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居候、成羽の水に馴染む
吉川広家との再会
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新年の賑やかさが収まると、成羽は元通りに静かな冬を過ごしていた。
吉川広家が家臣数名とともに成羽に現れたのは、六左が三村家に帰参してしばらく後のことだった。
「三原への途上ゆえ急で済まんが立ち寄ったんじゃ」
「六左衛門の件では、とんだお骨折りをいただき、誠にかたじけない」
親成は丁重に礼を述べ、広家は笑顔で返した。
「なんのなんの。わしの立場であれば内密に済む。六左衛門もじゃが、まず、親宣に挨拶させてくれぬか」
さきの唐入りで命を落とした親宣の位牌に合掌した後、広家と六左衛門が小倉城以来久しぶりに対面することとなった。
「おお、おお、懐かしいのう。確かにわしの父に付き添い小倉城まで同道いただいた御仁じゃ。相違ない。何しろ親成殿が文でその話ばかり書くもんじゃけ、どうしても会いとうなって」
聞けば、広家は秀吉の要請で肥後の国衆一揆討伐に出陣した折に、佐々成政勢として出陣した六左衛門が、獅子奮迅の活躍を見せた話を聞いていたという。小倉城の一件より後のことである。広家はどちらも同じ六左衛門だとは思っていなかったらしい。
「その節は、臣下でない私があつかましくもご臨終のお父上のお側に……」と六左衛門が照れながら頭を下げる。
「いや、わしもきちんと礼を申せず済まない。わしも産湯をつかって以来、あれほど長く父の側に付いていられたことはなかったけん、今にして思えば幸いじゃった。ああ、堅苦しいのは抜きじゃ。秀家からの話もあってな、それも聞いておきたくての」と広家は前置きして、手短に説明した。
十年ほど前、美作の安東国貞の家で牢人による刃傷沙汰があり、国貞の娘婿、六左衛門が重傷を負った事件があった。些細なことが原因のようだ。その男と安東国貞は一時、戦場を同じくした縁で面倒を見ていたものらしい。結局、男は姿をくらましてしまった。
「そりゃ、わしのことじゃ」と六左衛門は素頓狂に答えた。
もちろん、姿をくらましたほうである。広家も親成も、やはり、という顔をした。
「あらかた、女子がらみじゃろ」と親成が言う。
「仰せの通り。わしがそやつの女房とこう、まぁ、そんなときに乗り込んできたもんじゃけぇ」と六左衛門が口ごもる。
広家が呆れたように言う。
「しかし、おぬしはアホウじゃのう。六左衛門とは実の名ではなかろう。そこから拝借したんか! 何も女房を寝取った上に傷を負わせた男の名を通り名にすることはなかろう」
「あれはまずかったと思うとります。自らを戒めるためにと思うたんじゃ」と六左衛門は眉毛を八の字にして、もうやめてほしいと言わんばかりである。
広家も親成も苦笑している。広家が続ける。
「まあ、功罪相半ばというところか。九州では一番鑓の六左を知らぬ者はなかったからのう。来し方を振り返るのはまたにしておけ。とにかく、宇喜多がおぬしを追っていたのはそれゆえとのことじゃ。じゃが、もう沙汰せずとの言質はとった。安心せい」
六左衛門は急に真顔になった。
「まことか。わしゃ黒田のせがれが仕組んだことかと思っとった」
広家は静かな口調で続けた。
「いや、安東は方便じゃ。おぬしの言うとおりじゃろ」
広家は続けた。
「安東の一件はもう大分前のこと。当時は秀家も元服前で事情を詳しく知っていたとは思われぬ。確かに今、安東は宇喜多の城番をしとるけ、たまたま話を耳にしたというところか。宇喜多と黒田が通じておっても不思議ではない。長政がおぬしを探ったか、たまたまそのことを知って、その上で宇喜多に依頼した。それらしい口実というやつだ。長政といえど、勝手知らぬ他国に刺客は放てぬからな」
「宇喜多と三村の因縁も承知なんじゃろうな」
親成のつぶやきに広家は頷いた。
「ひつっこい奴じゃ。謀までして」と六左は苦々しくつぶやいた。
親成が納得したように言葉を継ぐ。
「あのならず者たちの現れた理由はそういうことか。六左をなぜそこまで追うんかのう」
六左衛門は珍しく黙り込んだ。軽々しい理由ではないらしい。
「長政は武には長けておるが、少しひねくれたところがあるけえ、まぁいろいろあるんじゃろうの」と広家が助け舟を出す。六左衛門はうなずくしかない。
この話の間じゅう、六左衛門はいろいろなことに気がついた。
知らないところで思いもよらない出来事が起こっている。そして、親成はもちろん、広家が細かな情勢をよく分かっており、自分を守るために力を尽くしていたことに改めて感動していた。
「近々また唐攻めがあるけえ追っ手が出されることはもうないじゃろ。それどころじゃないけん。正直、どこの領主も青息吐息じゃ。しかし、途上赤木にも会ってきたが、親宣の弔い合戦じゃともう息巻いておるよ。あやつだけは元気じゃの」と広家が話題を変えた。赤木は近在の地の領主である。
「そうか……」と親成が遠い目をする。
屋敷の庭には梅が綺麗に花を付けている。広家はそれを眺めながらつぶやいた。
「越前守殿、わしの親父が生前、暇を見つけてはずっと書写していたのを覚えておるか」
広家の父、吉川元春は平時にこつこつと書写をし、古典の戦記などを完全に写していた。
「太平記ですな。もちろんです。わしも眼福に預かったが、あれは立派な仕事じゃった」
「わしは、なぜ親父が経典や漢籍や源氏物語でなく、太平記を書写していたのか、ずっと不思議に思っておった」と広家が言う。
「武士だから、ですかな」と親成が答える。
「うむ、わしもそう思っておった。ただ最近、何というか、親父は自分の立つ場所を見出そうとしたのではないかと考えるようになってな」
「……」
広家の父、吉川元春は毛利から吉川の養子となった。そしてその生涯を通して、毛利のために尽くした。弟の隆景も同様に小早川家に養子に出た立場だが、備中高松城の陥落の後は天下人秀吉の臣として重用されている。元春から見れば、「天下を望むな」という父元就の遺志とは異なる方向に進んでいく不安があっただろう。また、鳥取城、備中高松城を奪った秀吉への憎しみもあっただろう。小早川が陽で、吉川が陰になっていたのは、その支配した地域だけのことではない。そしてそれは毛利本家との微妙な温度差を生んでいた。
みずから甥が統べる本家を討つことになった親成には、その苦悩はよく理解できた。
「親成殿が三村本家をよく支えていたように、父は毛利の遺訓を忠実に守ったのだ。それが父の立つ場所だった。それはよく分かっておったじゃろう。しかし、わしは、父がいつかは毛利に戻りたかったような気がしてならない」
「そうじゃな……」と親成はつぶやく。わしが三村に戻ることは決して叶わないが、広家はそれを汲んで伝えてくれているのだ。
「毛利の先祖、大江氏は元をたどれば貴殿と同じ鎌倉の西遷御家人(せいせんごけにん)じゃ。父は先祖の足跡に思いをはせ、そして、武士として今ある自分というものを確かめたかったのではないのか。父が永年かけてようやく収めた富田城におると、否が応にも考えてしまうんじゃ」
一同はしばらく黙ったままだった。そして、六左衛門が口を開いた。
「広家殿は、まことに立派じゃ。父上の思いに寄り添い、しっかりと受け継いでおる」
広家は優しい目を六左衛門に向けた。
「六左。おぬしの親は健在なんじゃろ。それならば、おぬしはまだまだ大いに孝行できるはずじゃ。ひとつ、わしが気づいたことを教えておこう。武勇を誇っているうちは、まだ親は越えられぬ。自分の為すべきことを為したとき、初めて親や先祖と肩を並べられるのじゃ」
六左衛門は素直にうなずいていた。
親成はこのやりとりを聞きながら、心の中で泣いていた。
親宣がこの場にいてくれたら、きっとこの二人とよい友になれたであろうに。
吉川広家が家臣数名とともに成羽に現れたのは、六左が三村家に帰参してしばらく後のことだった。
「三原への途上ゆえ急で済まんが立ち寄ったんじゃ」
「六左衛門の件では、とんだお骨折りをいただき、誠にかたじけない」
親成は丁重に礼を述べ、広家は笑顔で返した。
「なんのなんの。わしの立場であれば内密に済む。六左衛門もじゃが、まず、親宣に挨拶させてくれぬか」
さきの唐入りで命を落とした親宣の位牌に合掌した後、広家と六左衛門が小倉城以来久しぶりに対面することとなった。
「おお、おお、懐かしいのう。確かにわしの父に付き添い小倉城まで同道いただいた御仁じゃ。相違ない。何しろ親成殿が文でその話ばかり書くもんじゃけ、どうしても会いとうなって」
聞けば、広家は秀吉の要請で肥後の国衆一揆討伐に出陣した折に、佐々成政勢として出陣した六左衛門が、獅子奮迅の活躍を見せた話を聞いていたという。小倉城の一件より後のことである。広家はどちらも同じ六左衛門だとは思っていなかったらしい。
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「いや、わしもきちんと礼を申せず済まない。わしも産湯をつかって以来、あれほど長く父の側に付いていられたことはなかったけん、今にして思えば幸いじゃった。ああ、堅苦しいのは抜きじゃ。秀家からの話もあってな、それも聞いておきたくての」と広家は前置きして、手短に説明した。
十年ほど前、美作の安東国貞の家で牢人による刃傷沙汰があり、国貞の娘婿、六左衛門が重傷を負った事件があった。些細なことが原因のようだ。その男と安東国貞は一時、戦場を同じくした縁で面倒を見ていたものらしい。結局、男は姿をくらましてしまった。
「そりゃ、わしのことじゃ」と六左衛門は素頓狂に答えた。
もちろん、姿をくらましたほうである。広家も親成も、やはり、という顔をした。
「あらかた、女子がらみじゃろ」と親成が言う。
「仰せの通り。わしがそやつの女房とこう、まぁ、そんなときに乗り込んできたもんじゃけぇ」と六左衛門が口ごもる。
広家が呆れたように言う。
「しかし、おぬしはアホウじゃのう。六左衛門とは実の名ではなかろう。そこから拝借したんか! 何も女房を寝取った上に傷を負わせた男の名を通り名にすることはなかろう」
「あれはまずかったと思うとります。自らを戒めるためにと思うたんじゃ」と六左衛門は眉毛を八の字にして、もうやめてほしいと言わんばかりである。
広家も親成も苦笑している。広家が続ける。
「まあ、功罪相半ばというところか。九州では一番鑓の六左を知らぬ者はなかったからのう。来し方を振り返るのはまたにしておけ。とにかく、宇喜多がおぬしを追っていたのはそれゆえとのことじゃ。じゃが、もう沙汰せずとの言質はとった。安心せい」
六左衛門は急に真顔になった。
「まことか。わしゃ黒田のせがれが仕組んだことかと思っとった」
広家は静かな口調で続けた。
「いや、安東は方便じゃ。おぬしの言うとおりじゃろ」
広家は続けた。
「安東の一件はもう大分前のこと。当時は秀家も元服前で事情を詳しく知っていたとは思われぬ。確かに今、安東は宇喜多の城番をしとるけ、たまたま話を耳にしたというところか。宇喜多と黒田が通じておっても不思議ではない。長政がおぬしを探ったか、たまたまそのことを知って、その上で宇喜多に依頼した。それらしい口実というやつだ。長政といえど、勝手知らぬ他国に刺客は放てぬからな」
「宇喜多と三村の因縁も承知なんじゃろうな」
親成のつぶやきに広家は頷いた。
「ひつっこい奴じゃ。謀までして」と六左は苦々しくつぶやいた。
親成が納得したように言葉を継ぐ。
「あのならず者たちの現れた理由はそういうことか。六左をなぜそこまで追うんかのう」
六左衛門は珍しく黙り込んだ。軽々しい理由ではないらしい。
「長政は武には長けておるが、少しひねくれたところがあるけえ、まぁいろいろあるんじゃろうの」と広家が助け舟を出す。六左衛門はうなずくしかない。
この話の間じゅう、六左衛門はいろいろなことに気がついた。
知らないところで思いもよらない出来事が起こっている。そして、親成はもちろん、広家が細かな情勢をよく分かっており、自分を守るために力を尽くしていたことに改めて感動していた。
「近々また唐攻めがあるけえ追っ手が出されることはもうないじゃろ。それどころじゃないけん。正直、どこの領主も青息吐息じゃ。しかし、途上赤木にも会ってきたが、親宣の弔い合戦じゃともう息巻いておるよ。あやつだけは元気じゃの」と広家が話題を変えた。赤木は近在の地の領主である。
「そうか……」と親成が遠い目をする。
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広家の父、吉川元春は平時にこつこつと書写をし、古典の戦記などを完全に写していた。
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「わしは、なぜ親父が経典や漢籍や源氏物語でなく、太平記を書写していたのか、ずっと不思議に思っておった」と広家が言う。
「武士だから、ですかな」と親成が答える。
「うむ、わしもそう思っておった。ただ最近、何というか、親父は自分の立つ場所を見出そうとしたのではないかと考えるようになってな」
「……」
広家の父、吉川元春は毛利から吉川の養子となった。そしてその生涯を通して、毛利のために尽くした。弟の隆景も同様に小早川家に養子に出た立場だが、備中高松城の陥落の後は天下人秀吉の臣として重用されている。元春から見れば、「天下を望むな」という父元就の遺志とは異なる方向に進んでいく不安があっただろう。また、鳥取城、備中高松城を奪った秀吉への憎しみもあっただろう。小早川が陽で、吉川が陰になっていたのは、その支配した地域だけのことではない。そしてそれは毛利本家との微妙な温度差を生んでいた。
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「親成殿が三村本家をよく支えていたように、父は毛利の遺訓を忠実に守ったのだ。それが父の立つ場所だった。それはよく分かっておったじゃろう。しかし、わしは、父がいつかは毛利に戻りたかったような気がしてならない」
「そうじゃな……」と親成はつぶやく。わしが三村に戻ることは決して叶わないが、広家はそれを汲んで伝えてくれているのだ。
「毛利の先祖、大江氏は元をたどれば貴殿と同じ鎌倉の西遷御家人(せいせんごけにん)じゃ。父は先祖の足跡に思いをはせ、そして、武士として今ある自分というものを確かめたかったのではないのか。父が永年かけてようやく収めた富田城におると、否が応にも考えてしまうんじゃ」
一同はしばらく黙ったままだった。そして、六左衛門が口を開いた。
「広家殿は、まことに立派じゃ。父上の思いに寄り添い、しっかりと受け継いでおる」
広家は優しい目を六左衛門に向けた。
「六左。おぬしの親は健在なんじゃろ。それならば、おぬしはまだまだ大いに孝行できるはずじゃ。ひとつ、わしが気づいたことを教えておこう。武勇を誇っているうちは、まだ親は越えられぬ。自分の為すべきことを為したとき、初めて親や先祖と肩を並べられるのじゃ」
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