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居候の恩返し
備後福山藩の船出 帰ってきた居候
しおりを挟む水野美作守勝重は堺から船に乗り、瀬戸内海に面した穏やかな備後鞆(とも)の津から陸にあがった。彼の父、水野日向守勝成が新藩を興すことに決めた土地をその目で確かめるためである。
かつて、彼の父はこの地で黒田長政の船から出奔し、放浪をはじめた。それから長い月日が過ぎ、その息子がここに立っている。明日をも知れない浮浪者のような暮らしをしていた父は徳川幕府の譜代大名となった。息子も美作守となっている。母が生まれ育った地である美作守を拝命することは息子にとって大きな喜びだった。
勝重は思い出していた。長吉と呼ばれていた幼い頃を。
彼が幼少の頃暮らしていたのはここより十里あまり北東にある備中成羽だった。
山間(やまあい)のその地で、彼は優しい母おとく、じじ様と呼んでいた三村越前守親成、その娘おさんらとともに過ごしていた。じじ様が守る三村の館は広大だった。しかし、その広大さに比して人はそれほどいなかったように思う。いつも相手をしてくれるのは、おさんの乳母であるおきよ、あとはじじ様の若い息子、親良ぐらいだった。
さびしいと思ったことはない。
親成はいろいろなところに小さな子供を連れ出した。
成羽川での川遊び、山歩き、時には馬での遠出に連れ出してくれた。長吉が一番好きだったのは馬での遠出だった。成羽川に沿って歩を進めて備中松山城が雲間に浮かぶ姿も見た。上ってみたい、と親成に言ったが、「じじは疲れたけえ、また今度じゃ」と先送りになった。その顔はとても厳しかったことを覚えている。長吉には理由はまだ分からなかった。
遠乗りでいちばん強烈な印象を残したのは新見の牛市だった。今でもうっすらと覚えているほどだ。幼い長吉にとっては、黒々と鼻息荒く動き回る牛の群れは怪物が襲ってきたのにひとしい恐ろしさで、わぁんと泣いて踵を返し親成に抱きついた。
「あれはみんなよう働く牛なんじゃが、怖かろうなあ、離れて見とればええ」と親成は長吉の頭をなでた。
長吉は口をへの字に結んで、涙のたまった目で親成を見上げた。
その顔は穏やかに微笑んでいて、長吉は心から安心できたのだった。
また親成はたいへん物知りで、長吉が尋ねることには何でもすらすらと答えた。文字の手習い、漢籍の音読も親成に付いて学んだ。
おさんと母は二人でよく針仕事をしていた。おさんは部屋にいることが多く、長吉はこのおば(だと長く思っていた)の前では走ったりうるさくしてはいけないのだということをすぐに心得た。おさんは昔話が得意で、長吉もよく話をせがんだが、中には恐ろしく感じたものもあった。「桃太郎」の話を聞いたときのことである。
「その鬼の首は近くの吉備津神社に埋まっておるんよ。今でも出せ出せとうめいとるんじゃ」とおさんが付け足した。
長吉はその晩、怖くて厠に行けず寝小便をした。
考えてみれば、怖い話が多かったんじゃのう。
勝重は苦笑いした。
そんな怖い体験を明るく思い出せるのが不思議である。怖さを丸ごと包み込んでしまうほど、皆がわしのことを大切に守ってくれたからなんじゃろう。
鞆の海は長閑で、あくびが響き渡るほど静かだ。波が立つことがあるのだろうかと思う。物思いをするにはうってつけの場所かもしれん。勝重は振り向いて同行してきた家臣に問うた。
「芦田川(あしだがわ)はすぐなのか?」
「いえ、二~三里ほど離れております。馬を待たせておりますゆえ、こちらへ」
海沿いでやや狭いが、よく整えられた道を進んでいく。すでに父の指示によって城普請の準備が進められているのである。瀬戸内海を眺めながらの道行きなので、のんびりとしているものの、退屈ではない。
勝重は海が好きだった。父に呼ばれて初めに向かったのは三河刈屋だった。あの地には三河湾があり、よく三村親良が付き添い海に連れ出してくれた。親良は成羽の頃からともに暮らしていたので、勝重が心を許せる数少ない人間である。環境ががらりと変わっても気落ちしないでいられたのは親良のおかげかもしれない。
また、親良は鑓の稽古を熱心に付けてくれた。「これは若の父君からの直伝じゃ。ほれ、かかってきんさい」とつど言うので、ムキになって向かっていったものだった。
そのうち、将軍様の小姓として江戸城に上がったので、海を見る機会はなくなった。
その後に父が任ぜられた大和郡山も海からは離れておったのう。
そして、母は、優しかったわしの母は、わしが江戸に上がっている間に、いなくなってしまった。
勝重は目を伏せた。
そんな勝重に家臣が声をかける。
「若様、見えてきましたぞ。あれが芦田川にございます」
勝重は目を丸くした。
芦田川の河口にあたるその土地は、川の名前と同じでだだ広い葦原だった。いわゆる湿地帯である。野鳥が種々戯れ魚をくわえて去っていく。田畑も見当たらない、山はどこかにあるのかときょろきょろしてみるものの、来た鞆の方角に見えるのがもっとも近くである。勝重は目を丸くしたまま家臣に問うた。
「父上は、まことに、この地に新しい城を建てられるというんか? 」
家臣は首を傾げながらうなずいた。
「殿はこの地に名前を付けられました。新しい城下町の名、新しい藩名にございます」
「はて、何と?」
「ふ・く・や・ま、と。福笑いの福に、お山の山にございます」
家臣の言葉に、勝重は笑い出した。
「そこまで言わんでもええ。まぁ、父にしては穏やかな名づけじゃのう」
まったく、父はどこまで新しいことずくめにするつもりなんじゃ。何もない葦原に城やら城下町やらを作るとは。
これでまことに幕府が、将軍様が認めると思うておるんか。福島正則は雨漏りの修繕をしただけで城を破却の上改易となったんじゃ。まったく、やることが半端ではない。勝重は父の大胆さにあきれつつ、心の中で快哉を叫びもした。
勝重の心配は至極当然のことだった。
しかし、彼の父もだてに長く生きてきたわけではない。
滔々と自説がいかに幕府にとって重要かを老中らに語り続けた。
西国の要衝に就く譜代大名のものとして十分に威容を誇る城と城下町を築くべし。隣り合う広島城、岡山城に劣る規模のものであってはならない。瀬戸内海の防衛も担うのだから、すぐさま海上に出られる立地でなければならない。費用を抑えるために破却する城の材を転用する、あるいは移築する。城下町は江戸を模したものとして町割りをすすめる。そのためには従来の城を使うのではまったくもって不十分である……云々。
その大風呂敷を皮切りに、勝成が家臣に念入りに調べさせ練りに練った計画は微細に渡り精確なものだった。もちろん、幕府に堂々と披露された。一同当初は仰天した。新規築城が禁止されているのを水野日向が知らないはずがない。それでも、自信満々に新規築城どころか、新しい町まで作るというのだから。
重ねて、大和郡山藩の石高でそれだけの大事業をまかないきれるわけがない。
幕閣では侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論となった。
外様大名に睨みを効かせる存在が必要であることに間違いはない。実際、福島正則の改易に疑問を持つ大名もいたからである。西国の地理に明るく、いつでも出陣できるだけの戦闘力を備えている水野日向を置くことは誰も異論がない。しかし……。
最終的には将軍が決断した。
結果、幕府は勝成の希望を受け入れ新規築城を認めることとした。こうなると、勝成はしたたかであった。さすが、権現家康に借金を帳消しにさせただけのことはある。踏み倒したと言うほうが正しいのかもしれない。その上さらに粘って、幕府から金を借りることまで成功させたのである。
秀忠は顔を真ん中に集めるほど渋い顔をして、勝成に告げた。
「おぬしは何と金のかかる盾じゃ。これだけのことを幕府にさせたからには、今後は他藩の倍々働いてもらうからな。覚悟しておけ」
「まったく重畳至極(ちょうじょうしごく)。もちろんしかとあいつとめまする」
平伏してのち、上げた顔はニカッと笑っていた。
実は勝成が幕府に負担させたのは金ばかりではない。破却する京都・伏見城の「松の丸東櫓(やぐら)」を解体し福山まで運ぶ費用も幕府が負担することになったのである。
「わしらが勝手に伏見城を壊して持ってくるわけにはいかんじゃろう。それでは泥棒じゃ」
してやったりな勝成に、してやられたりの幕府とも言えなくもない。
しかし、この大掛かりな計画は実現までに実に三年近くの時間を費やした。町割はじめ水路の建設や灌漑事業などはもっともっと、一代で終わらないほどかかるのだが、それはまた別の話である。
このような、前例のない有様だったため、大和郡山藩では国替えが決まってから忙しい日々が延々と続いていたが、勝重はいつも母おとくのことをきにかけていた。
おとくは大坂にいる。再嫁した都築右京も先頃亡くなり、小さな屋敷で娘と暮らしている。再嫁ののち産んだ二人の女子が嫁いだら出家する、と周りに告げている。
勝重は父が備後で新藩を立ち上げるのだから、せめて勝重が新たに居とすることになっている鞆城に来ないかと何度も頼んでいた。初めて上陸したときから鞆をすっかり気に入ってしまったゆえである。
おさんも、「おとくがいればこれほど心強いことはない」と同様の文を送ったのだが、「大坂もよいところですので」とやんわりと断りの返事がきた。
おとくは、三村の親父並みに頑固者じゃ。
勝成は苦笑した。
勝成は備後に移ることが決まって、在地の三村、藤井家の者を馬廻衆や地域の寄合衆として取り立てることに決めていた。成羽はすでに小藩として編成されており福山藩には加えられなかったが、備中笠岡については許可が下りた。加えて、藤井所縁(ゆかり)の芳井にほど近い高屋の地も福山藩領となった。もう誰も追い立てる者はいない。ほうぼうに離散していた一族も安心して帰郷できるようになった。刈屋から仕えた藤井靭負(ゆきえ)は三村親良とともに新藩でも役を与えられることになる。
おとくの父小坂利直も姓を復すことがここで叶った。藤井道齊と名乗り芳井村で医者として暮らすことになった。
あとはおとくだけである。
おとくはいわば藤井一族の恩人ではないか。
母が大坂で寡婦として暮らすことは勝重には耐えられなかった。
「せっかく、故郷に戻れるというのに。もう誰に気を使うこともないんじゃ。どうか、父上からも念入りに言ってくだされ」と勝重は嘆き訴えた。
勝成は息子を不憫に思ったが、「自分が言っても変わらないだろう」と告げてから昔語りをはじめた。おとくが成羽から高屋まで徒歩で墓参に行き、六左衛門だった勝成がこっそり後をつけた時の話である。
「昔、成羽から高屋までおとくの付き添いで向かったことがあったんじゃ。おとくの伯母、豊姫の墓参じゃったが、八里九里はあったかのう」
「はい」と勝重は居住まいを正す。勝成は続けた。
「まあ、おぬしの母の歩くのが早いこと早いこと。わしゃようついていけんかったでいかん。しかし、藤井の地であった芳井村の辺りでおまえの母は行きも帰りも、しばらく立ち止まり里を眺めておった。三村の親父が後で言うには、一度もその地を踏んだことがなかったそうじゃ」
「それは、初耳です」と勝重は言う。
「おまえに知らせとらん話はまだまだあるやもしれぬのう。じゃけえ、おとくには、今も戻りたいという思いがあるじゃろう。わしも分かっとる。戻してやりたい。せめておぬしの母として」
「さればなおさら」
「側室でない室を二人は置けぬ。豊臣家を見たら分かるじゃろ。また、おとくにしてもこれまで世話になった都築家を寡婦になったからと、あっさり捨てるわけにもいくまい」
「なれど、それは何とかできることではないでしょうや」と勝重は食い下がった。
「できる」
目を見開いて肯定した勝成に息子はびくっとした。
「じゃが、それだけではおとくは納得せん。おとくは自分がおさんの幸せを奪うたと思うとるんじゃ。わしはおさんともきちんと話をした。じゃけ……おとくは悪くない、わしがおとくに惚れたのがいかんのじゃ。三村の親父はおさんとわしを夫婦にするつもりじゃったけえな。その分も不義理をした。結婚の許しを得る時、わしは平伏し言った。おとくは何も悪くない。おとくに惚れた自分が全て悪い。手討ちになっても構わんとな」
勝重は真顔で父を見た。
「母上も、三村のじじ様もそのようなことはわしに言いませんでした。初耳です」
「そんな話、わざわざ子にするかいや」
ぷいと横を向いた父を見て、勝重はくすりと笑った。
「なんじゃ。笑うたんか」
「はい、嬉しくて」と勝重は涙を浮かべる。
「……」
「母は捨てられたんじゃと、ずっと思うておりました。わしが江戸の秀忠公のもとに出た後に、母は刈屋を出ました。わしを産んで物心ついたら用済みになって追い出されたんじゃと。叔父上ら水野の正室は皆大層なお家の姫、宗家の正室の家柄が見劣りするなどと陰口を叩く者もおりましたので、疑心暗鬼になっておったのです。しかし、今のお話を聞き、心のつかえが取れました」
「阿呆、そんなわけあるかいやっ!」
勝成は一喝した。
「わしとて惚れて添うた女子を従兄弟の、いや他の男の妻になど、しとうはなかった。ただ、おとくは自分で決めて出ていった。わしの母もおとくとおぬしのためを思うて都築に話をつけたんじゃ。従兄弟ならばまた母子会うことも叶うはずじゃと。信じずとも構わんが、おとくはわしという人間を誰よりも分かっとった。それでわしは救われた。もちろん、おさんも愛おしいが、今もおとくに惚れとるんじゃ」と最後はらしくない小さな声で勝成はしめくくった。
「父上……」
「おぬしには申し訳ないことをした。すべてこの父のせいじゃ。他の誰も悪くない。責めるならばこの父を、恨むならこの父を恨め」
勝成はそう言いながら、涙をこぼした。
勝重はここまで父が感情を露わにするのを初めて見た。息子も涙に暮れ、「父上」とただ繰り返すことしかできなかった。
居候が晴れて新しい城を完成させたのは築城決定から三年後の元和八年(1622年)のことであった。
彼は自身に誓った通りに、かの地に帰ってきたのである。
因縁のかけらもない、新しい地をつくるために。
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