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◼️番外編 はぐれやさぐれ藤十郎
鉄甲船を見て興奮する
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藤十郎が一番首を持って小牧の陣に届けたとき、家康は藤十郎の身なりを整えさせたのちに事の子細を尋ねた。話を聞いてしばらく家康は考え込んでいたが、結局自分のところでしばらく預かる旨を惣兵衛の陣に知らせるよう命じた。惣兵衛はまだ激しく憤っているようで、「厄介者だがお任せ申す」とだけ返事が来た。聞けば家中も不穏になったようだ。この親子はしばらく離れた方がいいかもしれないと家康も判断した。
戦の経験が浅いとはいえ、勢い任せ考えなしの一番鑓は大問題だと家康も思う。ただ何も怖れず敵をバッサバサと倒す強さは目を見張るものがある。要は使いかた次第なのだ。
家康はこの若い従兄弟のよくないところを概ね知っている。その後始末をつい先頃もしてやったばかりである。ただ、惣兵衛が叱責を繰り返すほどに悪ばかりとは思っていない。なので、世話をしてやる気にもなる。
藤十郎より四つ歳上の井伊直政も家康に呼ばれた。そして藤十郎を隊に加えるように指示される。
家康が席を立つと、直政と藤十郎は二人きりになる。
「貴殿、派手にやってくれたもんだで」
藤十郎はうつむいている。
直政は顎に手をあてて天井を見上げる。そして話し続ける。
「まだ戦いは終わらぬで。貴殿の活躍の場もあるでよう。ここでは周りをよう見つつ勤めてもらいたい」
「承知つかまつった」と藤十郎は応じた。
ひどくうなだれていて、心底疲労困憊している様子、話をするのもだるそうだ。それはそうだろうと直政は思う。
「それはそうと、眼病に効く薬があるで用意させよう。今よりひどくしたらもう戦に出られんがや。眼帯も付けたほうがよい。しばらく不便だろうが……今日はそれでとにかく休みなされ」
それだけ言うと、直政は去っていった。
一人になっても藤十郎はうなだれていた。
うなだれていたが、手当てのことだけ伝えてくれた直政の心遣いがことのほか心に沁みた。仕方ないのだが、理由も聞かれず父に面罵されたことがどうしようもなく辛かった。一刻の猶予を取って仕切り直しさせてもらえたら、ああはならなかっただろうという考えが頭をよぎる。それもまた、甘えているのだろうが……。
藤十郎はまだ自分の頭の中を整理することができない。すべてがぐるぐると頭の中で回るばかりである。
それだけに直政に身体を気遣われたことが嬉しかった。藤十郎はうつむいたまましばらくそのままでいた。
涙がぽた、ぽたと握りしめた拳に落ちた。
この後、家康本体は小幡城(名古屋市守山区)に本陣を移し、他の勢と合流し軍議に入る。このとき藤十郎と惣兵衛は顔を合わせるが話す様子はまったくなかった。緒将が集う軍議の結果、全軍を二つに分けそれぞれの持ち場で緒戦を戦うこととした。
四月九日には家康方の丹羽氏重が守備する岩崎城(愛知県日進市)が池田恒興に攻められ落城する。
その一方で、白山林(名古屋市守山区・尾張旭市)にいる羽柴秀次勢を同日の九日、水野忠重(惣兵衛)・丹羽氏次・大須賀康高・榊原康政勢が襲撃し、秀次勢は潰滅する。秀次は何とか逃げおおせたが木下氏から構成された隊の多くが討ち死にした。
このような一進一退の戦いが続いていくが、井伊直政の隊に属した藤十郎は他の者とともによく働いた。直接敵と交戦することもあったが一人で抜け駆けするようなことはなく、号令に従って戦う。
そして負けることはなかった。
事態は一進一退より、いくらか秀吉勢に有利に進んでいく。家康は起死回生のため次の手を繰り出す。
六月には蟹江城(愛知県海部郡蟹江町)に大きな動きがあった。九鬼水軍とともに滝川一益が蟹江の浦に登場した。一帯の城を攻め落とすためである。調略や城攻めの結果、蟹江城、下市場城、前田城が秀吉方のものとなった。残るは大野城ひとつになったが、城主の山口重政は調略に応じず敵方にぐるりと取り囲まれた。万事休すである。
これを救援するために、信雄・家康連合軍は主力部隊を派遣した。
六月十七日には信雄の軍勢二千が大野城を取り囲む秀吉方を急襲し救援を成功させた。十八日には家康の軍勢が三城への攻勢を開始した。
このとき藤十郎は井伊直政の別動隊として伊賀衆とともに、九鬼水軍の船を襲撃することになった。
このとき初めて、藤十郎は九鬼水軍の軍船というものを見た。
それは鉄甲船と呼ばれる種類の大型の安宅船(あたかぶね)である。長さが十二~三間(二二~二三m)、幅は七間(約十三m)。高さは喫水を考えれば五間程度はあっただろう。鉄甲船というが、鉄でできているわけではない。木造の船に着弾を避けるため黒い鉄板を貼っていたのだ。
八百人は乗船できるという巨大な船の威容は見たものを圧倒せずにはいられない。まさに藤十郎もそうだった。そして船を見て子どものように興奮してしまったのだ。
「これはどえりゃあもんだがや」と言ったきり他の言葉が出てこないほどである。
同陣の伊賀衆は初めてではないので、攻撃の算段の方が気になるらしい。藤十郎はしばらく船に見とれていたが、くるりと振り返ると一同に呼び掛けた。
「あの船を獲るぞおおおっ!」
「おおっ!」と一同も気勢を上げる。
この時、藤十郎は本心からこの軍船を欲しいと思ったのだ。
勢いよく斬り込んだ藤十郎の一団は乗船している敵に次々と向かっていった。ここでは一番鑓がどうのこうのと言う人もいない。とにかく敵を倒すだけだ。すべてがゆっくり見える。敵の動きもよく見える。藤十郎は血が沸き上がるような興奮を覚える。力が丹田(たんでん、下腹部)から尽きることなく溢れてくる。藤十郎がこのような感覚を覚えたのは初めてだった。
鉄甲船での戦いは勝利し、水軍の長である九鬼嘉隆は敗北した。家康方により海上封鎖がなされたということである。
当然ながら船は藤十郎のものにはならない。
余談だが、藤十郎はのちに自城の壁に黒い鉄板を貼り付ける。その目的は鉄甲船と同じ、銃弾を避けるためである。この時の印象がよほど強かったであろうことは想像に難くない。
もうひとつ付け加えるならば、鉄甲船は織田信長が九鬼水軍に命じて造らせた船でもある。
さて、六月十八日のうちに下市場城は落城、二二日には主城の蟹江城へ総攻撃がかけられる。榊原康政、松平家忠ら家康の直臣が海門寺口から夜陰に乗じて攻撃を加える。城内は大混乱となり逃げ出そうとする者であふれる。
藤十郎は城の二の丸付近で滝川三九郎(一益の子)と立ち会い、初めて鑓で腕を刺された。相手にも三度刺した。そこで両者ともいったん後退したので、ともに命を落とすことはなかった。
翌二三日にはほぼ石川数正と阿部信勝が攻めていた前田城が開城する。徳川家康が榊原康政を伴い入城する。秀吉は焦りこれに対抗する軍勢を差し向けようとするが間に合わない。
六月二九日には和平交渉が進められ、七月三日に蟹江城は織田信雄・徳川家康勢に引き渡された。
攻防戦はこれで終結した。
家康も井伊直政もこのときの藤十郎の活躍を称賛した。自分勝手に斬り込むようなことをせず、隊の一員として十分な働きをした。これならば惣兵衛のもとに帰しても問題ないだろうという結論になる。腕を負傷していることもあるので、回復を待ってからになる。
藤十郎もこのときは目の前に道が開けてきたように思えた。家康の陣では井伊直政が自身にも負けず劣らず勇敢で、戦場での鑓捌きも自分より長けていると知った。
「このような仲間と存分に戦働きができるなら」と内心大きな期待を抱いていた。
そして藤十郎は惣兵衛のもとに戻っていったのである。
戦の経験が浅いとはいえ、勢い任せ考えなしの一番鑓は大問題だと家康も思う。ただ何も怖れず敵をバッサバサと倒す強さは目を見張るものがある。要は使いかた次第なのだ。
家康はこの若い従兄弟のよくないところを概ね知っている。その後始末をつい先頃もしてやったばかりである。ただ、惣兵衛が叱責を繰り返すほどに悪ばかりとは思っていない。なので、世話をしてやる気にもなる。
藤十郎より四つ歳上の井伊直政も家康に呼ばれた。そして藤十郎を隊に加えるように指示される。
家康が席を立つと、直政と藤十郎は二人きりになる。
「貴殿、派手にやってくれたもんだで」
藤十郎はうつむいている。
直政は顎に手をあてて天井を見上げる。そして話し続ける。
「まだ戦いは終わらぬで。貴殿の活躍の場もあるでよう。ここでは周りをよう見つつ勤めてもらいたい」
「承知つかまつった」と藤十郎は応じた。
ひどくうなだれていて、心底疲労困憊している様子、話をするのもだるそうだ。それはそうだろうと直政は思う。
「それはそうと、眼病に効く薬があるで用意させよう。今よりひどくしたらもう戦に出られんがや。眼帯も付けたほうがよい。しばらく不便だろうが……今日はそれでとにかく休みなされ」
それだけ言うと、直政は去っていった。
一人になっても藤十郎はうなだれていた。
うなだれていたが、手当てのことだけ伝えてくれた直政の心遣いがことのほか心に沁みた。仕方ないのだが、理由も聞かれず父に面罵されたことがどうしようもなく辛かった。一刻の猶予を取って仕切り直しさせてもらえたら、ああはならなかっただろうという考えが頭をよぎる。それもまた、甘えているのだろうが……。
藤十郎はまだ自分の頭の中を整理することができない。すべてがぐるぐると頭の中で回るばかりである。
それだけに直政に身体を気遣われたことが嬉しかった。藤十郎はうつむいたまましばらくそのままでいた。
涙がぽた、ぽたと握りしめた拳に落ちた。
この後、家康本体は小幡城(名古屋市守山区)に本陣を移し、他の勢と合流し軍議に入る。このとき藤十郎と惣兵衛は顔を合わせるが話す様子はまったくなかった。緒将が集う軍議の結果、全軍を二つに分けそれぞれの持ち場で緒戦を戦うこととした。
四月九日には家康方の丹羽氏重が守備する岩崎城(愛知県日進市)が池田恒興に攻められ落城する。
その一方で、白山林(名古屋市守山区・尾張旭市)にいる羽柴秀次勢を同日の九日、水野忠重(惣兵衛)・丹羽氏次・大須賀康高・榊原康政勢が襲撃し、秀次勢は潰滅する。秀次は何とか逃げおおせたが木下氏から構成された隊の多くが討ち死にした。
このような一進一退の戦いが続いていくが、井伊直政の隊に属した藤十郎は他の者とともによく働いた。直接敵と交戦することもあったが一人で抜け駆けするようなことはなく、号令に従って戦う。
そして負けることはなかった。
事態は一進一退より、いくらか秀吉勢に有利に進んでいく。家康は起死回生のため次の手を繰り出す。
六月には蟹江城(愛知県海部郡蟹江町)に大きな動きがあった。九鬼水軍とともに滝川一益が蟹江の浦に登場した。一帯の城を攻め落とすためである。調略や城攻めの結果、蟹江城、下市場城、前田城が秀吉方のものとなった。残るは大野城ひとつになったが、城主の山口重政は調略に応じず敵方にぐるりと取り囲まれた。万事休すである。
これを救援するために、信雄・家康連合軍は主力部隊を派遣した。
六月十七日には信雄の軍勢二千が大野城を取り囲む秀吉方を急襲し救援を成功させた。十八日には家康の軍勢が三城への攻勢を開始した。
このとき藤十郎は井伊直政の別動隊として伊賀衆とともに、九鬼水軍の船を襲撃することになった。
このとき初めて、藤十郎は九鬼水軍の軍船というものを見た。
それは鉄甲船と呼ばれる種類の大型の安宅船(あたかぶね)である。長さが十二~三間(二二~二三m)、幅は七間(約十三m)。高さは喫水を考えれば五間程度はあっただろう。鉄甲船というが、鉄でできているわけではない。木造の船に着弾を避けるため黒い鉄板を貼っていたのだ。
八百人は乗船できるという巨大な船の威容は見たものを圧倒せずにはいられない。まさに藤十郎もそうだった。そして船を見て子どものように興奮してしまったのだ。
「これはどえりゃあもんだがや」と言ったきり他の言葉が出てこないほどである。
同陣の伊賀衆は初めてではないので、攻撃の算段の方が気になるらしい。藤十郎はしばらく船に見とれていたが、くるりと振り返ると一同に呼び掛けた。
「あの船を獲るぞおおおっ!」
「おおっ!」と一同も気勢を上げる。
この時、藤十郎は本心からこの軍船を欲しいと思ったのだ。
勢いよく斬り込んだ藤十郎の一団は乗船している敵に次々と向かっていった。ここでは一番鑓がどうのこうのと言う人もいない。とにかく敵を倒すだけだ。すべてがゆっくり見える。敵の動きもよく見える。藤十郎は血が沸き上がるような興奮を覚える。力が丹田(たんでん、下腹部)から尽きることなく溢れてくる。藤十郎がこのような感覚を覚えたのは初めてだった。
鉄甲船での戦いは勝利し、水軍の長である九鬼嘉隆は敗北した。家康方により海上封鎖がなされたということである。
当然ながら船は藤十郎のものにはならない。
余談だが、藤十郎はのちに自城の壁に黒い鉄板を貼り付ける。その目的は鉄甲船と同じ、銃弾を避けるためである。この時の印象がよほど強かったであろうことは想像に難くない。
もうひとつ付け加えるならば、鉄甲船は織田信長が九鬼水軍に命じて造らせた船でもある。
さて、六月十八日のうちに下市場城は落城、二二日には主城の蟹江城へ総攻撃がかけられる。榊原康政、松平家忠ら家康の直臣が海門寺口から夜陰に乗じて攻撃を加える。城内は大混乱となり逃げ出そうとする者であふれる。
藤十郎は城の二の丸付近で滝川三九郎(一益の子)と立ち会い、初めて鑓で腕を刺された。相手にも三度刺した。そこで両者ともいったん後退したので、ともに命を落とすことはなかった。
翌二三日にはほぼ石川数正と阿部信勝が攻めていた前田城が開城する。徳川家康が榊原康政を伴い入城する。秀吉は焦りこれに対抗する軍勢を差し向けようとするが間に合わない。
六月二九日には和平交渉が進められ、七月三日に蟹江城は織田信雄・徳川家康勢に引き渡された。
攻防戦はこれで終結した。
家康も井伊直政もこのときの藤十郎の活躍を称賛した。自分勝手に斬り込むようなことをせず、隊の一員として十分な働きをした。これならば惣兵衛のもとに帰しても問題ないだろうという結論になる。腕を負傷していることもあるので、回復を待ってからになる。
藤十郎もこのときは目の前に道が開けてきたように思えた。家康の陣では井伊直政が自身にも負けず劣らず勇敢で、戦場での鑓捌きも自分より長けていると知った。
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