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第2章 私欲嫌いの破壊神

第8話 俺と言葉と

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 ♢♢♢バルシア目線♢♢♢

 あの2人組がいたのは予想外だけど、作戦は上手くいったかな。被害もないし、爆発事件を俺達の手でやり遂げられたし。
 それが嬉しくて、俺は隠れ家に続く地下水路の中でアニキの背中を追いかける。この光景は、あの日と一緒だ。何も、変わってない。今思い出すだけでも、アニキと出会えて良かった。



 俺は、あの日アニキと出会った。こことは違う、いわゆる異世界線と呼ばれる場所で。

「えっ、えぇぇ⁉︎」

 全ては、あの夢から始まった。波が俺を飲み込んだんだ。だが、息はできていて、閉じていた目を開けてみた。

「ここ……どこ?」

 どうやら宇宙空間のような場所にいて、それによって巻き上がる恐怖心で必死にもがいた。
 そうしているうちに、差し込む光が見えて、そこを目指した。

「はっ! こ、ここは?」

 俺はなぜか、短草が揺れる河原で寝転がっていた。瞳が、夜空に浮かぶ月を見つめている。
 悪夢を見ていただけだとしても、なぜ河原なんかにという疑念が残っていた。ちゃんと自分の家で、自分の部屋のベッドで眠ったはず。にもかかわらず、河原にいる。一体何がどうなってるんだ?

「とりあえず、帰ろう」

 寝転がった体を起こし、帰路を目指した。もし寝ぼけてもそう遠くまでは来てないはず。
 そう思って歩くが、全然見覚えのない家や道。まだ幼い俺は、夜闇と迷子という恐怖心で大声で泣きわめいた。
 その声で、電気を切っていた周囲の家に灯りがつき、だんだんと大人達が駆け寄ってくれた。

「君、どうしたんだい?」
「この子、放浪人じゃないかい?」

 俺の耳は特別だった。言語が違っても、自分の言語に翻訳できる。この耳と、そのとき出てきた人達の容姿のおかげで状況が分かった。
 俺が、異世界線に流れ着いたということだ。

「ボク、これ使いなさい。翻訳機」

 白い毛並みをした犬獣人の女性が、マイクタイプの翻訳機をくれた。
 これさえあえば十二分だった。何を話しているかは分かるおかげで、話せさえすれば何も困らない。

「あー、あー。聞こえてますか?」
「うん、大丈夫だよ」
「さて、この子……どうしたものか」
『それなら、私のところで育てましょう』

 俺を取り巻く大衆のせいで姿は見えなかったが、たしかにそんな声がした。

「モスクさん⁉︎ 良いんですか⁉︎」
「あぁ、もちろんだとも。富んでいるわけではないが、貧しいわけでもない。それで良いかい?」

 大衆がモーセの割った波のように割れ、そこをキリッとした目つきの黒狼獣人の男性が俺に向かって歩いてくる。
 そして俺の前に来ると、俺の頭にポンと手を置いてくれた。優しい温もりが、一気に俺の涙を引かせてくれた。

「怖かったろう。こんな夜遅い時間に子供1人で」
「うぅ……」

 俺はあのときほど家族以外の誰かに甘えたことはないだろう。それくらい泣いた。



 そして男性に連れられて、彼の家に入ると、眠い目をこすりながら玄関に座っている黒狼獣人の子供がいた。それがアニキだ。

「キルユウ、寝てなさいと言っただろう」
「泣き声したんだ、眠れるわけ……なぃ……」

 今にも眠気に負けそうだったのに、キルユウのアニキは必死に耐えていた。

「ボク、今日は居間で寝なさい。話は明日聞くから」
「うん」

 実をいうと、あのときは俺もすごく眠かった。寝起きかつ泣き疲れて。
 導かれるまま居間に敷かれた布団に横になり、俺はすぐに眠った。
 ただ、まぶたを閉ざす前に、空いたままの扉から廊下でアニキが俺を見ていた。



 翌朝、と言ってもかなり朝遅いが、俺は体を揺さぶられる感覚を覚えて目を開けた。
 アニキが俺の体を左右に「起きろ」と言いながら揺さぶっていた。

「ん……だ~れ~?」
「あ……」

 多分、子供のアニキでも俺の心を気遣ったんだろう。寝ぼけている俺から、目をそらして口一文字にしていた。

「あ、そうだっけ。俺……」
「気にすんな!」
「へ⁉︎」

 俺がまた泣きそうになった途端、アニキは目の色を変えて俺の肩を左手で掴みながら、右手で頭を押さえてくれた。

「俺がお前の兄貴だ! 良いな、だから泣くな!」
「兄貴……お兄ちゃんってこと?」

 それを理解して、結局俺は泣いた。それと同時に、首から下げていたロケットを開けた。

「僕のお兄ちゃん……死んじゃったから」
「なーに。俺は死なねぇ! そばにいるからよ、泣くな。それに、俺だって弟がいた。もういねぇけどな」

 あのときのアニキの顔を、俺は忘れられない。俺を見ながら瞳を揺らす、アニキの顔。
 それを見て、俺はここが居場所なんだということにした。



 そうしてからというもの、俺の日々は幸せだった。新しい生活にも慣れて、学校だって当然のように行けた。
 ほぼ転校のようなもので、前に俺のいた世界のことを話せた。物語りをしているかのような気分だったが、楽しかった。
 みんな、俺のことを仲間と見てくれていたからだ。1人にならずに済んだ。それだけで嬉しかった。
 だが、そんなある日。俺が学校からの帰路を歩いていると、前にトボトボと歩くアニキを見つけた。

「アニキ~!」

 俺はすかさずアニキのもとへ駆け寄り、肩を叩いた。しかし、いつもなら笑って応えてくれるアニキが顔を俯けたまま何も反応してくれなかった。

「アニキ?」
「あっ、バルシアか……。悪りぃ、今は1人にさせてくれ」
「……やだ」

 俺はその日、初めてアニキの言うことを拒否した。今まで俺のことを受け入れてくれたからこそワガママしてこなかったが、あのアニキの言葉は受け入れたくなかった。

「アニキのおかげで俺は1人じゃない。だから、アニキを1人にはさせたくない!」
「バルシア……俺、そばにいられねぇ」
「えっ。どういう……こと?」

 予想だにしていなかった言葉に、俺は理解が追いつかなかった。

「お前と同じだ。この世界から、俺が消える」
「……へ?」

 そんなことを突然言われ、俺は夢でも見ているのかと錯覚した。
 当たり前だろう、当時の俺からしてみれば夢でしか聞いたことのない言葉を耳にしたんだ。

「言っても分からんか。親父に話さなきゃな」
「……っ!」

 先に行こうとするアニキの手を、咄嗟に俺が掴んだ。何を言えば良いのか、なんて言えば良いのか。そんなの考えてもいないし知りもしない。

「その……えっと……」
「……一緒に帰るか?」
「……うん!」

 

 あの言葉を聞いてから、俺はずっとモヤモヤしていた。アニキの元気もなくなっていった。
 そんな俺にできることは何か、ずっと考えてきた。そして、あの日それが叶った。
 満天の星が輝く夜空の下。俺はアニキを連れてこっそり校庭の中へ忍び込んだ。

「アニキ、こっちこっち!」
「おいおい、どうし……⁉︎」

 俺にできる精一杯のサプライズだった。夜の校庭を眺めて、街灯の光がどう反射するかを学んだ。
 そうして出来上がったのは、蛍光スプレーで描いた、「アニキ、大好き!」という単純の文字列。

「……バルシア」
「アニキ、俺……消えるとか、わけ分かんないけどこれくらい言っとこうって!」

 溢れる思いが、涙となって溢れていく。言葉じゃ言えないけれど、形にできるなら。

「……波狭間夢はざま
「え?」

 聞いたことのない単語に、俺は聞き間違いを疑った。

「波狭間夢。お前も見たんじゃないか? 波と波の間に立っている夢」
「あっ……」

 そう、全てが始まった、波に飲み込まれた夢。俺も見た。波と波の間に立っている夢。

「あれは、この世界とは別の世界へ流される夢だ。だからよ……」

 アニキは俺の文字列が書かれた壁に寄りかかった。右手で、俺の文字をなぞる。それと同時に、なぜか俺の頭が撫でられているような感触があった。
 初めて出逢ったときと同じ温もりが伝わる。そのとき、俺の本当の能力に気がついた。
 俺は、“言霊を操る”。知らない言語でも、言霊を聞き分けている。俺が言霊を乗せた文字は、俺と同化する。

「アニキ……もしこれが俺の力なら!」

 俺はあることを思いついた。そして、それが功を奏して今はアニキと一緒にこの世界にいる。
 それは--



「アニキ~!」
「わっと、抱きつくな」
「良いじゃん! それより、また阻止しよっか!」
「まあそれはもちろんだがな……」

 俺はあの次の日、言霊を乗せた手紙を包んだお守りをアニキに渡した。
 その文字が俺の願いを叶えて、アニキと一緒に波狭間夢の向こうへ辿り着けた。大事なものをたくさん置いてきて、寂しい思いをさせているかもしれない。だけど後悔はしてない。
 この世界で大冒険できている。たくさんの出会いに触れて、俺は今生きている。それ以上のワガママは言えっこない。
 だからこそ、俺たちの手で事件を起こさなくちゃいけない。アネゴの手を汚さないためにも。

『2人とも』

 背後からの鋭い声に、俺達は背筋を凍らせた。もちろん声の主は短い黒髪で桜模様の髪留めをしたアネゴだ。

「2人が手を汚さないで。私がやるから」
「……ノール、もう良いだろ?」
「良くない。私利私欲の塊を、私が壊す!」

 そう言い残して、アネゴはそそくさとハシゴを登ってマンホールの外に出ていった。

「アニキ。絶対止めよう!」
「あぁ……」

 さっきからアニキ、右腕をずっと掴んでる。痛いのかな、でもアニキ我慢強いから心配しても強がるかも。
 だったら強がれないようにすれば良いのかも。

「アニキ、温泉行こ!」
「なっ、温泉⁉︎」
「良いでしょ! ずっとこんなところにいるんだもん!」
「まあ、そうだが……分かった、行くか」

 俺は何をどうすれば良いのかなんて考えられない。それでもアニキといられれば、それだけでいい気がする。
 俺のことを受け止めてくれるアニキとそばにいられるだけで、俺は嬉しかった。
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