水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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◼️番外編 於大の方 慶長上洛記

お天道さまの当たる道

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 道は山あいを抜けるように細く走る。

 ここまで海沿いの平地を通ってきたがこの先は山である。
 空は重く、雲が覆いかぶさってきたかのように冬の霧がたちこめる。白くけぶった森を見上げて、久松(松平)康元は不安な顔になる。
 雪は降っていないが、馬の蹄がシャリシャリと音を立てる。ふと、往来の脇を見るとそこには雪が積もっている。

「早よ近江まで抜けんといかんがや」と康元はつぶやく。寒さは厳しい。だるまのように着込んでもからだの芯から冷えてくる。伊勢から近江に抜ける道がこのような気候であることは分かっている。心配なのは母の体調なのだ。
 春だったらよかったのだが。

「母上、難儀ないでしょうや。次の宿(しゅく)ではゆるりとしましょうぞ」と康元は声を掛ける。

「まだ厠(かわや)の要もないでや、行けるところまで行って、宿(しゅく)になったら声をかけてちょうでぇませ。また寝とるで」と駕籠の中から声が聞こえる。

 康元はたびたび母に声をかける。どんなにうるさく思われても控えるわけにはいかない。もちろん、真冬の旅なので母のからだが弱ってしまったらーーと案じる気持ちが一番だ。しかし、それだけではない。

 康元はどこか、今回の母の行動に常ならざるものを感じていた。

 なぜ、春に来てほしいと文が来たにも関わらず、正月の松の内が過ぎてほどない時期に、すぐに出立したのだろうか。母も真冬の旅が厳しいことはよくわかっているはずだ。それほどまでに内府様に会いたかったのだろうか。

 康元は久松家のニ男で、於大が久松家に再嫁して産んだ初めての子である。

 家康と違って、彼はずっと母の側で成長することができた。ただ、それでべたべたに可愛がられたという記憶はない。いや、先妻の産んだ長子信俊とまったく変わらない扱いだった。それは弟が生まれても同じだった。
 他所の家では母子の確執も珍しくない。例えば、織田信長がそうだ。信長は生母の土田御前(どたごぜん)と折り合いが悪かった。しまいには母が弟を贔屓(ひいき)し、信長が弟を討つにいたるのである。於大は、母の偏った愛が家に亀裂を生じさせることをよく分かっていたのだろう。

 霧の山を眺めて、康元は考え続ける。
 
 よく文は書いていたが内府様のことを人前で口にすることはなかったし、しげしげと赴いてゆくこともなかった。
 婚家への遠慮はあっただろうが、それは父の俊勝が亡くなった後も変わらなかった。その辺りはきっちりと線を引いていたのだ。

 それだけに、今回何かを思い立ったように急いで旅立つ母の姿はいつもと違うように思う。

 一行は、於大の希望通り少し無理をしたが、結局鈴鹿峠の手前にある坂下宿(さかしたじゅく)に泊まることにした。ちょうど、伊勢と近江の境目である。さすがに一行には少し疲れが見える。彼らだけではない。これからの鈴鹿峠の難所を前にここで体力やら気力を養っておかなければ……という旅人でごった返していた。

 旅人、と書いたが、この頃「旅行」という概念はない。「移動」である。移動するのは将兵や伝令、商人、得体の知れない者、僧侶、虚無僧など一部の層に限られていた。その性質からすると、道中が安全とはとても言えない。庶民はひとつところを出ることなく生涯を終えるのが普通だった。
 江戸幕府が安定した頃にようやく、広く物見遊山の旅が可能になるのだが、『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』で書かれているような旅ができるのはまだまだ先である。

 それでも、於大の一行は坂下宿で上等の一軒にするりと入ることができた。もちろん、京都方面からの指示である。ただ、70歳を超えた老婆が息子らに助けられて旅をしていたのだから、指示がなくとも手厚くもてなされたと考えるのは難しくない。

 いずれにしても、山あいの道に至って凍えるような寒さに震えている一行にとっては、厚いもてなしでようやく人心地つけたのである。ここにはご丁寧に湯湯婆(ゆたんぽ)が届けられていた。陶磁器に湯を入れて栓をするこの器具は、じかに触れると火傷するが寝床を温かくしてくれる。宿にもそれは用意されているのだが、家康からの届け物は京焼の高級そうな品だった。

「ああ、温い(ぬくい)こと温いこと……」

 於大は食事を早々に切り上げて床に潜り込んだ。彼女はこの旅で夢をたくさん見ている。阿久比(あぐい)の庵(いおり)ではそのようなことはないのに、不思議なことだと思う。

 その夜、また彼女は夢を見ていた。

 彼女は小さな小さな赤子を抱いている。「もみじのような」というが、もみじよりずっと小さくて、愛らしい手。
 可愛い。
 自分だけを頼っている、この小さな手。
 自分だけのたからもの。
「ねえ、お乳をあげてもいいかしら。ほんの少しだけ」
「ようございますよ。まだお乳の先が吸いづらいでしょうから、あきらめずに」と乳母が優しく言う。
 彼女は慣れない様子で寝間着から左の胸を出し、赤子を抱くとその口にあててみる。すでに乳が滲んでいるその先に赤子はしゃぶりつく。小さな口で懸命に吸う動作を繰り返すが、なかなかうまく吸えない。
「まだ、姫様の胸が張っているからですよ。ちょっと失礼を」と乳母が言い、その胸をわっしと掴む。さらしを彼女の胸の下に当てて胸を搾るように揉みほぐす。
「痛っ」と思わず彼女は声を上げる。すると乳が始めぽたぽたと、次第に吹き出すように出てくる。
「ささ、先の方もだいぶ吸いやすくなったかと。もう一度やってごらんなさいませ」
 再び彼女は赤子の口に胸の先を当てる。今度は赤子も上手くできたようで、無心に吸い続ける。
「できた! 飲んでくれました!」と彼女は喜びの声を上げる。
「ようございましたね」と乳母も笑う。
 彼女は乳を飲み続ける赤子の顔を飽きもせず眺めていた。

 かつて赤子だった子が届けた湯湯婆はまだ温かい。彼女は夢で幸せな時間を過ごしていた。


 翌朝早朝一行は出立した。近江に出て、草津目指して進むのだ。康元は雪や雨にさらされることを心配していたが、積雪は仕方ないものの空は問題がないようだった。

 草津まで進んでしまえば長い山あいの道は終わる。琵琶湖を望む風光明媚な光景を間近に見ることもできる。寒いのだけはいかんともしがたいが、これまでの山道よりはいくぶん楽になる。
 何よりも、近江に入れば京都は目の前なのだ。
 そうして一行はしゃにむに道を進む。
 時折康元が母に声をかける。母は寝息をたてていて返事をしないこともあるが、体調には変化がないようだった。土山宿(つちやまじゅく)の辺りで、この行程屈指のきつい勾配の峠をえっさえっさと抜ける。次の水口宿(みなくちじゅく)にたどり着くと日差しが見えてきた。草津まではもう5里(20km)あまりだ。文字通り峠を越えた気分になった康元は思わず、ふぅと伸びをして見せる。

「母上、ここらで一服しましょう。もう峠は越えましたで」と康元が声をかける。
 しかし、応答がない。
 慌てて駕籠の中をちらりと覗くと、母は寝息を立てていた。急に康元は不安になる。
「母上、母上っ」と大きな声で呼びかけ、母親が目を覚ますのを見て、息子は胸を撫で下ろす。
「ああ、もう着いたかね」と於大は目をこすりながらつぶやく。
「いや、まだ水口ですが、京はだいぶ近うなりましたで。とりあえず、中食(ちゅうじき)を取りましょうぞ」
「あい、承知」と彼女はそろりそろりと駕籠から下りる。寒い山中で同じ態勢を取っていたので、すこし脚が痛い様子だ。孫がすっと手を差し出す。それを見ながら、康元がついこぼす。
「母上があのまま目を覚まさなかったらと、心の臓が止まる心地でしたぞ」

「ああ、もういつ冥土へ旅に出ても不思議なことはありゃあせんで」と母は笑って言う。

「滅多なことを申されますな。ずっと母上にはおからだ無事にて、たんと楽しい思いをしてもらわんと」と康元がたしなめる。

「寒い山を抜けて、お天道(てんとう)さまをたんと浴びられる。京に行けば息子が待っとる。かほどの楽が他にありましょうや」

 於大は太陽の光をまぶしそうに見つめている。

 その後の一行の道のりは大した困難もない。
 予定通り草津まで進み宿泊すると、あとは琵琶湖の雄大な景色を眺めて大津に至る。この辺りの宿場間の距離は2~3里(8~12km)なので、そのまま宿場で休まずに京都へ急ぐ人も多い。しかし、康元はここでも休憩をとることにした。母にいくらかでも、旅を楽しんでもらえたらと思ったのだ。こちらでも、たいそう上手い餅菓子が振る舞われ、一行は舌鼓(したつづみ)を打つ。

 旅人の姿を眺めながら、於大はつぶやいている。
「あの子もこの道を何度も行き来しとったんか……難儀なこともあっただろうに」

 大津の宿からは、京都の三条大橋(東海道の終点)に出る本筋と、伏見に向かう道に分岐している。その髭茶屋追分(ひげぢゃやおいわけ)の分かれ道を左に進むと、伏見までは一筋道だ。

 伏見では家康が、母の到着を今か今かと待っている。

(つづく)

※筆者注 於大の方の旅の行程について、2月に伏見に到着したという以外の情報を見つけていませんので、途中の宿泊地などは仮定したものとなります。
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