水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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◼️番外編 於大の方 慶長上洛記

花嫁御寮は駕籠に揺られて

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 東海道筋を京都に向けて旅する於大の方(伝通院)一行である。
 三河阿久比(あぐい)を出たのち、近隣の刈屋で甥の城に泊まって歓待を受けたので、正直なところ、少し足止めをくらう格好になった。
「まぁ、馬のはなむけだがね」と彼女は笑う。

 「馬のはなむけ」とは旅立つ人の安全無事を祈って、馬の鼻先を目的地に向ける故事である。この頃には、馬の鼻を向けるだけでなく出立を祝うがごとく送り出すことも含まれるようになった。
 刈屋の一夜はまさにそのようなものだった。

「さて、次は熱田様に行くんかね?」と彼女は息子の久松(松平)康元に尋ねる。熱田神宮(現在の名古屋市熱田区)のことである。言われた息子は右手を自分の顔の前で横に振って母に説明する。

「母上、鳴海、熱田と急ぎ進んで陸路を取ると申し上げました。陸路ならなんとか今日中に渡川できるかと。そうしますと、熱田様を詣でとる暇はございません。海路なら明朝に船に乗るようになりますが、何しろどえりゃあ寒うございますで」

「いやぁ、熱田様に詣でんと話にならんがね。海路で結構」と母は言い切った。

 この前の年の慶長6年(1601)から、熱田と桑名(現在の三重県桑名市)を結ぶ渡し船が正式に運航されるようになっている。
 桑名に行くには、陸路を取る場合木曽川、長良川、揖斐川という大きな川を渡らなければならない。現在もそうである。この川は氾濫によってたびたび形が大きく変わり、渡しの船頭泣かせだったし、旅人が難渋するのもしばしばだった。
 そこで、尾張から伊勢沿岸を行く渡し船ができたのである。

 しかし、このときはまだまだ冬である。老いた母を7里(28km)も海風にさらすなど、考えもしなかった。

 しかし息子の気遣いによる提案も、「兄も織田家と同盟しとった時分は、よう熱田様に詣でとりましたで」という彼女の一言で変更する羽目となった。
 熱田は刈屋から6里(24km)あまり、そう離れてはいない。
「まあ、熱田様に詣でて泊まるしかないか」と息子はつぶやく。

 熱田神宮に着くと、於大は駕籠から下りて足取り軽く参詣者の中に混じって進んでいく。彼女が手水(ちょうず)で止まるまで、付いていくものが小走りするありさまであった。ふと、於大は手水の側にある大楠を見て手を合わせる。
「ああ、まこと、昔と何にも変わっとりゃせん。どうぞ、子子孫孫見守ってくださいませ」

 ここには三種の神器のひとつ、「草薙の剣」が主祭神とされており、勇ましいことこの上ない宮社であるが、本殿は柔らかさを感じる尾張造(おわりづくり)である(現代とは異なる)。男女の神が和合しているようにも見える。
 本殿で手を合わせた後、一行は近辺を散策する。彼女はふと立ち止まり、息子たちに語る。まるで案内者のようだ。

「こちらの瓦塀はかつて、織田のうつけ……いや信長公が桶狭間の後、戦勝の礼にと奉納したもんだがね。あれは私のさと、水野の領地が戦場になっとったもんで、まことに危機一発の戦でした。水野の者がたくさん討ち死にし、兄信元も手負いとなったで。
 しかし、あれに勝ったおかげで、今川の人質になっとった内府殿(家康)も自由の身となった。
 その後兄は織田のうつけ……いや信長公に疑われ、命を落としました。久松家もそれで当主が変わることとなった。あのときは私も苦しい思いをしたが……それでもあの戦は久松家も含め、われらのその後を決めるもんだったでや。
 ゆめゆめお忘れなさるまじ」

 慶長になっても織田信長をついつい、「うつけ」と呼んでしまう母はやはり傑物だと息子も孫も思う。
 それにしても、母が自ら、「苦しい思いをした」などと語るのに久松康元には驚いた。滅多にそのようなことを言う母ではないのだ。確かに苦しかっただろう、と康元は思う。

 彼女の兄で当時水野家当主だった水野信元は、かねてから織田家と同盟して戦いの日々を送っていた。そんなとき、彼を妬んだ佐久間信盛が、「水野は影で敵と通じている」と信長に讒言(ざんげん)したのだ。信長は、それまで固く信頼していた人間の裏切りだけに、烈火のごとく怒り、信元暗殺を家康に命じた。その時信元に手を下したのは家康の家臣であるが、於大の夫、久松俊勝が何も知らずに呼び出す役となったのである。
 そして水野信元は殺された。
 久松俊勝は憤った。しかし、抗議しようもない。彼は、妻の兄を殺す手引きをしたのか……と苦悶し続け、じきに隠退した。

 母はそのときのことを、苦しかったと述懐している。
「あの大楠は、伯父上の壮健な姿を覚えとるんでしょうなあ」と康元は母に寄り添った。

ーーー

 さて、京都の伏見城では内府、徳川家康が苛立っていた。
「母御はまことせっかちだがや!わしゃ、桜を見に来てほしいと書いたで。何をあわてて三河を発つことがあろうか。こんな真冬に旅をさせるなどと、親不孝の極みだでや。ああ……」

 刈屋城に立ち寄ったことも、その後に宮宿(熱田)から桑名に出ることも分かっている。それぐらいの差配は当然している。それにしても……春はまだ先なのだ。
 家康は自身の母親に何か大きな役目を任せようと呼んだわけではない。関ヶ原の後でようやく落ち着いた京都を楽しんでもらいたいと、単純にそう思ったのである。それが、まだ赤子の頃に生き別れのように離されてしまった母への、せめてもの親孝行だと思ったのである。
 間違っても、秀吉のように母を人質に出すような、政争の道具のように扱おうと思ってのことではない。

 そんな時代はもう終わったのだ。

 そして、家康は自身のところに人質に出されていた秀吉の母なかと、秀吉の妹朝日姫の姿を思い出す。つねに怯えたような顔をして心を許さず、何か申し出ても裏があるのではないかと勘ぐられる。それを見るたびに、家康は心が痛んだ。自身も今川に人質に出されていたので、その不安はよく理解できるのだ。しかし……。

 これが天下人の血を分けた者のありさまか。

 権力を持つということの浅ましさが二人の姿の向こうに見える。

 母於大は実家と婚家のことで、そして子のことで、若い頃からずっと苦労してきた。それにくじけることなく、堂々と生きてきたのである。母の励ましがあったからこそ、自身も数々の修羅場をくぐり抜けて来られたのだ。本来ならば実母といえども、他家に嫁したら公に母とは呼べない習わしである。それでも家康は、母の婚家の姓を変えてでも母を母のままで置いておきたかった。

 今回は特に、母が京に来たら宮中に参内してもらおうと思って準備しているのである。

 巷では狡猾な古狸(こうかつなふるだぬき)と言われ、確かにそのような一面もある家康だが、母のことに関しては忠孝第一である。彼はつかつかと家臣の榊原康政のところに行く。祐筆(ゆうひつ、文書係)の役目を任されているこの男は、苦笑して家康に言う。
「次はどこに早打ちの文を出しましょうか。桑名にはもう届いておるかと。いっそ亀山(三重)から大津(滋賀)まで全ての宿に打っておくというのはいかがでしょう。いやいっそ、人を出されては……」

 家康は苦り切った顔をしている。これほど心配するのが家臣にはいささか滑稽に見えるらしい。
「母から、『ゆめゆめ大仰(おおぎょう)になさるまじ』と言われとるでいかん」

 十分に大仰だと思うが、ほほえましい……と榊原は内心でつぶやき、文のしたくをする。

〈寒さ厳しきことこの上なく、宿に湯湯婆(ゆたんぽ)を運びますゆえ、御からだ冷やされませぬよう……〉

ーーー

 於大の一行は、よく晴れた日に伊勢湾を船で渡り無事に桑名に着いた。冷たい空気も陽光でいくらかやわらいでいる。その日は桑名に宿を取る。すると、そこに家康からの文が届いている。
 水辺の景色を楽しみながら文を眺めるのは風流なものだ。
 宿の娘が温かい茶と餡子(あんこ)のたっぷり乗った小振りの餅を出してくれた。
 白い湯気まで温かい。於大と息子と孫がほぅと一息ついて、餅をぽいと口に放り込む。皆小腹が空いているのだ。
「こりゃあ、どえりゃあたまげたで。これほどうまい餅は初めていただきました」と彼女は感嘆の声を上げる。

 しかし、それは序の口だった。

 桑名の夜、於大一行は宿からこの上ないもてなしを受ける。膳には伊勢湾で獲れた大きな海老や鯛がどんと載せられ、この頃すでに評判となっていたハマグリの醤油炊きや焼きハマグリまでどんどん運ばれてくる。

 あえて書くまでもないと思うが、どの宿(しゅく)でも大名並みの待遇がなされることになっている。なぜかは、読者諸姉諸兄にはお分かりいただけるだろう。

 それは当の本人にもすぐに飲み込めた。
 そしてため息をひとつついて、息子に告げた。
「ああ、ゆるりとして行きたかったが、致し方なし。あす以後は先を急ぐでや」
「は?」と息子が驚いた顔をする。
「かような扱いをどの宿でもされるに決まっとるで。まったく肩の凝ることだがね。まっぴら」

 息子は肩をすくめる。そして、京都からの使者に文を託した。

〈たいへんおそれ多きことながら、母上にはいささか過ぎた孝行のようにございます。母いわく、あす以後は韋駄天(いだてん)のごとく京に向かうよし〉

 そこから一行は早飛脚かと見紛うほどの早さで京都を目指すことになる。

 於大の方は駕籠の揺れにこくり、こくりと眠り込む。
 彼女は夢を見ていた。

 その中では彼女は初々しく花嫁衣装を身につけ、そろり、そろりと歩いている。そして、ふと立ち止まり、生まれ育った緒川(おがわ)の城を振り返り、しばらく眺めたままでいる。
「姫様、早よお越しくださいませ」と侍女の呼ぶ声が聞こえる。
「はい、ただいままいります」

 彼女は眠り続けている。
 駕籠は伊勢国をえっさえっさと横切っていった。

(つづく)
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