異世界課の『元』魔王

キザキ ケイ

文字の大きさ
26 / 42
本編

26.懇願

しおりを挟む
 文章でキスシーンを読むときどう書かれているかというと、「キスをした」とか「唇を重ねた」とか。「吐息を奪われる」なんて詩的な表現を見かけることもある。
 呼吸を奪われるのは怖いな、と一瞬感想が浮かぶものの、それがどういう行為なのか深く考えたことは一度もなかった。
 この世界に来て、妙にマオに執着する男がキスを仕掛けてきたことがある。
 それは人体において露出している数少ない粘膜的皮膚に同じものを重ねるという、ただそれだけの行為で、相手の体温や唇の肌荒れ、唾液の微かなぬめりを感じる程度の行為で。
 相手のことが嫌いじゃなければ、殴って止めさせるというほどでもなかった。
 だがこれは違う。

「んんぅ、う、んーッ!」

 唇にかじりついたユウは、どういうトリックか、重なった粘膜を傾けこじあけ、マオの口腔へ侵入してきた。
 薄い肉越しに歯の感触がある。分厚い舌が入ってくる。ぬめるそれが軟体動物みたいに蠢いて、マオの縮こまった舌を捕えて引きずり出す。
 絡めて、吸われて、かじられる。
 あまりの暴挙にマオは呆然としてしまった。その間に好き勝手口の中を蹂躙されてしまった。
 慌ててユウの胸を押し、押しのけられず。背に腕を回してシャツを引っ張ったが、どかせられず。足をバタつかせてみたが、結果は変わらず。

「は、ぁ、ぁ……」

 だんだん空気が薄くなってきた。物理的に口を塞がれているのに等しいのだから当然だ。
 マオの体は究極的には水と光と二酸化炭素で生存できるのだが、中途半端に人型魔族なせいで呼吸は口と、手のひらの一部でしかできない。手のひらはユウの背中に縋りついて爪を立てる役割のため塞がっていて、口は言わずもがな。
 ユウの暴挙がようやく止む頃には、マオはふにゃふにゃのくたくたにされてしまった。

「顔真っ赤だぞ、大丈夫か」
「だいじょ、ぶじゃ、ないです……!」
「……すまん」

 めずらしく怒っているマオにユウは謝罪したが、口の端がニヤけていて誠意が感じられない。
 どうせキスのひとつもしたことがないマオを笑っているのだろう。聞かなくてもわかる。なんて意地悪な人類なのか。
 今はとにかく酸欠をなんとかするため吸って吐いてを繰り返す。
 そんなマオを、目の前の男は休ませる気がないらしい。

「なに、してるんです、か」
「触ってる」

 はだけられたシャツの隙間からユウの手が入り込み、マオの素肌を撫でている。
 触られるくらい、まぁいいか。いつも手とか触ってるし。
 そんなことを考えていられたのは短い時間だけだった。

「あの、ちょっと。そこ、やめてくれませんか」
「なぜ」
「なぜとかないでしょ。やめてほしいん、っ、ですけど」
「気持ち悪いか?」
「そういうんじゃないですけど……、あの、────あ、っ!」
「なら、気持ちいいか」

 そんなこと聞かれても困る。
 自分で体を触ることなんてないし、他者に触らせたことなどもっとない。
 触らせていたところといえばもっぱら手のひらくらいで、それも魔力を渡すときだけ。さらには、何分も何十分も触るのはこの男だけ。
 あぁそうだ、ユウが魔力を吸うときと似ている。
 くすぐったいような、あたたかいような、未知の感触。
 神殿に監禁されていた頃も彼はマオの体に触れてきた。あのときは少ない持ち物を与えることに必死で、何を感じることもできなかったのに、今は違う。

「やめてくださ……なんか、なんかへん……」
「……」
「っ、ユウ、おねがい」

 名を呼ぶとユウは顔を上げ、しっかりと視線を絡めてきた。
 思いのほか冷静な金の目に怖気づく。
 欲しいと言うから与えようとしたのに、今のユウはとても欲しがってなど見えない。
 欲しいから応えろと言ったのに。
 マオはこんなにも、与えようとがんばっているのに。
 どうして。

「奪うの……?」

 情けなく声が震えてしまった。
 ユウがはっと目を見開いて、触れていた手が離れる。
 その代わりに腕が回され、マオは寝そべったまま抱き締められた。

「すまない。あまりにも脈なしに思えて、焦った」
「……」
「真央が欲しい、それは本心だ。俺だけのものにしたい。だがそれには真央の気持ちも伴っていてほしい」
「私の、心も欲しいということでしょうか」
「そうだ。だが、もういい。これまでも待ってきた、これからも俺は待つ」

 柔らかくもない畳の上に男ふたり転がって、マオは大人しく抱き込まれたまま考える。
 これまでマオは求められたことを成してきた。
 一番最初に求められたのは、マオの誕生を見たという年老いたダークエルフ。
 足を悪くして魔界樹の見回りが十分にできないからと、マオに代わりを頼んできた。マオはやり方を教わって、求められるまま応じた。
 かのダークエルフはマオに過分なものを求めることはなかったので、あの頃は平穏だった。
 それからしばらくして、マオは軍属になった。
 当時の魔族領は、貴族や商人、家業のある農家などでない一般魔族はほとんどが従軍していた。人間の国と戦争をしていたせいだ。
 軍ではありとあらゆることを求められ、応じられないこともあった。
 力づくで言うことを聞かせようとする相手はねじ伏せたが、懇願してくるものに与えられないことはストレスだった。
 やがてマオはすべての頂点に立った。
 何もかも得られる立場になり、魔族たちを圧倒的な力で守ることだけを求められることになった。これを叶えてやることは簡単だった。
 ────勇者が現れるまでは。

「あなたは……強欲ですね」
「なんだと?」
「昔からあなたは奪ってばかり。魔族の命を奪うし、魔族領も、私の魔力も、私の命も子も、なにもかも奪ってまだ満足できないなんて、欲深くて驚きます」

 ユウの顔が苦々しく歪んでいる。図星過ぎて言い返せないのだろう。

「かつてなにもかも与える立場だった私に、他のものは丁寧に頼んできたのですよ。与えてほしいと。だから与えてきました。でもあなたはなんの前触れもなく現れて、ろくに合意形成せず奪おうとする」

 マオは湧き上がるおかしさに任せて笑みをこぼした。
 機嫌を取るように髪を撫でる仕草すらおかしくてたまらない。

「そんなあなたが、私から奪えなくてうろたえているさまを見るのは、愉快です」

 横臥の姿勢を強引に傾け、マオはユウの上を取った。
 見下ろす男のきょとんとした顔と、自分より大きく、強かった男を組み敷く眺めは悪くないと思える。

「私は魔のものの礎より生まれた魔王。望むものに与えることが我が勤め。────懇願しなさい、人間。そうすればいつか、与えてやれるかもしれません」

 少し芝居がかった口調でにんまりと笑ったマオは、次の瞬間には再び形勢逆転されていた。
 マオを見下ろすかつての勇者は、強いまなざしで挑むようにマオを睨みつける。

「魔王に懇願などするものか。俺は神に選ばれし勇者。欲しいものは自分の力で奪い取る」
「奪うのなら一生手に入らないかもしれませんよ?」
「それなら『次の一生』に賭けるだけだ。いつまでも付き纏ってやる。覚悟しろ、魔王」
「それはそれは。……ふふっ」

 マオが笑ってしまったことで緊張がゆるんだ。
 ユウはマオの上に陣取ったまま、がっくりと項垂れてマオの胸に溜め息を吹きかけている。それがくすぐったくてマオは身じろいだ。

「私はもう魔王じゃないですから、勤めもなにもないですけれどね」
「それなら俺だってもう勇者じゃない」
「魔王も勇者もいなくなったあの地は、どうなったのでしょう……」
「戦わなくなったと思いたい。俺達は結局、甲乙つけずに睨み合ったままでいるべきだったのかもしれないと、最近思う」
「そうですね……私もあなたも、あの地にあるには過ぎた存在だったのかもしれません」

 公務員にしては明らかに伸ばし過ぎの金髪が垂れてくるのを、マオはひとすくい指に絡めてみた。
 さらさらとこぼれ落ちる金糸は、安っぽい室内灯の光でもキラキラと輝いている。
 その上へ目を向けると、なんとも言えない顔をしたユウがいた。

「あー。さっきの続きをしてもいいか?」
「気持ちが伴ってないとって言ってましたよね」
「やっぱり体から籠絡する……」
「ダメです。明日からまた仕事ですし」

 ユウは再びマオの上に墜落した。
 マオが笑うと金頭が上下に揺れて、それがなんだか余計におかしかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です

はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。

かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

ヤンデレ王子と哀れなおっさん辺境伯 恋も人生も二度目なら

音無野ウサギ
BL
ある日おっさん辺境伯ゲオハルトは美貌の第三王子リヒトにぺろりと食べられてしまいました。 しかも貴族たちに濡れ場を聞かれてしまい…… ところが権力者による性的搾取かと思われた出来事には実はもう少し深いわけが…… だって第三王子には前世の記憶があったから! といった感じの話です。おっさんがグチョグチョにされていても許してくださる方どうぞ。 濡れ場回にはタイトルに※をいれています おっさん企画を知ってから自分なりのおっさん受けってどんな形かなって考えていて生まれた話です。 この作品はムーンライトノベルズでも公開しています。

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

処理中です...