悪役令息になった俺は、殺人兵器と呼ばれる男に溺愛される。

飯田 いち太郎

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騎士と父

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 ひらりとドレスをなびかせながら、全速力で中心街を駆け抜ける。金色のウィッグが陽光を弾き、目の端で花束が揺れる。スカートの裾がふわりと舞い上がるたび、足にまとわりつく風が、妙に現実感を伴って肌を撫でていった。

 後ろからは、硬い靴底が石を打つ足音が、慌ただしく響いていた。数メートル後方に、父が迫ってきている。

 しかし、人混みを縫うように走っていると、その音は次第に遠ざかっていった。

「・・・ふぅ。」

 息を整えつつ、走る速度をわずかに緩めた瞬間。視界の端で、何か大きな影が動いた。

 曲がり角を抜けたその先で、突然現れた背の高い人影に、思わず声が漏れてしまう。

「わっ!?」

 咄嗟に避けようとしたが、慣れないヒールが足元をすくう。バランスを失った身体は、自分でも驚くほど簡単に、その人の胸の中へと飛び込んでいった。

 硬い筋肉と、布越しに伝わるわずかな温もり。香水でも石鹸でもない、衣服に染み込んだ草木の匂いが鼻をかすめる。

「・・・。」

「ごめんなさ───」

 恐る恐る顔を上げる。目に映ったのは、完璧なまでに美しい、冷静そうな男の顔。ほんの少し目を丸くして、何となく驚いているように見えたその男は、かすかに揺れる光を瞳に灯し、射るような目つきでこちらを見ていた。

───レークだ。

「ご、ごめんなさい、私、よそ見しちゃって。」

 慌てて目を伏せる。

 病弱な少女のように振る舞いながら、先程と同じく、声も少し高めにしてみた。けれども、どういう訳か心臓が騒いでしまい、少しばかりくぐもった声になってしまった。

「構わない。」

 低く落ち着いた声が、耳の奥に甘く響いた。

 その瞬間、レークの指先が俺の手を取り───まるで獲物を確かめるかのように、ふっと鼻先を近づけた。

───いや、犬か、お前は。

「あの・・・手を、離していただけませんか・・・?」

 困ったように、上目遣いで伝える。しかし、素直に離してくれる気配は無く、握られた手から、じんわりと熱が伝わってきた。

 このままじゃ、顔を見られて正体がバレるのも時間の問題だろう。そうしたら、似合ってないだとか、変な格好だとか、そう言われるかもしれない。

 嫌な想像をしてしまい、若干涙目になりかけていた、その時───

「・・・。」

「わっ!?」

 無言のまま、レークは俺の身体をぐっと引き寄せた。そして、そのまま、ぎゅうっと優しく抱きしめた。

 首筋に熱が落ち、背中に回された腕が、逃げ道を塞ぐように絡んでくる。

 抱きしめられた反動により、落ちてしまった帽子と花束が、石畳の上で小さな音を立てた。

「───ッ何するんだよ!!離せ!!」

 女装をして正体を隠しているため、彼にとって今の俺は、ただの他人───見知らぬ少女にすぎない。

 そのはずなのに、こんなことをしてくるなんて・・・どうかしている。まさか、レークは、意外と女癖が悪いのだろうか。

「・・・誰にも見せたくない。」

「はぁっ!?」

 急に意味の分からないことを言ってきたレーク。口説き文句にしては雑すぎる言葉に、正気を疑ってしまう。

「すまない。」

 短く謝る声は、何やら真剣そうだった。レークが何を考えているのか、余計分からなくなり、頭が混乱してきた。

 そんな俺をよそに、彼の大きな手がそっと頬に触れ、指先が皮膚の温もりを確かめるように、ゆっくりと顎先へと滑り寄ってきた。

 真正面から見つめられ、その整った顔立ちに、言葉を失いかける。このまま雰囲気にのまれてしまうのは・・・まずい───

「誰かっ!この人痴漢です!!騎士を呼んでください!!」

 俺は精一杯声を張り上げる。しかし、不運にも周囲に人の姿はなく、声だけが虚しく建物に反響する。

「私が騎士だが。」

「世も末だな!!」

 ああ、そっか───すっかり忘れていた。こいつは騎士団の団長だった。いや、騎士の癖に何やってんだよ。

「ユリィ。」

 不意に、耳に馴染んだ呼び名が届く。

───ドクン。

 心臓が痛いほど強く跳ねた。俺は驚愕し、目を見開いて、唇を噛む。

───まさか、最初から・・・バレていた!?

「バカッ!は、離せ!触るのは無しって言っただろ!!」

 声が裏返りそうになるのを必死に抑えながら、腕を捻って外そうとする。しかし、その手は鋼のように固く、びくともしなかった。

「触るな!!」

 今度は強く叫んだ。

 けれど───

「それはできない。」

 返ってきたのは、否定の言葉だった。伝えられた声の距離はやけに近く、息遣いが耳に触れる。それだけなのに、背中にゾクリ、と、快感にも似た感覚が走ってしまった。

「その願いは、叶えられそうにない。」

 彼は困ったように言いながら、ウィッグの髪へ指を絡ませ始めた。その仕草はやけに丁寧で、まるで本物の髪を愛おしむようだった。

「手紙には、“できる限りの望みは叶える”とだけ、書いていたはずだ。」

・・・屁理屈だ。

「つまり・・・お前は、触らないっていう簡単な約束すら守れない人間だってことか?」

「その通りだ。」

 皮肉を込めて伝えた言葉に対しても、またもや即答で返されてしまった。

「他に願いはないか?欲しい物や、やりたいこと───」

「今一番願ってることは、お前の傍から離れること!ただそれだけだ!」

 最後まで話を聞かず、とにかく腕を振り払おうとする。しかし、それは逆効果だったたしく、さらに強く抱きしめられてしまった。

「無理だ。」

 耳元に落ちた声は、驚くほど甘くて───

「・・・んっ。」

無意識に、体が小さく反応してしまった。

「ユ、ユリィ・・・ッ。」

 腰に、しなやかな尾が巻きついてきた。獣人特有の体温が、じわじわと腹の奥に伝わってくる。

 おかしな感覚に、身体が熱を持ち、どこかふわふわとした感覚になってきたとき───





「ヴォルロード卿、よくやった!!ユリス!!そのまま動くんじゃない!!」

 父の怒鳴り声が割り込んできた。

「承知した。」

「げっ、お父様!?」

───最悪だ!こんな場所まで追いかけてくるなんて!!

 何だか怒っていそうな父に、俺を抱き締めて離そうとしないレーク。

 焦燥と困惑が胸の内で交錯し、どうにかこの場を切り抜けたいとは思うものの、目の前の状況は、どうにも打つ手がないように感じられた。

・・・いや、落ち着け。

 逃げ出すには、まずこの無表情男を動揺させて、拘束を解くことが最優先だ。父が到着する前に、なんとかしなければ。

 変顔でもするか・・・いや、効かないだろう。だからと言って、魔法で逃げようとしても、彼の圧倒的な力で封じられてしまいそうな気がする。

───ならば。

 俺は一瞬だけ深く息を吸い、ドレスの裾をつまんで、レークの胸元へ、もっと深く踏み込んだ。

 鼻先が彼の首筋に触れそうな距離。視線を絡め、ゆっくりと笑みを作る。

「・・・ねぇ、レーク?」

 声をわざと甘く震わせてみる。

 すると、レークの耳がほんのわずかに赤くなった。

「この格好、好き?」

 俺は両腕をレークの腰に添わせ、ふんわりと抱擁を返した。

 レークは何かを堪えるように唇をわずかに結び、言葉を発することなく、視線を俺の瞳から外そうとしなかった。彼は、耳をピクッと震わせながら、尻尾を俺の太もも辺りに巻き付け直していた。

 自分でも何をやっているんだと思いながらも、後には引けない状況になってしまったことに気付く。

 最後のひと押しに、少し屈んだ姿勢になったレークの首筋へ───軽い、キスを落とした。

「・・・ユ、ユユ、ユリィ!?」

 明らかに動揺し出したレーク。

───今の俺は、声さえ聞かなければとびきりの美少女になっているのだ。そんな女性からアプローチされたとなれば、動揺しない男はいない・・・多分。

 レークの真っ赤に染まった顔を見ていると、何だか勝ち誇った気持ちが湧いてきた。

 やがて、抱き締める彼の腕が、ほんの少しだけ緩み始める。俺はその隙を見逃さず、足元の石畳を蹴り上げ、彼の胸から体を離すことに成功した。

「よしっ!それじゃあね!!」

 ドレスのスカートをまくり上げ、俺は父のいる場所の反対側へと走り抜ける。

 視界の端で、赤く染まった顔を両手で覆いながら、レークが膝から崩れ落ちていたのが見えた。

「こら!ドレスのまま空を飛ぼうとするんじゃない!!」

 背後から父の声が響いた。まだ飛んでないと言い返す間もなく、がっしりと腕を掴まれてしまう。

 父は予想以上に力が強く、必死に抵抗する俺を軽々と肩に担ぎ上げた。まるで、重さのない軽い荷物のように簡単に抱えられ、子供の頃に戻ったような、そんな不思議な感覚がした。

 焦りながら逃げていた気持ちはいつの間にか薄れ、この妙な状況に思わず口元が緩んでしまった。

「っはは!」

「はぁ・・・一旦、連れて帰ります。いいですね?」

 笑った俺に対して、呆れ返った父。父は、息も乱さず落ち着いた口調で、レークに対し、俺を連れ帰る許可を取っていた。

 その口調から察するに、このまま帰ったら説教のフルコースが待っているに違いない。

「・・・。」

 レークは無言のまま俺を見て、困惑していた。

「レーク・・・助けてー。」

 半分冗談で、レークに助けを求めた。すると、律儀にも彼は、黙って一歩こちらへ近付き、父の腕から俺を解放しようとした。

「お義父様、申し訳ない・・・返して頂こう。」

「・・・。」

 二人の視線が、空気を裂くようにぶつかり合う。互いに一歩も退く気配はなく、その強固な意志が、張り詰めた空間をさらに重くしていた。

 迫力のある睨み合いを見ていると、背筋にゾクッと冷たいものが走った。

「・・・お義父様と呼ばれる筋合いはないが・・・分かった。手を退こう。」

 先に視線を外したのは、父の方だった。ゆっくりと俺を地面に降ろすと、まるでレークの元へ行くよう促すかのように、軽く背中を押してきた。

「・・・どうせなら、二人でデートでも行ってきなさい。」

「感謝する。」

「はぁっ!?」

 突然、デートするという流れになったことに対して、理解が追いつかず、頭の中が真っ白になった。

「ユリスを頼んだ・・・この意味が、分からないような男ではないだろう?」

「勿論。」

 二人が話し合っている隙を突き、俺はしゃがんで花と帽子を拾い上げた。このまま駆け抜けようと身を翻すが、レークがさっと手を取り、まるでエスコートするかのように、優しく手を繋いできた。

 そう、俺は完全に───逃げ場を失ってしまったのだ。
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