水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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居候、成羽の水に馴染む

六左衛門、おとくに求婚する

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 親成におさんとの婚姻をすすめられてから六左衛門は、どことなく浮き足立っていた。
 浮き足立っていたのは、おさんのせいではなかったが。

 ある日、台所に野菜を運び込むおとくに、六左衛門は小さいやきものの壷を手渡した。
「はい、何でしょう」
 おとくは籠を床に置いて受け取る。
「あかぎれやしもやけに効く膏薬じゃ。往来で薬売りから手に入れた」
「ただでですか」とおとくが真面目な顔で聞く。
「あほぅ、自分の銭で買うたに決まっとろうが。まぁ、かなりまけてはくれたが」
「わしゃあ鬼六左じゃ、などと申されたのでは」
 六左衛門が顔をしかめた。
「そげんことはせんわい。いや、薬屋は妙にびくびくしとったがそのせいかのう」
 おとくはクスクス笑いだした。
「鬼六左があかぎれの膏薬を」
「鬼もあかぎれになるわい。水仕事もつらかろう」と六左衛門は心配そうに言う。

 おとくははっと気が付いた。六左衛門は自分のためにわざわざ膏薬を買いに行ってくれたのだ。屋敷出入りの薬屋から買うこともできるのに。地震の時、気が付いたのだ。水仕事でがさがさになった両手をぎゅっと握りしめ、おとくはぺこりとお辞儀をした。
「ありがとう、六左様。大切に使わせてもらいます」とおじぎをして、おとくは六左衛門をじっと見つめた。

 年頃の娘のまっすぐな目にぶつかって、六左衛門は年甲斐もなくどぎまぎした。いかんがや、こんなおぼこい娘に何をわしは。六左衛門は内心慌てふためいた。
 そもそも、誰かのために膏薬を買いに行こうと思う時点で気づくべきではあるが、彼には慣れないことだったようだ。
 かねてから一番鑓と同様、女性も六左にとってこの上ない愉しみである。その扱いにはかなり慣れていると自信を持っていた。しかし色恋沙汰は常に惚れたほうが負けといえる。おとくは美しく成長した。ここに来たときはまだまだ子供の風だったのに、今は数えで十八。最近とみに女らしくなった。

 一度火が点いたら気持ちというのは一気呵成に上がっていくものである。おとくを見るたびに脈拍は上がり、話しかければ心臓が飛び出しそうになり、心ここにあらずという風である。おとくに任せる汚れ物がきちんとたたんで出されるようになり、猿股を自分で洗うようになるに至って、最近の六左衛門はどこか変だとささやかれるようになった。

 親成は自分がおさんとの縁組みを勧めたからかと早合点し、「例の件は急いでおらぬ」と告げたが、急にかっと目を見開いて、ぱっとうつむき「恐れ入ります」とつぶやくのみだった。そもそも縁談話を忘れていたのである。

 年齢が十五も離れていることが唯一気になっていた。
 世話してくれる娘にたやすく手を付けるなど、できぬ。それに、おとくには里を出るときに言いかわした者がいると言っていた。わしのことは兄ぐらいにしか思っとらんじゃろう。いかんがや、いかんがや。
 こうして六左衛門の煩悶は続くのだった。

 おさんとの縁談話は幸か不幸かしばらくお預けとなったが、親成は六左衛門を諦めてはいなかった。彼の出自はとうに分かっていたが、奉公構はまだ続いており、一向に帰参する様子もない。かと言って西国では仮の名・六左衛門として有名になってしまった。手出しはされなくなったが、黒田長政に睨まれていたから奉公構を二重にくらっているようなもので、三村家以外では仕官は難しい。つまるところ、水野六左衛門は今のままでは三村家に居るほかないのだった。

 それならばわが家に居ればよい、と親成は考えていた。ただ十七石の客分でずっと済ますわけにもいかぬ。おさんと夫婦になり、三村本家を継がせても構わないと思っていたのである。文禄の役で長子を亡くし、次男の親良はまだ若いという事情はあるが、もちろん一番の理由は、彼を大いに気に入っていたからである。最近では領地をよく見回るし、地震で傷んだ寺社や家屋の修繕、灌漑用水の普請まで進んで皆と行っていた。荒くれ者の風も大分消えて、成羽の民も気さくに話しかけてくる。「鬼は鬼でも、成羽を守るよい鬼」と評判もすこぶるいい。

 この片田舎で、何か大切なことを見つけてくれたのならええんじゃが。今の六左衛門ならば一国の領主としても十分じゃ。親成は感に堪えない。
「しかし、あやつはまことはどうしたいんじゃろうか」
 親成はつぶやいた。


 六左衛門は、いま一番したいことをしようとしている。
 ついに耐えられなくなって、畑仕事をしているおとくの元につかつかと向かっていった。おとくは雑草をむしりとっていたが人の気配に振り向いた。
「六左様、どうされました」
 六左衛門は一瞬ひるんだ。敵を前にしてひるんだことなど一度もない。しかし、恋の病にはあまり関係ないことのようだった。それでも、彼は思い切って言った。

「おとく、いきなりじゃが、わしゃおまえに惚れとるんじゃ」
 開口一番がこれである。本当にいきなりの告白である。
「えっ」とおとくが驚いた顔になる。
「おまえはわしが嫌いか」と六左衛門は性急にたたみかける。

 しばらく考えてから、おとくは答えた。
「あなた様はおさん様の想いびとです」
 だから受けられない、とおとくは言うのである。六左衛門は全く動じない。
「……おさん殿の気持ちには応えられぬ」
「そんな、おさん様がどれほどあなた様を慕われているか、ご存知ないのでしょう」

 六左衛門は話の方向を変えた。
「おとく、わしが茶頭を斬り捨てて逃げようとしたとき、話をしたな」
「はい」とおとくはうなずいている。
「あのとき、わしゃ泣いた。人前で泣いたのはあれが初めてじゃ。おまえはあのとき、鬼になればよいと言い切った。あの言葉で逆に迷いが消え、憑き物が落ちたようじゃった。あのまま二度と戻らず、どこにも行き場がなくなっていたら、わしは追っ手に討たれ、どこかで屍を晒しておったやもしれぬ。おまえの言葉がなければ、ここには戻らなかった」
「六左様……」とおとくがつらそうに目の前の男を見つめる。
「おさん殿、親父殿とはいずれ話をせねばと思うておる。そうしたら、わしの妻になること改めて考えてくれぬか」
「今すぐお答えできませぬ」とおとくは首を横に振る。
「美作におるっちゅう許嫁のことか」
「いいえ、いきなり嫁に来いと言われてすぐに返事はできませぬ。それに、許嫁ではありませぬ。家同士が取りかわしたことではありませんし」とおとくは困った顔をする。
「済まん、急かすつもりはないんじゃ。わしの気持ちは変わらん。考えてみてくれまい」
 十分に急かせてはいたが、六左衛門はそれだけ言うと足早に去っていった。

 おとくは六左衛門の背中をぼうっと眺めていた。そして、足元に置いたままの野菜籠をふたたび持ち上げた。
 言われてみれば、思い当たるふしが多くあることに気がついた。
 ここのところ、六左様はもの思いにふけることが増えた。それは恋わずらいだったのか。おとくに対しても妙に優しかったり、逆につっけんどんになったりしていた。それを愛情だと理解するには、おとくはまだ若すぎるのだ。でも、おさん様が一途に六左様を思い続けているのに、私が邪魔をするようなことがあっては……。
 おとくは困った顔が癖になってしまいそうだった。

 しかし、六左衛門はくじけなかった。
 それから何度も折を見ておとくに近づいては、彼女への思いを真剣に告げ続けた。おとくも次第に心が動かされ、六左を憎からず思うようになっていく。

 そしてある夜、六左衛門はおとくの部屋に忍んでいった。
 そこで朝まで過ごした。

 六左衛門の腕枕でふたりは添い寝をしている。

 六左衛門はおとくの手をずっと握りしめていた。
 がさがさに荒れていたおとくの手は、もらった膏薬で滑らかに回復していた。
 しかし、おとくは落ち着いて休むことができない。男が隣で寝ていることにすぐに慣れるものではない。破瓜の痛みとともに突然女になってしまった戸惑いもある。六左に愛情を抱きはじめてもいる。何とも形容しがたい状態である。
 しかし、おとくが一番気にしていたのはおさんのことだった。
 こんなことになって、おさん様に顔向けできない。どうしよう。おとくは自問自答を繰り返していた。
 それからも六左衛門は毎夜のようにおとくの部屋に忍んでいき、彼女の身体の隅々まですべて自分の宝物であるかのように、丁寧に愛し続けた。

 その当然の結果、おとくは懐妊した。
 それを告げると、ややこの父親は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「ほぉ、大当たりじゃのう」
「なにを暢気なことをおっしゃいます。すぐにおなかが出てきて隠し立てできませぬ。お屋形様やおさん様に何と言ったらよいのですか」
 うつむいて泣きそうになっているおとくを見て、六左衛門は即答した。
「あほう、わしがきちんとするわ。おとくは心配せず、どんと構えておればよいのじゃ。ただ……」と六左衛門は口ごもる。
「ただ?」
「今更じゃけど、本当にわしでよいのか。わしの嫁になってくれるのか」
 六左衛門は正座して真剣な瞳で問うてきた。
 正式な求婚である。
「はい……」とおとくは真っ赤な顔になって言った。
 六左衛門は満面の笑みを浮かべておとくの手を握りしめた。
「おまえとわしさえ考えが同じならば、なにも悩むことはない」
 二人は固く抱き合った。

 とはいえ、実際に親成の前に出ると、六左衛門は逃げ出したくなった。茶頭の件で帰参を許されたこと、おさんとの縁談を奨められたのにはっきりと回答していないこと、すでに六左には失点がある。その上、親成が娘のように可愛がっているおとくを孕ませたとあっては、どういう反応をされるのか、六左には想像するのも恐ろしかった。
「何じゃ、早く申せ」
 親成の声に、六左衛門はビクッとして背を伸ばし硬直した。
「婚姻のお許しをいただきたいと思いまして」
「そうか。やっと決心してくれたか」
 親成は相好を崩した。まずい、おさんが相手だと思っている。彼は焦った。先におさんとの縁談を断るのが筋である。
「いや、おさん殿とのお話はわしにはあまりにももったいなく……」
「おさんではないのか。では嫁にというのは成羽のおなごか」と親成が訝しげに言う。
「成羽と言いますか……実はおとくでして」と六左衛門は思い切って口にする。
 少し残念そうな素振りは見せたものの、親成はこの時点ではあまり驚いていなかった。
「そうか、おとくのことは妹のように可愛がっておったからな。当の本人には申し込んだのか」
「はい……実はややこが腹におりまする」
 六左衛門は清水の舞台から飛び降りるような心持で言った。

「なにっ」
 親成はそう言ったきり、黙り込んだ。万事休すだ。この時、彼は腹を括った。文字通り、切腹もいとわないという心情になっていた。
「どうか、おとくをこの家から追い出したり、ややこと引き離したりしないでいただきたい。すべてわしが悪い。どうしようもなく、あの娘に惚れてしまったんじゃ。お屋形様のご厚情に背く行いであること、百も承知。手打ちにされても致し方ないと思うておりまする」
 それだけまくし立てるように、一気呵成に述べると、六左衛門はがばっと平伏した。

 親成はふぅと大きなため息をついて言った。
「おとくは、小坂、いや藤井家から預かっておる娘じゃ。身重でぽいと里に帰すなどとんでもない。また、おとくの子は藤井の血筋を引く大切な子じゃ。藤井の家がどんな目に遭ったか、おぬしも聞いたであろう。おとくの父は他の兄弟をすべて亡くし、宗家最後の男子なのじゃ。だからこそ、武士を捨て生国を捨て、美作の片隅で大人しく暮らしておる。わしが三村宗家を何とか繋ぎたいと思うておるのと同様、いやそれ以上に、ややこは藤井にとっても大切なのじゃ。わしも、おとくの父に堂々と誇れる男でなければ、申し開きできぬ。おぬしはそれだけの覚悟があるのか」
 静かに諭すように言う親成の目に、怒りの色はなかった。
「……わしは、父と一度きちんと話します。父がわしを許すか許さぬかは分からぬが、いずれにしてもけじめをつけまする」
「そうじゃな。それがよい。おとくはわしにとっても、娘同然なんじゃ。娘の子の父を手打ちにしとうはない」
「……許してくだされ。親父殿の望むようにできず、こたびも」と六左衛門は再び頭を下げた。
「おぬしはいつもわしを驚かせるの。しかし……おさんには惚れなかったか。おぬしに懸想していたようだったが」と寂しそうに親成が言う。
「……」
「おさんには、好いた男と幸せになってほしかった。あれは気位が高く、なかなか人に心を許さん。それも生い立ちを思えば致し方ないこと」
「おさん様とも、一度きちんと話します」と六左衛門はきっぱりと言った。
「うむ。わかった。とりあえず、おとくを呼んでくれぬか」

 おとくも六左衛門に負けず劣らず怖がっていた
 主人の子を身ごもり奥方に折檻を受けて殺された下女の話を聞いたことがあった。六左衛門は主人ではないが、おさんのことを思うと、親成の怒りは大きいのではないかと畏れた。

  親成はそうなったいきさつについては何も聞かなかった。六左衛門に嫁ぐ意思や身体の調子を尋ね、おとくの父に話をし婚礼の準備を進めると告げた。その声は穏やかだった。
「お屋形様、本当にお詫びのしようもございません」とおとくは詫びる。
「おまえの子はわしの孫も同然、めでたいことじゃ。じゃけ詫びはもういらぬ。気に病むと身体に障るから、とにかくのんびり過ごすことじゃ。家人にもわしから言うておく」
「はい」とおとくは小さな声で応える。
「あ、おさんのことじゃが、しばらくはそっとしておいてやってくれんか」

 親成もおさんが六左衛門に懸想していることを承知していたから、その点だけは慎重に話さねばならないと思うのだった。それはおとくも、きよも同じであった。
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