吸血鬼様のごはん

キザキ ケイ

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01.吸血鬼伯爵

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 真っ暗な地下での目覚めは爽快だった。

「ふぁあ……よく寝た……ふぁあああぁ……」

 あまりによく寝ていたので、大きなあくびを二連発するほどだった。
 しばらく座ったままぼうっとして、のっそりと起き上がる。
 あまりに長く寝ていたので、生活するためのものがなにもかも足りない。
 しばらく考えて、やりかたを思い出した。
 明かり取りの小さな窓しかない室内をのそのそ歩き回り、目的のものをなんとか見つけ出す。
 古びた木製の笛。
 吹いてもしゅうしゅうと空気が通る音しか出ないが、これを聞くと飛んでくるように訓練された動物がいて、そいつが用を果たしてくれる……というハナシだったはずだ。

「…………来ないな」

 しかし動物は来なかった。
 鳥だったような気がするが、そうでなければネズミやトカゲかもしれないと思い、この地下室を出入りしているらしい小動物に声をかけたりしてみたが、反応はなく、逃げられるだけだった。
 外と連絡を取れないのであれば仕方ない。

「二度寝するか」

 さっきまで横になっていたところへのそのそ戻り、横になり、すぐに眠気が訪れた。
 そうしてどれくらい眠っただろう。

「お目覚めください、伯爵様」
「ふぁっ」

 いきなり耳元に他人の声がして、今度はバネ仕掛けのように飛び跳ねて起きる。
 辺りを見回すと、すぐ横に男がひとり立っていた。

「おはようございます、伯爵様、で、よろしかったですか?」
「…………おはよう……」
「この度はお声掛けくださり光栄の至りでございます。はじめまして、シャオと申します。商いをしております」
「……あぁ、おまえが……」

 まだ寝起きで動かない頭をそれでも回転させて、記憶の中の「シャオ」とだいぶ違うな、と思う。
 それが顔に出ていたのかどうか、自称シャオは糸のように細い目をさらに細めて微笑む。

「伯爵様の知る『シャオ』はわたくしの曽祖父にあたります」
「……あぁ、孫……じゃない、曾孫か。……あまり似ていないな」
「そうでございますか。しかし商いは変わらず行っておりますゆえ、わたくしでも変わらずお役に立てるかと。さぁ、ご用命を」
「……あぁ……」

 さっきから「あぁ」しかまともに言ってないな、と気づいた頃には、閑散とした地下室にいくつも家具が運び込まれ、日用品や衣料品などが揃いつつあった。
 そういえば「シャオ」はよく気のつくやり手の商人で、口八丁で色々と買わされたものだと思い出す。
 意識がはっきりしたので、寝台を抜け出し立ち上がる。
 荷運びが出入りするために開け放したままの扉をくぐり、外へ出た。
 地上は当然ながら光にあふれ、地下で寝てばかりだった身にはつらいほどまぶしい。しかし悪い気分ではなかった。
 涼やかな風は春先だろうか。良い季節に起きられたものだ。

「おれは、何年眠っていた」
「我が曽祖父が卿を見送ったのは、150年前のことであると聞いております」

 150年ぶりに見る外界は、なにも変わらないように見える。
 強いて言えば、地下室の地上部にあたる石造りの家屋が瓦礫の山と化していたことは予想外だった。盗賊に入られたどころか、ねぐらにされていた形跡すらある。
 地下室に侵入されず、それでいて出入り口が埋まってしまわなかったのは奇跡だ。

「伯爵様、搬入が終わりましたのでこちらへサインを」
「ん。……これはなんだ」
「食糧にございます」
「いらん」
「なにをおっしゃいますやら。食事をしなければ、いかな伯爵様といえど干からびて死んでしまいます」

 食い下がってくる糸目をにらみつける。が、怯んだ様子はない。

「不要だと言っている。『シャオ』から聞いていないのか」
「聞いております。だからこその『食糧』です」
「……」

 示されたのは木箱だ。日用品をいれたものよりずっと大きい。
 商人が蓋を外し、中身があらわになる。

「”吸血鬼伯爵”の食糧にふさわしい、『血液袋』でございます」
「……なにを考えている?」
「ただ伯爵様の利益になることのみを」
「……」

 箱の中身は「人間」だった。
 手足を丸めた、まだ少年と呼べる年頃の男児。
 痩せた体にぱさついた髪。ひと目で、恵まれない生まれのものだとわかる。
 閉じられたまぶたが震え、ゆっくりと目を開けたそれは、清流を思わせる薄青。

「食事は不要と聞き及んでおりますが、長き生のうち、たまにはお食事をしたくなることもございましょう。非常食、というものでございます。召し上がらないのであれば、下働きにでもお使いください」

 それだけ言って商人はさっさと帰ってしまった。
 残されたのは、途方に暮れる男と、寝起きでぼうっとしている少年。

「……おまえ、名は」
「……」
「おい」
「あ……クリス、です」
「クリス? ……そうか」

 なぜか男はこぼすように笑った。

「あの、伯爵様、」
「そんな仰々しく呼ばなくていい。……ウルリクだ」
「ウルリク、さま……」

 これが「吸血鬼伯爵」ウルリクと、「血液袋」クリスの出会いだった。



 初対面がこうであったため、クリスはウルリクのことを、ずいぶんと静かで動じない男だと思ったかもしれない。
 しかし実際はそんなことはまったくなかった。

「わかるか? おまえは日用品や家具のどさくさに紛れて金貨10枚で売りつけられたのだ。こんなに高い食糧があるか? いやない、ありえない」
「はい、ウルリクさま」
「そうだろう。もちろんおまえは自分が金貨10枚に値するなどと思い上がっていないだろうが、それにしたって金貨3枚ぶんくらいの価値はあってしかるべきだ。つまりおれの世話くらいできて当然だ。そうだろう?」
「ウルリクさまのように理解のある優しい方が主人で、クリスは幸せです」
「そうだろうそうだろう。……肩が凝ったな」
「失礼します、ウルリクさま」
「あーそこそこ、もうちょい強く……」

 こんな会話は日常茶飯事だ。
 ウルリクは白に近い金の長髪に、明るい血色の瞳、雪のように白い肌を持つ神秘的な見た目の男だったが、性格はだいぶ残念だった。
 そんな横暴伯爵の世話を、クリスは文句一つ言わずこなす。
 それどころか、少し嬉しそうな様子すら見せるため、ウルリクは肩透かしだ。

「クリス、食事の用意はできたか」
「はい、ウルリクさま」

 地下室を出て、まぶしい日差しの外へ。
 半壊の家はとりあえずキッチンや洗面所など、日常生活に必要な箇所を突貫で直しただけで、未だ半壊だ。しかし今のところ不便はない。
 石造りのかまどは盗賊のねぐらにされても壊れていなかった。
 クリスは毎日ここで煮炊きし、伯爵のための食事を作る。

「うむ、今日も美味い」
「ありがとうございます」
「野菜の旨みがよく出ている、いいスープだった。残りはおまえが食え」
「はい、ウルリクさま」

 ウルリクは優雅な所作でサラダをひとすくい、スープをひとさじ、パンを一欠けつまみ、残りはほとんどクリスに押し付ける。
 そして朝でも夜でもワインをグラス一杯嗜み、食事はそれだけで終えてしまう。
 はじめは困惑した毎食の手順も慣れたものだ。
 伯爵のためによい材料だけで作った食事は、クリスの腹に収まることでクリスの外見を劇的に変えた。
 ざんばらでパサついていた髪は、まだ短いながらも艶を取り戻し、はちみつ色に輝いている。
 肉を削がれたように痩けていた頬は少年らしい丸みを帯び、棒切れのようだった手足も肉がつきはじめている。
 人生をまるごと諦めたように沈んでいたアクアブルーの瞳は、見る影もなくキラキラと光り輝いてウルリクを見つめる。

「そろそろ小麦がなくなる。買ってこい。挽いてもらうのを忘れるな」
「はい、ウルリクさま」
「ついでに必要そうなものがあれば買ってこい」

 伯爵がぽんと渡してくる財布には、いつも十分すぎるほどの硬貨が詰め込まれている。
 150年も眠っていたという彼が、これほどの財産をどこに持っているのか。心配になったクリスが一度、さりげなく探りをいれたところ「子どもが金の心配などするな」と突っぱねられてしまった。
 食い詰めた末に両親に売られたクリスにとって衝撃的な物言いだったが、それ以来無駄遣いはせず、かといって必要なものをケチることもせずに買い物に使っている。
 買い足しが必要な食材を確認し、雨よけのコートを羽織り革靴を履き、準備を整え振り向く。

「ではいってまいりま……、……」

 ウルリクは眠っていた。
 足音を立てぬようそっと近づき、顔を覗き込む。
 家の近くの大きな木の下に置いたベンチで眠り込むその男は、とても「吸血鬼」には見えない。
 たしかに絵本などで見る吸血鬼らしい色味を持ってはいるが、銀もニンニクも嫌がらず、そもそも日光さえ忌避しない彼が本当に「吸血鬼」なのか、クリスにはよくわからない。
 ただこの美しく優しい男に拾われた、その喜びだけがクリスの胸を満たしている。

「いってまいります、ウルリクさま」

 胸の上に置かれた手が微かに上下している。
 そこへそっと唇を寄せ、クリスは飛び跳ねるような足取りで出ていった。

「……あいつ、どこであんなキザなことを覚えてきたのか……」

 残されたウルリクは、少年の熱が触れた手を額に当て、深く嘆息した。



 ウルリクたちの住む石の建造物跡は、元々小規模の城だ。
 城下町にあたる丘のふもとの町で、ウルリクたちははじめ、廃墟に棲みついた浮浪者だと思われていた。
 しかしクリスが買い物に顔を出すようになり、金払いが悪くなく、なにより愛想も見目も良い少年の笑顔に、町の人々は徐々に警戒を解いた。

「クリス、これも持っていきな」

 買い物袋にぽんと赤い実を乗せられ、クリスはぱちぱちまばたきした。

「わぁ、ありがとうございます。きれいな色ですね」
「そうだろう、今年は豊作なんだ。あんたのご主人はこういう瑞々しいのが好きだって言ってただろ」
「ウルリクさまの好みを覚えててくれたんですか。きっとお喜びになると思います」

 嬉しそうに微笑むクリスに、いつも親切な八百屋のおばさんもつられて笑う。
 彼の主人とやらは廃墟にこもって出てこないが、クリスは主人をとても慕っている。純粋な彼にこれほど想われる「伯爵」とやらは、きっと優しく穏やかな人格者なのだろう。
 そんなことを思われているとは露知らず、クリスはにこにこ笑顔で城へ帰っていった。
 食後にこの果実を剥いて供すれば主人はきっと喜んでくれる。
 あまり表情を変えず、笑うことのないウルリクが、ほんのわずか口角を緩め嬉しそうにすることが、クリスの無上の喜びであった。



 ある日、ウルリクは唐突に言った。

「金を稼ぐか」

 長い髪をクリスに預け、頭のてっぺんから毛先まで丁寧にくしけずられている最中のことであった。
 クリスは一度手を止め、伯爵の言葉を咀嚼しながら櫛を通し、驚愕に再び手を止めた。

「う、ウルリクさま、もしかして、わ、私の食費が、家計を圧迫しているのでしょうか……?」

 櫛を持つ手が震える。
 クリスは健康になり、よく食べよく成長した。
 横にも多少伸びたが、縦の成長著しく、伯爵の食べ残しを片付けるていでは到底足りず、伯爵も小芝居が面倒になったので、自身はワインを傾けながら山盛りのパンをもりもり食べる従者の食事風景を眺めるという日常が出来上がりつつある。
 もちろん、クリスが食べれば食べるだけ食費はかかる。
 しかしそんな出費は伯爵にとって痛くも痒くもない。地下の隠し金庫に保管してある、ちょっとした国が一つ二つ買えそうな金貨の前では塵のような出費でしかない。
 それよりも、深刻な悩みがあった。

「違う。暇だ」
「は……」
「だから、暇なのだ。おまえは日中、町へ出かけては買い物だ頼まれごとだとやっているだろう。しかしおれはその間、もう何回も読んだ本をめくったり、おまえが毎日掃除してきれいな地下室や庭を粗探ししたり、散歩したり、日光浴したり、昼寝したり。それくらいしかやることがないのだ」

 あくせく働く民衆が聞いたら、羨ましさで怒りだしかねない物言いだったが、クリスはしっかりとお叱りを拝聴していた。
 ウルリクはとにかくあまり自身の希望を主張しないものだから(文句は言うが)、日中クリスが留守にしてもなにかしらやることがあるのだろうと勝手に思い込んでいた。
 なんてことだ。従者たるもの、主人の退屈を紛らわせて差し上げねばならなかったのに。

「も、申し訳、」
「ついては、おれも町に行ってなにかしようと思う。町のガキどもで遊んでもいいが、どうせやるなら金が稼げるほうがいいだろう。どう思う、クリス」
「え……い、ぇ、は、はい……ウルリクさま……」
「なんだ、嫌なのか?」

 主人に口答えをしてしまいそうになり、慌てて是と告げたのに。
 クリスは俯いていた顔を勢いよく上げ、その勢いに驚いた伯爵をまじまじと見つめた。失礼とわかっていても見つめた。

「ウルリクさま、町へ行かれるというのは、その……町には民が多くいますし、口さがないものたちや子どももおります」
「なんだ、心配せずとも噛み付いたりはせぬ。子どもにも、無礼な民にも。おれは分別のある吸血鬼だからな」
「それに、日中は日差しが、とてもまぶしく……」
「おまえ、おれに仕えてしばらく経つのにまだそんなことを言うのか? 日光など取るに足らぬ。長袖を着ればよいのだ。おれは強い吸血鬼だからな」
「……」

 もはやクリスにウルリクを引き止めるすべはなく。
 その日、廃城の城下町に魔性が降り立った。

「く、クリスっ! あ、あんたの家の方からすごい美形が!」
「はい、我が主人ウルリクさまです」
「あれがそうなのかい……いやはや、常識はずれの美形で、絵本の中の悪魔が現れたのかと思ったよ」
「……」

 ウルリクは悪魔ではないが、吸血鬼ではある。
 どう言ったものか思案するクリスの肩に、ぽんと手がのせられる。

「クリス、ここにいたのか。きちんとおれのあとを付いて来ねばならんぞ。……おや、そちらのご婦人は?」
「八百屋のマーサ夫人です、ウルリクさま」
「あぁ、いつも我らの食卓に美味い野菜や果物をもたらすのはそなたか。礼を言うぞ」
「は、はひぇ……」

 あわれな八百屋のマーサ夫人は、吸血鬼伯爵のよそ行きの笑みを真正面から喰らい、よろよろとくずおれた。
 その後もウルリクは美貌を惜しげもなく晒し、まるで領主かのように町民に言葉をかけながら町を練り歩いた。
 おかげでウルリクはすっかり町民たちに認知され、あっという間に小遣い稼ぎの仕事も決まった。

「教師、ですか……」
「うむ。おれの知識、知恵、教養、なにより人格を見込んでのことだそうだ」
「……」

 元々は町の片隅にあった教会の神父が開いていた青空教室、その後任にとのことだという。
 その神父が老齢により引退してからは、都会の本部から追加人員が来ることもなく、打ち捨てられつつある教会。
 そこで教鞭を取るのが吸血鬼というのはどうなのか。教養の乏しいクリスでもそう懸念できたが、本人は全く気にしていないようなので何も言わないでおく。
 ただ、自分だけの主人が他の者の目にも触れるようになるというのがどこか面白くなく、クリスは賛成も反対もしなかった。
 自然と唇をひん曲げて黙ってしまったクリスに、ウルリクはふんと鼻を鳴らした。

「名目上は町のガキどもの教育、実際はていのいい託児所扱いだが……おれの狙いは別にある。クリス、おまえの教育だ」
「え……私の?」
「おまえ、ろくに学校に通えていないだろう。今からどこかに通わせるには中途半端だし、おまえにはおれに仕えるという役目があるから遠くには行かせられんが、おれが手ずから学問を授ければ手間がない。教本もいちいち買って揃えるより、教会にあるものを使えば良いからな」
「……」
「ついては明日からおれと共に通うように。宿題を山ほど出してやる、喜べ」
「はいっ、ウルリクさま」

 じんわりとあたたかく感じる胸を押さえ、クリスは微笑んで頷く。
 ウルリクがかけてくれる不器用な温情すべてが嬉しかった。

 教師を新しく迎えて再開された青空教室は、最初こそ警戒されてクリスのみの参加だったが、三月もする頃には町の子どもが全員通うようになっていた。
 長命ゆえの豊富な知識と経験、巧みな話術、実用性を重視した学習方法、そして自信に満ち溢れた美貌の教員。
 子どもだけでなく親たちまで、ウルリクはすっかり町民を懐柔していた。

「せんせー、これ母ちゃんから」
「捧げものか。うむ、今日のパンも美味そうだ。母君によく礼を伝えろ」
「母ちゃんは先生に直接お礼言ってほしいって」
「それはできん。特別扱いはしないと決まっているのでな」

 美しく、そこはかとなく高貴で、そのうえ気さくなウルリク先生は保護者に大人気だ。
 大人気すぎてあちこちから秋波が止まず、保護者同士で互いを牽制し合う不可侵協定が結ばれているらしい。先生に贈り物をするときは必ず子を経由し、一対一で会ったり話したりすれば村八分にされるとかなんとか。
 ウルリクも心得ていて、特定の保護者を贔屓しないよう気をつけている。

「せんせー、吸血鬼なのにパン食べるの?」

 がたつく教卓に乗り上げて首を傾げる生徒に、周囲の生徒もうなずく。
 驚いたことに、ウルリクは異形であることを子どもたちに隠さなかった。
 曰く「子どもはなぜか気づくから、先んじて告げたほうが怪しくなくなる」とのことであった。

「食べないことはない。味の良し悪しはわかる。量を食べないだけだ」
「えー、じゃあ先生やっぱり血を吸うの? 血だけでお腹いっぱいになる?」
「血も吸ってない。おれは血を吸わない吸血鬼なのだ」
「なにそれ、へんなの」

 生徒たちは笑い、ウルリクは満足げにうなずいているが、クリスは笑えなかった。
 テキストに視線を落としつつ、握った筆記具がぎゅっと音を立てる。
 クリスは、両親に売られた子どもだった。
 生まれた村が貧しく、その上飢饉が重なって首が回らなくなり、クリスのような健康な子どもが何人も売りに出された。クリスは人買いに買われ、都会や僻地で誰もやりたがらないような労働に従事し、死んでいくものだと思っていた。
 しかしそうはならなかった。
 ひと束いくらで売られていた奴隷の中でクリスだけが、狡猾な笑みをたたえる東方系の商人に買われ、何をしろと言われる前に箱詰めにされた。
 空腹と疲労で気絶するように眠った間に箱ごと移動し、気づいたら「吸血鬼伯爵の血液袋」になっていた。
 それなのに、ウルリクはクリスを吸ったことがない。
 使用人として使うだけで、それ以外は破格の扱いを受けている。
 ほつれも破れもない衣類、最高級の食事、教育。労働内容は多岐にわたるが、決して激務ではない。給金こそ出ておらず、住処はボロ屋だが、必要なものはすべて伯爵が買ってくれるし、広くてあたたかいベッドがある。
 それなのに、ウルリクはクリスを使わない。
 持ち主に使われない持ち物に意味などあるのだろうか。
 無邪気にウルリクに懐く子どもたちを見ながら、ついそんなことを考えてしまう。
 案の定、クリスの憂う気配はウルリクに筒抜けだった。

「元気がないな。どうした」

 家事を終え、地下の使用人用個室に引っ込もうとしたクリスをウルリクが呼び止め、尋ねてくる。
 クリスはうろうろと視線を彷徨わせたが、結局観念した。

「ウルリクさまは、その、わたしを……お使いにならないのですか」
「何を言う。掃除洗濯料理と、日々働いてもらっているだろう」
「そうではなく! その、あの……」
「なんだ?」

 本当にとんと心当たりがない、と言わんばかりのウルリクに、クリスは肩を落として「なんでもありません」とつぶやき、消沈して部屋に下がってしまった。
 ウルリクはクリスの立ち去った空間を眺めながら、考えを巡らせ、やっと「クリスの本来の役割」のことを思い出した。
 そもそもウルリクは血を吸うために人間を買うつもりなど毛頭なかったため、またクリスが使用人として優秀であるため、「食糧」として扱うことなど完全に忘れてしまっていたのだった。
 次の日、ウルリクは改めてクリスを呼びつけた。

「クリスよ。たしかにおれは『血液袋』としておまえを買った。金貨10枚という破格でな」
「はい……」
「しかしおれは元々、食糧は必要としていなかったのだ。おまえを食糧として買ったというのはただの建前だ。それになにより、おれはな。吸血鬼には珍しく────ごく一般的な性癖しか持ち合わせておらぬのだ」
「……はい?」

 クリスのぽかんとした様子を気にすることなく、ウルリクは気難しげに頷いた。

「言いたいことはわかるぞ。吸血鬼たるもの、悪食であるとか、いかがわしい倒錯性癖とか、そういうものがあるはずだろうと。しかしおれはごく一般的な好みしかないのだ。痛いのも苦しいのも嫌いだし、それを他者に与えようと思ったこともない。一般的に欲望の対象にしないとされるものには興味がない」
「は、はぁ。一体なんのお話で……」
「つまり、だ。おれは、ちょっと前まで餓死寸前だったような、不健康で、未だ成長途中の少年から血を吸ったり、不当に辱めて興奮するといった性癖はないということだ。わかるか?」
「…………えぇと、つまり」
「おまえは好みではないのだ。吸血鬼は好みのものから血を吸うのだ。おまえを血液袋として使わないのはそういうことだ」

  「だから安心するがいい」と、なぜか自信満々に鼻を鳴らして胸を反らす主人に、クリスはとりあえず「なるほど」と言った。
 驚きすぎて憂いの消えたクリスは、すんなりと解放され、朝の雑務に戻った。
 伯爵のための朝食ワインを地下室から運び出しながら、クリスは自身のうちをぐるぐると渦巻く感情に困惑することとなった。
 すなわち、血を吸わないと宣言されたらされたで、モヤモヤするのである。

(私は、ウルリクさまに血を吸われたかったのだろうか……)

 それが答えであるような気がした。
 ワインと共につまめるチーズやハムを用意し、自身の朝食を作り、食堂へウルリクを呼ぶ。彼はほとんど食べないのに、食事は必ず食堂でクリスと共に摂ると決めているらしい。
 クリスはそこで、食事をしながらおずおずと尋ねた。

「ウルリクさま、さっきの続きですが。どのような、その、血液袋であれば、お召しになりたいと思うのですか?」

 チーズとワインに舌鼓を打っていたウルリクは、まるで青空教室の子どもたちが変な質問をしてきたときのような渋い顔をした。

「おまえもそういう下世話なことが気になる年頃か……」
「いえ、その、答えたくなければ、」
「いやいい。そうだな……まずは年齢だ。若い方がいいが若すぎれば食指が動かぬ。年寄りの血はまずいので吸わぬ。また病みもの、子を孕んでいるもの、痩せすぎ太りすぎも好まぬ。おれは経産婦もあまり好きではないので、必然、健康な若い男ということになるな」
「健康な、若い、男……」
「おい、勘違いするなよ。消去法でそれが残るというだけで、おれは夜な夜な同意も得ず血を吸うそこらの低俗な吸血鬼とは違うのだからな。あくまで消去法での答えであるぞ」
「はい……」

 あまりに生返事のクリスに、ウルリクは答えなければよかったと後悔しはじめていた。
 一緒に暮らすものが異形であるという時点で、クリスにどれだけの負担がかかるか未知数であるのに、その異常性を強調するような話はなるべく避けようと思っていた。しかしクリス本人から尋ねられたものを無下にはできないし、嘘やごまかしはもっとしたくなかった。
 その結果、この気まずい空気である。
 ウルリクは不味くなりそうなワインをくっと飲み干し、逃げるように食堂を退出した。
 あとに残されたクリスは、ウルリクが予想だにしないことで静かに感じ入っていた。

(私がこのまま、病を得ることなく年齢を重ねれば、ウルリクさまの好みにぴったり重なるかもしれない……!)

 それは確かに喜びだった。
 これまでずっとなにもかもを抑圧されて生きてきたクリスの中に、まるで灯火のように起こった、クリスが自覚した初めての、確固たる、欲望だった。
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