21 / 74
第一章
20.襲撃
しおりを挟む
ハカセはムルジムに話を通して、すぐに荷を整えた。
といってもろくな所持品はなく、持ち物といえば丈夫な体と立派な毛皮のみ、ほとんど身一つだ。
向こうでの滞在中はハカセが生活の一切を面倒見てくれるらしい。
行き先は西、森を突っ切って進んだ先の大きな町。
そこにはハカセの研究所があって、それ以外にも多くの施設やお店、獣人たちの住処が立ち並ぶのだという。
町には楽しいことがたくさんある、とハカセは言うけど、そういうものに心躍らせることはきっとない。
楽しさを分かち合う相手が隣にいなければ、ただの風景でしかない。
心細いが、頷いてしまった以上取り消すことはできなかった。
とぼとぼとハカセの後ろについていき、外へ出る。
レグルスはムルジムと連れ立って、屋敷の正門まで見送りに来てくれた。
「……やっぱりオレもタビトといっしょに行っちゃダメ?」
「ダメです。坊っちゃんはお勉強がありますから」
「うぅ……」
すでに何度かなされたやり取りで、レグルスの声には諦めが滲んでいる。
「タビトぉ……」
「早く帰ってこられるようがんばるね」
「うん……いってらっしゃい」
送り出す言葉と裏腹に泣きそうなレグルスに苦笑して別れた。
町へはハカセが乗ってきた「車」を使う。
「これにのるの?」
車の横にはウマがいた。
茶色い毛の、タビトが見上げる大きさの、立派な体つきのウマだ。
ここでは車は動物が引いてくれて、ウマが引くものは「馬車」と呼ばれているという。
「ごあいさつできるかな」
「……よろしく、です」
首や体に車を引くためのベルトをたくさんつけたウマが、タビトの挨拶にぺこりとお辞儀してくれたように見えた。
タビトが知っている車は、速いかわりに固くて臭くてうるさいものだったが、ハカセが乗る車はウマが引っ張るもので、速さはそれほどでなく臭くもうるさくもない。
「嬉しいなぁ、タビトを研究所に招待できるなんて。もらった毛だけじゃ分析に限界があるからね。きみのような子を調べられるなんて私は幸運だ」
「……」
「そう不安そうにしないでくれ。長くとも一月で帰れるよ。それまでに人化を習得すればレグルス坊っちゃんも喜んでくれるだろう?」
「……うん」
一ヶ月もレグルスに会えないのか。
無性に泣きたくなって、でも泣きたくなくて、窓の外を睨みつけた。
あまり揺れない車の中で、移りゆく風景を眺め続ける。ハカセが話しかけてくることもなく、静かな道行き。
変化があったのは、流れる景色が濃い木々の集まりになった頃だった。
レグルスの屋敷の裏にある森は思っていたよりずっと深くて、奥に行くほど光が届かず暗くなっていく。そのうちまた明るくなるとハカセは言ったけど、今はまるで夕暮れみたいだ。
そんな場所で、車がガタンと大きく揺れた。
「わっ」
「なんだ?」
大きな揺れと同時に車は進まなくなった。
ウマが足を止めてしまったようだ。がたがたという物音に、鳴き声も聞こえる。
「倒木でもあったかな。どうかしたか?」
ハカセが車を出た。タビトもおそるおそる後に続く。
車の外には、明らかな緊張感が漂っていた。肌に感じるその圧力に体がこわばる。
首を回すと、車の前方に黒っぽい影が立っていた。
獣人だ。
ウマの姿がなく、代わりに茶色い布を身に纏ったヒトが倒れている。
このときはじめて、車を引っ張ってくれていたのがウマの獣人だったことを知った。
「なんだきみたちは」
「金目の物を置いていけ。命までは取らない」
ハカセは影の要求に応えず、身を低くした、その時。
前のめりにハカセが倒れた。
「っ、ハカセ!?」
急に後ろから現れた獣人に背中を殴られたのだ。
幸い意識は奪われなかったが、不意をつかれ痛みに呻くハカセの体は、あっという間に拘束されてしまった。
「くっ、盗賊か!」
「半分正解だ。そっちは副業だが……どうやら今回は本業の方もできそうだ」
「何……?」
盗賊と呼ばれた男たちは二手に分かれ、半分が車の中を物色し始める。
残る半数はハカセとウマ獣人の元に残り、そして一番背が高く威圧感のある男が、こちらを見た。
声を出すこともできず、ただ目を見開いて固まっていたタビトに向けられる、ぞっとするほど色のない視線。
「アルビノのトラの子か。こいつは珍しい。もらっていくぞ」
男が冷たく、鋭く、「珍しいもの」を眺める目でタビトを見るのを、震えて受け止めることしかできなかった。
怖い。
ここにいる者は皆タビトより強い。おまけに、他者を害することになんのためらいも持ってない。────へたに動けば殺される。
歯の根が合わずぶるぶる震えるタビトに、男は手早く首輪を付けた。
太く分厚いそれを引っ張られると抵抗できない。引きずられていくしかない。
「やめろっ、タビトを離せ! くそっ、こんなもの……!」
ハカセが縛られた体をねじって暴れても、拘束はとけない。
獣人なら誰しも呼吸をするようにできるはずの、獣への変化ができないらしい。
タビトを引きずる盗賊が鼻で嗤った。
「諦めな。あんた見たところ大型のネコ科だろ。獣化されると面倒なんでな、そのままそこで転がってろ」
「くぅ……っ」
「金とこいつは頂いていくが、あとのもんは残しといてやる。無駄な抵抗はするな。イヌに噛まれたと思って忘れろ」
車の中を物色していた盗賊たちが戻ってきて、彼らが連れてきたウマに跨る。
森へ入るつもりだ。
ハカセから離れたら……もう二度と帰れない。
目裏にレグルスの笑顔が瞬いた。
「ぅわぁああっ!」
力を振り絞り、恐怖に強張っている体を無理やり動かして、タビトは暴れた。
目の前にあった獣人の足に渾身の力で噛みつく。
爪を全開にして、男の体や、襲い来る獣人の腕、飛びかかってきたものの顔、触れたものすべてを引っ掻く。
「こいつっ大人しくしろ!」
「やだ! さわるなっ!」
「ん? おまえ、獣人だったのか」
全力の抵抗も長くは続かず、結果的にはちょっとした反抗にしかならなかった。取り押さえられ、首輪を掴まれ男の眼前に晒される。
その顔も引っ掻いてやろうとしたけど届かない。
後足も振り回したけど、あっさり掴まれて封じられてしまう。
獣人共通語を喚くタビトを、盗賊の男はつまみ上げてにやりと嗤った。
「アルビノのトラ、しかも獣人とは……こりゃ大儲けだ」
「はなせってば! やだ、やだ!」
「人型にならなかったのは賢明だったが、こんなチビじゃな。諦めろ、おまえは売られるんだ」
売られる?
その言葉を投げつけられるのは初めてじゃない。
母さんを奪い、帰る場所を奪い、尊厳を、誇りを、希望を、未来を、大切な何もかもを奪ったあいつらも、同じことを言ってた。
こいつらも同じだ。悪党だ。
体中の血が沸き立つように怒りが燃えた。
よみがえるのは────絶対に忘れられない記憶。
僕が「珍しい」ばかりに、僕らは追い立てられ、かあさんは地に伏せた。
耳をつんざく轟音。ぐったりと動かない体。赤い生命が流れ出して大地に吸い込まれていく。
凪いだ水の底のように濁った目は、もう僕を映してくれることはない。
あの日の悲しみと怒りがこの身を激しく揺さぶった。
視界が赤く染まっていく。
「あっ、こら!」
盗賊が焦った声を出して手を伸ばしてくる。
それが嫌で、触られたくなくて、タビトは四肢をがむしゃらに振り回した。
さっきはダメだったその抵抗が、今度はなぜか成功した。タビトは魔の手から逃れ、地面に尻もちをついた。
痛い。地面がとても冷たい。
「人化したか。だがまぁ、その姿のほうが非力そうだ」
「え?」
男の言葉が理解できず自身を見下ろす。
白いはずのタビトの体は、毛が全然生えていなかった。
レグルスのものとは違う、どちらかといえばフェルカドのものに近い小麦色のつるつるした肌。
わけのわからない方向に折れ曲がっている足と、明らかに長くなっている腕。指も細長く、尖った爪だけがトラらしさを残している。
地表をざり、と撫でたしっぽは腰から伸びていて、おそるおそる触れた頭のてっぺんには慣れ親しんだ感触の耳が生えている。
鏡はないけど、わかる。
タビトは今、「人の姿」をしている。
「おら、大人しくしろ」
「……ッ! や、やだっ!」
「いてっ引っ掻くな!」
盗賊はニヤニヤと下卑た笑みを隠そうともせず腕を伸ばしてくる。
移動しようとしても、まるで四肢が自分のものじゃないみたいにぐにゃぐにゃして、ちっとも使いこなせない。
このままじゃまた捕まってしまう。
「助けて、たすけてレグルスーっ!」
情けなくも潤む視界と、力の入らない体を必死に動かして、叫んだ。
レグルスはいないのに。自ら置いてきてしまったのに。
「タビトっ!」
だから、レグルスの声がするはずないのに。
「あれ、タビトだよな?」
姿形が変わってしまったタビトに一瞬驚いて、すぐに笑顔を向けてくれた黒と金の獣人。
人型のレグルスの背後に庇われて、嗅ぎ慣れたケモノの匂いに包まれて、タビトは堪えきれず小さく鳴いた。
だって来てくれた。たった一匹のタビトの主が。
「おまえらっタビトに何すんだ!」
「威勢のいいガキだな。まとめて捕まえるぞ」
とはいえ事態はあまり好転していなかった。
多勢に無勢は変わらず、レグルスとて子どもだ。オトナの獣人たちに敵いそうもない。
レグルスはタビトを背にかばい、鋭い犬歯を剥き出しにして唸ってくれたが、盗賊は人型の子ライオンを脅威に感じなかったようだ。
ダメだ、このままじゃ捕まってしまう。タビトだけじゃなくレグルスまで。
逃げて、と言いかけたとき、タビトたちの目前に迫っていた盗賊が突然横倒しになった。
「ぐ、ぁあああっ! てめぇっ」
男を襲っているのは、大きなクロヒョウだった。
全身の筋肉が隆起して、太い前肢が男を押さえつける。
強靭な牙と顎は捕らえた獲物を決して逃さない。
突然現れた、この場で最も強い獣に、盗賊たちが子ども二匹を放り出して戦闘態勢を取る。
しかし誰一人獣型にはならなかった。
盗賊たちの中に大型のネコ科に敵う種類の獣人がいないのだ。
「坊っちゃん。タビトを馬車まで連れて逃げて」
「わかった。行こうタビト」
クロヒョウは聞き覚えのある声でしゃべった。
ハカセの声だ。盗賊が言ったように、彼は大型のネコ科だった。
ぐぉおん、と地響きのような声で唸るハカセは、味方とわかっていても恐ろしい。直接睨まれている盗賊たちは、その隙のない肉食獣の威容に一歩も動けないらしかった。
タビトはレグルスに腕をひかれながらどうにか窮地を脱した。
「タビト、後ろ足で立てない? その走り方じゃ手がキズついちゃうよ」
「わかんない……二つ足で歩いたことなんてないもん」
「だよなぁ」
タビトは必死に、異様に長く伸びた後肢を持て余しながらヨタヨタ走った。
地面に前足を突くたび、石くれや木の根が柔い肌に突き刺さって痛い。通り過ぎる枝葉が体に当たるのも痛い。
人型とはなんて弱く扱いにくい姿だろう。
なんとか馬車にたどり着き、しかし狭い車内に入る気になれず木々の隙間を睨みつける。
レグルスはタビトの無毛の肌に布を巻いてくれた。毛が生えていないとすぐに体が冷えてしまうらしい。
しばらく待っていると、下草を割りながらクロヒョウが戻ってきた。
同時に見覚えのある栗毛のウマも姿を現す。
「ハカセ! 無事だったんだ」
「もちろん。坊っちゃん、タビトを守れて偉かったですね」
「うん、間に合ってホントによかったよ」
クロヒョウはウマとも話をした。
馬車を引いてくれていた馬獣人に大きなケガはなく、拘束されただけらしい。森を駆け抜けて町に盗賊のことを知らせに行って、戻ってきてくれたのだという。
「すぐに自警団が駆けつける。追跡は彼らに任せよう。タビト、怖い思いをさせてごめんね」
上手く立てずレグルスにしがみついているタビトに向かって、ハカセは黒い頭を垂れた。
ハカセが謝ることじゃない、と思うのに、本当に怖かったからすぐに言葉が出なかった。
なにかしゃべったら、また涙腺が緩んでしまいそうで。
ハカセはそんな気持ちをわかっているようで、自警団が到着するまで獣の姿のまま周囲を警戒してくれた。
といってもろくな所持品はなく、持ち物といえば丈夫な体と立派な毛皮のみ、ほとんど身一つだ。
向こうでの滞在中はハカセが生活の一切を面倒見てくれるらしい。
行き先は西、森を突っ切って進んだ先の大きな町。
そこにはハカセの研究所があって、それ以外にも多くの施設やお店、獣人たちの住処が立ち並ぶのだという。
町には楽しいことがたくさんある、とハカセは言うけど、そういうものに心躍らせることはきっとない。
楽しさを分かち合う相手が隣にいなければ、ただの風景でしかない。
心細いが、頷いてしまった以上取り消すことはできなかった。
とぼとぼとハカセの後ろについていき、外へ出る。
レグルスはムルジムと連れ立って、屋敷の正門まで見送りに来てくれた。
「……やっぱりオレもタビトといっしょに行っちゃダメ?」
「ダメです。坊っちゃんはお勉強がありますから」
「うぅ……」
すでに何度かなされたやり取りで、レグルスの声には諦めが滲んでいる。
「タビトぉ……」
「早く帰ってこられるようがんばるね」
「うん……いってらっしゃい」
送り出す言葉と裏腹に泣きそうなレグルスに苦笑して別れた。
町へはハカセが乗ってきた「車」を使う。
「これにのるの?」
車の横にはウマがいた。
茶色い毛の、タビトが見上げる大きさの、立派な体つきのウマだ。
ここでは車は動物が引いてくれて、ウマが引くものは「馬車」と呼ばれているという。
「ごあいさつできるかな」
「……よろしく、です」
首や体に車を引くためのベルトをたくさんつけたウマが、タビトの挨拶にぺこりとお辞儀してくれたように見えた。
タビトが知っている車は、速いかわりに固くて臭くてうるさいものだったが、ハカセが乗る車はウマが引っ張るもので、速さはそれほどでなく臭くもうるさくもない。
「嬉しいなぁ、タビトを研究所に招待できるなんて。もらった毛だけじゃ分析に限界があるからね。きみのような子を調べられるなんて私は幸運だ」
「……」
「そう不安そうにしないでくれ。長くとも一月で帰れるよ。それまでに人化を習得すればレグルス坊っちゃんも喜んでくれるだろう?」
「……うん」
一ヶ月もレグルスに会えないのか。
無性に泣きたくなって、でも泣きたくなくて、窓の外を睨みつけた。
あまり揺れない車の中で、移りゆく風景を眺め続ける。ハカセが話しかけてくることもなく、静かな道行き。
変化があったのは、流れる景色が濃い木々の集まりになった頃だった。
レグルスの屋敷の裏にある森は思っていたよりずっと深くて、奥に行くほど光が届かず暗くなっていく。そのうちまた明るくなるとハカセは言ったけど、今はまるで夕暮れみたいだ。
そんな場所で、車がガタンと大きく揺れた。
「わっ」
「なんだ?」
大きな揺れと同時に車は進まなくなった。
ウマが足を止めてしまったようだ。がたがたという物音に、鳴き声も聞こえる。
「倒木でもあったかな。どうかしたか?」
ハカセが車を出た。タビトもおそるおそる後に続く。
車の外には、明らかな緊張感が漂っていた。肌に感じるその圧力に体がこわばる。
首を回すと、車の前方に黒っぽい影が立っていた。
獣人だ。
ウマの姿がなく、代わりに茶色い布を身に纏ったヒトが倒れている。
このときはじめて、車を引っ張ってくれていたのがウマの獣人だったことを知った。
「なんだきみたちは」
「金目の物を置いていけ。命までは取らない」
ハカセは影の要求に応えず、身を低くした、その時。
前のめりにハカセが倒れた。
「っ、ハカセ!?」
急に後ろから現れた獣人に背中を殴られたのだ。
幸い意識は奪われなかったが、不意をつかれ痛みに呻くハカセの体は、あっという間に拘束されてしまった。
「くっ、盗賊か!」
「半分正解だ。そっちは副業だが……どうやら今回は本業の方もできそうだ」
「何……?」
盗賊と呼ばれた男たちは二手に分かれ、半分が車の中を物色し始める。
残る半数はハカセとウマ獣人の元に残り、そして一番背が高く威圧感のある男が、こちらを見た。
声を出すこともできず、ただ目を見開いて固まっていたタビトに向けられる、ぞっとするほど色のない視線。
「アルビノのトラの子か。こいつは珍しい。もらっていくぞ」
男が冷たく、鋭く、「珍しいもの」を眺める目でタビトを見るのを、震えて受け止めることしかできなかった。
怖い。
ここにいる者は皆タビトより強い。おまけに、他者を害することになんのためらいも持ってない。────へたに動けば殺される。
歯の根が合わずぶるぶる震えるタビトに、男は手早く首輪を付けた。
太く分厚いそれを引っ張られると抵抗できない。引きずられていくしかない。
「やめろっ、タビトを離せ! くそっ、こんなもの……!」
ハカセが縛られた体をねじって暴れても、拘束はとけない。
獣人なら誰しも呼吸をするようにできるはずの、獣への変化ができないらしい。
タビトを引きずる盗賊が鼻で嗤った。
「諦めな。あんた見たところ大型のネコ科だろ。獣化されると面倒なんでな、そのままそこで転がってろ」
「くぅ……っ」
「金とこいつは頂いていくが、あとのもんは残しといてやる。無駄な抵抗はするな。イヌに噛まれたと思って忘れろ」
車の中を物色していた盗賊たちが戻ってきて、彼らが連れてきたウマに跨る。
森へ入るつもりだ。
ハカセから離れたら……もう二度と帰れない。
目裏にレグルスの笑顔が瞬いた。
「ぅわぁああっ!」
力を振り絞り、恐怖に強張っている体を無理やり動かして、タビトは暴れた。
目の前にあった獣人の足に渾身の力で噛みつく。
爪を全開にして、男の体や、襲い来る獣人の腕、飛びかかってきたものの顔、触れたものすべてを引っ掻く。
「こいつっ大人しくしろ!」
「やだ! さわるなっ!」
「ん? おまえ、獣人だったのか」
全力の抵抗も長くは続かず、結果的にはちょっとした反抗にしかならなかった。取り押さえられ、首輪を掴まれ男の眼前に晒される。
その顔も引っ掻いてやろうとしたけど届かない。
後足も振り回したけど、あっさり掴まれて封じられてしまう。
獣人共通語を喚くタビトを、盗賊の男はつまみ上げてにやりと嗤った。
「アルビノのトラ、しかも獣人とは……こりゃ大儲けだ」
「はなせってば! やだ、やだ!」
「人型にならなかったのは賢明だったが、こんなチビじゃな。諦めろ、おまえは売られるんだ」
売られる?
その言葉を投げつけられるのは初めてじゃない。
母さんを奪い、帰る場所を奪い、尊厳を、誇りを、希望を、未来を、大切な何もかもを奪ったあいつらも、同じことを言ってた。
こいつらも同じだ。悪党だ。
体中の血が沸き立つように怒りが燃えた。
よみがえるのは────絶対に忘れられない記憶。
僕が「珍しい」ばかりに、僕らは追い立てられ、かあさんは地に伏せた。
耳をつんざく轟音。ぐったりと動かない体。赤い生命が流れ出して大地に吸い込まれていく。
凪いだ水の底のように濁った目は、もう僕を映してくれることはない。
あの日の悲しみと怒りがこの身を激しく揺さぶった。
視界が赤く染まっていく。
「あっ、こら!」
盗賊が焦った声を出して手を伸ばしてくる。
それが嫌で、触られたくなくて、タビトは四肢をがむしゃらに振り回した。
さっきはダメだったその抵抗が、今度はなぜか成功した。タビトは魔の手から逃れ、地面に尻もちをついた。
痛い。地面がとても冷たい。
「人化したか。だがまぁ、その姿のほうが非力そうだ」
「え?」
男の言葉が理解できず自身を見下ろす。
白いはずのタビトの体は、毛が全然生えていなかった。
レグルスのものとは違う、どちらかといえばフェルカドのものに近い小麦色のつるつるした肌。
わけのわからない方向に折れ曲がっている足と、明らかに長くなっている腕。指も細長く、尖った爪だけがトラらしさを残している。
地表をざり、と撫でたしっぽは腰から伸びていて、おそるおそる触れた頭のてっぺんには慣れ親しんだ感触の耳が生えている。
鏡はないけど、わかる。
タビトは今、「人の姿」をしている。
「おら、大人しくしろ」
「……ッ! や、やだっ!」
「いてっ引っ掻くな!」
盗賊はニヤニヤと下卑た笑みを隠そうともせず腕を伸ばしてくる。
移動しようとしても、まるで四肢が自分のものじゃないみたいにぐにゃぐにゃして、ちっとも使いこなせない。
このままじゃまた捕まってしまう。
「助けて、たすけてレグルスーっ!」
情けなくも潤む視界と、力の入らない体を必死に動かして、叫んだ。
レグルスはいないのに。自ら置いてきてしまったのに。
「タビトっ!」
だから、レグルスの声がするはずないのに。
「あれ、タビトだよな?」
姿形が変わってしまったタビトに一瞬驚いて、すぐに笑顔を向けてくれた黒と金の獣人。
人型のレグルスの背後に庇われて、嗅ぎ慣れたケモノの匂いに包まれて、タビトは堪えきれず小さく鳴いた。
だって来てくれた。たった一匹のタビトの主が。
「おまえらっタビトに何すんだ!」
「威勢のいいガキだな。まとめて捕まえるぞ」
とはいえ事態はあまり好転していなかった。
多勢に無勢は変わらず、レグルスとて子どもだ。オトナの獣人たちに敵いそうもない。
レグルスはタビトを背にかばい、鋭い犬歯を剥き出しにして唸ってくれたが、盗賊は人型の子ライオンを脅威に感じなかったようだ。
ダメだ、このままじゃ捕まってしまう。タビトだけじゃなくレグルスまで。
逃げて、と言いかけたとき、タビトたちの目前に迫っていた盗賊が突然横倒しになった。
「ぐ、ぁあああっ! てめぇっ」
男を襲っているのは、大きなクロヒョウだった。
全身の筋肉が隆起して、太い前肢が男を押さえつける。
強靭な牙と顎は捕らえた獲物を決して逃さない。
突然現れた、この場で最も強い獣に、盗賊たちが子ども二匹を放り出して戦闘態勢を取る。
しかし誰一人獣型にはならなかった。
盗賊たちの中に大型のネコ科に敵う種類の獣人がいないのだ。
「坊っちゃん。タビトを馬車まで連れて逃げて」
「わかった。行こうタビト」
クロヒョウは聞き覚えのある声でしゃべった。
ハカセの声だ。盗賊が言ったように、彼は大型のネコ科だった。
ぐぉおん、と地響きのような声で唸るハカセは、味方とわかっていても恐ろしい。直接睨まれている盗賊たちは、その隙のない肉食獣の威容に一歩も動けないらしかった。
タビトはレグルスに腕をひかれながらどうにか窮地を脱した。
「タビト、後ろ足で立てない? その走り方じゃ手がキズついちゃうよ」
「わかんない……二つ足で歩いたことなんてないもん」
「だよなぁ」
タビトは必死に、異様に長く伸びた後肢を持て余しながらヨタヨタ走った。
地面に前足を突くたび、石くれや木の根が柔い肌に突き刺さって痛い。通り過ぎる枝葉が体に当たるのも痛い。
人型とはなんて弱く扱いにくい姿だろう。
なんとか馬車にたどり着き、しかし狭い車内に入る気になれず木々の隙間を睨みつける。
レグルスはタビトの無毛の肌に布を巻いてくれた。毛が生えていないとすぐに体が冷えてしまうらしい。
しばらく待っていると、下草を割りながらクロヒョウが戻ってきた。
同時に見覚えのある栗毛のウマも姿を現す。
「ハカセ! 無事だったんだ」
「もちろん。坊っちゃん、タビトを守れて偉かったですね」
「うん、間に合ってホントによかったよ」
クロヒョウはウマとも話をした。
馬車を引いてくれていた馬獣人に大きなケガはなく、拘束されただけらしい。森を駆け抜けて町に盗賊のことを知らせに行って、戻ってきてくれたのだという。
「すぐに自警団が駆けつける。追跡は彼らに任せよう。タビト、怖い思いをさせてごめんね」
上手く立てずレグルスにしがみついているタビトに向かって、ハカセは黒い頭を垂れた。
ハカセが謝ることじゃない、と思うのに、本当に怖かったからすぐに言葉が出なかった。
なにかしゃべったら、また涙腺が緩んでしまいそうで。
ハカセはそんな気持ちをわかっているようで、自警団が到着するまで獣の姿のまま周囲を警戒してくれた。
4
あなたにおすすめの小説
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
【完結】あなたのいない、この異世界で。
Mhiro
BL
「……僕、大人になったよ。だから……もう、───いいよね?」
最愛の人に先立たれて3年。今だ悲しみから立ち直れず、耐えられなくなった結(ゆい)はその生涯を終えようとする。しかし、次に目が覚めたのは、生命を見守る大樹がそびえ立つ異世界だった。
そこで亡き恋人の面影を持つ青年・ルークと出会う。
亡き恋人への想いを抱えながらも、優しく寄り添ってくれるルークに少しずつ惹かれていく結。そんなある日、ある出来事をきっかけに、彼から想いを告げられる。
「忘れる必要なんてない。誰かを想うユイを、俺はまるごと受け止めたい」
ルークの告白を受け入れ、幸せな日々を送る結だったが、それは突然終わりを迎える。
彼が成人を迎えたら一緒に村を出ようと約束を交わし、旅立つ準備を進めていた矢先、結は別の女性と口づけを交わすルークの姿を目撃してしまう。
悲しみの中で立ち止まっていた心が、異世界での出会いをきっかけに再び動き出す、救済の物語。
※センシティブな表現のある回は「*」が付いてますので、閲覧にはご注意ください。
ストーリーはゆっくり展開していきます。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
触手生物に溺愛されていたら、氷の騎士様(天然)の心を掴んでしまいました?
雪 いつき
BL
仕事帰りにマンホールに落ちた森川 碧葉(もりかわ あおば)は、気付けばヌメヌメの触手生物に宙吊りにされていた。
「ちょっとそこのお兄さん! 助けて!」
通りすがりの銀髪美青年に助けを求めたことから、回らなくてもいい運命の歯車が回り始めてしまう。
異世界からきた聖女……ではなく聖者として、神聖力を目覚めさせるためにドラゴン討伐へと向かうことに。王様は胡散臭い。討伐仲間の騎士様たちはいい奴。そして触手生物には、愛されすぎて喘がされる日々。
どうしてこんなに触手生物に愛されるのか。ピィピィ鳴いて懐く触手が、ちょっと可愛い……?
更には国家的に深刻な問題まで起こってしまって……。異世界に来たなら悠々自適に過ごしたかったのに!
異色の触手と氷の(天然)騎士様に溺愛されすぎる生活が、今、始まる―――
※昔書いていたものを加筆修正して、小説家になろうサイト様にも上げているお話です。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
【完】心配性は異世界で番認定された狼獣人に甘やかされる
おはぎ
BL
起きるとそこは見覚えのない場所。死んだ瞬間を思い出して呆然としている優人に、騎士らしき人たちが声を掛けてくる。何で頭に獣耳…?とポカンとしていると、その中の狼獣人のカイラが何故か優しくて、ぴったり身体をくっつけてくる。何でそんなに気遣ってくれるの?と分からない優人は大きな身体に怯えながら何とかこの別世界で生きていこうとする話。
知らない世界に来てあれこれ考えては心配してしまう優人と、優人が可愛くて仕方ないカイラが溺愛しながら支えて甘やかしていきます。
【完結】水と夢の中の太陽
エウラ
BL
何の前触れもなく異世界の神という存在に異世界転移された、遠藤虹妃。
神が言うには、本来ならこちらの世界で生きるはずが、まれに起こる時空の歪みに巻き込まれて、生まれて間もなく地球に飛ばされたそう。
この世界に戻ったからといって特に使命はなく、神曰く運命を正しただけと。
生まれ持った能力とお詫びの加護を貰って。剣と魔法の世界で目指せスローライフ。
ヤマなしオチなし意味なしで、ほのぼの系を予定。(しかし予定は未定)
長くなりそうなので長編に切り替えます。
今後ややR18な場面が出るかも。どこら辺の描写からアウトなのかちょっと微妙なので、念の為。
読んで下さってありがとうございます。
お気に入り登録嬉しいです。
行き当たりばったり、不定期更新。
一応完結。後日談的なのを何話か投稿予定なのでまだ「連載中」です。
後日譚終わり、完結にしました。
読んで下さってありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる