのスパーリングにも十分耐えられるようになっていた。
そうしてマイクから注意されたのは、普通の人を相手にする場合は注意しないと相手を殺すかもしれないよと言う御託宣であった。
どうやら護身術の域をはるかに超えてしまったようだ。
マイクはこのレベルに達すれば後は定期的に一定の練習をすればいいよと教えてくれた。
昼食を専門店の一つであるバーンズフィルの軽食で済ませ、午後から演奏会の準備に入った。
用意された音楽室には二線級のバリ・アルショークが備え付けられている。
そうして事務部長の手配で一級品のヤーヴェロン、ダルフェル、それにセロディエスが揃えられていた。
最初にマイクが「マリエルの恋人」をバリ・アルショークで譜面通りに演奏し、マイクと二人でその音にヤーヴェロンとダルフェルの音を合わせた。
余韻の残るうちにヤーヴェロンとダルフェルの演奏をする。
間の抜けた音になるのは仕方がない。
主旋律を奏でるバリ・アルショークの音色が無いからだが、私とマイクがその音をリンクの中で補っている。
同じように四季の海も練習した。
二曲を各2回ほど練習すると2時間の練習時間はほぼ過ぎていた。
楽器を事務部長に返し、今晩の演奏まで保管する様お願いした。
演奏会は夕食の後、午後7時半から多目的ホールで開催される。
事務部長からは最前列の席のチケットを渡された。
その日の夕食は、ファレンド料理の専門店エンケルドで、二人正装をしての食事である。
マイクは濃い青色のタキシード姿であり、襟の青紫がアクセントである。
とても凛々しく見える。
私は、襟ぐりの大きな真っ赤なロングドレスであり、緋色の母の形見のペンダントとイヤリングが落ち着きを見せてくれる。
普段はあまりつけない濃い目の口紅も付けてみた。
マイクが衣装を誉めてくれた。
二人で会話をしながらする食事はいつもながら楽しいものである。
午後7時15分になって多目的ホールに出向くと大勢の観客が既に席についていた。
顔なじみとなっている船客もかなりの数に上る。
私達二人の席は最前列の席の更に前に置かれた特等席でもある。
小さなテーブルが前に置かれた二人用の可愛いカウチである。
席に着くと、ボーイさんが飲物の注文を取りに来た。
私とマイクはどちらもナリカジュースを頼んだ。
そうして、ナリカジュースが手元に届いて間もなく、ショーが開演した。
最初に司会が出てきて、ケイシー・ドグマン氏を紹介する。
ケイシー・ドグマンは30代後半の男性である。
10台の後半でバリ・アルショークの星間コンクールで優勝し、それ以来ひのき舞台に立っている。
バリ・アルショークニストの世界では神様みたいに崇められている人物である。
本船は無事にワームホールを通過し、メィビスの恒星を光学的に補足しております。
本船は予定通り進行しておりますが、これより減速措置のため本船の向きを変えます。
概ね進路変更のために1分ほど無重力状態が続きますので、皆様そのままでお待ちください。」
そうして不意に無重量状態になった。
キティホークが加速を停止したために1Gの重力が消滅したのである。
それから約一分間キティホークの船首が逆方向を向くまで無重力状態が続いた。
それから船内放送があって、徐々に重力が戻り始めた。
完全に服したのは5分後の事であった。
「乗客の皆様にお知らせします。
本船は減速のための加速を始めました。
メィビスの軌道衛星近傍までこの加速度が保たれます。
シートレストを外して通常の生活にお戻りください。
ご協力を感謝するとともに、残り半分の旅行をどうぞお楽しみくださるようお願い申し上げます。」
私(アリス)はシートレストを上げ、立ち上がって、カスリンに微笑んだ。
午後はケルヴィスを構成する元素とその予想される原子構造の解明を続けた。
概ね12個の有機物からなるベンゼン環のような六角構造を持った有機分子は、中央に穴が開いており、小さな分子構造を透過させるが、大きなものは透過させないフィルターのような働きをする。
だが、仮に大きな分子構造を有する有機物がそこを通り抜けようとすると穴が塞がり、やがてフィルターの役目は果たせなくなる。
その場合は、多分反対側から水その他の圧力をかけてフィルターの掃除をしなければならないのではないかと思われるのである。
仮にそうした構造に配慮しないまま圧力をかけて透過させるならば多少の変形は可能であり、概ね穴の径の2割ぐらいまでは拡大する可能性がある。
それ以上に拡げればケルヴィスの分子構造そのものが壊れる可能性があるからである。
微妙な自然の創造物であるケルヴィスを人工的に作り出すのは非常に難しい。
一方で結晶体を粉末にする場合もそうした分子構造をできるだけ保存したままで極小化することが望ましいので、どの程度の力で粉末にするかが問題である。
私は原子間の核子力を概算で導き出し、最も適切な数値を選び出す作業に入っていた。
無論、実際に使用している結晶体や夾雑物を調べ、その上での判断が必要なのであるが、理論的にはA結晶体の構造が一番大きく、重量も大きい。
次にB結晶体で、最後はC結晶体になるのだが、困ったことにBとCの重量は極めて近い数値になる。
但し、C結晶体の方が容積は僅かに大きいのである。
分子量としてはほぼ同じであるにもかかわらず、C結晶体の方が2割ほど空隙空間が広い分大きくなるのである。
従ってその空隙を利用して、一方は内部に浸潤し、一方は浸潤しない液体に放り込めば浮力の違いから沈降率で分離できるかもしれないのである。
分離を促進させるには遠心力を使えばいい。
最も近い比重の液体はボナビアンという液体化合物であり、特殊な繊維業界で用いられている。
計算してみるとボナビアンの分子はC結晶体の中には浸潤するが、B結晶体には浸潤しない。
つまりはこの液の中では、空隙に空気が溜まる分だけB結晶体の浮力が大きいのである。
ケルヴィスの結晶構造をある程度保ったままで粉末状にするには一旦、230ケルビン度まで下げてやると有機分子を結び付けている力が理論的には一番弱くなるのではないかと言う推論が立てられた。
それよりも温度を低くすると有機分子そのものが崩壊しかねない。
このことはA、B、C各結晶体について言えることであった。
概ね混合結晶体を粉末状にする手立てが考案できたので、次に触媒機能を増加させる方策を検討し始めた。
但し、実際にハマセドリンの分子構造や大きさを特定しないとこちらは難しい。
ただ民間伝承の利用という話から見て、おそらくはC結晶体の空隙を通り抜けられる分子構造を有するものではないかという推論は立てている。
従って、同じ大きさの多孔質浸透膜を利用すればあるいは、必要な液体を選別できる可能性がある。
無ければ人工的に造るまでであり、これには若干の作業が必要だった。
おそらくはポリカーバネイドで目的に有ったいくつかの多孔質浸透膜ができるだろうと言う見込みが立てられたのはその翌日であった。
24日の日の夕食後、私の部屋でマイクと一緒に話をしていると、キティホークの事務部長がわざわざ部屋を訪ねてきた。
彼が持ち込んだ話は極めて異例のお願いであった。
翌日25日から三日間の予定で開催されるケイシー・ドグマンのバリ・アルショーク演奏会にマイクと私の二人が共演者として参加してほしいという依頼であった。
「そんな無茶ですよ。
連合でも有名を馳せている方とご一緒に演奏するなんて。
私達は素人の趣味で演奏ができるだけです。
演奏会に出せるような腕前ではありません。」
私がそう言うと、事務部長のカシアス・ベックマンがため息をつきながら言った。
「私どもも、そのようにケイシーさんには申し上げたのですが、ケイシーさんは何としてもお二方の出馬を頂かねば演奏を中止するとまで申されたのです。
ケイシーさんの演奏は今回の目玉でもあり、私どもとしても中止になれば会社の信用にもかかわりますので大問題なのです。
昨日、私どもの興業責任者であるケリー・ウェルソンと専属バンドマスターのワッツ・ベルガーの両名が内緒でお二人の演奏を聴きに参りました。
彼らはそれなりに耳が肥えておりまして、その二人があなた方二人の演奏に太鼓判を押しました。
ケイシーさんはふとしたことからあなた方お二人の演奏を聞かれ、それ以降一日おきに演奏されるあなた方の練習を一日とて欠かさずに拝聴されたそうで、彼曰くお二人に惚れ込んでいるそうでございます。
そうして、ケリーとワッツもそのケイシー氏の意見に同意したのです。
お二人のご迷惑は重々承知の上ながら、私どもとしましてはお二人に共演をお願いするしかございません。
ケイシーさんとも十分お話しした上で、二時間半の演奏会のうち最後の二曲だけをお二人の共演にお願いするということでケイシーさんのご理解を得ておりますが、肝心なのはお二人の御意向にございます。
どうか、どうか私どもの苦境をお助け下さいませ。」
私は困って、マイクの方を見た。
マイクはしょうがないという風に両手を広げて肩をすくめるジェスチャーをした。
「止むを得ないから協力してあげようよ。
ここでケイシーさんが演奏会の中止をしたら、悪者は僕たち二人になってしまう。」
「まぁ、なんてこと。
まるで脅迫だわ。
でも、仕方がないわね。
演目はどうするの?
明日の話でしょう。
練習だってしていないのに・・・。」
「私どもには理解できませんでしたが、ケイシーさん曰く、明日の共演の二曲はこれだから二人に渡してほしいとそう言われました。
但し、ワッツ曰く、バリ・アルショークの独奏曲の譜面二つです。
ですがケイシーさんは
『これを二人に渡せば、彼らは天才だから十分に判る筈で、リハーサルの必要は有りません。
それよりも彼らに合せるように私は精一杯の努力をしなければならない。』
そう言って、音楽室に籠って練習を続けられているのです。
ケイシーさんのお付のアシスタント曰く、これほど打ち込むケイシーさんの姿は初めて見るそうです。」
そう言って恐る恐る事務部長は譜面の束をテーブルの上に置いた。
「わかりました。
出来るだけのことは致しましょう。
事務部長さん、恐れ入りますが明日の午後1時から3時までの間、音楽室の一つを予約できますか。」
「それは勿論、万難を排して確保します。
ヤーヴェロンも最良の物をご用意します。
ただ、マイク様は色々な楽器を使われるとのこと、どのような楽器をご用意すればいいのかわかりませんが・・・。」
「それは明日の午前中に決めます。
場合によっては複数の楽器をご用意いただくことになるかもしれません。」
「はい、何でもお申し付けください。
普段貸し出しております楽器とは別に演奏家のために予備の楽器は用意しております。
少なくともそちらの方が貸し出し分よりは良い楽器の筈でございます。」
「わかりました。
では明日の午前中に事務部長さんにご連絡いたします。
服装は、やはり正装が宜しいのでしょうね。」
「はい、できますれば、・・・。
必要があれば私どもで衣装もご用意できるとは存じますが。」
「いいえ、その必要はないでしょう。
アリス、大丈夫だよね?」
「ええ、衣装ぐらいなら何とか手持ちで・・・。」
「じゃぁ、取り敢えず、事務部長さん、明日の演奏会に参加するということでケイシーさんにお知らせください。
我々二人、出来るだけのことはしてみますとお伝えください。
多分、彼もその知らせを待っているでしょう。」
事務部長は丁重にお礼を言って去って行った。
「マイク、大丈夫かしら。
名だたる演奏家と共演だなんて、私の母が生きていたらきっとびっくりするわ。」
「大丈夫だよ。
君には僕が付いているし、何より君の演奏も凄く上達した。
それよりも譜面を読んでみようか。
初見で譜面を見て音を確認する。
その後で編曲だ。
面倒だけれど、今の君の能力なら大丈夫。」
二人はリンクして譜面を読み、その後で編曲の作業を行った。
私が曲想から得たヤーヴェロンの音を合わせると、マイクがダルフェルの音色で音を返してきた。
それを元に再度編曲してマイクに返す、驚くほど素早い交信が行われて、「マリエルの恋人」の編曲が1時間ほどで終わった。
次いで「四季の海」は難解であったが、マイクがセロディエスの旋律を奏で、私がヤーヴェロンで合わせると、すぐにマイクがセロディエスの旋律で返してきた。
そのようにして1時間で編曲したが、最終的にマイクはマリエルの恋人にセロディエスを、四季の海にダルフェルに変えた。
その変更で再度ヤーヴェロンにも変更が生じた。
二人で納得したのは夜の10時を越えたあたりであった。
それをマイクが手書きで譜面に落としてくれることになっている。
翌日、午前中はいつものようにジョギングとトレーニングマシーンの後に、護身術のスパーリング、私は結構素早い動作で蹴りと手刀を繰り出すのだが、ことごとくマイクに受け止められる。
挙句に凄まじい打撃が襲ってくるのだが、とっさに防御するのでダメージは無い。
とはいいつつも派手に身体ごと持って行かれるのだから、傍目で見ているものには驚くべき練習風景に違いない。
凄まじい速度で二人が打ち合いをするのだから、本当の喧嘩のように見えるに違いない。
ここ三日ほどは透明な隔壁の外から眺めている観客が多く、それも確実に増えている。
私も30分間の休息なしのスパーリングにも十分耐えられるようになっていた。
そうしてマイクから注意されたのは、普通の人を相手にする場合は注意しないと相手を殺すかもしれないよと言う御託宣であった。
どうやら護身術の域をはるかに超えてしまったようだ。
マイクはこのレベルに達すれば後は定期的に一定の練習をすればいいよと教えてくれた。
昼食を専門店の一つであるバーンズフィルの軽食で済ませ、午後から演奏会の準備に入った。
用意された音楽室には二線級のバリ・アルショークが備え付けられている。
そうして事務部長の手配で一級品のヤーヴェロン、ダルフェル、それにセロディエスが揃えられていた。
最初にマイクが「マリエルの恋人」をバリ・アルショークで譜面通りに演奏し、マイクと二人でその音にヤーヴェロンとダルフェルの音を合わせた。
余韻の残るうちにヤーヴェロンとダルフェルの演奏をする。
間の抜けた音になるのは仕方がない。
主旋律を奏でるバリ・アルショークの音色が無いからだが、私とマイクがその音をリンクの中で補っている。
同じように四季の海も練習した。
二曲を各2回ほど練習すると2時間の練習時間はほぼ過ぎていた。
楽器を事務部長に返し、今晩の演奏まで保管する様お願いした。
演奏会は夕食の後、午後7時半から多目的ホールで開催される。
事務部長からは最前列の席のチケットを渡された。
その日の夕食は、ファレンド料理の専門店エンケルドで、二人正装をしての食事である。
マイクは濃い青色のタキシード姿であり、襟の青紫がアクセントである。
とても凛々しく見える。
私は、襟ぐりの大きな真っ赤なロングドレスであり、緋色の母の形見のペンダントとイヤリングが落ち着きを見せてくれる。
普段はあまりつけない濃い目の口紅も付けてみた。
マイクが衣装を誉めてくれた。
二人で会話をしながらする食事はいつもながら楽しいものである。
午後7時15分になって多目的ホールに出向くと大勢の観客が既に席についていた。
顔なじみとなっている船客もかなりの数に上る。
私達二人の席は最前列の席の更に前に置かれた特等席でもある。
小さなテーブルが前に置かれた二人用の可愛いカウチである。
席に着くと、ボーイさんが飲物の注文を取りに来た。
私とマイクはどちらもナリカジュースを頼んだ。
そうして、ナリカジュースが手元に届いて間もなく、ショーが開演した。
最初に司会が出てきて、ケイシー・ドグマン氏を紹介する。
ケイシー・ドグマンは30代後半の男性である。
10台の後半でバリ・アルショークの星間コンクールで優勝し、それ以来ひのき舞台に立っている。
バリ・アルショークニストの世界では神様みたいに崇められている人物である。
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