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第1章 彼女の香りと天気雨
§5§
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バスに揺られてハーブガーデンに帰り着くと、ちょうどマオが庭に出て植物の手入れをしているところだった。
「おかえりなさい。花穂さん、今日はどちらにいらしてたんですか」
「えっ、いえ、えっと……」
口ごもっていると、マオは花穂の肩先に顔を近づけてくる。
「なっ……なんですか、マオさん」
「……なるほどなるほど」
花穂の戸惑いをよそに、マオはうんうんと頷いて、何かを納得した様子だ。
「お休みの日に申し訳ないですが、少しだけお手伝いいただけますか?」
「え、ええ。大丈夫ですけど、何をするんですか」
にっこりと笑って、マオは籠を手にして花穂を先導し、ハーブガーデンの中に入っていく。
「ローズマリーにペパーミント、それからゼラニウムを」
指差しながらマオは手際よくハーブを摘み取っていく。
花穂はマオの指示でゼラニウムの花と葉を摘んだ。薔薇に似た華やかな香りがする。
籠がハーブでいっぱいになると、次にマオが向かったのは、店舗の裏側にある小屋だ。飾り気のない建物へと、マオは花穂を招き入れる。
「僕の仕事部屋です」
「ふわー、すごい。魔法使いの部屋みたいですね」
部屋の中は薄暗かった。窓がないのだ。白熱灯の光が室内をセピア色に照らし出している。棚には大小様々の遮光瓶、それから理科の実権でおなじみのーカーやフラスコが並んでいる。
一際目を引くのは、大人でも一抱えほどはありそうな銀色のタンクと、やや小振りのタンク、それから硝子容器が繋がった機械だ。
何の機械だろう。よく見ると、部屋の中には小型ではあるが似たような構造の機械がいくつか見えた。硝子製の物もあれば、銅製の物もある。
「これらは水蒸気蒸留器といって、水蒸気の力で植物から香りを抽出する機械です。他にも方法はありますが、これが一番ポピュラーです」
マオは先ほど摘んだハーブたちを種類ごとに蒸留器のタンクに入れていく。中には水が入っていて、これを熱すると精油を含んだ水蒸気が上がる。
それを冷却したものが硝子容器に溜まる仕組みなのだそうだ。
「失礼」
「はっ、はい……っ?」
マオは先ほどと同じように、花穂の肩先に顔を近づける。それから、納得したように頷いて、棚から瓶を一つ取り出した。
「これはティートゥリー。とてもポピュラーに使われている精油で、グリーン系の爽やかな香りがします。うちで抽出したものです」
差し出された瓶に鼻を近づけてみると、キリリとした澄んだ香りが鼻孔をくすぐる。
「これから抽出する精油に、これをブレンドします」
「ブレンド……ですか」
エッセンシャルオイルは単体だけではなく、幾種類か相性のよいものをブレンドして使用することもある。
ハーブガーデン・コイウラにもオリジナルの商品がいくつかあるのを思い出した。
「ティートゥリーに含まれる芳香成分テルピネン4オールが与えてくれる森の香りに、ベルガモットのリモネンで優しい刺激を、ゼラニウムのフローラルなゲラニオールはほんの少し花を添える程度で、清涼感のためにペパーミントのメントールをほんの微量」
マオは抑揚のない声で早口に言い放つ。
なんだろう。呪文かな?
花穂はぽかんとした顔のまま、マオがノートのさらさらと香りのレシピを書き込んでいく。
「あ……もしかして、ポーさんのためにブレンドするんですか」
マオはにっこりと笑って、花穂に向き直る。
「ポーさんのために、彼の思い人に会いに行ったんでしょう」
「えっ、ああ……はい」
お見通しだったのか。こっそり出かけたつもりだったのに。
「今日の花穂さんからは、夏の朝の匂いがしましたからね」
ああ、さっき顔を近づけてきたのは、匂いを嗅いでいたのか……。
急に恥ずかしくなって、花穂はマオから少し距離を取った。
「ポーさんの思い人から香るのは、香水やエッセンシャルオイルではないですね。だけど、近い香りを作ることはできます」
言いながら、マオは鼻歌交じりに先ほど書きつけたノートを見せてくれた。やっぱり魔法の呪文にしか思えない。
だけど魔法なら、ポーの願いは叶えられるのだろうか。
「ポーさん、喜んでくれるといいな……」
ぽつりと呟くと、マオはほんの僅かに眉をひそめた。
「あ、あの……わたし、おせっかいでしょうか……」
「そうですね。おせっかいですね」
きっぱりと言われ、花穂はがっくりと項垂れる。そんな花穂を見て、マオは微笑んで言葉を継いだ。
「花穂さんの意図を汲んでこんなことをしている僕もそうとう、おせっかいですけどね」
マオは肩を竦めて笑う。その表情で、少なくともマオは花穂の行動を否定しているわけではないのだとわかった。
「マオさん、わたし……これまで、何度もおせっかいだと言われたことがあるような気がするんです」
「何か思い出したんですか?」
「そういうわけでは、ないんですけど……」
なんだろう、胸が苦しい。ずっしりと重い石を抱えているような感じがした。
「花穂さんは親切で優しいですよ、とても」
マオは柔和に微笑む。本心なのか、慰めなのかよくわからない。だけどその言葉を聞けてほっとした。
「さあ、そろそろ食事の時間ですね。食べ終わった頃には蒸留が終わっているはずです」
今日の食事当番はモアだ。彼女は三人の中で一番料理が上手だ。小さな身体でテキパキとおいしい物を作ってくれる。
お腹が空いたというマオに促され、花穂はもやもやを胸に残したまま、食堂へと向かった。
「おかえりなさい。花穂さん、今日はどちらにいらしてたんですか」
「えっ、いえ、えっと……」
口ごもっていると、マオは花穂の肩先に顔を近づけてくる。
「なっ……なんですか、マオさん」
「……なるほどなるほど」
花穂の戸惑いをよそに、マオはうんうんと頷いて、何かを納得した様子だ。
「お休みの日に申し訳ないですが、少しだけお手伝いいただけますか?」
「え、ええ。大丈夫ですけど、何をするんですか」
にっこりと笑って、マオは籠を手にして花穂を先導し、ハーブガーデンの中に入っていく。
「ローズマリーにペパーミント、それからゼラニウムを」
指差しながらマオは手際よくハーブを摘み取っていく。
花穂はマオの指示でゼラニウムの花と葉を摘んだ。薔薇に似た華やかな香りがする。
籠がハーブでいっぱいになると、次にマオが向かったのは、店舗の裏側にある小屋だ。飾り気のない建物へと、マオは花穂を招き入れる。
「僕の仕事部屋です」
「ふわー、すごい。魔法使いの部屋みたいですね」
部屋の中は薄暗かった。窓がないのだ。白熱灯の光が室内をセピア色に照らし出している。棚には大小様々の遮光瓶、それから理科の実権でおなじみのーカーやフラスコが並んでいる。
一際目を引くのは、大人でも一抱えほどはありそうな銀色のタンクと、やや小振りのタンク、それから硝子容器が繋がった機械だ。
何の機械だろう。よく見ると、部屋の中には小型ではあるが似たような構造の機械がいくつか見えた。硝子製の物もあれば、銅製の物もある。
「これらは水蒸気蒸留器といって、水蒸気の力で植物から香りを抽出する機械です。他にも方法はありますが、これが一番ポピュラーです」
マオは先ほど摘んだハーブたちを種類ごとに蒸留器のタンクに入れていく。中には水が入っていて、これを熱すると精油を含んだ水蒸気が上がる。
それを冷却したものが硝子容器に溜まる仕組みなのだそうだ。
「失礼」
「はっ、はい……っ?」
マオは先ほどと同じように、花穂の肩先に顔を近づける。それから、納得したように頷いて、棚から瓶を一つ取り出した。
「これはティートゥリー。とてもポピュラーに使われている精油で、グリーン系の爽やかな香りがします。うちで抽出したものです」
差し出された瓶に鼻を近づけてみると、キリリとした澄んだ香りが鼻孔をくすぐる。
「これから抽出する精油に、これをブレンドします」
「ブレンド……ですか」
エッセンシャルオイルは単体だけではなく、幾種類か相性のよいものをブレンドして使用することもある。
ハーブガーデン・コイウラにもオリジナルの商品がいくつかあるのを思い出した。
「ティートゥリーに含まれる芳香成分テルピネン4オールが与えてくれる森の香りに、ベルガモットのリモネンで優しい刺激を、ゼラニウムのフローラルなゲラニオールはほんの少し花を添える程度で、清涼感のためにペパーミントのメントールをほんの微量」
マオは抑揚のない声で早口に言い放つ。
なんだろう。呪文かな?
花穂はぽかんとした顔のまま、マオがノートのさらさらと香りのレシピを書き込んでいく。
「あ……もしかして、ポーさんのためにブレンドするんですか」
マオはにっこりと笑って、花穂に向き直る。
「ポーさんのために、彼の思い人に会いに行ったんでしょう」
「えっ、ああ……はい」
お見通しだったのか。こっそり出かけたつもりだったのに。
「今日の花穂さんからは、夏の朝の匂いがしましたからね」
ああ、さっき顔を近づけてきたのは、匂いを嗅いでいたのか……。
急に恥ずかしくなって、花穂はマオから少し距離を取った。
「ポーさんの思い人から香るのは、香水やエッセンシャルオイルではないですね。だけど、近い香りを作ることはできます」
言いながら、マオは鼻歌交じりに先ほど書きつけたノートを見せてくれた。やっぱり魔法の呪文にしか思えない。
だけど魔法なら、ポーの願いは叶えられるのだろうか。
「ポーさん、喜んでくれるといいな……」
ぽつりと呟くと、マオはほんの僅かに眉をひそめた。
「あ、あの……わたし、おせっかいでしょうか……」
「そうですね。おせっかいですね」
きっぱりと言われ、花穂はがっくりと項垂れる。そんな花穂を見て、マオは微笑んで言葉を継いだ。
「花穂さんの意図を汲んでこんなことをしている僕もそうとう、おせっかいですけどね」
マオは肩を竦めて笑う。その表情で、少なくともマオは花穂の行動を否定しているわけではないのだとわかった。
「マオさん、わたし……これまで、何度もおせっかいだと言われたことがあるような気がするんです」
「何か思い出したんですか?」
「そういうわけでは、ないんですけど……」
なんだろう、胸が苦しい。ずっしりと重い石を抱えているような感じがした。
「花穂さんは親切で優しいですよ、とても」
マオは柔和に微笑む。本心なのか、慰めなのかよくわからない。だけどその言葉を聞けてほっとした。
「さあ、そろそろ食事の時間ですね。食べ終わった頃には蒸留が終わっているはずです」
今日の食事当番はモアだ。彼女は三人の中で一番料理が上手だ。小さな身体でテキパキとおいしい物を作ってくれる。
お腹が空いたというマオに促され、花穂はもやもやを胸に残したまま、食堂へと向かった。
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