水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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■番外編 陸奥守の厄介痛

大御所に目通り願いたく

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 元和元年(一六一五)を越えて何かしら明るい兆しが見えてくればよいと思っていた政宗だった。
 みちのくの冬は長い。
 風雪吹きすさぶときは家に留まっているほかない。
 「冬来たりなば、春遠からじ」という詩が西洋で生まれるのはもっと後の話だが、それに通ずる切なる願いを持って長い冬をひたすら耐える。そして、冬の間の楽しみを見いだす。

〈仙台初めて見る五城楼
風物凄凄として宿雨収まる
山色遙かに連なる秦樹の晩
砧声近く報ず漢宮の秋
疎松影落ちて空壇浄く
細草春香ぐはしくして小洞幽かなり
何ぞ用ゐん別に方外を尋ねて去るを
人間亦た自ら丹丘有り〉

 仙台城内では正月の祝いが行われていた。昨年は留守居しか城にいなかったので、久しぶりの催しである。
 あいさつのために登城した家臣の幼な子が、中国の詩を諳じている。それは政宗がこの城と城下町に『仙台』と名付ける元になった詩だった。
「ほう、よう憶えたものだ」と政宗は感心している。
「おとうにも褒めてもろうたんだべ」と目を輝かせて子どもがいうのを聞き、親が慌てて子に訂正を促す。
「父上にも褒めていただきました、だっぺ」と親がひそひそ声でいうのを政宗は面白そうに眺める。

 この子のような素直さを自身は持っていなかった。それを疱瘡の後遺症のせいにしていたが、どうも今でも、時折あのときの暗い心持ちが顔を出すようだ。子どもの明るい瞳にはそのような影はない。長い冬を過ごすのは同じであるのに。

 正月の期間は賑やかに、穏やかに過ぎていく。
 しかし、この元和二年もまた政宗にとって穏やかならざる事態が続くのである。

 冬の仙台に急報が入る。
 遠く離れた駿府で、一月二二日に大御所徳川家康が倒れたという。政宗はすぐに出立の仕度を始める。留守居の家臣に細々と指示を与え、どのように些細な報せでもすぐに伝えるようにと命じた。追って家康の側室であるお梶の方から内々に書状が届き、ぜひ家康に会いに来てほしいという。もちろん、請われずとも政宗は赴くつもりだった。
 昨年の一連のできごとが響いているのだろうか、政宗が幕府に反旗を翻すという噂があちこちで立っていた。それは各地の大名にも広がっている。例えばこの頃、小倉藩の細川忠興は息子の忠利に宛てて、「いろいろと噂があるので戦じたくをするように」などと書状を記している。

 確かに、奥州勢として江戸に打って出れば幕府を倒すことはできるかもしれない。しかし、その意味をこの頃の政宗は見いだすことができなかった。彼は豊臣秀吉の天下統一から、徳川家康が江戸に幕府を開き、大坂の陣で豊臣方が滅びるまでのあらましを政権の臣として通しで見てきた。天下統一はたいへんに困難な仕事だった。それがまだまだ途上であれば、例えば秀吉がみまかった直後の時期ぐらいであれば、混乱に乗じ奥州から中央に打って出て全国を統一するというのもありえたかもしれない。
 それからもう十七年も経っている。
 政宗ももう五十になる。
 そのような機はとうになくなっている。

 それが政宗の考えである。
 幕府に反旗を翻すことなどありえないのだ。
 しかし、噂というのはおそろしい。尾ひれ羽ひれがついてあっという間に広がる。神保隊への銃撃にしても、大坂方を援護するためだったという者もいた。戦の最後の局面で反旗を翻しても焼け石に水ではないか。しかし疑われても仕方のない行為だった。噂は噂に過ぎないのだが、政宗はどのような手を使っても、叛意のないことを大御所家康に、将軍秀忠にじかに申し開きしなければならなかった。そうしなければ、ある日突然奥州から去るように命じられるかもしれない。もし大御所に会えずに終わるようなことがあれば、取り返しのつかないことになる。
 政宗は限られた数の供を率いて二月十日に仙台を発った。
 冷たい風が容赦なく肌を刺してくる。雲は重く今にも粒になって落ちてきそうだ。
「道中あまり雪に降られないとよいのですが」
「もう慣れっこだ」と政宗は空を見上げる。

 宇都宮まで到着して宿に入ったところで、幕府老中の本多正信からの急報が届いた。
「大御所の容態は持ち直している。奥州では飢饉も起こっているというし、貴公が駿府までやって来る要はない」と書かれていた。
 「ああ、それはよかった」と仙台に帰ればよいのだが、今引き返すと時宜を逸する可能性もある。この時期、領内で飢饉と呼ぶほどの事態は起こっていない。方便であろう。「来なくてもよい」というのは自身を警戒しているからではないのか。軍勢を率いて攻め込むことなどあるはずはないのに。
 政宗は正信の書状を見ていてまた、目の奥がズキンと痛むのを感じた。
 その時、政宗の頭の中で、「おとうにも褒めてもろうたんだべ」という子どもの声が響いてきた。
 そこで政宗はハッとする。
 素直にならねばならない。
 自身はなぜここまで来たのか。
 今しようと思うことを忌憚なく伝えなければならない。
 思いを新たにした政宗は、即座に書状を返した。

〈逆心は些かもなく、大恩ある大御所様にお目通りをしたいと、ただそれだけを望んでいる。連れているのも僅かな人数である。今回、お梶の方さまから便りを賜ったのは、大御所様のご真情と考えている。どうしても行くなと仰せならば従うが、その点をお汲み取りいただき、ぜひともお見舞いに参上したい〉

 それだけ書いてしまうとひとつ荷を下ろしたようで、政宗の心は軽くなった。彼は一行に出立を伝え、宇都宮から久喜まで進んで正信の指示を待つことにした。久喜の方が江戸に近いからである。
結局、久喜に着いてすぐに見舞いの許可が出たので政宗は駿府への道を急ぐことにした。

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