水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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居候の恩返し

勝成、備後に国替えを命じられる

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 将軍徳川秀忠に呼ばれた勝成が大和郡山藩の上屋敷から江戸城に赴いたのは元和四年(一六一八)も暮れのことだった。
 大坂夏の陣から三年以上経っている。

 ごく内密の話らしく人払いがされると、自然と二人の調子もくだけたものになる。
 以前と変わらず、将軍の背後に阿弥陀像が据えてあるのを見て、勝成はなぜか安堵した。大御所家康は大坂夏の陣の翌年にみまかった。今では東照大権現となり下野国に祀られている。死してなお、東国を守るということである。

「あちらは権現様の所には連れていかんかったんか」
 秀忠は背後の黒く煤けた木像を見て、ああ、とうなずいた。
「こちらは徳川家の護持仏にせよとのご遺言じゃ。戦世で命を絶たれた者の無念、太平の世に至る苦難を忘れてはいかんとわしも思うで、あい変わらずじゃ」
 勝成はうなずいた。
「それは嗣子累々教えていかねばなりませんな。勝重は返ってわしに説教するほどでかなわんが」
 秀忠の表情が不意に曇った。
 秀忠の二人の息子、竹千代(のちの家光)と国千代(のちの忠長)の間には、以前からその母親や乳母もからんで不穏な空気がある。世継ぎは竹千代であることがすでに定まっていたが、不穏な空気が消えることはなかった。勝成は、まずかったかと思った。
 しかし秀忠の表情はすぐに元に戻った。
「それはおぬしではなく、妻女がきちんと養育されたからであろう。しかし勝重はほんに文武両道、仁徳篤い立派な男子になった。大坂でも立派に勤めたというではないか。わが家の護持仏を抱えていったあほうの子とは思えんわ」と秀忠は切り返した。
「すぐにきちんと返したで、その話を二代でするのは止して下され」
 勝成がしかめっ面をした。秀忠は苦笑したが、すぐに真剣な顔になり本題に入った。
「さて、今度呼んだのは他でもない。福島正則の件じゃ」
「ああ、広島城を無断で修繕したとかで破却を進めとるらしいな」と勝成が真顔になる。
「うむ。その件だが、改易を申し渡すつもりじゃ」

 その言葉はある程度予測できたものだったが、やはり衝撃だった。
 もともと福島正則は水害で被害を受けた広島城の修繕願いを出しており、幕府の許可が下りると見込んで普請を始めていた。それが咎めを受ける理由になる。
 幕府の基盤を堅固にするために、秀忠は父親以上の周到さで障害になりうるものを取り除いていた。その筆頭は西国に多くいる外様(とざま)大名であった。特に豊臣恩顧の大名には締め付けを厳しくしていた。

 それまでの経緯を捨てて、権現に忠誠を誓ったことは悪くないんじゃが。
 一度寝返った者はまた裏切るという考えなんじゃろうのう。

 勝成はふと思った。確か、秀忠側近の本多正純も土井利勝もあまり強硬に福島の改易を主張していなかったはずだ。とすると将軍ひとりの決断か。福島と竹馬の友であった加藤清正はとうにないが、その妻となった妹のかなが肥後にいる。いつかは肥後にも手がかかるかもしれない。そんなことを考えながら、勝成はつぶやくように言った。
「……そうか、思い切ったのう」
 安芸備後五十万石の外様大名を改易に処すとは、確かに思い切った処断である。その治世にも大きな問題はなかった。

 ようやく戦世が終わり、命の危険を感じずに眠れる日々がやってきたのだ。太平の世で新天地を与えられ自分の領地を築く喜びは大きい。張り切って領地経営にかかる者が大半であった。

 しかし、勝成から見れば秀忠の心情も分からないではない。外様大名の中には伊達や島津をはじめ強力な地盤を持つ者もおり、いざとなれば幕府を脅かすことのできる一大勢力であることには違いなかった。秀忠は勝成の思案を見越して言う。
「福島の改易には皆乗り気ではない。大御所ならばもっとじっくり段取りを構えるとぬかしておる」
「ああ、そうだろう。だが、上様はのんびり構えてはおれんとお考えなんじゃろう」
 秀忠はうなずいた。
「わしの役目は大御所が築きし太平の世を堅固にすることで、それ以上はない。だからこそ、それを妨げるものには容赦するわけにはいかぬのだ」
「天下を任された将軍であれば、孤独のうちに厳しい判断をせねばならぬこともある。天道を外れなければそれも必定よ」と勝成はつぶやくように言う。

 秀忠は勝成の同意を得たと思う。そこで身を乗り出して小声で言った。
「天道か……これは天道に沿うのかのう。おぬしに、備後をやる」
「は?」と勝成がきょとんとした顔をする。
「安芸は浅野、備後はおぬしにやることにした」と秀忠は真剣な顔で言う。
「そ、それはまた……」とまだ勝成はごくりと唾を飲む。秀忠はどうやら、勝成のそのような反応を見たかったらしい。さらに身を乗り出して言う。
「おぬしは長く備中におり土地の事情に詳しい。三河弁とごっちゃになった、その備中弁がよい証拠じゃ。確か関ヶ原の後か、わしにこっそり備中を寄越せと申しておったろう」と秀忠が懐かしそうに言う。

 そうじゃった。三村の親父が成羽を追われると知ったときじゃった。家康にけんもほろろにされ、秀忠にこぼしとったんじゃ。勝成も懐かしく思い出す。

「ああ、もう大分前のことじゃ。わしのおった成羽には山崎が入ったのではなかったか」
「その通りじゃ。小早川秀秋亡き後、備中は小藩と天領に編成した。しかし、天領に代官を置くだけでは不十分と思っておった。ありていに言えば、西国の要に譜代を置きたいというのがわしの思うところじゃ。まぁよく言えばそうだが、悪く言えば盾か」
 秀忠はとうとうと語るが締めはニヤリと笑った。一筋縄ではいかない。希望を生かす代わりにそれなりの役割をしてもらう、そういうことだ。
 その姿にかつての家康の姿が重なったような気がして、勝成は目を見張って話をさらに聞く。
「関ヶ原までは正直、おぬしが大名としていかなる働きをするか読めんかった。それは権現様もそう思っとったはずじゃ。何しろ十五年も放浪しておったからな。呆けておっても当然じゃ。しかし刈屋にしろ大和郡山にしろ治政は良く家臣団もしっかりしておる。備後を任せても問題ない、いや適役と思うた」
「恐悦至極に存じます」と勝成は平伏する。
「それに……権現様もいずれはおぬしを西国の要にしたいと思うておったぞ」
 秀忠の言葉に勝成は仰天した。そんなことは一度も言われたことがない。
「さようなこと、初耳だでや」
「おぬしに申したら、舞い上がってまたかぶき出すと思うたんかのう。まぁ、そういう親父じゃ」と秀忠が笑う。


 備中成羽とほど近い備後に国替えを命じられた。

 しかも、これまでにない新しい藩を立てるのである。
 深々と頭を下げながら、勝成は湧きあがる喜びを噛みしめた。福島正則の改易に伴うことで、まだ内密の話なので飛び上がって喜ぶことはできないが、それでも嬉しさがこみあげる。
「かぶき者、荒くれ武者のおぬしがここまで来たことはわしにとっても嬉しい。これからも幕府を支えてほしい」と秀忠に見送られ、勝成は江戸城を出た。
 国替えに伴う要望があれば早めに出すように、とも言われた。

「三村越前守親成(ちかしげ)が生きておれば」と勝成は今さらながらに思う。
 今のわしの姿をこそ見てもらいたかった。
 親父の生地のほど近くでゆるりと過ごしてもらえたのに。
 親良も立派に家臣団の一員として勤めておる。
 おさんも、離れてはおるがおとくも、長吉……いや勝重も息災じゃ。
 あとは親父さえおれば、親父さえおれば、かつて成羽で過ごしたような日々が再びやってくるのに。
 勝成の胸に三村親成に対する万感の思いがこみあげる。
 そして、親成の訃報に接したときに誓った言葉が再び勝成の頭の中に響いた。

「親父殿、それがし必ずやかの地に戻る。そして、過去の因縁を一切合切木っ端微塵に追い払ってやろうぞ。鬼日向の意地、見せてやるわ」

 かの地に戻れるならば、やれることはまだまだある。

 これからが本当の恩返しじゃ。

「さあ、さっそく皆と相談するかやっ!」
 勝成は大名小路を一目散に走った。

 備後への移封については、速やかに、しかし密かに奈良の国許にも伝えられた。

 勝成が大和郡山城に戻ると、おさんが待ち構えていた。彼女も備後に国替えになったことを心から嬉しく感じている。しかし彼女には言うべきことがいくつかあったのである。もとより、備後に戻るならばおとくを勝成のもとに戻し、みずからは出家したいと思っていたおさんであるが、大坂に住むおさんからは固辞する手紙しか来ない。
 その次第を勝成を伝えながらおさんは、「おとくは頑固じゃ」と悲しく微笑んだ。しかし、おさんの本筋はそれではなかった。

「備後と言いますと、神辺(かんなべ)城に入られますか」とおさんはたたみかけるように問うた。
「備後の要地に今ある城となると、そうなるじゃろう」と勝成は言う。
「それはわたくし、承服いたしかねます。何とかなりませぬか。おとくの一族は神辺城の争奪戦で滅びたのです」とおさんは訴える。

 おとくの祖父にあたる藤井皓玄(こうげん)はかつて、備中に勢力を持ち、備後神辺城の家老をつとめていた。しかし神辺城の城主争いに毛利氏が介入してきたことに反発し、同調する家老らとともに任を辞して京都に隠れ、毛利氏の傀儡(かいらい)となった新城主を追い落とす機会を虎視眈々と狙い、十年もの月日を送った。そして城の守りが手薄になった時を狙って、神辺城を奪取したのである。
 しかし逃げた城主の報を受け、すぐに押し寄せた毛利の大軍の前に藤井勢はひとたまりもなく敗れた。藤井皓玄は備中の浅口で自刃した。その後、藤井一族は毛利の追討を受け、もともとの本拠地であった芳井村はもちろん、住んでいた地を逃れていったのである。藤井皓玄の子も末子しか生き残れなかった。その子好恒(よしつね)は命からがら美作へと逃げ落ちて、小坂家の養子として暮らすことになったのである。それがおとくの父である。

 もちろん勝成もそれを知っている。
 備後の城といえば、あとは将軍足利義昭がかつて毛利氏を頼って逃げ落ちた場所にある鞆(とも)城ぐらいしか思いつかない。鞆には勝成も思い出がある。かつて、黒田長政の客分となっていたとき、船で大坂に向かう途中に諍いとなった。嫌気がさした勝成は鞆の津に船が着いたとたんに逃げたのである。長政は激怒し、追っ手を出した。それから逃れ逃れて、長い放浪が始まった。
 よく考えれば、長政は勝成の人生を変えたのかもしれない。

 勝成はそんな感慨にしばし耽った。鞆が凪の多い良港であることは認めるものの、十万石が見込まれる城下町としては小ぶりであると考えていた。神辺城は山に近くはなるが伯耆(ほうき)や因幡に向かう際の重要な往還(街道)に沿っており、交通の要衝としては申し分ない。
 勝成としては神辺城のほうがよいと考えていた。

 間違いなく、備中・備後にそれだけ土地勘のある徳川譜代はいなかった。

 神辺城が適切だとは言っても、それはおとくのことがなければである。おとくの祖父の意趣返しとしてはよいのかもしれないが、どこか腑に落ちない。おさんの言うことはよく分かる。
「言わんでも分かっとる。あの城はわしの子、勝重の曾祖父が追われた場所でもあるんじゃ。意気揚々と凱旋するのもよいが、因果の堂々めぐりになる。おさんも三村の城じゃった備中松山城を今さら欲しいとも思わんじゃろう。その城で滅んだ者と何も関わりのない城主が入ったほうがええ」
「では、どうやって」とおさんが首をかしげて真顔で勝成を見る。

 勝成に妙案があるわけではなかった。
 すでにある神辺城を建て替えるのにも許可が厳しいようである。福島正則は修繕しようとして改易なのだ、同じ轍を踏むわけにはいかない。勝成の頭はくるくると回りはじめた。

 あの城は街道筋にあるが海から少し離れとる。船を使うのには明らかに不便じゃ。西国に対する要衝が第一であれば幕府が考えるのは九州からの来襲、瀬戸内海を睥睨(へいげい)する位置取りをせんといかんで。しかし、鞆では狭い。あれでは要害にしかならん。
 鞆を上って芦田川(あしだがわ)の河口沿いに位置取るのはどうじゃろうか。あの川で神辺はじめ往還に渡すこともできる。芦田川の河口は文字通りの葦原でだだ広い……。

「わかったで! おさんの思うようにしよまい」と勝成が目を輝かせた。
「は?」とおさんは首をかしげる。
「いやいや、妙案じゃ、妙案じゃ」と勝成は一人で喜んでいる。

 ひらめいたのだ。
 河口沿いの、瀬戸内海を睥睨できる平地に新しい城を造る。築城には、破却する城の木材、石材をまるまる使う。瀬戸内海を航海する者が海から見ても一目で分かる作りとしなければいけない。天守は相応の高さにしなければ目立たない。
 幕府も将軍もこれで説得できるやもしれん。
 なかなかいい考えであるが、三村親成であれば、「遺構を移すのにどれほどの手間と人と金がかかると思うとるんじゃ」ぐらいの苦言は呈したかもしれない。それでもきっと、草葉の陰で涙を拭いていたことだろう。勝成は自分の考えが現実にできるかどうかを確かめるために、さっそく家臣を備後に派遣し、新城を築くのに適した土地を調べさせることとした。

 殿は昔と何も変わっていない、瀬戸内海の陽だまりのように明るいお方じゃ。
 おさんは頼もしく夫を見ていた。
 おさんと勝成の間に夫婦の営みはすでにない。年齢も、もともと病がちだったこともあるが、おさんは子を産むつもりが全くなかった。正室のおさんに子ができれば、勝重の立場が危うくなることも考えられる。腹違いの兄弟が争う、そのような例はいくらでも知っていた。それはおさんの本意ではない。
 勝成にはその代わりに側室を持つようにすすめた。
「子は宝です。あなたの血を継ぐ者は私も子と思い慈しみましょう」
 その言葉を聞くと、勝成はやるせない気持ちになる。
 おさんが自分の子を産めば、三村本家の血は継がれるのだ。それが親成の望みではなかったか。しかし、当の本人はもう無理だと笑っている。

 成羽で初めて褥をともにしたときのように、あでやかに微笑んでいる。

 後年、勝成が側室を幾人か迎えた後も、おさんは側室にも子にも分け隔てなく接し、皆おさんを「かかさま」と慕った。相変わらず病がちで伏せることが多かったが、勝成の子供たちがその無柳(ぶりょう)を慰めることにもなった。
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