踊り子は二度逃げる

キザキ ケイ

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番外編

来雨

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「知らないのか?  神様はお風呂入らないんだぞ」
「え~!」
「トイレにも行かない」
「えぇ~!!」

 昨日から世話になっている、西砂漠の小さな村。
 王都一極集中化が地方でもじわじわと問題になっている昨今では珍しく、この村には子供が多かった。
 10代後半から乳飲み子まで、子供だけで20人ほどはいるだろう。

 俺はなぜかこの村の子供たちに懐かれ、旅の話をねだられていた。
 車座になって、目を丸くして俺の話を聞く子供たちは皆素直で擦れたとことがなく、可愛いやつばっかりだ。
 子供のわりに俺の髪を引っ張って遊ばないのも高評価。

 白と青しか色がない俺の容姿から、人間の態度は大体2パターンに分かれる。
 崇められるか、畏怖されるか。
 どっちにしろ距離を置かれることに変わりはないので、今まで長く人間に混じって暮らしていた俺としては……寂しくないと言えば嘘になる。

 ところがこの村では、俺は敬われはしたものの、すぐに子供たちに取り囲まれて遊び相手に抜擢されたおかげで大人の村人ともさほど距離ができず、極めて友好的な関係を築けていた。
 ルー様と二人で旅をはじめてしばらく経つが、こんな立ち位置の村があるとは思っていなかったので内心驚いている。

 子供たちは当初旅の土産話を聞きたがったが、徐々に俺の神としての生き方や存在の原理について興味が湧いてきたようだった。
 隠すほどでもないので、知っている限りの話を披露してやる。

 神様がトイレ行かない、というのはルー様やエーベアルテの話で、人間の振る舞いが根深く残っている俺やサミエルなんかは普通に行く。
 ただし俺の場合は、体に溜まった不必要な成分を水と一緒に排出するだけなので、たぶん人間の想像するものとは違う。
 人間のトイレを覗いたことがないので確証はないが。
 俺が風呂に入るのは単純に好きだからだが、サミエルの場合は神化しても人体の構造は変わっていないので、汚れを落としたり汗を流したりするのに必須らしい。

「あのね、アリスの見た目がすごく神様っぽいっていうのは、わかるの」
「そりゃあ、この色だもんな」
「でもこうしてあたしたちと話してるの見ると、全然神様だなんて思えないなぁって」
「そうそう、ホントは神様じゃないって言われても納得しちゃうよ」
「なんだと~? 俺に神っぽい威厳が無いってことか!」

 俺を挟んですぐ横に座っていた二人をとっ捕まえて揺さぶる。
 きゃーなんて言いながら逃げようとする二人だが、嫌がっているわけでも本気で逃げたいわけでもない。
 自分に威厳がこれっぽっちもないという自覚は、とっくにある。
 ルー様は顔だけ見れば地味な部類だし、あの布でできた服を着ている間は神オーラがほとんど出なくて、神であることを見抜かれることすらない。
 一方の俺は容姿が明らかに奇異だし、やってることも明らかに人外でうわさになりまくっているのでまず間違いなく身分はバレる。
 見た目はヤバいが気さくで明るい俺は行く先々で大人気。
 特に子供のウケが良くて、どこへ行っても俺はおもちゃに……もとい、遊び相手に抜擢されるのだった。
 もっとも、この村の子供たちは礼儀をわきまえているし、元気でかわいらしい。尊ぶべき存在への礼節を忘れていない。
 ご褒美にちょっと神っぽいところでも見せてやるか。

 俺はいつも頭上に浮かんでいる依代を手元に引き寄せた。
 普段は目立つので、鳥が飛ぶより高い位置で追従するようにしている。
 俺の手の高さまでふよふよと下がってきた小さな雲を、子供たちは興味津々で覗き込む。

「これは、俺の本体」
「これが?」
「この雲があれば、俺は神様の力を使えるし、竜にだって変身できるんだ」
「えー! 竜になれるの?」
「見たい見たい!」
「ダメダメ、竜になるのは大変なんだ。お腹も空くし。だから竜にはならないけど、こういうことはできるぞ」

 俺は依代の上に手を翳す。
 見た目は小さいものの、普通の雲より質量がある依代から、不意に水が滴り落ちた。
 俺の腕で抱え込めるくらいの小さな雲から、雨が降っている。

「これが俺の力。雲だから、雨降らせるのは簡単なんだ」
「す、すごい!」
「アリスってほんとに神様なんだ……!」
「信じてなかったのかよ!?」

 わかりやすく拗ねてみせた俺に、子供たちは機嫌をとるように「ごめん、ごめん」と謝罪をしてくる。
 その間も目だけは、依代が降らせる雨に夢中だ。

「ねぇ、もっとたくさん雨を降らせるのはできないの?」
「お父さんがね、真水のストックが少し不安だって昨日言ってたの。雨が降ればきっと喜ぶの」
「お隣のおばさんも困ってたよ」
「うーん……」

 真水の確保に困るのは、砂漠ならどこの村でも同じだ。
 すぐにでも力になってやりたい───が、今の俺は真名を握られているので力の行使が制限されている。

 周辺から雲を呼ぶ、もしくは空気中の水分を雲に変えて固着させる。
 適度に雨を降らせ、災害になる前に雲を散らす。
 どの程度雨を降らせていいか、といった感覚も神の力に依存しているので、それを制限されている今は軽々しく実行に移せない。自分の一部である依代から雨を降らせるのとはわけがちがうのだ。
 ただ、子供が真水不足を知っているほどだとなると、状況は思うより逼迫しているかもしれない。

(村の大人に聞いてから、やってみるしかないな)

 子供たちには前向きに検討すると約束して、家に帰す。
 口々に「絶対だよ!」と言いながら帰っていく背を見送って、俺はまず村人に聞き込みをすることにした。

 歩き回って得た情報によると、やはり村の真水事情は困窮していた。
 乾季が長かったことで満足な蓄えを作ることができず、すでに真水が枯渇して村長の家から少しずつ分けている家庭もあるようだ。西砂漠では全体的に同じ傾向にあるという。
 この村の人間にはとても良くしてもらっているし、見返りを求められたこともない。
 神はそういう、信心深くて謙虚な人間に弱い。

 日暮れ前に宿へ戻り、ルー様にそのことを相談した。

「そうですか、水不足……」
「砂漠の村ならどこもそう大差ないとはいえ、今年の西砂漠はちょっと厳しいかもしれません。例年であればここまで困ることはないんですが」
「そういえば、竜であったときのアンフィスは西砂漠にいたのでしたね」
「はい」

 蛇毒の谷で過ごした80年間のおかげで、俺はすっかり西砂漠の天候事情に詳しくなってしまった。
 砂漠の乾季はつらいもので、水でできた俺の皮膚がからっからに干上がってしまいそうな感覚に陥るときもある。
 神にとってもそうなのだから、人間にとって水不足は生命線を絶たれるのと同義だ。

「でも今、アンフィスは力を自由にふるえないのですよね」
「そうです。ルー様のせいで」
「以前から考えていたのですが」
「……なにをです?」
「私の体から力を取り出すというのはどうですか?」

 俺の恨み節が聞こえていないかのようなルー様はさておき、彼は興味深いことを言いだした。
 神は依代から分身体───この星を歩くための体を作るにあたって、大なり小なり自らの力を込める。俺は雲の神なので水が主成分だが、形を保つために常に力が体内を循環しているような構造をしている。血の代わりだな。
 ルー様には、俺が蛇毒の谷でなにをしたのかは伝えてあった。
 谷の中に満ちる、自分以外の力を使って能力を発動する技術のことだ。
 それを今回は、ルー様の体に満ちている力でやってみようということのようだった。

「アンフィスは力の制御に長けていますから、わたしの体を崩さずに力を適量取り出せるのではと」
「なるほど……腕を買ってもらえるのは嬉しいですけど、もし俺が制御を誤って力を引き出しすぎたらどうなります?」
「そうですね。わたしの体はわたしの中の、熱を発し操る核と、それを抑えている外皮に分けられています。外皮から力を奪われすぎると、核がむき出しになって一帯に大質量の熱が放たれます」
「……やりたくないんですが」
「外皮が奪われ尽くされるほどの力で雨を降らせたら、洪水になりますよ。少しだけ使って、あとは触れずにいてくれればいいのです」
「…………やってみます」

 俺がミスったら大砂漠が消し飛ぶ。
 しかしルー様は自らの発案内容に興味が湧いてきたようで、実質俺に拒否権はなかった。
 高位神ってのはどうしてこう、押しが強いのが多いんだか。

「だいじょうぶですよ。アンフィスならできます」

 安心させるように微笑むルー様に他意がないことをわかっているから、俺はいつだって素直に振り回されてあげるのだ。


 翌朝、俺は元気に起きて宿の外に出た。
 いつもはルー様と朝の戯れを楽しんだりするが、今日は仕事がある。まずは村全体の気候や空気の状態、砂地の危険性などを見なくてはならない。
 空を眺めたり地面を確かめたりしていると、わらわらと子供たちが集まってきた。

「おはようアリス」
「早起きだね」
「お前らこそ早起きじゃん。おはよう」
「ねぇアリス、今日雨降らせてくれるの?」

 縋るような子供の視線に頷いてやると、彼らの顔はぱっと明るくなった。
 水不足に喘ぐ家族の姿を見ているのだろう。家族の苦しみは子供たちの苦しみでもある。

「ぼく、樽と桶もってくる!」
「わたしは帆布で水をあつめるわ!」

 子供たちがそれぞれの家に散っていった。一気に元気を取り戻した様子は本当に微笑ましい。
 砂地の状態も問題ないようだし、過度な雨でなければ恵みになるだろう。
 あとは俺がルー様から力を取り出す問題だけが残る。

「おはようございます、アリス。準備はできていますか?」

 俺がベッドにいないことに気づいたのだろう、ルー様が宿から出てきた。
 普段は本名で呼び合うが、人目のあるところでは呼び慣れた「アリス」の名を使ってもらっている。
 早速今から雨の準備をすると伝える。

「あとはどうやって力を取り出すか、ですね。ルー様自身で外に出せるものなのですか?」
「いえ……核の力はともかく、外皮の力を自分で放出するのはわたしには無理です」
「つまり?」
「アリスに取り出してもらわないといけない、ということですね」

 要はノープランだ。俺は考え込む。
 蛇毒の谷ではなににも包まれていない、遮るもののない純粋な力を、呼吸をするように吸い込んで使っていた。
 今回は、ルー様という器に入った力を取り出して、俺を通して外に放つ作業だ。
 器を傷つけず、核にも触れずに力を取り出すとなると……どうしようかな。

「じゃあルー様、手だしてください」

 素直に差し出された手を両手で握る。
 思い思いに水を集める道具を持ってきた子供たちが、少しだけ遠巻きに俺たちを見つめていた。

(うーん……)

 目を閉じて、指先に神経を集中させて力を探る。
 ルー様の内に秘められた膨大な力を感じ取ることはできるが、それを自分の力のように取り出して使うとなると全く別だった。
 例えるなら、蓋の位置がわからない箱から手探りで中身を取り出すような作業。
 集中するために依代を呼び寄せて、ちょうど頭の上くらいの位置で留める。依代が傍にある方がより集中できる気がするからだ。
 俺が握っていない方の手でルー様が俺の依代をつついているが、無視する。

(ごっついけど、労働を知らない手だな……って違う違う)

 意識が明後日の方向に逸れそうになった。
 つまりそれほど、手から手に力を受け取る糸口は見つからないということだ。
 俺は指先から力を使いたかったので、手から繋げられれば一番楽だったんだが……難しそうであれば、別の場所を考えるしかない。
 ルー様の手を放棄して目を閉じ、力の流れを探るようにルー様の体全体をぺたぺた触っていく。
 体の中心、心臓や腹のあたりから猛烈な圧力を感じる。これは核だと思うので、今回は避ける。しかし核の圧倒的な存在感を無視して外皮の気脈を探るのはかなり難儀なことだった。

(核から遠くて、手よりは中心に近くて、外から力を吸い出しやすい部分……)

 条件に該当しそうな場所に手が触れて、はたと目を開ける。
 それはルー様の顔、粘膜の部分だった。
 俺の両手で頬を押さえられているルー様が目をぱちぱち瞬いている。周囲で成り行きを見守っていた子供たちも似たような顔で俺たちを見ている。

「……」
「アリス、どうですか?」
「ルー様、ちょっと目つぶっててもらえます? お前らもちょっとの間でいいから目つぶってて」

 ルー様と子供たちに指示して、子供たちが瞼をぎゅっと閉じたり両手で顔を覆うのを確認した。ルー様もおとなしく両目を閉じている。

「これは、仕方ないんです。この村のために……そう、不可抗力……」

 俺は自分で自分に小声で言い聞かせて、一番力を吸い出しやすい場所に、一番適していると思われる方法で触れた。
 ルー様の襟首を引き寄せて少し屈ませ、眼前の唇に口付ける。
 予想外だったのだろう、ぴくりと震えたルー様は、すぐにいつもの調子で口唇を合わせてきた。
 抱え込まれるような姿勢で唇を食む俺の妨げにならない程度に、向こうもやり返してくるので、自然と息が上がってくる。

「ん、んっ……ぅん……」

 舌を絡める濃いものではないのに、俺の呼吸は途切れがちで苦しくなってくる。力の取り出しは上手くいっているが、どうにも手段を誤ったような気がしてならない……。

「んぁっ……はっ、はっ……もう結構です!」

 口付けが深いものになりそうな気配を察知した俺は、自分から引き寄せた体を全力で突き放して終わらせた。
 俺が腕を突っ張ったところでルー様はよろめきもしないが、唐突に始まって唐突に終わった行為にやや呆然としているようだった。
 いや今はルー様のことはどうでもいい。これはただの力の受け渡し。そして不可抗力だ。そういうことにする。

 受け取った力が零れ落ちる前に、頭上に待機させていた依代に力を送り込んで上空へ放す。
 大気中の水分を雲に変換して依代に纏わせ、雨雲を作ることに集中する。

 辺りが暗くなり、垂れ込めた分厚い雲から雨雫が落ち始めたのは、それからすぐのことだった。
 子供たちが歓喜に湧き、大人たちが慌てて家から出てきて真水を集めはじめる。
 久しぶりに大規模に力を使ったので疲れてしまった俺は、まだ俺の腰を抱えたままだったルー様に寄りかかった。
 人間の喜ぶ姿は昔から好きだ。
 そのためになにかをしようと思うくらいには。

「よかったですね、アリス」
「……うん。ありがとうルー様」

 微笑むルー様に俺も笑みを向けて、降り止む気配のない雨を見上げた。

 そして、白昼堂々屋外での俺の積極的な口付けを、子供たちは指の隙間から、村の大人たちは物陰からばっちり見ていたということを俺が知るのは、それからすぐあとのことだった。

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