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居候、成羽の水に馴染む
居候の結婚、そして子の誕生
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六左衛門とおとくの婚姻は親成に認められた。
しかし、おさんに対しては慎重に対する必要があった。おさんには親成が話をした。
おさんはうつむき加減に、「それは祝着至極にございます」と言っただけであった。
その声の調子にはやはり明らかな落胆が感じられたので、親成は何を言ってやったらよいのか分からず、少々まごついてしまった。部屋を出たところで六左衛門がこちらにやってくるのが見えた。六左衛門は親成に目礼すると、おさんの部屋の前で呼びかけた。
「おさん殿、たまには馬で走ってみんか」
部屋からはしばらく沈黙が流れ、少しして小さな拒絶の声があった。
「結構です。振り落とされでもしたら大変ですから」
「そんなことはない。ほれ、きんさい」と六左衛門が襖を開ける。
二人はしばらくやりとりをし、ようやく出かけていった。
おとくは部屋で思案顔をしていた。
「おとく、妬いとるんか」
親良が部屋をのぞいて少しからかい気味にいった。
「意地悪を言わないでくださいませ」とおとくが悲しい顔をする。
「心配することはないと思うぞ。六左はおとくと夫婦になるのだから」
「そんなことは心配しておりませぬ」
そこへ親成の声がした。
「親良、おとくをからかうな。身体に障りがあったら何とする」
親良は、「すいません」とつぶやいて去った。
「おとく、思いわずらうことはない。六左もそれは十分に承知しておる。おさんが納得するかは分からぬが、二人で話した方がよい」と親成も慰めるように言う。
おとくはうなずききつつも、やはり不安である。
「はい。ただ、おさん様のことを思うと、胸が痛うなりまする」
おとくがもっと自分勝手な娘であったら、こんなに悩まないで済むのに、と親成は思う。結婚してややこもできたのだから、たいへんめでたいことなのに、大喜びすることもできない。憐れなことではないか。おさんが早く立ち直ってくれればよいのだが、と願うばかりである。
「男女のことは、これはもう致し方ない。まぁ、おさんもじきに落ち着くじゃろう」
「そうだとよいのですが」とおとくはうつむいた。
その頃、六左衛門はおさんと成羽川に沿って馬を走らせていた。高梁川に合流すると、備中松山城はすぐである。かなりの高所にあるため、晴れた日はかなり遠くからでも見ることができる。急峻な山に威容を誇るその姿は、人々に畏敬の念を抱かせる。この城こそ、三村家の栄華の証であった。
「美しい城じゃな」と六左衛門が城を見上げる。
「備中一、いえ、国中探してもこれほどの山城はそうない、と兄の元親は申しておりました」
「そうか。確かにこの城の峻厳さは格別じゃ」
毛利も尼子もこの城を手に入れることが即ち備中の覇者になることと考えたのだ。
おさんは少しうつむいた後、意を決して六左衛門に尋ねた。
「六左殿はいつからおとくに」
「そうじゃな、地震の時か、いや、わしが雲隠れする前に探しにきたおとく会うた時か」
かなり前のことである。おさんは改めて自分が何も気づいていなかったことを思い知った。
「そうですか」とおさんはまたうつむいた。
「おさん殿、本当に済まなかった。親父殿もわしごときをおさん殿の婿にと考えてくれとったのに、このようなことになり……」
おさんは首を横に振って六左衛門が謝ろうとするのを制止した。
「謝られたら私がみじめではありませんか。やめてください。それに、わたくしはこのようなことでおとくと仲違いしたくはない。六左殿のことはお慕いしておりますが、わたくしにはおとくも必要なのです。おとくもわたくしを気遣って打ち明けることもできず、苦しんでいたようです。かわいそうに」
「わしがすべて悪いんじゃ」と六左衛門がおさんをじっと見て言う。
「そう、六左殿が悪い。わたくしからおとくを奪って」と訴えるようにおさんが応える。
「まことに申し訳ない」
「おとくが成羽に来るまで、わたくしは羅刹のようなものでした。父は私が生まれた時にはもういませんでしたし、育ててくれた兄も毛利に滅ぼされ、叔父上に引き取られました。はじめは身内を裏切った叔父をいつ討つかと、そればかり考えておりました。でも、叔父上は水のように静かで優しい方、親宣様もふとした折にとても悲しい目をされる。お二人とも本当に苦しんでいることが初めて分かったのです。それからおとくが来て、わたくしの考えは少し変わりました。あの娘も私と同じ境遇でしたし、母君も早くに亡くしていました。それでもおとくは誰を恨むでもなく、明るく優しい。それに比べ自分は何と浅はかなものかと。あの娘はわたくしにとってかけがえのない人なのです」
それはおさんの本心からの言葉だった。六左衛門は自分のことばかり考えて、二人の女性の深いつながりについて考えが浅かったことを思い知った。
「全く、返す言葉がござらん」
「ですから、おとくの子はわたくしの甥にも姪にもなるのです。大切にいたします」
おさんがきっぱりと言った言葉で六左衛門は胸が一杯になった。
「おさん殿、本当に申し訳なかった」と深々と頭を下げた。
「いいえ、あなたさまの心を動かしたのは、わたくしではなかったというだけです」
「いや、動いた。大いに動いた。ただ、わしがまごついて、一歩先へは進めなかったんじゃ」
おさんはふっと艶めかしい微笑みを投げた。
「ありがとう。嘘でもうれしい。あのことは、内緒ね」
ふっと顔を赤らめたおさんを見て、今度は胸が締め付けられた。眩しい。まるで咲いたばかりの花のようじゃ。男子の常ではあるが、少しだけ後ろ髪を引かれた六左衛門であった。
桜は終わろうとしていたが、辺りには野の花が咲き、清々しい風がふたりの頬をなでている。
おさんはあくる日にはさらしの布をたくさん取り寄せて、赤子のおしめを縫い始めた。おとくがおそるおそる部屋に様子を伺いに来た。
「おさん様、縫い物など私がいたします」と申し訳なさそうにおとくが言う。
「わたくし、お針仕事は得意なのよ。久しゅうやっていなかったけど、楽しいわ。おしめが終わったら産着をたんと仕上げますからね。それに、お産はいつ来るかわからないもの」
「おさん様……お体に障りまする」
涙声になっているおとくにおさんは笑う。
「ご心配なく。誰かのために何かをするのはとても楽しい」
おとくはさめざめと泣き出した。
「おとく、あなたは何も悪くないのよ。私は心からお祝いするわ。丈夫なややこを産むのよ。そして、あなたの藤井家のいのちをつなぎなさい」とおさんは優しく言う。
「いのち」
「そう。それに、万が一も六左殿とわたくしが夫婦になることはなかったのよ」
「え」とおとくは聞き返す。
「六左殿はいずれまたここを出ていきます。私はこの地から離れることはないでしょう。父や兄姉のことを思い、この地に骨を埋めるつもりですから」
おとくがこれ以上気に病まないようにと、おさんは気遣っているのである。
「おさん様……申し訳ありません」
おとくはたださめざめと泣き続ける。おさんはその背中を静かにさすってやった。
慶長三年(一五九八)年七月、成羽の屋敷で六左衛門とおとくの子が元気に産声をあげた。玉のような男の子である。おとくは初産のため少し時間がかかったものの、きよがてきぱきと指図をしたため安産だった。母子ともに無事で六左衛門は心からほっとした。自分の血を分けた子を見るのは初めてである。すぐに「長吉」と名前が付けられた。
「何て小さいんじゃ。目はおとくに似とるかのう。この指の愛らしさと言ったら、ほれ、わしの指を出すと握り返しよる」
はしゃぐ六左衛門の言葉におとくは満面の笑みを見せた。そしてまだくしゃくしゃの顔のややこを、まるで宝物のように丁寧にかき抱くのだった。
まさに、それと行き違うように、大坂城では太閤豊臣秀吉がみまかった。春先より体調が悪かったのが回復せず、この世に多くの憂いを残しつつ去っていった。
この先天下の行方はどうなるか、秀吉は息子の秀頼を後継に指名し、そのことを前田利家、徳川家康ら五大老にねんごろに頼んだ上誓詞も取っている。それにどれほどの力があるのか。誰も口には出さないものの、すんなりと秀頼の天下となるはずがないと感じている。風雲急を告げようとしていた。
六左衛門はこの機が帰参の好機ではないかと思う。
それをいつ親成に言おうか悩んでいると、逆に親成が声をかけてきた。
「上洛するか」
親成がぽつりと尋ねた言葉に六左衛門は固く唇を結び頷いた。
しかし、おさんに対しては慎重に対する必要があった。おさんには親成が話をした。
おさんはうつむき加減に、「それは祝着至極にございます」と言っただけであった。
その声の調子にはやはり明らかな落胆が感じられたので、親成は何を言ってやったらよいのか分からず、少々まごついてしまった。部屋を出たところで六左衛門がこちらにやってくるのが見えた。六左衛門は親成に目礼すると、おさんの部屋の前で呼びかけた。
「おさん殿、たまには馬で走ってみんか」
部屋からはしばらく沈黙が流れ、少しして小さな拒絶の声があった。
「結構です。振り落とされでもしたら大変ですから」
「そんなことはない。ほれ、きんさい」と六左衛門が襖を開ける。
二人はしばらくやりとりをし、ようやく出かけていった。
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「おとく、妬いとるんか」
親良が部屋をのぞいて少しからかい気味にいった。
「意地悪を言わないでくださいませ」とおとくが悲しい顔をする。
「心配することはないと思うぞ。六左はおとくと夫婦になるのだから」
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親良は、「すいません」とつぶやいて去った。
「おとく、思いわずらうことはない。六左もそれは十分に承知しておる。おさんが納得するかは分からぬが、二人で話した方がよい」と親成も慰めるように言う。
おとくはうなずききつつも、やはり不安である。
「はい。ただ、おさん様のことを思うと、胸が痛うなりまする」
おとくがもっと自分勝手な娘であったら、こんなに悩まないで済むのに、と親成は思う。結婚してややこもできたのだから、たいへんめでたいことなのに、大喜びすることもできない。憐れなことではないか。おさんが早く立ち直ってくれればよいのだが、と願うばかりである。
「男女のことは、これはもう致し方ない。まぁ、おさんもじきに落ち着くじゃろう」
「そうだとよいのですが」とおとくはうつむいた。
その頃、六左衛門はおさんと成羽川に沿って馬を走らせていた。高梁川に合流すると、備中松山城はすぐである。かなりの高所にあるため、晴れた日はかなり遠くからでも見ることができる。急峻な山に威容を誇るその姿は、人々に畏敬の念を抱かせる。この城こそ、三村家の栄華の証であった。
「美しい城じゃな」と六左衛門が城を見上げる。
「備中一、いえ、国中探してもこれほどの山城はそうない、と兄の元親は申しておりました」
「そうか。確かにこの城の峻厳さは格別じゃ」
毛利も尼子もこの城を手に入れることが即ち備中の覇者になることと考えたのだ。
おさんは少しうつむいた後、意を決して六左衛門に尋ねた。
「六左殿はいつからおとくに」
「そうじゃな、地震の時か、いや、わしが雲隠れする前に探しにきたおとく会うた時か」
かなり前のことである。おさんは改めて自分が何も気づいていなかったことを思い知った。
「そうですか」とおさんはまたうつむいた。
「おさん殿、本当に済まなかった。親父殿もわしごときをおさん殿の婿にと考えてくれとったのに、このようなことになり……」
おさんは首を横に振って六左衛門が謝ろうとするのを制止した。
「謝られたら私がみじめではありませんか。やめてください。それに、わたくしはこのようなことでおとくと仲違いしたくはない。六左殿のことはお慕いしておりますが、わたくしにはおとくも必要なのです。おとくもわたくしを気遣って打ち明けることもできず、苦しんでいたようです。かわいそうに」
「わしがすべて悪いんじゃ」と六左衛門がおさんをじっと見て言う。
「そう、六左殿が悪い。わたくしからおとくを奪って」と訴えるようにおさんが応える。
「まことに申し訳ない」
「おとくが成羽に来るまで、わたくしは羅刹のようなものでした。父は私が生まれた時にはもういませんでしたし、育ててくれた兄も毛利に滅ぼされ、叔父上に引き取られました。はじめは身内を裏切った叔父をいつ討つかと、そればかり考えておりました。でも、叔父上は水のように静かで優しい方、親宣様もふとした折にとても悲しい目をされる。お二人とも本当に苦しんでいることが初めて分かったのです。それからおとくが来て、わたくしの考えは少し変わりました。あの娘も私と同じ境遇でしたし、母君も早くに亡くしていました。それでもおとくは誰を恨むでもなく、明るく優しい。それに比べ自分は何と浅はかなものかと。あの娘はわたくしにとってかけがえのない人なのです」
それはおさんの本心からの言葉だった。六左衛門は自分のことばかり考えて、二人の女性の深いつながりについて考えが浅かったことを思い知った。
「全く、返す言葉がござらん」
「ですから、おとくの子はわたくしの甥にも姪にもなるのです。大切にいたします」
おさんがきっぱりと言った言葉で六左衛門は胸が一杯になった。
「おさん殿、本当に申し訳なかった」と深々と頭を下げた。
「いいえ、あなたさまの心を動かしたのは、わたくしではなかったというだけです」
「いや、動いた。大いに動いた。ただ、わしがまごついて、一歩先へは進めなかったんじゃ」
おさんはふっと艶めかしい微笑みを投げた。
「ありがとう。嘘でもうれしい。あのことは、内緒ね」
ふっと顔を赤らめたおさんを見て、今度は胸が締め付けられた。眩しい。まるで咲いたばかりの花のようじゃ。男子の常ではあるが、少しだけ後ろ髪を引かれた六左衛門であった。
桜は終わろうとしていたが、辺りには野の花が咲き、清々しい風がふたりの頬をなでている。
おさんはあくる日にはさらしの布をたくさん取り寄せて、赤子のおしめを縫い始めた。おとくがおそるおそる部屋に様子を伺いに来た。
「おさん様、縫い物など私がいたします」と申し訳なさそうにおとくが言う。
「わたくし、お針仕事は得意なのよ。久しゅうやっていなかったけど、楽しいわ。おしめが終わったら産着をたんと仕上げますからね。それに、お産はいつ来るかわからないもの」
「おさん様……お体に障りまする」
涙声になっているおとくにおさんは笑う。
「ご心配なく。誰かのために何かをするのはとても楽しい」
おとくはさめざめと泣き出した。
「おとく、あなたは何も悪くないのよ。私は心からお祝いするわ。丈夫なややこを産むのよ。そして、あなたの藤井家のいのちをつなぎなさい」とおさんは優しく言う。
「いのち」
「そう。それに、万が一も六左殿とわたくしが夫婦になることはなかったのよ」
「え」とおとくは聞き返す。
「六左殿はいずれまたここを出ていきます。私はこの地から離れることはないでしょう。父や兄姉のことを思い、この地に骨を埋めるつもりですから」
おとくがこれ以上気に病まないようにと、おさんは気遣っているのである。
「おさん様……申し訳ありません」
おとくはたださめざめと泣き続ける。おさんはその背中を静かにさすってやった。
慶長三年(一五九八)年七月、成羽の屋敷で六左衛門とおとくの子が元気に産声をあげた。玉のような男の子である。おとくは初産のため少し時間がかかったものの、きよがてきぱきと指図をしたため安産だった。母子ともに無事で六左衛門は心からほっとした。自分の血を分けた子を見るのは初めてである。すぐに「長吉」と名前が付けられた。
「何て小さいんじゃ。目はおとくに似とるかのう。この指の愛らしさと言ったら、ほれ、わしの指を出すと握り返しよる」
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