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第24話 一生の枷
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「僕の学費とか生活費とか遥が出してるって本当?!」
七海が切羽詰まったように扉を叩いて遥を呼ぶので、どうしたのかと扉を開けると、何の前置きもなくいきなりそう詰め寄ってきた。体が触れそうなほど近い。そのうえ答えを催促するようにじっと目を見つめてくる。
「とりあえず入って」
「うん……」
動揺を見せることなく無表情のまま部屋に招き入れると、うつむき加減になった彼女の白いうなじを目で追いながら、ひそかに溜息をついた。
日に日に春めいていく三月下旬。
七海は第一志望である国立大学に合格し、先日入学手続きを終えた。この家から通えるので下宿先を探す必要もなく、また高校の卒業式も終わったので、のんびりと羽を伸ばしているところである。
昨日は肩胛骨あたりまで伸びていた髪をばっさりと切ってきた。出会ったころよりすこし長めの女性的なショートボブである。特にこれという理由があってのことではなく、気分的なものらしい。
今日は中学からの友人である二階堂とランチブッフェに出かけた。二人は同じ大学の別学部に進学する。ようやく受験から解放されたので、パーッと何か食べに行こうという話になったようだ。
決して対抗しているわけではないのだが、遥は忙しいなか定時で仕事を切り上げて帰宅し、七海と夕食をともにした。そのとき剛三がいつ帰ってくるかを気にしていたので、おそらくは——。
「で、その話は誰に聞いたの?」
「剛三さん」
ティーテーブルの用意が調うと、遥はひとまず熱い紅茶で一息ついてから尋ねた。向かいから返ってきたのは予想どおりの答えだ。余計なことを、と内心舌打ちしつつも表情は動かさない。
「七海を引き取りたいと言ったのは僕なんだ。じいさんは責任を持って面倒を見るならと名前を貸してくれただけ。だから僕が七海の保護者として金銭の負担もしている。それだけのことだよ」
「それだけ……」
七海はぽつりとつぶやいて微妙な面持ちになった。そのまま無言で何か思案をめぐらせていたかと思うと、ふいに強い意志を感じさせるまなざしを遥に向け、凛然と言う。
「僕にいくらかかったか教えて」
「そんなこと聞いてどうするの」
「返済計画を立てるんだ」
ティーテーブルの上でこぶしを握り、そう意気込む。
そんなことだろうと思っていたので驚きはしなかった。ただ七海は頑固だ。自分でこうだと決めたことはなかなか譲ろうとしない。だが、こちらとしてもそればかりは聞けない話である。
「返してなんかいらないからね」
「そういうわけにはいかない」
案の定、強く食いぎみに言い返してきた。ティーテーブルの上でこぶしに力がこめられたせいか、彼女のミルクティーはこぼれそうなほど水面が揺れている。
遥はゆったりと椅子にもたれて腕を組んだ。
「普通は返済するものじゃないよ」
「普通なんて関係ないじゃん」
「僕が返していらないと言っている」
「僕は返したいんだ」
七海は一歩も引かない。しかし、何かに気付いたようにあっと小さな声を上げると、急にあたふたとして落ち着きなく弁解を始める。
「別に遥だから返すってわけじゃないよ。最初は剛三さんに返すつもりだったし。さっきその話をするために剛三さんのところへ行ったら、お金を出してるのは遥だって教えてくれて……だから……」
剛三は軽率に口を滑らせたわけではなかったようだ。そういう状況であれば言わざるを得ない。それについて対処するのは当然ながら遥の役割である。
「ねえ、七海」
おもむろに呼びかけて腕組みを解き、腿に手を置く。
「僕は正直言って金銭的に何も不自由していない。七海に使ったお金なんて僕にとってははした金だ。返してもらったところで意味がないんだよ」
「遥に意味があってもなくても関係ない。僕が返したいんだ」
七海は前のめりで訴える。
これではいつまでたっても平行線のままだ。こちらの意見には聞く耳を持たず、ただ返したいの一点張りなのだから。遥はあたたかい紅茶を飲んで気持ちを整えると、七海を見つめて問いかける。
「どうしてそんなに返すことにこだわるの?」
「こだわるっていうか……」
七海は曖昧に目を伏せて考えながら、言葉を継ぐ。
「僕は親がいないのに恵まれすぎなくらい恵まれてる。何もかも橘の家に甘えてさ。だから返せるものだけでも返したいって思うんだ。そうじゃなきゃこれから自立して生きられない気がする」
「……わかった」
気持ちの問題である以上、完全に説得することはほぼ不可能だと言っていい。もちろん遥が受け取らなければ返済できないのだから、強硬に突っぱねてしまうこともできなくはないが——。
「七海が就職したら月一万ずつ返してもらう」
「月一万……うーん、それじゃ少なくない?」
「さあ、どうかな」
感情を隠したまま白々しくとぼけて、間をおかずに続ける。
「でも返していらないのに無理やり返そうっていうんだから、返済方法くらいはこちらに従うべきだと思うよ。それが気に入らないのなら一円たりとも受け取らない」
「なんだよそれ」
七海は思いきりむくれた。それでも自分のほうが折れるしかないと悟ったのか、あきらめたように投げやりな溜息をつく。
「わかったよ」
「さっきも言ったけど、返済は七海が就職して社会人になってからだ。学生のうちは働かないでしっかり勉学に励んでほしい。約束だよ」
奨学金でも在学中の返済はたいてい猶予されるのだから、おかしな話ではない。むしろきわめて一般的な配慮といっていいだろう。しかし、七海はなぜか眉をひそめて困惑を露わにする。
「でも、バイトしないとひとりで生活できないんだけど」
ひとりで生活——?
一瞬、何の話かと怪訝に思ったが、そのあとすぐに気が付いた。
七海は成人したらこの家を出ていくつもりでいるのだ。彼女がこの家に来たころ、保護者として二十歳まで面倒を見るという話をしたので、二十歳で出ていかなければと考えているのだろう。
だが、遥としてはそれ以降も変わらず面倒を見るつもりでいた。ましてや追い出すつもりなど微塵もなかった。むしろずっとそばにいてほしいとさえ思っているのに。祖父も出ていけとは言わないはずだ。
「学生のうちはここにいればいい。学費も出すよ」
「え……でも、それじゃあ……」
「その分もあとで返済してくれるんだろう?」
甘えたくないと頑なになっている七海のためにそう投げかけると、彼女はひとり百面相をしながら考え込み、やがて渋々といった様子ながらもどうにか受け入れてくれた。
「じゃ、僕にいくらかかったか教えてくれる?」
「七海が就職するときに確定額を書面で出すよ」
「現時点でどのくらいか知りたいんだけど」
「返済は月一万って決まったからもういいよね」
返済計画を立てるために教えてほしいといったのは、他でもない七海である。返済計画が決まったのなら教える必要はないはずだ。けれども彼女としては納得がいかなかったらしく、むうっと口をとがらせる。
「でも、やっぱ総額がどのくらいか気になるし」
「面倒な作業だから何度も出したくないんだよ」
「……そっか」
面と向かって面倒だと言われたら引き下がるしかないだろう。伏し目がちにぽつりとつぶやくと、放置していたミルクティーにようやく口をつけ、気を取り直したように小さくほっと息をつく。
「返し終わるまで何年くらいかかるのかなぁ」
「七海も僕もうんと長生きしないといけないね」
「え?」
七海はきょとんとして顔を上げた。
返したいなんて意地を張らなければこんなことにはならなかったのに——遥はひどく身勝手なことを思いながら、彼女の目を見つめてティーテーブルに頬杖をつき、艶めいた笑みを唇にのせる。
「一生、僕から離れられないよ」
「…………」
七海はグッと言葉に詰まり、ほんのりと頬を上気させながら恨めしげに遥を睨んだ。
七海が切羽詰まったように扉を叩いて遥を呼ぶので、どうしたのかと扉を開けると、何の前置きもなくいきなりそう詰め寄ってきた。体が触れそうなほど近い。そのうえ答えを催促するようにじっと目を見つめてくる。
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「うん……」
動揺を見せることなく無表情のまま部屋に招き入れると、うつむき加減になった彼女の白いうなじを目で追いながら、ひそかに溜息をついた。
日に日に春めいていく三月下旬。
七海は第一志望である国立大学に合格し、先日入学手続きを終えた。この家から通えるので下宿先を探す必要もなく、また高校の卒業式も終わったので、のんびりと羽を伸ばしているところである。
昨日は肩胛骨あたりまで伸びていた髪をばっさりと切ってきた。出会ったころよりすこし長めの女性的なショートボブである。特にこれという理由があってのことではなく、気分的なものらしい。
今日は中学からの友人である二階堂とランチブッフェに出かけた。二人は同じ大学の別学部に進学する。ようやく受験から解放されたので、パーッと何か食べに行こうという話になったようだ。
決して対抗しているわけではないのだが、遥は忙しいなか定時で仕事を切り上げて帰宅し、七海と夕食をともにした。そのとき剛三がいつ帰ってくるかを気にしていたので、おそらくは——。
「で、その話は誰に聞いたの?」
「剛三さん」
ティーテーブルの用意が調うと、遥はひとまず熱い紅茶で一息ついてから尋ねた。向かいから返ってきたのは予想どおりの答えだ。余計なことを、と内心舌打ちしつつも表情は動かさない。
「七海を引き取りたいと言ったのは僕なんだ。じいさんは責任を持って面倒を見るならと名前を貸してくれただけ。だから僕が七海の保護者として金銭の負担もしている。それだけのことだよ」
「それだけ……」
七海はぽつりとつぶやいて微妙な面持ちになった。そのまま無言で何か思案をめぐらせていたかと思うと、ふいに強い意志を感じさせるまなざしを遥に向け、凛然と言う。
「僕にいくらかかったか教えて」
「そんなこと聞いてどうするの」
「返済計画を立てるんだ」
ティーテーブルの上でこぶしを握り、そう意気込む。
そんなことだろうと思っていたので驚きはしなかった。ただ七海は頑固だ。自分でこうだと決めたことはなかなか譲ろうとしない。だが、こちらとしてもそればかりは聞けない話である。
「返してなんかいらないからね」
「そういうわけにはいかない」
案の定、強く食いぎみに言い返してきた。ティーテーブルの上でこぶしに力がこめられたせいか、彼女のミルクティーはこぼれそうなほど水面が揺れている。
遥はゆったりと椅子にもたれて腕を組んだ。
「普通は返済するものじゃないよ」
「普通なんて関係ないじゃん」
「僕が返していらないと言っている」
「僕は返したいんだ」
七海は一歩も引かない。しかし、何かに気付いたようにあっと小さな声を上げると、急にあたふたとして落ち着きなく弁解を始める。
「別に遥だから返すってわけじゃないよ。最初は剛三さんに返すつもりだったし。さっきその話をするために剛三さんのところへ行ったら、お金を出してるのは遥だって教えてくれて……だから……」
剛三は軽率に口を滑らせたわけではなかったようだ。そういう状況であれば言わざるを得ない。それについて対処するのは当然ながら遥の役割である。
「ねえ、七海」
おもむろに呼びかけて腕組みを解き、腿に手を置く。
「僕は正直言って金銭的に何も不自由していない。七海に使ったお金なんて僕にとってははした金だ。返してもらったところで意味がないんだよ」
「遥に意味があってもなくても関係ない。僕が返したいんだ」
七海は前のめりで訴える。
これではいつまでたっても平行線のままだ。こちらの意見には聞く耳を持たず、ただ返したいの一点張りなのだから。遥はあたたかい紅茶を飲んで気持ちを整えると、七海を見つめて問いかける。
「どうしてそんなに返すことにこだわるの?」
「こだわるっていうか……」
七海は曖昧に目を伏せて考えながら、言葉を継ぐ。
「僕は親がいないのに恵まれすぎなくらい恵まれてる。何もかも橘の家に甘えてさ。だから返せるものだけでも返したいって思うんだ。そうじゃなきゃこれから自立して生きられない気がする」
「……わかった」
気持ちの問題である以上、完全に説得することはほぼ不可能だと言っていい。もちろん遥が受け取らなければ返済できないのだから、強硬に突っぱねてしまうこともできなくはないが——。
「七海が就職したら月一万ずつ返してもらう」
「月一万……うーん、それじゃ少なくない?」
「さあ、どうかな」
感情を隠したまま白々しくとぼけて、間をおかずに続ける。
「でも返していらないのに無理やり返そうっていうんだから、返済方法くらいはこちらに従うべきだと思うよ。それが気に入らないのなら一円たりとも受け取らない」
「なんだよそれ」
七海は思いきりむくれた。それでも自分のほうが折れるしかないと悟ったのか、あきらめたように投げやりな溜息をつく。
「わかったよ」
「さっきも言ったけど、返済は七海が就職して社会人になってからだ。学生のうちは働かないでしっかり勉学に励んでほしい。約束だよ」
奨学金でも在学中の返済はたいてい猶予されるのだから、おかしな話ではない。むしろきわめて一般的な配慮といっていいだろう。しかし、七海はなぜか眉をひそめて困惑を露わにする。
「でも、バイトしないとひとりで生活できないんだけど」
ひとりで生活——?
一瞬、何の話かと怪訝に思ったが、そのあとすぐに気が付いた。
七海は成人したらこの家を出ていくつもりでいるのだ。彼女がこの家に来たころ、保護者として二十歳まで面倒を見るという話をしたので、二十歳で出ていかなければと考えているのだろう。
だが、遥としてはそれ以降も変わらず面倒を見るつもりでいた。ましてや追い出すつもりなど微塵もなかった。むしろずっとそばにいてほしいとさえ思っているのに。祖父も出ていけとは言わないはずだ。
「学生のうちはここにいればいい。学費も出すよ」
「え……でも、それじゃあ……」
「その分もあとで返済してくれるんだろう?」
甘えたくないと頑なになっている七海のためにそう投げかけると、彼女はひとり百面相をしながら考え込み、やがて渋々といった様子ながらもどうにか受け入れてくれた。
「じゃ、僕にいくらかかったか教えてくれる?」
「七海が就職するときに確定額を書面で出すよ」
「現時点でどのくらいか知りたいんだけど」
「返済は月一万って決まったからもういいよね」
返済計画を立てるために教えてほしいといったのは、他でもない七海である。返済計画が決まったのなら教える必要はないはずだ。けれども彼女としては納得がいかなかったらしく、むうっと口をとがらせる。
「でも、やっぱ総額がどのくらいか気になるし」
「面倒な作業だから何度も出したくないんだよ」
「……そっか」
面と向かって面倒だと言われたら引き下がるしかないだろう。伏し目がちにぽつりとつぶやくと、放置していたミルクティーにようやく口をつけ、気を取り直したように小さくほっと息をつく。
「返し終わるまで何年くらいかかるのかなぁ」
「七海も僕もうんと長生きしないといけないね」
「え?」
七海はきょとんとして顔を上げた。
返したいなんて意地を張らなければこんなことにはならなかったのに——遥はひどく身勝手なことを思いながら、彼女の目を見つめてティーテーブルに頬杖をつき、艶めいた笑みを唇にのせる。
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