ハーブガーデンはいつも雨上がり

fig

文字の大きさ
上 下
33 / 47
第4章 思い出のマローブルー

§2§

しおりを挟む
 このハーブガーデンに辿り着いて、どれくらい経っただろう。夏が過ぎ、モアは旅立って秋がきた。
 花穂はハーブたちのご機嫌をうかがいながら水をやる。このところ晴れの日が続いて空気が乾燥している。その上スプリンクラーの調子が悪いから、花穂はホースを手にして水をまいていた。

 自分に向き合わなければ。いつまでも心地好い日常に甘えていてはいけない。
 モアが旅立った日から、花穂はそう決意した。

 だけど、決意しただけで具体的に何をどうすればいいのか、わからないままでいた。
 考えたところで何ひとつ思い出せない。

 大きく腕を振って水をまくと、上手く光があたって虹ができた。
 その中に一瞬見えたのは、少し気の弱そうな男の人。

 あの人に会わなくちゃ。
 花穂のことが見えなかった、あの人に。

「お嬢ちゃん、お手伝いかい。いい子だねぇ」
「一緒にお菓子はどうだい?」

 不意に、脳天気な声が飛び込んでくる。脳裏に浮かんだ映像は呆気なく掻き消された。
 おばあちゃんたちが東屋に向かう途中で花穂に声をかけてきたのだ。
 花穂は控えめにため息をつき、笑顔を作る。

「あっ、ごめんなさい。まだ仕事が残っているんで」
「仕事なんてあとでもいいよ。お茶が冷めないうちにおいで」
「そうそう。人生には寄り道と休憩が必要なんだよ。ほら、バナナとチョコレートのマフィンは嫌いかい?」
「大好物です!」

 思わず即答してしまうと、二人は盛大に笑った。
 少し、気分を変えるのもいいかも。そう自分に言い聞かせて、花穂は二人から荷物を引き受け、東屋に向かう。

 外でお茶をするには肌寒い季節だけれど、その分、温かい飲み物がおいしく感じる。マフィンを頬張り、ジンジャーとレモンマートルのお茶を含む。幸せな瞬間だった。

「もうひとつお食べよ、お嬢ちゃん」
「そうそう。このくらいで太ったりしないよ。なんったってお嬢ちゃんは働き者だからね」

 おばあちゃんたちに言われてつい手が伸びそうになるが、慌てて引っ込め、ごちそうさまと手を合わせる。

 お菓子を食べ過ぎだって注意してくれたモアはもういない。自制しなくては。お茶だけお代わりをもらって、ふと気づいて花穂は問う。

「そうだ。おばあちゃんたちはラウレアさんって知ってます?」

 にこやかだった二人の表情が曇る。彼女らのこんな顔は見たことがなくて、花穂は少々怯んだ。

「ああ、知っているよ。生意気な小娘だったね。好きじゃなかったよ。なんていうか、察しがよくてね」
「そうそう。見なくていいものを見てしまうんだ。まったく、迷惑な話さ」

 顔を見合わせて、眉間に皺を寄せる。
 思いがけず険しい表情を見てしまい、花穂は困惑しながら、さっき遠慮した二個目のマフィンに手を伸ばす。

「……まぁ、苦労の多い子だよ。ある程度、見たくないものは目を瞑って生きるのが賢いやり方なのにさ。どうしても見てしまうというのは、不幸なことだよ」
「同情はするがね。それと好き嫌いは別さ」
「あの子は自分を殺そうとした。罪深い子だ」

 彼女自身もそう言っていた。毎日、自分を殺していたと。

「えっと……それは、自殺未遂ってことですか?」
「身体を殺すのは諦めたみたいだったね」
「代わりに心を殺そうとしたのさ」
「罪には変わりない。人殺しだよ」

 吐き捨てるように言って、二人はマフィンを頬張る。皺だらけの口元がもごもごと動いて、咀嚼にはずいぶんと時間がかかった。歯が足りないからだろう。
 ごくりと喉を鳴らしてお茶を飲んだあと、老婆は声を揃えて言った。

「お嬢ちゃんは……大丈夫かい?」

 青白く濁った四つの目が見つめている。ドキリとして花穂は後退った。

「わ、わたしは自殺なんて……。あっ、そろそろ仕事に戻りますね! ごちそうさまでした!」

 逃げるように東屋を去った。背中に、あの青白い視線が突き刺さっているような気がして、怖かった。

 だけど、どうして怖いのだろう。自殺なんて考えたこともないし、肯定する気もないのに。何故か責められているような気がした。

 水やりを再開するけれど、空は曇って、もう虹はできない。
しおりを挟む

処理中です...