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居候の恩返し
報 恩
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寛永二年(一六二五)年、そのとき六一歳の勝成の姿は京都の大徳寺にあった。
鮮やかな緑に、よく整えられた大仙院石庭の白がよく映えている。
住持の江月宗玩(こうげつそうがん)が急な訪問にも関わらずにこやかに迎える。
勝成は彼に大切な願いごとがあった。
「私には実の父、恩のある父と二人の父がおります。何とも不忠なことに、どちらの臨終にも立ち会えませなんだ。悔やんでも悔やみきれぬことにございました」
勝成が語るのを宗玩は静かに聞いている。
「こたび、その二人の父、あと若くして儚くなったわが弟のため塔頭(たっちゅう)を建立させていただけないかと思いましてな」
それだけ言うと、勝成は目を閉じた。
大仙院の生垣の向こうから爽やかな風が吹いて頬を撫でるのが感じられる。
塔頭とは禅寺の院内寺院である。大徳寺は昔から武士階級の帰依を受け、織田信長の墓所「総見院」をはじめ多くの塔頭がある。
この頃には江戸幕府将軍も三代目家光となり、関ヶ原も大坂の陣も過去のことになりつつあった。そのような中でここは、かつて戦乱の世を駆け抜けていった者たちに思いを馳せる場ともなっている。
江月宗玩、彼は堺の商人、津田宗及の息子である。秀吉の茶頭をつとめた父を持つ彼もまた乱世をその身で体験した世代である。
「だいぶ時が過ぎたのでは?」と宗玩は問う。
「その通りです。実はわしは黒田長政殿に大層嫌われておりましてな。時を譲っておりました」
勝成は冗談めかしてさらりと言った。
その当時、大徳寺で最も立派な塔頭、龍光院は黒田長政が父如水(官兵衛)のために建てたもので、長政はいわば大徳寺の大檀越であった。だが、勝成にとっては因縁深い長政も前年に世を去っていた。今となっては懐かしい類の話だが、下らぬ昔の因縁を蒸し返さぬよう時を待っていたのである。
「ほう、一番鑓は決して譲らぬお方が、譲りましたか」
「わしはだいぶ人生に出遅れましたでな。それでよいのです」と勝成は静かに言う。
「なぜ当寺を望まれますか。黒田様と同じでご不快なのではないですか」と宗玩はさらに問う。
「……わしには似合わぬ風ではあるが、思うところがございましてな」
宗玩が静かに次の言葉を待つ。
「親父らぁは何のために戦っとったんか。いや、わしや長政を含めて、名を天下に轟かせた者、それが叶わなかった者、あるいはそれを望まなかった者、儚うなった全ての武士は何のために戦っとったんか。主君のためか、恩賞・功名か、天下一の座につくことか。
いずれにせよ、その終着には戦なき世があったはずじゃ。
わしは若い時分随分血の気も多かったで、猛き先人に憧れ鑓持ちずいぶん非道なこともしてまいりました。しかし、ある時点でその考えは変わった。戦なき世が叶うのならばそれをひたすら目指さねばいかん。それが生前ちっとも果たせなんだ親父らぁへの恩を返すことにもなる。
それに、長政はわしのことをずいぶん嫌っておったが、どんないきさつであれ、彼奴も福岡藩を立派にまとめとった。ここらでお互い折れてもええんじゃなかろうかと」
勝成の独白は続く。宗玩はただただ清聴に浸っていた。
「翻って、今さらながらわが父・忠重が突然命を絶たれたこと、三村の親父が心ならずも一族の滅亡に手を貸さねばならなかったことがまことに哀れでのう。特に、三村の親父は自らを生涯責め続け、墓を建てるまじ、己の血筋を残すまじと遺命を残したが、それではあんまりじゃ。
手を汚しておらぬ武士はおりませんけえ。
わしはずっと、何ができるか考えとりました。わが父の墓所は寺社を建立しておりますが、三村の親父の墓所は子が家臣格にあたるため、わしが領内に建てることもできませぬ。ならば、大徳寺に塔頭を建てること許されれば、父忠重、弟忠胤(ただたね)とともに三村の親父を供養できるのではないかと思ったのでございます」
話を全て聞いた江月宗玩は、深くうなずきながら応じた。
「鬼日向殿がどんな無理難題を持ってきたのかと思いましたが、事情はお察しいたしました。それこそ忠孝というものでございましょう。ぜひおいで下さい」
勝成は感謝の念を満面に湛え、宗玩に平伏した。
「来年は実父忠重の二十五回忌、また三村親成の十七回忌にございますれば、盛大に法要を執り行いたく思うております。何とぞよしなにお取り計らいくださいますよう、お願いいたします」
深々と頭を下げる勝成を宗玩はにこにこと見ている。
「しかし、鬼日向殿と言えばあの島津も旗印を見てきびすを返すほど、剛勇の覚えめでたき方と聞き及んでおりましたが、それだけの方ではないようですな」
「いや、それは買いかぶりです。さて宗玩様、重ねてのお願いになりますが、それがし役目を果たしたらこちらにお邪魔してもよろしいか」と勝成も笑う。
「それは、法鉢になられると」
勝成は静かに頷いた。
「ようございます。いつでもお越しくださいませ」と宗玩はうなずく。
勝成が大徳寺を辞すると外には警固の者が幾人かおり、その中に三村親良もいた。膝をついて迎える親良の耳に勝成はささやいた。
「親良、来年は親父の法要をここでやるぞ」
親良はその意味をすぐに理解し、はっとして勝成を見上げる。
その瞳に涙が浮かんだ。
「殿……そのようなことを……」
「まだおさんにも内緒にしとるんじゃ、わしが申すまで告げたらいかんで」
勝成は笑顔で頷くと、若い頃よりは多少難儀ながら一人で馬に乗った。
そして空を見上げてつぶやいた。
「居候の恩、少しは返せたんじゃろうかのう。親父よぅ」
その声はカンと澄んだ京の青空に吸い込まれていった。
(本編おわり)
鮮やかな緑に、よく整えられた大仙院石庭の白がよく映えている。
住持の江月宗玩(こうげつそうがん)が急な訪問にも関わらずにこやかに迎える。
勝成は彼に大切な願いごとがあった。
「私には実の父、恩のある父と二人の父がおります。何とも不忠なことに、どちらの臨終にも立ち会えませなんだ。悔やんでも悔やみきれぬことにございました」
勝成が語るのを宗玩は静かに聞いている。
「こたび、その二人の父、あと若くして儚くなったわが弟のため塔頭(たっちゅう)を建立させていただけないかと思いましてな」
それだけ言うと、勝成は目を閉じた。
大仙院の生垣の向こうから爽やかな風が吹いて頬を撫でるのが感じられる。
塔頭とは禅寺の院内寺院である。大徳寺は昔から武士階級の帰依を受け、織田信長の墓所「総見院」をはじめ多くの塔頭がある。
この頃には江戸幕府将軍も三代目家光となり、関ヶ原も大坂の陣も過去のことになりつつあった。そのような中でここは、かつて戦乱の世を駆け抜けていった者たちに思いを馳せる場ともなっている。
江月宗玩、彼は堺の商人、津田宗及の息子である。秀吉の茶頭をつとめた父を持つ彼もまた乱世をその身で体験した世代である。
「だいぶ時が過ぎたのでは?」と宗玩は問う。
「その通りです。実はわしは黒田長政殿に大層嫌われておりましてな。時を譲っておりました」
勝成は冗談めかしてさらりと言った。
その当時、大徳寺で最も立派な塔頭、龍光院は黒田長政が父如水(官兵衛)のために建てたもので、長政はいわば大徳寺の大檀越であった。だが、勝成にとっては因縁深い長政も前年に世を去っていた。今となっては懐かしい類の話だが、下らぬ昔の因縁を蒸し返さぬよう時を待っていたのである。
「ほう、一番鑓は決して譲らぬお方が、譲りましたか」
「わしはだいぶ人生に出遅れましたでな。それでよいのです」と勝成は静かに言う。
「なぜ当寺を望まれますか。黒田様と同じでご不快なのではないですか」と宗玩はさらに問う。
「……わしには似合わぬ風ではあるが、思うところがございましてな」
宗玩が静かに次の言葉を待つ。
「親父らぁは何のために戦っとったんか。いや、わしや長政を含めて、名を天下に轟かせた者、それが叶わなかった者、あるいはそれを望まなかった者、儚うなった全ての武士は何のために戦っとったんか。主君のためか、恩賞・功名か、天下一の座につくことか。
いずれにせよ、その終着には戦なき世があったはずじゃ。
わしは若い時分随分血の気も多かったで、猛き先人に憧れ鑓持ちずいぶん非道なこともしてまいりました。しかし、ある時点でその考えは変わった。戦なき世が叶うのならばそれをひたすら目指さねばいかん。それが生前ちっとも果たせなんだ親父らぁへの恩を返すことにもなる。
それに、長政はわしのことをずいぶん嫌っておったが、どんないきさつであれ、彼奴も福岡藩を立派にまとめとった。ここらでお互い折れてもええんじゃなかろうかと」
勝成の独白は続く。宗玩はただただ清聴に浸っていた。
「翻って、今さらながらわが父・忠重が突然命を絶たれたこと、三村の親父が心ならずも一族の滅亡に手を貸さねばならなかったことがまことに哀れでのう。特に、三村の親父は自らを生涯責め続け、墓を建てるまじ、己の血筋を残すまじと遺命を残したが、それではあんまりじゃ。
手を汚しておらぬ武士はおりませんけえ。
わしはずっと、何ができるか考えとりました。わが父の墓所は寺社を建立しておりますが、三村の親父の墓所は子が家臣格にあたるため、わしが領内に建てることもできませぬ。ならば、大徳寺に塔頭を建てること許されれば、父忠重、弟忠胤(ただたね)とともに三村の親父を供養できるのではないかと思ったのでございます」
話を全て聞いた江月宗玩は、深くうなずきながら応じた。
「鬼日向殿がどんな無理難題を持ってきたのかと思いましたが、事情はお察しいたしました。それこそ忠孝というものでございましょう。ぜひおいで下さい」
勝成は感謝の念を満面に湛え、宗玩に平伏した。
「来年は実父忠重の二十五回忌、また三村親成の十七回忌にございますれば、盛大に法要を執り行いたく思うております。何とぞよしなにお取り計らいくださいますよう、お願いいたします」
深々と頭を下げる勝成を宗玩はにこにこと見ている。
「しかし、鬼日向殿と言えばあの島津も旗印を見てきびすを返すほど、剛勇の覚えめでたき方と聞き及んでおりましたが、それだけの方ではないようですな」
「いや、それは買いかぶりです。さて宗玩様、重ねてのお願いになりますが、それがし役目を果たしたらこちらにお邪魔してもよろしいか」と勝成も笑う。
「それは、法鉢になられると」
勝成は静かに頷いた。
「ようございます。いつでもお越しくださいませ」と宗玩はうなずく。
勝成が大徳寺を辞すると外には警固の者が幾人かおり、その中に三村親良もいた。膝をついて迎える親良の耳に勝成はささやいた。
「親良、来年は親父の法要をここでやるぞ」
親良はその意味をすぐに理解し、はっとして勝成を見上げる。
その瞳に涙が浮かんだ。
「殿……そのようなことを……」
「まだおさんにも内緒にしとるんじゃ、わしが申すまで告げたらいかんで」
勝成は笑顔で頷くと、若い頃よりは多少難儀ながら一人で馬に乗った。
そして空を見上げてつぶやいた。
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