異世界課の『元』魔王

キザキ ケイ

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本編

25.理解

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 行き着く先はやはりマオの住む社宅だった。
 当然のように上がり込みキッチンへ直行するユウに惣菜の入った袋を奪われ、マオは手持ち無沙汰に座椅子へ座り込む。
 寝に帰るだけの家には客用座布団などない。
 せっかく出かけたのだから何か買ってくればよかったと思ったが、後の祭りである。
 いや、そもそもなぜ勝手に上がり込むユウのためのものをマオが用意してやらねばならないのか。
 ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にか小さなテーブルいっぱいに料理が並んでいた。
 乗り切らなかった取り皿は手で持って運用するらしい。

「ほら食え」
「ありがとうございます」

 どの品もひとくちずつ取ってみたが美味だった。
 それになにより、きちんと炊いたご飯と味噌汁が美味しい。
 マオの家にはかろうじてコンロとレンジがあるのみで、まともな調理器具どころか炊飯器もなかった。
 苦言を呈され急いで買ってきた、彼曰く「不安になるくらい安い」炊飯器はしっかりと役目を果たしてくれているらしい。炊飯器ひとつあれば料理の幅が広がるとはユウの言だ。
 味噌汁はインスタントだそうだが、食に疎いマオはただ美味しいとしか感じない。

「あなたはご存知ないでしょうが、魔族領の一部には日本のコメのような作物を食べる地域があったんです。税として城に収められる一時期だけ、夕食にご飯やお餅のような料理が並ぶことがあって、こちらに来たときも親しみを感じました」
「そうだったのか。だがさすがに味噌汁はなかったろう?」
「それがそうでもないんです。魔族領北端に険しい山脈があるのを知っていますか? あの地でのみ採れる根菜を入れたスープが、不思議なことに味噌のような風味があって、ご飯といっしょに食べることがありました。ただ部下の受けはあまり良くなかったですね」
「外国人が味噌や納豆が苦手というのと同じようなものか」
「味噌は、国外の方も意外と好きみたいですよ? あのスープが不評だったのは、色がひどかったからですね……」

 少ししか食べられないマオが残したぶんはすべてユウの胃袋に収まった。
 皿洗いの仕事だけは死守して卓上を片付け戻ると、ユウは本を読んでいた。
 マオが読み終わった「異世界モノ」のライトノベルだ。

「こういう本が好きなのか」
「仕事の役に立てば、と買い集めたのですが、今では趣味兼用です。意外と面白いですよ」
「それにしては本棚が、ラノベと推理小説で二分されているが」
「こちらは仕事に関係ない趣味ですね」

 文庫本を持つユウの指は長い。
 立てた片膝に肘を置いて、空いた方の手で暇そうに自身の長い金髪をいじるさまは一幅の絵画のようだ。
 もっとも読んでいるのは、ユウから交際を申し込まれたマオが悩んだ末に頼った恋愛重視系異世界モノなので、いまいち決まりきらない。

「恋愛感情に疎いのに、こういう本を読むものなのか」

 ユウはかなりのスピードでページをめくりながらなにやらつぶやいている。
 本を読むだけで人間らしい感情を理解できたら苦労はない。

「私こそ伺いたいです。恋ってどういう気持ちなのですか?」
「む……」

 ユウは黙った。ページを繰る手も止まる。

「他のものに渡したくないと思うことから始まった、と思う……俺の場合だが」
「どういうことです?」
「神殿に監禁されていたアンタを、他のやつに渡したくないと思ったんだ。俺がアンタを諦めたら、つまり……アンタに子を作らせる役目を放棄したら、次は別の誰かがアンタに触れるのかと考えると……怒りのような、悲しみのような感情が沸き起こって仕事が手につかなくなった。妃にも指摘された。それくらい、乱されるものだ」
「はぁ。王妃さまとのときもそうだったのですか」
「言ったろう、妃とは完全な政略結婚だった。家族としての情はあったし、子を成す程度には愛もあったが、恋はしていなかった」

 いつしかユウはじっとマオを見つめていた。
 彼の話を聞くことで、なんらかの反応や感情がマオに起こることを期待しているのかもしれない。
 しかし今のところピンとこないとしか言いようがなかった。
 そもそもあの頃のマオはユウのものではなかったのに、他に渡したくないという考え自体不思議な発想だ。
 では現在はどうか、と考える。
 状態だけ見れば、マオは現在ユウのものである。
 他者が「付き合う」という状態になったとき、ふたりの間にはある種の占有権が発生する。交際相手以外に恋情を抱いたり、自身を交際相手以外に触れさせたりすれば「浮気」となる。
 つまり現在ユウは、マオ以外に恋情を抱かない状態。

(そのうえで彼が、私以外を好きになるとしたら……)

 ……。
 あまりに想像できなくて、マオはぽかんと宙を見上げた。
 仕事上、ユウは当然職場の仲間や客先と交流を持つ。コミュニケーションを円滑にするため笑顔を向けるし、親密に振る舞うこともある。
 しかし彼は比較的愛想がないほうで、業務外ではにこりともせず、同僚などからあからさまな好意を向けられると拒絶するらしいと、噂好きの後輩が悪しざまに言っていた。
 一方で、以前からユウはマオにやたらと絡んできていた。
 同じ課とはいえ係が違えば接点を持つのは難しいものなのだが、ユウには廊下ですれ違うたび声をかけてきていた。
 マオが残業していると現れて、早く帰るよう叱責されたり、送っていくかと誘われたりすること多数。休憩中に食事に誘われ、応じるようになるとマオの昼食に文句をつけつつ餌付けのように食べ物を渡してこようとしていた。
 一番ハラハラしたのは、別の者マオと昼食をとるからと言って同僚の誘いを断っているのを聞いてしまったときだ。
 あのときはさすがに、職場内関係の円滑化のためにも同僚と昼食に行くべきと諭したが、まるで聞こえないかのように無視された。

「えぇと、もしかして、その。恥ずかしいので否定してもらえると助かるのですが」
「なんだ」
「あなたって結構、私のこと……好き、なんですね?」

 言ってから、羞恥に体温が上がったのがわかった。
 こんなセリフ、ラノベの中でもなかなかない。あまりに自信過剰な発言だ。
 そもそもラノベの世界観でこのセリフを正面から否定されたら、その時点で物語終了するレベルだろう。否定していいのはツンデレヒロインだけだ。
 もしかしてユウがツンデレの可能性もある、と訳のわからない現実逃避をしそうになったところで、マオは不意に肩を押された。
 なんの構えもしていなかったマオの体はころりと仰向けに転がる。
 その上に、ユウが覆いかぶさった。
 丸い電灯の光が遮られ、逆光で黒っぽい顔のユウが真上にいる。ちょっと睨まれている気がする。

「考えてみたらそこからなんだな」
「な、なんでしょう?」
「恋愛感情がわからないのなら、俺がアンタをどれだけ好きか、どれだけ我慢しているかも、理解されてないってことだろう」
「はぇ……」
「ここにある本の中に、こういう状況になったときこの後どうなるか、書かれているものはあったか?」

 あった。
 そういう作品はだいたい、始まってしまうのだ。
 とても女児には読ませられないような、大人同士がお付き合いをしているとはどういうことか思い知らせるようなことが。

「俺はアンタを求める。応えてくれ、真央」

 そう言われると弱い。
 いつもよりゆっくりと近づいてくる唇を、マオは避けることができなかった。
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