17 / 48
第一章 仇を追う娘
1ー17 松倉宗徳の素性 その二
しおりを挟む
水野が就任挨拶を兼ねて御所参内の折に、仙洞御所を訪ね、たまたま御所に母と一緒に呼ばれていた宗徳とが、上皇により引き合わされたことがあるだけである。
母の千代はその折三十路直前ではあったものの、その美貌は盛りであり、水野は余りの美貌に言葉を失ったほどであったらしい。
ために、側に控えていた宗徳の顔は余り覚えてはいなかったが、それでも母千代の名と宗徳の名は記憶に残ったのである。
特に、二十歳で正式な公家に非ずして正三位権大納言の位階を授けられた宗徳の名は公家ばかりではなく幕閣にも良く知られていた。
水野忠之は、宗徳に会った途端に千代の面影を見出し、そして宗徳の名を思い出してうろたえたのである。
宗徳が二十歳の祝いに権大納言の位階を賜っていたのは水野も十分に承知していた。
若年寄の水野は、従五位の官位に過ぎず、従って、上座に座るのは本来水野ではなく如何に浪人とは言いながら、宗徳であるべきであったため、腰を浮かしたのであるが、宗徳の突然の言上で言外に、お忍びの他出であることを察し、やむなくそのまま上座に座っていたのである。
彩華はそうした事実を知らされ呆然としていた。
白木屋に如何にお忍びで滞在しているにしても、藩主やそれなりの地位に有るものならば一月も家中に内緒で不在にすることなどあり得ない。
従って、彩華は宗徳がいずれかの御家中の高禄の直臣若しくは旗本の三男坊あたりではないかと思うようになっていたのである。
それが妾腹とはいえ皇族の和子であると知って驚愕した。
失礼を詫びて許嫁の約束を即座に解くことを申し出たが、宗徳にやんわりと説かれた。
「彩華殿は、儂が嫌いになったかな?」
「滅相もござりませぬ。
只、・・・余りに身分が違いすぎまする。」
「彩華は、身分で人を好きになったり、嫌いになったりするのか?
それはちとおかしかろう。
男であれ、女であれ、人に違いはない。
公方様であれ、市井に住む江戸町民であれ人に変わりはないのだ。
ただ、その役割が少し違うだけ、それぞれ身に負った職責を果たすことが肝要じゃ。
生まれながらの職責であるやもしれぬし、生まれ落ちた後に自ら望んで就いた職かもしれぬ。
あるいは、自ら望まぬ職種であっても、生きて行くために止むを得ず就いているやもしれぬ。
そのいずれであっても、人としての行いがその者の業績であり、傍から見た際の人格になるやもしれぬ。
儂は、人と付き合うときに高貴卑賤など気にせずに話をするようにしている。
儂の友人には、駕籠かきもおれば、博徒もおるし、女衒もおる。
生憎と遊女との付き合いはないが、そうした者との付き合いも望めば友人たちが誰ぞ紹介してくれよう。
儂はな、そうした諸々の人との付き合いを通じて、いかな身分、職種であろうと人としての生きざまに貴賤は無いと考えている。
だから、彩華殿との付き合いも大事にしたい。
一時の名目とはいえ、そなたの許嫁になることに随分迷いもした。
返事をするまで小半時はかかったであろう?」
彩華は思わずあの日の様子を思い出して、頷いた。
「名目であれ、何であれ、約束と言うのは、人と人を縛るものじゃ。
まして、そなたは年頃の娘じゃ。
一目惚れかどうかはわからぬが、仮にも許嫁となることでますます思いが深まれば、後には引けないところまで追い込んでしまうかもしれない。
じゃから悩んだ末に三月の期限を置いた。
三月の間にそなたの想いが変わらぬようであれば、許嫁となるかどうか改めて考えようとな。
その時、儂の頭に有ったのはそなたが武家の娘であることでも儂の身分でもない。
若い年頃の娘としてのそなたの想いに応え、なおかつ、如何様にすれば二人にとって良い方向に何事かをなせるかという思いだけだった。
じゃが、そなたは、その期限が終わらぬうちに己独りで舞台を降りようとしておる。
そなたの儂に対する思いがその程度のものであれば、儂も止めはせぬが、・・・。
儂の素性を知ったから取りやめるというのは些か困る。
もし、それが真実そうせざるを得ないものであれば、儂は少なくとも大納言の家格に応じた家から嫁を貰わねばならないと言うことになるが、それは如何にも無理があろう。
あの時、そなたは清水の舞台から飛び降りるつもりでと申していた。
もしその気持ちが変わらぬのであれば、後一月半余り、これまでと同じく伴侶の候補としてこの儂を見ていてはくれぬか。
儂もそなたが人として儂にふさわしい女か否か見定める。
その上で許嫁を継続するか否か決めることではどうかな。」
彩華は暫く考え込んだ。
それから、意を決し、居ずまいを正して言った。
「私は、松倉様をお慕い申し上げております。
その気持ちに些かも変わりはございませぬ。
それゆえ、お言葉に甘えとうございます。
当初のお約束通り、三月後に許嫁となすべき女子かどうかをお見極め下さりませ。」
松倉は笑顔を見せて言った。
「そうか、そうしてくれるか。
なれば、このまま白木屋に逗留なさい。
早晩、宗長殿と弥吉殿は岡崎に戻らねばなるまいが、彩華殿はそのまま江戸に残るがよい。
長月半ばには、決着がつこう。
許嫁の話がそのまま残るにせよ破断になるにせよ、彩華殿の身柄は儂が岡崎まで間違いなく送り届ける。」
「はい、松倉様の仰せのようにいたします。」
固唾を飲んで傍で聞いていた宗長と弥吉もほっとしたように笑顔を見せたのである。
◇◇◇◇ 第一章 ー完ー ◇◇◇◇
来週から第二章が始まります。
母の千代はその折三十路直前ではあったものの、その美貌は盛りであり、水野は余りの美貌に言葉を失ったほどであったらしい。
ために、側に控えていた宗徳の顔は余り覚えてはいなかったが、それでも母千代の名と宗徳の名は記憶に残ったのである。
特に、二十歳で正式な公家に非ずして正三位権大納言の位階を授けられた宗徳の名は公家ばかりではなく幕閣にも良く知られていた。
水野忠之は、宗徳に会った途端に千代の面影を見出し、そして宗徳の名を思い出してうろたえたのである。
宗徳が二十歳の祝いに権大納言の位階を賜っていたのは水野も十分に承知していた。
若年寄の水野は、従五位の官位に過ぎず、従って、上座に座るのは本来水野ではなく如何に浪人とは言いながら、宗徳であるべきであったため、腰を浮かしたのであるが、宗徳の突然の言上で言外に、お忍びの他出であることを察し、やむなくそのまま上座に座っていたのである。
彩華はそうした事実を知らされ呆然としていた。
白木屋に如何にお忍びで滞在しているにしても、藩主やそれなりの地位に有るものならば一月も家中に内緒で不在にすることなどあり得ない。
従って、彩華は宗徳がいずれかの御家中の高禄の直臣若しくは旗本の三男坊あたりではないかと思うようになっていたのである。
それが妾腹とはいえ皇族の和子であると知って驚愕した。
失礼を詫びて許嫁の約束を即座に解くことを申し出たが、宗徳にやんわりと説かれた。
「彩華殿は、儂が嫌いになったかな?」
「滅相もござりませぬ。
只、・・・余りに身分が違いすぎまする。」
「彩華は、身分で人を好きになったり、嫌いになったりするのか?
それはちとおかしかろう。
男であれ、女であれ、人に違いはない。
公方様であれ、市井に住む江戸町民であれ人に変わりはないのだ。
ただ、その役割が少し違うだけ、それぞれ身に負った職責を果たすことが肝要じゃ。
生まれながらの職責であるやもしれぬし、生まれ落ちた後に自ら望んで就いた職かもしれぬ。
あるいは、自ら望まぬ職種であっても、生きて行くために止むを得ず就いているやもしれぬ。
そのいずれであっても、人としての行いがその者の業績であり、傍から見た際の人格になるやもしれぬ。
儂は、人と付き合うときに高貴卑賤など気にせずに話をするようにしている。
儂の友人には、駕籠かきもおれば、博徒もおるし、女衒もおる。
生憎と遊女との付き合いはないが、そうした者との付き合いも望めば友人たちが誰ぞ紹介してくれよう。
儂はな、そうした諸々の人との付き合いを通じて、いかな身分、職種であろうと人としての生きざまに貴賤は無いと考えている。
だから、彩華殿との付き合いも大事にしたい。
一時の名目とはいえ、そなたの許嫁になることに随分迷いもした。
返事をするまで小半時はかかったであろう?」
彩華は思わずあの日の様子を思い出して、頷いた。
「名目であれ、何であれ、約束と言うのは、人と人を縛るものじゃ。
まして、そなたは年頃の娘じゃ。
一目惚れかどうかはわからぬが、仮にも許嫁となることでますます思いが深まれば、後には引けないところまで追い込んでしまうかもしれない。
じゃから悩んだ末に三月の期限を置いた。
三月の間にそなたの想いが変わらぬようであれば、許嫁となるかどうか改めて考えようとな。
その時、儂の頭に有ったのはそなたが武家の娘であることでも儂の身分でもない。
若い年頃の娘としてのそなたの想いに応え、なおかつ、如何様にすれば二人にとって良い方向に何事かをなせるかという思いだけだった。
じゃが、そなたは、その期限が終わらぬうちに己独りで舞台を降りようとしておる。
そなたの儂に対する思いがその程度のものであれば、儂も止めはせぬが、・・・。
儂の素性を知ったから取りやめるというのは些か困る。
もし、それが真実そうせざるを得ないものであれば、儂は少なくとも大納言の家格に応じた家から嫁を貰わねばならないと言うことになるが、それは如何にも無理があろう。
あの時、そなたは清水の舞台から飛び降りるつもりでと申していた。
もしその気持ちが変わらぬのであれば、後一月半余り、これまでと同じく伴侶の候補としてこの儂を見ていてはくれぬか。
儂もそなたが人として儂にふさわしい女か否か見定める。
その上で許嫁を継続するか否か決めることではどうかな。」
彩華は暫く考え込んだ。
それから、意を決し、居ずまいを正して言った。
「私は、松倉様をお慕い申し上げております。
その気持ちに些かも変わりはございませぬ。
それゆえ、お言葉に甘えとうございます。
当初のお約束通り、三月後に許嫁となすべき女子かどうかをお見極め下さりませ。」
松倉は笑顔を見せて言った。
「そうか、そうしてくれるか。
なれば、このまま白木屋に逗留なさい。
早晩、宗長殿と弥吉殿は岡崎に戻らねばなるまいが、彩華殿はそのまま江戸に残るがよい。
長月半ばには、決着がつこう。
許嫁の話がそのまま残るにせよ破断になるにせよ、彩華殿の身柄は儂が岡崎まで間違いなく送り届ける。」
「はい、松倉様の仰せのようにいたします。」
固唾を飲んで傍で聞いていた宗長と弥吉もほっとしたように笑顔を見せたのである。
◇◇◇◇ 第一章 ー完ー ◇◇◇◇
来週から第二章が始まります。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる