青い炎

瑞原唯子

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7. おまえと結婚するわけには

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 今日から悠人は高校生だ。
 同級生の大半がそうであるように、悠人も有栖川学園高等部の普通科に内部進学した。入学試験はなく、一定の成績を収めていれば進学できるようになっている。制服や場所が中等部とあまり変わらないこともあり、進学した実感は希薄だったが、七割近くが外部生のためか新鮮な雰囲気は感じていた。
 入学式が終わると、校門付近は真新しい制服に身を包んだ新入生たちで賑やかになった。内部進学生の親は基本的に入学式に来ないことになっているので、親と一緒にいるのは外部生だろう。
「外部生って、なんか初々しいよな」
 校門の脇で嬉しそうに記念撮影する親子を横目で見ながら、大地はくすっと笑った。
 彼もまた有栖川学園高等部の普通科に内部進学しており、悠人とはクラスも同じである。なぜか中等部のときから一度も別のクラスになったことがない。そのことを不思議がっていたら、僕と悠人が別のクラスになるはずないだろう、と大地が当然のように言っていたので、もしかしたら学校側に頼んでいるのかもしれない。知らない方がいい気がしたのであえて尋ねなかったが。
「あ、来てるな」
「えっ?」
 いつものように橘の家に行くものとばかり思っていたが、大地は校門からすこし離れたところに止まっていた黒塗りの車に、軽く手を上げながら足早に近づいていった。すぐさま運転席からスーツを着た男性が出てきて、後部座席の扉を開いて丁寧に一礼する。ありがとう、と大地はにこやかに言って後部座席に乗り込むが、悠人はわけがわからず困惑して立ちつくした。
「なにやってるんだ、早く乗れよ」
「…………」
 すこしくらい説明してくれてもいいだろう——彼の自己中心的な態度には少なからず立腹させられたものの、いつものことであり、とりあえず言われるまま素直に乗り込むことにする。大地ならそうおかしなことは企んでいないはずだ。警戒心は強い方だが、疑いもせずそう思うくらいには彼のことを信用していた。

「ここは……」
 秘密のまま二十分ほど車で走って連れてこられたところは、川沿いの桜並木だった。まだ咲き始めで満開にはほど遠い。それでもビニールシートを敷いて花見をしている人たちがちらほらいる。平日の昼間だからか、花見には早いからか、みっともない酔っぱらいの姿は見当たらない。
「おまえ、花見したことないだろう?」
「桜を見たことくらいはある」
 つい可愛げのない子供のような反論をしてしまったが、彼の言うとおりいわゆる花見はしたことがない。学校や公園に咲いているのを、通りがかりに横目で眺めていたくらいである。それでも十分満足していたし残念に思ったことはない。むしろ、ただ大騒ぎするだけの花見宴会には嫌悪感を覚えていた。
 だが、こうやって落ち着いたところで桜並木を眺めるのは悪くないと思う。満開になったらきっと絵に描いたような圧巻の光景になるのだろうが、咲き始めも生命の息吹が感じられて美しい。ひとりでわざわざ見に行こうとは思わないので、ここに連れてきてくれなければ見られなかった。
 ただ、大地がどういうつもりなのかは今ひとつわからない。
「花見をするためにわざわざ車でここまで来たのか?」
「花火大会もまだ行けてないし、花見くらいはと思ってさ」
 大地は桜並木を仰ぎ見ながらそう言うと、振り向いてニコッと笑う。
 花火大会——その言葉を聞いて悠人はわずかに目を大きくした。いつか一緒に花火大会に行こうと彼に言われたのは、中学一年生のときである。だが、二年生のときも三年生のときも誘われなかった。どちらのときも大地には彼女がいたので期待していなかったし、そもそもとっくに忘れているだろうと思っていたのに。
「あ、ちょっと待ってろよ」
 大地は土手の上に露店を見つけると、黒髪をさらりとなびかせながら小走りで石段を駆け上り、迷う様子もなく何かを買って戻ってきた。その手にあったのは缶のお茶と透明なパックに入った桜餅である。
「その辺で座って食べよう」
 大地が指さした桜の木の傍らに二人並んで腰を下ろした。何も敷いていないが、乾いた草の上なので新しい制服が汚れることはないだろう。
 二人はそれぞれプルタブを空けてお茶をひとくち飲むと、小ぶりな桜餅をひとつずつ手に取った。桜餅は今までにも何度か食べたことはあるが、外で桜を見ながらというのは初めてで新鮮だ。塩漬けの桜の葉がやわらかく、上品な甘さの小豆あんとの相性もとても良い。
 無心で平らげて隣を見ると、大地もちょうど最後の一口を食べたところだった。指先をハンカチで拭い、そのまま川沿いの桜並木をぼんやりと眺め、缶のお茶をひとくち飲んでからぽつりと言う。
「本当は満開のときに連れてきたかったけど、もう返事するからさ」
 彼はいま何人かから告白されて返事を保留している。そのうちの誰かと付き合うつもりなのだろう。だから悠人を優先できるのは今のうちというわけだ。さらさらと川の流れる音がやけに耳障りに感じ、お茶の缶を持つ手に力がこもる。
「いいかげん女をとっかえひっかえするのはやめろよ」
「ひどい言われようだな」
 大地は悪びれもせず軽く笑いながらそう言うと、前を向いたまま言葉を継ぐ。
「僕としては真面目に付き合ってるつもりだけどね。続かないだけで」
 彼はこれまで先輩後輩を問わず数多くの女子と付き合ってきたが、長く続いたためしはない。短いときは一週間くらい、だいたいは一ヶ月ほど、長くても三ヶ月に満たない。いずれも女子の方から告白されて、大地から別れを切り出しているようだ。
 だが浮気や二股のような不誠実なことは決してしないので、真面目に付き合っているというのも間違いではない。乗り換えたと誤解されないよう、別れてから次に付き合うまで三週間ほど空ける配慮もしている。現彼女についても、元彼女についても、他人に言うべきでないことはわきまえて口をつぐんでいる。
 続かないのは、喧嘩別れとか心変わりとかいうわけではなく、大地が早々に見切りをつけるからである。自分が求めているのはこのひとではないと。
「好きでもない女と軽率に付き合うからだろう」
「付き合ってみないと相性なんてわからないよ」
 そう言われると一理ある気はする。
 それでもやはり好きでもない女と付き合うなど納得できない。もちろん好きになれるかもしれないから付き合うのだろうが、いままで出会えてないのだから、もうそろそろあきらめた方がいいのではないかと思う。そこまで努力する価値があるのか甚だ疑問だ。
「別に彼女なんかいなくてもいいんじゃないか?」
「ま、悠人といる方が楽しいのは楽しいけどな」
 思わぬ返答にドキリとした。屈託のない彼の笑顔を目にして、奥歯を噛みしめる。
 大地はいつも悠人より彼女との時間を優先する。しかし、彼女がいないときは必ず悠人と過ごしていた。誰と付き合っても結局は悠人のところへ戻ってくるのだ。短期間で見切りをつけられてしまう彼女たちとは違う。それが悠人の矜持だった。
 それでも放置されて寂しい気持ちがないわけではない。自分より彼女の方を優先されて面白いはずがない。身勝手な願望はずっと自分ひとりの胸に秘めてきた。けれど、彼女といるより自分といる方が楽しいと、本当にそう思ってくれているのなら——。
「だったら……ずっと、僕といればいいだろう」
 沈黙が落ちた。
 川の流れる音が耳にこびりつく。
 遠くで誰かの笑う声が聞こえる。
 自分たちの時間だけが止まっていた。
「……あのさ」
 感情の見えない声がそれを破る。
「一応、僕はこれでも橘財閥の後継者なんだよね。父さんにもそのつもりでいろと言われてる。僕としては興味もないし面倒でしかないけど、一人息子だし継がないわけにもいかない。だからいずれは結婚しないといけなくて」
「えっ?」
 怪訝に振り向いた悠人を、大地はいたずらっぽく口もとを上げて覗き込む。
「おまえと結婚するわけにはいかないだろう?」
「……当たり前だ」
 それは言うまでもない自明のことだ。しかしながら意識したのは初めてで、思い知らされた現実に胸がざわめく。何も結婚を望んでいるわけではない。ただ悠人では決して彼の一番になれないのだと、引導を渡されたような気がした。
 大地は後方に手をつき、薄い雲のかかった空を大きく見上げる。
「だから別で探すしかないんだよ」
「……結婚相手を?」
「年頃になればそれなりの見合い話はあるだろうね。でも、僕はそれじゃ嫌なんだ。赤い糸なんて信じてるわけじゃないけど、信じたくなるくらいの運命の相手がきっとどこかにいると思う。いないなんて決めつけてあきらめたくない。とっかえひっかえしてでも探したいってこと」
 そう言い切ると、悠人に振り向いてニッと笑った。
「おまえが女なら話は早かったんだけど」
「馬鹿を言うな」
 人の気も知らないでふざけたことを——悠人は奥歯を噛み、横目で苦々しく大地を睨めつける。
 だが、彼がそこまで真面目に考えて付き合っているとは思わなかった。この年齢で結婚まで意識している人はそういない。彼は意識せざるをえない立場にいるということだ。表には出さないが、財閥御曹司として求められることも多く何かと大変なのだろう。
「見つかるといいな」
 ゆっくりと膝を抱え、胸に鈍い疼きを覚えながらもそう言った。
 大地は無表情で遠くを見やったまま口を開く。
「心にもないことを」
「……少しは思ってる」
 春にしては強い陽射しを受けて足先がじりじりと焦がされた。唇をむすんでいると、ゆるやかな風が優しくなでるように頬をかすめていく。頭上では、ほころび始めた桜の花が音もなく揺れていた。
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