ハーブガーデンはいつも雨上がり

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第3章 エルダーフラワーのお茶をもう一杯

§4§

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 マオの笑顔に送り出されて、バスに乗った。
 乗客はほかにおらず、車内の空気はひんやりとしている。
 車内灯はついておらず、外の明るさが窓から差し込んで、バスが揺れるたびに陰影も合わせて揺れた。
 だんだん頬の火照りが収まったモアは、深いため息をついた。

「ごめんなさい。せっかくのお出かけなのに……あれではまるで、出かけたくないみたいだったわね」
「ううん、いいよ。だってモアさんは、マオさんと一緒にいたいんだもんね」

 少し冷めた朱がまたモアの頬に灯る。恋する乙女の表情は忙しない。

「ラウレアさんは、以前からの常連さん?」
「ええ。わたしがくる前から、ときどきいらしていたみたい。ラウレアさんがいらっしゃったときは、いつも店は自分が見るからいいって……」

 ああ、それで出かけるのを渋っていたのか。ラウレアが来店するのだろうと思って。
 ようするに、やきもち。マオとラウレアが二人きりになるのが嫌なのだ。

「ドライハーブをお求めになるのよ。ブレンドしてハーブティーにしたり、パンに混ぜ込んだりするそうよ。わざわざご来店されなくても、お届けしますのに……おいでになるのよ、わざわざ」

 二回目の『わざわざ』にあからさまな棘を含んでモアが言う。眉根を寄せて、唇は尖っている。
 本当に、わかりやすい子。

 モアがラウレアの存在に過敏になる気持ちはわかる。
 確かに、マオさんにはお似合いだ。年齢も近そうだし、二人とも穏やかで、大人の素敵なカップルって感じがする。もちろん、それは口には出さないけれど。

「花穂さん?」
「ああ、えっと……今日はどこに行こうか。二人でお出かけなんて初めてだね。映画かお芝居でも観る?」
「お芝居?」
「うん。街に出たら当日券があるかどうか調べられると思う」

「花穂さんは、お芝居がお好きでしたの?」
「そ、そうね。そうみたい」

 何故かするっと外出先の候補に出てきた。きっと以前もよく観劇をしていたのだろう。

「応援していた役者さんでもいらしたのかしら」
「応援かぁ……そんな気がする」
「どんな方なのでしょうね。気になります。男性かしら」
「えっ、ど……どうだろ。可愛い女の子かもしれないじゃない?」

 言いながら、なんとなく男の人だったのだろうなと思う。思い出すとちょっと胸が騒がしい。
 焦る花穂を不思議そうに見てから、モアは少し困ったように眉を下げた。

「だけど花穂さん。お芝居だと、帰りが遅くなってしまうでしょう? それはちょっと……」
「それじゃあ、おいしい物を食べてショッピング?」
「そうねぇ。おいしい物がいいわ。マオさんにお土産を買いたいの」

 モアには当てがないと言うので、花穂がインスピレーションが導くままに場所を選んだ。大きなショッピングモールはないけれど、可愛いカフェや雑貨店が並ぶエリアに向かう。
 デパートがあるからマオからの頼まれ物も調達できる。
 
 路面店が立ち並ぶ通りを少し歩くと、心の中がさわさわと波立つ。
 見覚えがある……のかな。
 確信はないけれど、何も考えなくても足が勝手に進む。次の角を曲がったら、硝子張りの小さなお店があるはずだ。
 木の扉には小さなプレートがかかっていて、カカオの実のイラストが絵が描かれて……。

 少しドキドキしながら角を曲がる。すると、頭に思い浮かべていたのと同じ光景があった。

「ここ! ここのチョコレートはおいしいんだ! 特にオレンジのクリームが入ったプラリネが!」

 興奮気味で店内に入ると、チョコレート色の制服を着たスタッフが品よく迎えてくれる。
 ショーケースに整然と並んだプラリネに心躍る。ナッツやドライフルーツ、花びらの砂糖漬け……様々な化粧を施された艶やかなチョコレートたち。

「とても綺麗ね、花穂さん」
「そうなの。飾っておきたいくらい、綺麗なの」

 ピスタチオにジンジャー、それからオレンジクリームのプラリネ。一粒ずつチョコレートを選んで箱に詰めてもらう。心躍る一時だった。

「はい。これはモアさんの分。みんなと食べる分とは別だよ」
「まぁ。いいの?」
「うんうん。箱もすごく可愛いでしょ」

 モアは頷いて、大事そうに二粒入りのチョコレートの箱を受け取った。

 箱やショップバッグの可愛さも大事なのに、男子はあまりわかってくれない。
 中身がおいしければそれでいいって言う。女の子の見た目にはあれこれ口を出すくせに。

「さて。次はどこへ行こうかな」

 ふと湧き上がった嫌な感情を呑み込んで、花穂は周囲を見渡す。

「女学生さんが多いのね。近くに学校があるのかしら」
「女子大と女子高があるの。だから可愛い雑貨屋さんとかカフェが多いんだ」

 通りを歩くのはほとんど女の子たちだ。制服の子も私服の子も、派手なタイプではなく、みんな淑やかなベールをまとっている。

 スカート丈は膝より下、髪色は生まれたままかほんの少しだけ明るく。メイクは大学生になってから。私服も露出は少なく学生らしく。

 これは彼女らなりの武装だ。周囲の期待する子でいるほうが、何かと生きやすいから。
 
 花穂はそっとため息をつく。懐かしい気持ちとともに、もやもやとした感情がつきまとう。

「花穂さんはこの辺りに馴染みがあるのですね」
「えっ、あ……うん、そうみたい」

 さっきのチョコレートショップは行ったことがある。近くに大学と高校があることも。
 坂を下るといつも混んでいるパスタのお店、はす向かいにはちょっと頑張らないと買えないけれど、素敵な洋服が並ぶセレクトショップ。

 知っている。この場所を知っている。
 
 そう思った途端、急に景色が鮮やかになって眼前に迫ってくるような気がした。
 女の子がさざめき笑い合う声が大きくなったり小さくなったりする。
 
 嫌な感じ。頭の中をぐちゃぐちゃ混ぜっ返されているみたい。

「花穂さん? ねぇ、花穂さん……?」

 つんと袖を引かれて我に返る。少し、目眩がした。

「わたし、おなかが空きました。えっと……あ、あそこ。あのお店に入ってみたいわ」

 モアが指差したさきには、白を基調としたいかにも女の子が好みそうなカフェがあった。店先には開店祝いの花がいくつか並んでいた。

「うん、そうだね。お昼にしよう」

 モアの提案にほっとして、ランチにサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを食べて、デザートにはカボチャのプディングを頼んだ。
 明るい陽射しが差し込むテーブル席はとても居心地がいい。

 店内には雑貨コーナーがあったので、食後、モアと一緒に覗いてみた。手作りのアクセサリーや雑貨がこじんまりとレイアウトされていた。

 モアが手に取ったのは、ミモザを象った髪飾りだった。レース糸で繊細な花と葉っぱを表現してある。ところどころ金色のビーズが光る。

「これ、素敵……どうやって使うのかしら」
「どうぞ、つけてみてください」

 店員に声をかけられると、モアは少しびっくりして、慌てて品物を元に戻した。

「えっ……だ、大丈夫です……」
「恥ずかしがらなくていいじゃない。試しにつけてみたら?」

 遠慮するモアを鏡の前に立たせ、編み込んだところに差し込んでみる。黒髪に明るい色が映えて、とても綺麗だった。

「うん、似合うよ。やっぱり、黄色はモアさんって感じするね。よし。お姉さんが買ってあげちゃう」
「えっ、いいわ。だってさっき、チョコレートも買ってもらったのに」
「いいのいいの。そういう気分なんだよ」

 記憶を刺激されて混乱していたところでこの店に入ろうと提案され、助かったのだ。
 真新しい店なら、奥底に潜んだ気持ちが噴出することもない。

 髪飾りをプレゼント用にラッピングしてもらって、モアに渡した。
 しばらく手のひらの上で小さな包みを眺めたあと、モアは深々と頭を下げて礼を言ってくれた。
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