傲慢貴族な転生者が、ハイスペックな敵キャラに籠絡されるなんて!?

飯田 いち太郎

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理想と現実

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 眠っている間だけは、すべてを忘れられる。過去も痛みも、誰かの顔も、残酷な現実も。夢の中に沈んでいれば、何も考えずに済むから。

───このまま、ずっと目を閉じていられたらいいのに。

 そんな淡い願いが、微かな物音に掻き消される。

「い・・・ったく、ない?」

 まだ陽も昇りきっていない早朝。聞き慣れない低い声が、室内に響く。
 ベッドの傍で椅子にもたれながら眠っていた俺は、その音に意識を引き戻された。

 男は額に手を当てて、うっすらと眉をひそめている。喉は枯れ ているようで、聞いているだけで痛々しい。

「こ、こは……?」

 焦点の合わない目を彷徨わせて、低い声を出す男。

 初めて聞く声だった。

 男はまだ朦朧としたまま、ベッドの上でこちらを見つめていた。警戒というよりも、現実を受け入れきれていないような戸惑いが、その顔に浮かんでいた。

「貴方が、助けてくれたんですか?」

「さぁ?」

 俺は適当に返しながら、肘をついてニヤリと笑った。

 本当なら、怪我が治ったのならさっさと出て行けと、そう言えばよかったはずだ。

 なのに、どうしてかそれができなかった。実際に出た言葉は、気怠げな返事だけ。

 俺はいつの間にか、感情の出し方が分からなくなっているのかもしれない。

 不思議そうな顔をしている男と、仮面越しに目が合った。

 見た目も声も、記憶にないものなのに。

 どうして、こんなにも胸がざわつくんだろう。

 俺は、どこか期待していたのかもしれない。似ていればいいのにと、思っていたのかもしれない。

 違う、違う。

 くだらない。

 頭の中でそんなことを考えていたら、目頭が段々湿ってきて、ぽろりと涙がこぼれていた。

 一滴、二滴・・・涙が落ちて、静かに床に染み込んでいく。

「・・・ッ!!」

 俺の顔を見たその男が、驚いたように身を起こした。片腕を伸ばし、触れようとして───躊躇うようにその手は途中で止まり、そっとシーツの上に戻された。

「・・・貴方の名前を、聞いてもいいですか?」

 視線を外しながら、遠慮がちに問いかけてくる。

「好きに呼んでいい。」

 俺は名乗る気にもなれず、吐き捨てるように言葉を返した。

 どうせ、名前なんて伝えたところで意味はない。

 まだ誰かと共に暮らすことに、息苦しさを覚えてしまう。だから、傷が癒えたのなら、すぐさま追い出すつもりだった。

 ならば、こちらの名前を教えたところで、相手にとっても無価値なものだろう。

「好きに、ですか?」

「・・・ん。」

 男はしばらく考えてから、ぽつりと言った。

「えっと、じゃあ・・・ミドリさん?」

「・・・。」

 あまりに意外で、子どもじみた響きに、呆気に取られる。反応に迷った末、唇が自然と緩んでいく。

「・・・ふ、ふふ。」

 堪えきれず、喉の奥から笑いが漏れ出す。最初は小さく、くすくすと。

「はははっ。」

 気づけば、声を立てて笑っていた。

 あまりにも可愛らしい名前。

 大柄な男が真剣な顔で口にするものだから、余計おかしく感じてしまう。

「あ、すみませんッ!」

 俺の反応に戸惑うその顔がまた、何とも言えず間が抜けていて。

 こんな風に笑ったのは、いつぶりだろう。

「目の色が緑色だからか? 面白い。・・・俺はアゼク。よろしく」

「・・・男性!?」

「悪いか?」

 今日の服装は、ローブにも見える簡素なスカートのような装いだった。間違われても不思議じゃない。

「いえっ!いえ、全然っ!とても可愛らしい方だったので、つい。」

「・・・怒るぞ。」

 “可愛い”・・・か。

 何度も言われたその言葉。とても懐かしい、言葉。

「お前の名前は?」

「・・・名前、ですか。」

 男は少し考えるような仕草をしてから、ぽつりと答える。

「時々、太陽だとか、聖人とか・・・そう呼ばれることがあります。」

「ワケありか。」

 名乗りたくないのか、名乗れない深い事情でもあるのだろうか。

「それじゃあ、セインって呼ぼうかな。」

「良いですね。その響き。」

「あっ・・・。」

 聖人・・・セイジンから、考え付いた名前。

 けれど、無意識にルインに似た響きを選んでいたことに気付いた瞬間、胸が苦しいほどに締めつけられる。

───俺は、何を言っているんだ。ルインの面影すらないこの人に、何を求めてしまっているんだ。こんな、こんな・・・。こんなのは、いけない。

「や、やっぱり───」

「アゼクさん、よろしくお願いします。」

「・・・ん。」

 違う名前を伝えようと思ったら、爽やかな笑顔を返されてしまう。俺は言葉を飲み込んで、ただ頷いた。

 誤魔化すように、俺は椅子の背にもたれて、そっと息を吐いた。

・・・なんだか肩が無性に重い。少し疲れてしまった。

 外では、まだ雨が降り続いていた。しとしとと木々を濡らし、静かに大地を潤している。

 立ち上がって、無意識に部屋の片隅へ歩く。何かをしていなければ、永遠と考え事をしてしまいそうだった。

 椅子の上に置いた濡れたタオルを手に取り、畳み直し、冷水の入った瓶を元の棚に戻す。俺は、気を紛らわせるように、手当たり次第片付けていた。

「アゼクさん。」

 背後から、名前を呼ぶ声がした。

「・・・ん?」

 振り返ると、ベッドの上でセインが上半身を起こしかけていた。治癒魔法を掛けたとはいえ、まだ疲れているはずなのに、こちらをまっすぐに見ていた。

「何か、お手伝いをさせてください。」

「別にいい。寝てろ」

 歩み寄り、片手でセインの肩をぐいっと押す。あっさりと、その身体は布団の中へ戻ってくれた。

「でも───」

「また動こうとしたら、攻撃してでも止めてやる。」

「・・・はは。」

 控えめに笑ったその声は、雨音に溶け込むように優しかった。

 空気が少しだけ、柔らかくなる。

「セイン。」

「はい!」

「少しの間・・・ここにいてもいいぞ。」

「いいんですか?」

「・・・ああ。」

 どうしてそう言ったのか、自分でも分からない。けれど、自然と口からその言葉が出ていた。

 心の中で、ほんの少し、凍っていた何かが解けていく気がした。
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