歪んだ家族愛

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家族の話

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【1章:兄】

兄は、3歳から野球を始めた。父が野球好きだったことから、自然と野球に興味を持ったのだと思う。
小学校6年生の頃、チームのエースとして日本一になった。中学生になり、全国常連のチームに入った。全国優勝2回。世界大会優勝。この頃から兄は野球の世界ではちょっとした有名人だった。

朝は6:00~ランニングと素振り。
平日は学校が終わったら、1時間かけて練習に向かい、帰宅するのは22:00頃。
当たり前のように土日も練習か試合。絵に描いたような野球漬けの日々。

夕食時には、白米大盛り3杯。兄は少食だった。それでも泣きそうな顔で必ず食べきっていた。
家の中には、白い湯気が登る白米の写真がデカデカと貼られていた。

ある日、兄は放課後に友達と集まり、サッカーをしていた。たまたま仕事終わりの父が通りかかり、遊んでいたサッカーボールを川に投げ捨て、「そんなことしてないで素振りしろ」と言い放ち、腕を引っ張って兄を連れ帰った。兄はそんな父に怒ることも、泣くこともなく、すぐに素振りを始めた。


【2章 私】

私は幼い頃から、歌うことや踊ることが好きだった。小学校3年生でバレエを習い始めた。何よりも踊っている時間が楽しかった。そんな大好きだったバレエは1年で辞めた。親友がやっていたバスケットボールを始めた。チームで何かを目指すのは新しい楽しさがあった。中学でもバスケットボール部に入り、部長になった。都大会にすらいけないような弱小校だったが、夢中だった。
私にはたった一つだけ目的があったから。
両親の目を引きたかった。兄の野球に熱中する両親に、私のことも見てほしかった。
 
この頃、兄は東京の強豪校に入り、甲子園を目指していた。兄は私の気持ちに気づいていたのか全寮制の高校を選んだ。そんな兄の気持ちが嬉しかった。
 
 
【3章 父】

友人や知り合いは口を揃えて「いいお父さん」だと言った。優しくて、明るくて、子供のためならなんでもしてくれる。
父の本当の姿を知っているのは、家族だけ。
 
父は10人兄弟の長男。貧乏な家庭で育ち、中学にも行けなかった。虐待は当たり前、食事など用意されるわけもなく、近所のパン屋で廃棄をもらっていた。ほどなくしてヤンチャするようになった父も働ける年になってからは、兄弟を養うために仕事をした。毎日のように飲み歩く母親を心の底から恨みながら。そんな家庭で育った父は、“幸せな家族“というものに異常に執着した。
 
一軒家、夫を支える妻、立派な子供、裕福な生活…
 
父は毎日必死に働いていた。それだけは確かだ。
朝から仕事して、そのまま夜勤。そんな中でも家族との時間を大事にした。夜勤明けで遊園地に連れていったり、家族で外食したり、そんな時間が父の原動力だったのだろう。


【4章 母】

キャリアウーマンだった母は、「おかえり、とお母さんが迎えてくれる家庭を作りたい」という父の一言で、仕事を辞めた。父が思い描く理想の家族を作るために。この日から母の仮面生活が始まった。
 
野球に熱中する兄に異常なほど厳しく接する旦那に嫌悪感を持ちながら、何も言わず一歩引いて見守った。野球の道具を無くした兄を殴る旦那を見ても、幼い私を連れて家の外に出て、何も口を出さなかった。そんな様子を近くで見続けてきた私にとって母は「鳥籠の鳥」に見えた。
 
 
【5章 転機】
兄が高校2年の頃、夏の甲子園出場をかけた県大会で決勝まで駒を進めた。初回に2点を取り、7回に1点取られるも、2-1で最終回を迎えた。2アウト2ストライク。あと一球で甲子園。
この時私たち家族はほとんど甲子園球場にいたようなものだった。
 
金属バットがボールを打ちつける爽快な音と共に、夢は崩れ去った。兄のチームは最終回ツーアウトから、逆転され、負けた。
 
その後大学まで野球を続けた兄だったが、全く活躍することなく、野球人生を終えた。大学野球引退の日、試合に出てくることもない兄を家族で応援に行った。試合後に家族のところに来た兄が発した言葉は、「ありがとう」ではなく「ごめん」だった。
 
 
【6章 洗脳】

私たち兄弟は、家族というものに異常な執着を持つ父に育てられ、身についた「当たり前」があった。
父が喜ぶことをする。単純なことだ。
 
兄にとって、プロ野球選手になること以外に道はなかった。強豪校のパイプというのはすごいもので、早慶レベルが入れるような会社に就職した兄だったが、きっと心のどこかでこれではダメだと思っていたのではないかと思う。
入社からちょうど1年経った日、突然会社を辞めた。父は反対していたが、私には父はどこか嬉しそうに見えた。
 
実家を出た兄は、お金を借りてバーを始めた。
 
 
【7章 変化】

兄が全寮制の高校に入り、3人の生活が始まってから、家族の関係は最悪になっていた。毎日のように怒鳴り合いの喧嘩をする両親。大好きな母に強く当たる父が心から憎く、父の死を願ったこともあった。兄が帰省する時だけが、“幸せな家族“に戻る瞬間だった。
 
幼少期から自分はこの家族に必要ないと感じていた私は、毎日どうしたら認めてもらえるのか、どうしたら愛してもらえるのか、とそればかり考えていた。誰よりも家族がきらいだったはずなのに、いつからかそれが私の生きる理由になっていた。
 
運動神経の悪い私は、何のスポーツをしても成績が出せず、頭で戦うしかないと思っていた。言語の勉強をして英語を話せるようになり、進学校に入った。それでも父は兄の野球に夢中だった。
 
高校生だった私は、「俺は元々シェフを目指していた」という父の話を思い出した。
この時、私はやっと見つけたと思った。
 
 
【8章 甘さ】
自分の店を持つため、色んな人に会い、アルバイトで経験を積みながらお金を貯めた。
その頃出会った方に、出資の話をもらった。やっとできた夢を叶えられるチャンスに何の疑いもなく、飛びついた。
 
だが、蓋を開けてみたら飲食店ではなく、夜のお店だった。
甘かった。何も持っていない私にこんな美味しい話があるわけがなかった。
 
やっと見つけた夢を諦め、父に認めてもらうことを諦め、就職を決意した。
 
 
【9章 お金】
私はベンチャーの営業会社に就職した。
大手でもない、誰も名前も知らない会社。父は反対していた。
何社も受けることを面倒だと思っていた私は、1社目に受けた会社に即決した。
 
これまでの人生で、兄のように夢中になって努力したこともなければ、何かで1番になったこともない。
 
同期は30名ほど。
はじめは、またどうせ中途半端な成績で、そこそこの私だろうと思っていた。
 
入社から半年、がむしゃらに働いて誰よりも時間をかけて、同期で1番になった。何よりも嬉しかった。人に認められる、こんなに気持ちいいことはなかった。そこから会社の期待に応えるように先輩社員全員を超えて、社内のトップ営業マンになった。
 
よく部下や先輩に「なんでそこまで頑張れるのか」と聞かれた。
「何をするにもトップじゃなきゃ気が済まない」と表向きの回答をしていたが、本当の答えは単純だった。
 
認めてもらいたかった。
 
営業会社だったこともあり、たくさんお金を稼いだ。
誰かに認められていること、必要とされていることを数字で表してくれるのが、私にとっては年収だった。感情や言葉なんかよりも単純明快に私を認めてくれる。両親でも友人でも恋人でもなく、何よりも私を幸せにしてくれたのはお金だった。
 
 
【10章 反動】
私は入社半年で一人暮らしを始め、毎日仕事に打ち込んだ。
ハードワークを理由に続々と退職していく同期や部下が理解できなかった。友人と遊ぶ時間や恋愛なんかよりも、私の心を満たしてくれる仕事に夢中だった。
 
久しく会っていなかった兄と食事に行った。兄はバーを2店舗経営して、分かりやすくお金持ちになっていた。私たち兄弟は、お金というもので父に認めてもらおうとしたのだろう。
案の定、父は成功した私たちを見て、とても嬉しそうだった。家族の時間が少しずつ増え、険悪な空気は薄れていった。
 
そして、両親に食事をご馳走したとき、父は初めて面と向かって、私を褒めた。最高の気分だった。高校に合格したときなどの、表面的な言葉ではない、心からの言葉だと分かったからだ。
 
しかし、同時にやりがいを失った。
父に認められたい、というたった一つの願いを叶えた私にとって、もう叶えたいものなどなくなっていた。
 
 
【11章 哀れみ】

仕事中に、突然兄から連絡がきた。
文面を見て、私は硬直した。内容は「お金を貸してほしい」というものだった。
ずっと背中を追っていた憧れの兄から、頼られた。それも、私が唯一持っているお金というモノを求めて。
夜の世界で華々しく成功したと思っていたが、現実はそんなことはなかった。
数千万の借金を抱え、人に騙され、頼るところも尽き、一番頼りたくないであろう私を頼ってきたのだった。
 
仕事が終わるのは23:00頃。それまで会社の外でずっと待っていた兄に、100万円を手渡した。
見たことのない顔をしていた。絶望と恥ずかしさを感じる哀れな姿だった。
 
 
【12章 逆転】
兄がそんな状態になっているとは知らない父だったが、この頃から夜の世界で働く兄のことを悪く言い始めていた。昼の世界でまっとうにお金を稼ぐ私と夜の世界で汚れたお金を稼ぐ兄を比べていたのだろう。
 
兄は、プロ野球選手になれなかった自分を恥じていたように思う。
だからこそ、お金という分かりやすいもので家族を喜ばせようとしていた。そして、後戻りができなくなった。
 
兄は借金を返すため、新しい事業を始めたり、仕事を掛け持ちしたり、必死だった。それでも、夜の世界は兄のような心の綺麗な優しい人間に冷たい。信頼していたビジネスパートナーにまたも裏切られ、借金が倍になった。
 
完全に幼いころの私と兄の立場が逆転したようだった。
 
 
【13章 親子】
仕事を始めてから気づいたことがあった。私は父と似ている。
部下に対して持つ感情や仕事に対する考え方が父と全く同じだった。
仕事ができる父だったが、従業員はいなかった。父の思想についていけず、すぐに辞めてしまうからだ。私も同じだった。トップ営業マンだった私のチームに入りたいと言ってくれる子は多かったが、ことごとくみんな辞めていった。どれだけ時間を使っても、気持ちを込めても結果は同じだった。
上司には、お前は自分にベクトルが向いている、と言われていた。お前のゴールは、部下が育つことではなく、部下を育てることができる自分を評価してもらうこと、だと。
 
その通りだった。
承認欲求が高い私にとって、お金と同じように、部下も自分を満たす道具になっていたのだろう。
 
これに気付いたとき、はっとした。
父にとっては、それが私たち家族だったのだと。
 
 
【14章 罪】
自分を認めてもらえる環境に居続けたかった私は転職することもなく、相変わらず仕事に明け暮れていた。
 
そしてその頃、兄が逮捕された。
 
両親から聞かされた時、怒りや悲しみの感情が一気に湧いた。同時に、父の過度な期待と母の弱さが兄に罪を犯させたとも思った。
 
そして、この日を境に家族の絆は深まった。
真実を知ったからだ。
 
兄は父の実の子供ではなかった。母の連れ子で、1歳の頃再婚したらしい。
大手に務めているわけでもない、シェフを志す低収入の父との再婚を皆が反対した。実の子でもないのに、愛せるわけがない、と言った人もいた。
それでも父は諦めなかった。シェフの夢を諦め、やればやるだけ稼げる職人に転職し、家族を幸せにするためだけに働いた。
母は、そんな父の優しさを知っていたが故、何も言えなくなってしまったのだ。
実の子供ではない兄が出来損ないになれば、自分が父親になったせいだと思われてしまう。兄を何としても「立派な息子」にする必要があったのだ。
 
この真実を知り、父がかわいそうだと思った。
同時に、そんな親のエゴで出来上がった兄の心も真っ暗だと思った。
 
あとから聞いた話だが、兄は夜の仕事を始めてから「普通になりたい。」と周囲に漏らしていたらしい。
 
 
【15章 家族】
家族とは不思議なものだ。
子どもの幸せを誰よりも願うはずの親が、招いた悲劇。
何歳になっても、親に認められたいと思い続ける子ども。
親は子供に対して、無償の愛を持つというが、果たしてそれは親だけなのだろうか。
子どもの親への愛は、もっとはるかに大きなものなのではないだろうか。
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