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激闘 大坂夏の陣

天王寺の戦い 勝成五番手から疾る

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 明けて五月七日、前日の戦闘で皆疲弊し死者、負傷者も少なからずいたが、水野隊は早暁に国分を発ち大坂を目指した。
 出立前に大御所の使者、豊嶋主膳らが現れ、ねぎらいの言葉がかけられるとともに、今日の闘いでは家康本陣の備えに付くようにとの指示を伝えた。越前松平忠直隊の次、五番手の位置である。

 確かに昨日の小松山、道明寺合戦は激戦だった。勝成は昨日のことを反芻していた。

 それにしても、先陣を切って出た大和の奥田、松倉勢が真っ先に潰されたことは、勝成にとっても痛かった。失った兵数の話ではない。あの場で寡勢の大和衆を前に出すべきではなかった。堀直寄に松明(たいまつ)の誤りを指摘されたことも含めて、勝成は大将という役の難しさ、責任の重さをひしひしと感じている。

 この日の水野隊は堀直寄隊、大和衆の神保相茂(じんぼうすけしげ)隊と行動をともにしていた。本多忠政、松平忠明、伊達・忠輝隊らも背後についている。目指すは家康の本陣、茶臼山である。そこから大将を補佐し大坂城を一気に攻める。
 出立のさい、顔を見せた神保相茂に勝成はまず詫びを入れた。
「昨日は奥田らぁを真っ先に出して討ち死にさせたこと、申し訳なかった。大御所の使者には大和衆の果敢な戦いぶりを伝えはしたが、正直、わしの失策じゃった」
 神保は首を横に振った。
「奥田も松倉もみずから望んで先駆けしたんや。日向殿が詫びることではござらん」
「いや、貴殿らぁは皆わしについてきてくれたんじゃ。みすみす死なせるわけにはいかん。おんしらぁがいんで、大和は誰が治めるというんじゃ」と勝成は訴えるように言った。

 見ると、神保の目が潤んでいる。
「手前ども小国の武士は常に兵として徴用され、わずかでも叛意を見せれば虫けらのごとく踏みつぶされるのが常にございます。さきの焼き討ちがそのよい証左ですわ。せやから、大和衆として一致結集するようつとめておるのです。しかし、あなた様は違う。昨日も先頭切って戦い、皆平等に扱ってくださった」

 そりゃ、わしも小国でさんざん世話になった身だからじゃ、と勝成は心中で小さくつぶやいた。

 神保は続ける。
「奈良に焼き討ちの手が迫り、わしらが為すすべなく途方に暮れていた時、水野隊の勇ましいお姿を見てほんま頼もしく、嬉しゅうございました。日向様も若い時分は随分荒くれ者やったそうですが、今は毘沙門天の化身のようにございます」 
 あまりの褒めように、勝成は慌てて否定した。
「わしゃ役目を果たそうとしとるだけじゃ。あまり買いかぶられても困る。とにかく、本日はわれらみな備えの五番手につき、くれぐれも無理な戦いはせんでくれ」
 神保は頷いたが、その目には忠臣が主君に対して持つある種の、固い決意が宿っていた。

 茶臼山を望む周辺一帯は膨大な数の兵たちで溢れていた。
 旗指物も各種入り乱れ、何がどこの隊なのかさっぱり分からない。
 この日の関東の総勢は十五万五千と言われている。勝成は人いきれがした。祭りの御輿行列じゃあるまいし、これでは一番鑓どころか、敵味方も分からんわい。
 前には越前藩の松平忠直隊が陣取っている。
 家康の次男、結城秀康の長子である。勝成があいさつに出向くと、忠直は青白い顔をして気もそぞろな様子だ。後で側近が勝成にささやいた。
「三河守(忠直)様、昨日の八尾合戦の折、苦戦する藤堂・井伊勢に加勢せず、大御所様に叱責されたやに聞き及びましてございます」

 八尾・若江の戦いも熾烈を極め、藤堂勢にも犠牲者が多かったという。将は前に出るなと言われても臨機応変に動かなければならぬが、歴戦の猛将らの苦戦を見て臆したのだろうか。

「大御所に叱られたぐらいで気弱になったらいけんのう。わしなどはまず、大御所にどたわけとしか言われぬからな」と勝成が苦笑する。
「それを屁とも思わぬゆえ、父上はまたどたわけと言われるのです。三河殿は私より三つ年かさなだけ。さぞかし腹に応えたでしょう」
 勝重が忠直への同情を込めていう。
 周りの中山将監や勝重に付く宮本武蔵も苦笑いしている。勝成はふふんと鼻を鳴らした。この息子はわしよりおとくに似ている。人心をよく推し量り、傲ったところがない。しかし、今日ばかりは場の空気に気圧されて落ち着かぬようじゃ。忠直への同情はすなわち自身の動揺の表れに違いない。勝成はあえて剽げて言った。
「おう、おぬしはどたわけの子じゃが、とんびが鷹かのう。いずれにせよ、今日で戦いも終いにするんじゃ、心してかかれよ」
「ははっ」と勝重も少し表情を崩した。


 合戦は昼頃、先鋒の本多忠朝隊に大坂方の銃口が向けられ火蓋を切った。
 どよめきが起こる中、勝成に見える範囲で真っ先に動いたのはすぐ前、四番手の松平忠直隊だった。
「かかれぇっ、かかれぇっ!」
 かけ声が突風のように広がり、一万を越える越前隊が一気に動いた。
 勝成はぎょっとした。忠直は四番手じゃ。明らかに前列を押し退けとる。何があったんじゃ。しかし、後に付く身としては進むより他にない。
「われらも行くぞっ、隊列は決して乱すな。旗印だけを当てにするのではなく、仲間内で声を掛け合い進むのじゃ!」
「おうっ!」
 馬に乗って進む余地もない。勝成は馬を降り、家中の竹本左門に預けた。
「左門、神保勢ら大和衆を前に出させるな」と勝成は命じた。
「承知っ」
 そして鑓を固く握り先頭に立った。

 その頃、茶臼山の右方にある天王寺の最前線では毛利勝永隊が本多忠朝隊を押し崩しつつあった。鑓鉄砲が入り乱れる中、死にもの狂いの毛利隊が本多勢をバッサバサと打ち倒し、あろうことか大将の忠朝が首を取られてしまった。その勢いは凄まじく、側面から救援に入った小笠原秀政隊も押し崩されていく。毛利に続き真田信繁隊も戦闘に加わったが、隊形の乱れもなく進むさまは、混乱する関東勢と比べれば大人と童ほどの開きがあった。
「進め、進めいっ、敵本陣まで決して止まるなあっ!」
 真田隊の怒声が響く。
 そこに立ちはだかったのが、突進して出た松平忠直の越前衆である。
 数に勝る上、前日の失敗を取り返そうと焦る忠直は、全軍に決死の覚悟で臨むよう言い渡していた。鑓鉄砲が霰のように飛び交う中、真田勢が押し戻されていく。

 その様子を背後で見ていた勝成はふと、不安に駆られた。
「おかしい」
 いくら大勢によるものとは言え、一番隊二番隊を見る見るうちに崩した毛利、真田がそう簡単に押し戻されるものか。もしや主力は別の方面に出ているのでは。その時、堀直寄の使者が勝成の許に現れた。
「急ぎ日向様に言上つかまつりたく」
 やはりそうか。勝成は意を決した。
「ええぃ、皆まで言うな。分かっとるわい。われら大和口方面隊は左に進み茶臼山を取る。急ぎ守備を固めるんじゃ。そう主に伝え、全軍に伝令を走らせよっ」
「ははっ、承知」
 堀の使者がひれ伏して走り去った。
 堀も気が付いたのだ。真田は隊を分け、主力をがら空きになった本陣に向けたのだ。このままでは大御所が危ない。真田の進攻を止めなければならぬ。

 そこからの動きは早かった。堀の進言もあり、本多忠政、松平忠明を茶臼山の押さえに、伊達隊に茶臼山左翼からの天王寺進軍を要請し、勝成らは茶臼山右翼に進んでいった。

 その時、大坂方の毛利勝永、真田信繁、岡山口から進んできた大野治房らの主力が家康と秀忠のすぐ側まで迫っていた。家康は本能的に危機を察し、早々にみずから退却を始めたため、間一髪、攻撃を受けることはなかった。秀忠も無事だった。しかし、本陣には真田隊がなだれかかり、家康の馬印まで倒されて大混乱となった。
 進軍しつつ勝成が茶臼山を見やると、まばらだった人影が大勢になっている。まずい、と勝成は思った。
「急げっ、急ぐんじゃ」
 水野隊は松平忠直勢と声を掛け合い、茶臼山に踊りかかった。さほど高くない茶臼山山頂には真田勢が大挙して押し寄せていた。
 勝成は飛び出した。
 鑓を構え来る敵に向かった。突いた鑓を抜くと、次の敵の首をはねとばした。血しぶきを浴びつつ見ると、自隊も次々と敵を討ち取っている。見るうちに辺りは血に染まっていく。左からは伊達勢、背面からは本多勢も加わり、真田勢がじりじりと後ずさりし始めた。どこに逃げても、すでに茶臼山の後方は東軍勢に包囲され、袋の鼠である。
「よぉし、一気に天王寺まで押すんじゃっ!」

 茶臼山を駆け下ると、水野隊は走った。先には越前衆の姿が見える。
 勝成の脳裏に家康、秀忠の安否がちらついたが、いずれにせよ、真田勢が一番の難敵、崩さねばならぬ。無茶駆けしている越前衆とともに進むしかない。
 勝成は鑓を振り回し、次々と敵を倒す。先に奮戦する越前衆に加え、本多忠政、松平忠明隊も背後から加勢し、伊達隊も左から攻め込む。真田は次第に劣勢となり、逃げ出す兵が目につくようになった。
「よおし、勝重。一気に進むぞっ」
 水野隊は茶臼山を越えると、てんでばらばらに散っていく敵をさらに追い散らしながら黒門を過ぎ、天満川に架かる橋まで駆けた。
 ほどなく、そびえ立つ天王寺の鳥居が目に入った。勝成は一端止まって叫んだ。
「鳥居は敵の目印になる。崩せっ」
 鳥居が崩される間、ここからどう進むか、勝成は中山将監に問うた。
 中山は驚いた。勝成がこの場で兵を止めたのもそうだが、家臣の意見を聞いたのにはさらに仰天した。あえてここで止めたのだ。
 何と、殿がそんなに思慮深いとは。中山は感銘を受けつつ言上した。
「越前衆は左手、船場に向かっております。真田の兵が残っているやもしれませぬが、右手に一番旗の活路を見いだす手もありましょう。ただ、越前衆も走り続けて疲弊しております。われらもすでに五百ほどの兵しかないゆえ、越前衆を補佐し進むのがよいかと」
 勝成は返り血を浴びた顔できっぱりと言った。
「わしと同じ考えじゃな。ようし、船場にゆく」

 大阪城一番乗りに突進することをあっさりと諦めた。

 かたわらに付く勝重も同じ考えだった。
 しかし、父の様子を見るにつけ、どうしてこの場で動ぜずにいられるのか不思議で仕方ない。勝重自身もがむしゃらに敵を打ち捨ててきたものの、心中には人を殺めることへのためらいがある。
 遠慮なく敵をなぎ倒しとどめを刺す父の姿は頼もしくも怖ろしい。
 何より、その中でも冷静な判断を下せることが勝重には驚異であった。これが戦国の世を駆けてきた経験の重みというものなのか。
 勝重は血がべったりと付いた父の兜をしばらく見ていた。
「何じゃ」
 振り向く父に、勝重は問う。
「父上はなぜ、この修羅場にあって動じることがないのですか」
 勝成はほう、とした顔をして思案する。
「そうじゃのう、皆の命を預かっとるけえな。それに」
「それに?」
「子が見とる前でじたばたするわけにゃあいかんで」
 血塗れの顔でにかっと笑った。

 一方、新たな敵が先を走る越前隊の前に立ちはだかっていた。

 明石全登の率いる一隊である。
 明石全登は宇喜多秀家に臣従していたが、主君が関ヶ原ののち八丈島へ流罪になったため、黒田官兵衛や田中吉政のもとで客分として過ごしてきたが、訳あって長居せず牢人の身であった。大坂方に参陣したのは、みずからが信仰する神のためである。それだけに覚悟も固く、劣勢になってきた大坂方を何とか盛り返そうと策を練っていた。

 家康の本陣に三度まで襲いかかった真田信繁隊は、関東方に完全に押し込まれ力尽き、松平忠直の手の者に首を討たれていた。明石は真田隊の壊滅を知ると茶臼山に進むことを止めた。そして大坂城の手前で関東方を迎撃すると決め、手勢を配備した。その仕寄は皮肉なことに冬の陣の際、藤堂高虎が築いたものである。

 これに限らず、人の世には皮肉な連鎖が繰り返される。
 この戦国最後の大戦の、最終盤の局面で、宇喜多の将を勤めた者と勝成が相まみえることも運命の皮肉といえなくもない。

 かつて三村一族を窮地に陥れた宇喜多の来し方を、勝成はふと思った。

「これが因縁ちゅうもんかいや。ならば、わしは負けぬ」

 敵が潜む仕寄に越前衆がわれ先に襲いかかった。鉄砲が一つ放たれると、それを合図に明石隊が一気に踊りかかった。
「行けえっ!」
 いきなりの攻撃に越前衆はひるんだ。
 彼らにしてみれば、真田隊を壊滅せしめ、後は大阪城に乗り込むばかりだと考えていたのだ。新たな戦闘に向かう気力は残っていない。越前衆はじりじりと、ではなく、一斉に後ろを向いて逃げ出した。銃声と叫び声は勝成にもはっきり聞こえた。
「船場の明石隊が押し出とります。兵を備えとったんでしょう」
 斥候に出ていた杉野数馬が告げる。
 その話が終わらないうちに人の群れが水野隊に押し寄せる。
 勝成は素早く、人波の前に立ちはだかった。
「おぬしら何をしとるっ、卑怯者めがっ。敵に背を向けていずこに逃げるんじゃ。かかれっ、かかるんじゃあ!」
 その怒声で体勢を立て直した者もいたかもしれないが、崩れた隊はてんでばらばらに散っていくばかりである。
 その騒ぎの中、十五間ばかり先にいた水野隊の広田図書、尾関左次右衛門の二名が明石隊と鑓を合わせる姿が勝成の目に入った。勝成は越前衆に叫んだ。
「ええいっ、どけっ、どきやがれっ!」
 勝成は、水野隊は一気に前に出た。
 ここから、水野隊と明石隊の死闘が始まった。広田図書が倒され、首を討たれようとするのを勝成が討ち返す。他の者も鑓刀で果敢に突き進んでいく。
 水野隊は強かった。寡勢ながら誰一人退くことなく、次々と敵を討ち取っていく。
 明石全登はこの有様を見て、愕然とした。越前衆が逃げ出したところまでは、うまく策に乗っていた。伊達の大軍が来る前に大阪城の守備を固めねばならぬ、それほどの衝突だと思い、水野の小隊を見くびっていた。
「水野と言えば……」
 明石全登は思い出した。
 大坂城内での軍議中、後藤又兵衛が畏れるべき敵として挙げていた。備中成羽に昔、鑓の六左ちゅう客分がおった。わしは共に戦ったことがあるが、まことに、猪武者とはあやつのことよ。今はもう、水野勝成ちゅう大名になっとったい。愚痴めいたつぶやきをその時は無視していたが、そうか、あれが六左か。
 ふと気が付くと、明石の前に兵が鑓を構えていた。
「拙者、水野家中の汀三右衛門、お相手つかまつるっ」
 明石は鑓を構えて立った。そして瞬時に空を仰いで祈りの文句を唱えた。
「全てはデウス様の御心のままに、アーメン」

 日本中のすべてのキリシタンの願いが断ち切られた瞬間であった。
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