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■番外編 陸奥守の厄介痛
波濤の日々をともに越えてきた
しおりを挟む元和元年九月五日に政宗は仙台城に入り、人心地ついてのんびりしていた——と書きたいところではあるが、そのようなことはなかった。何しろ一年近く城を空けているのである。城詰めの家老や奉行らからの報告を種々聞き、必要な指図をした。阿武隈川沿いで少しうたた寝していたのがつかの間の休憩だったかもしれない。
政宗が仙台に帰ってきたのを知って、領内の水普請を担っている川村孫兵衛重吉が名取からやってきた。工事の進捗と今後の計画について報告、相談するためである。川村は四十代半ばの壮年だが、常に外で普請の指揮を取っているため、浅黒い肌の精悍な姿である。
「できるかぎり、阿武隈も北上も道筋を立てておきたいと思うておりますが、納屋(阿武隈川から分岐する地)の方はまだ流路が定まりませぬゆえ、めどは立っておりませぬ。閖上(ゆりあげ)の方は今のところ順調にございます」
「そうか」と政宗は真剣に聞いている。
仙台藩では大規模な河川工事に着手していた。仙台平野の南端を流れる阿武隈川と北に流れる北上川をそれぞれ分流させ、松島湾への運河を拓くというのが大まかな内容である。なぜならこの地域の沿岸は海が荒れることが多く船の航行に支障が出るのが頻繁だった。河川での輸送が整えば安全で至便なことこの上ない。ただ、二つの大河の間には十八里(七二キロ)の距離がある。その距離を普請でひとつの湾に導いていくというのは、想像も難しい大工事であった。
それでも仙台藩を豊かにするのに要となる事業だと政宗は考えていた。
領内沿岸部の土木普請を担っているのは山崎平太左衛門、水普請が川村孫兵衛である。
二人は政宗がこの事業を為すためじかに引っ張ってきた人材だ。二人とも長州の出で、元は毛利輝元の元で普請方として仕えていた。しかし関ヶ原の戦いの後、毛利の所領は大幅に減封され、二人も役を解かれたのである。その後浪人となり、近江の蒲生氏のもとでいっとき世話になっていた。そこで伊達政宗と出会ったのである。仙台に主城を築いて間もない頃だった。政宗は二人が毛利で普請方だったという話を聞くと一も二もなく「奥州に来てほしい」と招いたのである。もちろん仙台のセの字も知らない人であるから、どのような普請かは簡単に説明した。それを聞いた二人はひどく感じ入ったようだ。
「それができたら、どれほど素晴らしいことにございましょうや。ただの素浪人にそれほどの仕事を任せていただけるとは何たる僥倖」
長州を出てから寄る辺ない暮らしをしていた二人はここで壮大な希望と夢を得て、政宗に仕えることに決めたのである。
しかしそれは想像した以上に困難な仕事であった。山崎は土木、川村は河川を任されたのだが特に河川の方は難しかった。名取に居を構えて阿武隈川の分流を運河として整備する工事を進めるが、川の多雨増水にたびたび作業を止めざるをえない。それでも塩釜までの水路をほぼ築いたところで工事を阻む不可避の大問題も起こった。
地震と津波である。
この工事にかかってからもすでに二度の大地震が起こっている。ひとつは慶長十四年(一六〇九)末の地震で仙台とその沿岸に被害があった。津波が発生し五十人が犠牲になったと伝わる。もうひとつはその三年後、慶長十六年(一六一一)の十月二十八日に発生した三陸沖の大地震である。被害は甚大であった。津波が三度押し寄せ、仙台藩内での溺死者は一七八三人、牛馬八五頭に上ったという。当時の人口から考えるとたいへんな数である。揺れによる被害は明らかではないが、別の記録では溺死者が五千人と伝わっているので、犠牲者の総数はそこから推して量るしかない。
これは藩にとって大打撃である。どちらも政宗は国許にいたが、特に慶長十六年の地震は平成の東日本大震災に匹敵するともいわれる。津波の被害は特にひどかった。藩主は被害の把握や被災者の救援に全力を注がなければならなかった。仙台藩領は穀倉地帯であるとともに豊かな漁場を誇っている。そこが壊滅的な打撃を受けたのである。すでに稲刈が終わっていたので作物への影響は抑えられたものの、沿岸の惨状は目を覆うほどであった。
閖上に住んでいた川村孫兵衛も家を捨てて逃げ出さなければならなかった一人である。
大津波が起こるような地震は落ち着いたものの、しばらくは余震もあったので、再工事も中断しがちになった。進み具合が芳しくないのはそのような理由も大きかった。
政宗はそのときのことをはっきりと覚えている。
あの時、政宗はどこかに献上するための魚を漁師に注文していた。海面に異常が見られたので、一人の漁師は漁に出るのを断り、別の人は舟を出した。彼らの見立て通り地震が発生し津波が寄せてきた。舟を出した漁師は波に巻かれたものの、木に舟が引っ掛かって一命をとりとめた。皮肉なことに、舟を出さず陸にいた漁師は流されて亡くなった。
その後で領内を見回ったときの光景を思い出す。沿岸一帯のものが根こそぎ無残に剥ぎ取られたさまは何年経ってもはっきり脳裏に浮かぶ。政宗は目の奥がズキンとするような痛みをまた覚えてしばし目をつむった。
川村は報告を終えると慌てて言葉を続ける。
「殿、阿武隈川の水路は海寄りに沿って築くものですので大海嘯(おおつなみ)の影響を少なからず受けましたがじきに目処が立つでしょう。北上川の方にも数年うちにはかかれますぞ。やることは決まっておりますので、どこからでも手を付けられるところからかかります。難しければ他の方法を見つけます。どうか、お気を落とさないでくださいませ」
政宗は目を開けて、浅黒い肌の普請役を見つめる。
「気を落としているのは、おぬしではないのか。どこの普請より厄介ときた。ここへ来たことを悔やんでおらぬか。わしはおぬしを招いたのをいささか後悔しておるよ」
川村は顎を前に付きだして目を丸くする。
「は、私はてっきり叱責されるものだと思っておりました」
「するわけないだろう。あの地揺れと大海嘯をわしも知っているのに」と藩主は渋い顔をする。
川村はクスリと笑っていう。
「殿、私は考えを改めたのでございます」
「いかように?」と政宗は問う。
「はじめは、私の生涯を賭ける仕事と思うておりました。ですが、今は代を継ぎ受け継いでいく仕事と思うとりますんじゃ。天変地異も勘定のうち、私の生涯ではとてもとても足りませぬわい」と川村は言ってカカカと笑いだした。
困難な仕事を笑い飛ばせる快活さを、政宗はいくらかの羨望を持って眺めていた。目の奥のズキズキする痛みも次第に軽くなってきた。政宗は僅かの痛みを吹き飛ばすように川村と笑いあった。
笑いながら、すべてのことを笑い飛ばしてしまえればどれほどいいだろうかと思っていた。
難題は次々とやってくる。
奥州を手にするのにもたいへんな苦労をしたし、それを中央に認めさせるのにもまた苦労をした。以降は戦に出ては戻ることの繰り返しだ。仙台に城を定めてようやく落ち着けると思ったら、あちらからもこちらからも次々難題がやってくる。
戦はもう起こらないだろう。
それなのに、わしは幕府から睨まれている。
これからどうなるのだろうか。
厄介ごとに出会うと「ああ、またか」と目の奥がズキンとする。
それは政宗自身も気がついている。胃が痛くなる人もいれば、胸が痛くなる人もいる。いわば厄介痛だ。ただ、川村の肚の座った挫けない姿は政宗の痛みを和らげてくれたようだ。彼は心から彼に感謝する。
元和と改元された年の暮れを政宗は仙台で過ごしたが、十月十四日には片倉小十郎景綱が世を去った。長く寝付いていたが主君との再会を果たして安心したのだろう。息子に看取られての静かな最期だった。享年五十九歳だった。
政宗は白石に赴くことはなかったが、自身に生涯尽くしてくれたその男を思い出していた。
彼とは長い長い道のりをともに歩いてきた。
天正九年(一五八一)の政宗初陣、小坂峠での相馬氏との戦いから小十郎はずっとともに戦ってきた。戦だけではない。近習衆から諜報を担う黒脛巾組(くろはばきぐみ)の編成、世に名を轟かせた鉄砲隊の育成に至るまで、伊達の軍を最強にすべく多大な尽力をした。もちろん、他にも優れた家臣が多くいる。一門筆頭である伯父の石川昭光、伊達成美にはじまり、鬼庭良直・後藤信康・原田宗時ら勇猛・有能な人材が揃っていた。
その中でも片倉小十郎は守役として政宗に付いて以降の、文字通り腹心の将だった。
そのひとつひとつを思い出しつつも、小十郎に関してもっとも強烈な記憶はやはり、幼い頃彼に政宗の目を抉らせたことだった。
政宗は幼い頃に疱瘡(天然痘)を患ったせいで右目を失明した。病は癒えたのだが、視力を失った右目は白眼の部分が飛び出た状態になり、一見しておそろしい形相になった。少年の政宗はそれが嫌で嫌で仕方なかった。死にたいぐらい嫌だった。人に顔の右側を向けず、性格まで暗鬱に変わってしまった。
そのような状態の政宗に付いたのが、十歳上の片倉小十郎だった。付いた主の暗い気性にはじめは難渋したが小十郎は諦めず、「人は見目かたちが真ならず。己の器量を磨くが一でございます。拙者は若にどこまでも付いていきますぞ。小十郎を信じめされ」と説き続ける。
するとある日、政宗(幼名は梵天丸)が小十郎に言う。
「小十郎、おぬしはどこまでもわしに付いていくと言うてくれたな」
「はい、申しました。嘘偽りはございません」
「なれば頼みがある」
「はい、何でございましょう」
「わしの右目をえぐり取ってくれぬか」
「えっ、今何と」と小十郎はぎょっとした。
「おぬしは常にわしのことを思うて行動し、鍛練も学問にもともに付いてくれておる。もちろん他もそうなのだが、わしはおぬしを一番に信じている。わしも気鬱のようになっているのはもう嫌なんじゃ。見えぬこの目は要らぬもの。なれば悩みの種に飼うておくなどせず、取ってしまうがええ。おぬしだから頼む。どうかこの目を取ってくれ」
これには若き小十郎も参った。頼まれたとはいえ、主君に手をかけるとはたいへんな罪。万が一失敗して命を落とすようなことになったら、自身だけでなく親きょうだいまで類が及ぶのは必定。断るべきだと咄嗟に思った。しかし、彼の目にすがるように頼むあるじの姿が映った。
政宗は小十郎になお頼んだ。
すると、小十郎は手元の短刀を手に取って近習らに「些かも動かぬよう、若をしっかり押さえておれっ」と鋭い声で命じると、がんじがらめにされた政宗に「若、よろしいか」と静かに問うた。
「よい」と政宗が言うと、小十郎は政宗の右目に短刀を突き刺し、眼球をえぐり出した。
おそろしい激痛だった。辺りに血が飛び散り、政宗はバタンと倒れる。その騒ぎを聞きつけて部屋の襖を開いた小十郎の姉・喜多は声を上げることもできずわなわなと震えている。小十郎は短刀を納めると姉に向かって、「若の目を抉り取ったんじゃ、姉上、止血をせねばならん。はよ手当てを」
わなわなと震えていた喜多は慌ててサラシや湯を取りに駆けていった……。
思えば、子どもだったとはいえ、まことに酷いことをさせたものだと政宗は思う。誰も決してやりたくないであろうことを、「信じている」の一言でさせてしまったのだ。何かあったら彼の命もなかっただろう。右目はつつがなく取られ、それを機にわしは生気を取り戻した。取られた目の他には後々の障りなく、小十郎が何の咎めも受けずに済んだのがなおよかった。これほどの忠節があろうか。
あれからわしは生まれ変わったのだ。
小十郎よ、
おぬしを失うのは、まことにつらい。
つらいことじゃ。
政宗は仙台城の天守に上り、城下町を見渡してみる。白石はあちらの方、と政宗は向き直り深々と礼をして手を合わせた。
脳裏には九月に白石に寄ったとき、横たわっていた小十郎の横顔がある。
あれが二人の最後の時間だった。
政宗は何も言わず脇に座してただ彼を見ていた。
平穏な静寂だった。このままずっとこうしていたいと思えるような、穏やかな時間だった。
しばらくそうしていると、かすかに「殿……」と呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、寝ていなかったのか」
「殿にようやく会えた嬉しさで、眠れるはずはございません」と小十郎はかすれた声で言う。
「わしも嬉しいぞ」と政宗は微笑む。
「命ある限りと誓いお仕えしてまいりましたが、もう暇ごいをせねばならぬようです。これまで永くお側に置いていただいたこと、まことに幸せにございました。心より御礼申し上げます」
政宗はそれを聞いて絶句した。
何か気の利いたことを言おうと思うのだが、言葉が口をついて出てこない。言いたいことはたくさんあった。ひとつひとつ丁寧に、目の話から語り起こしたい。それができれば、それが叶うならば。しかし、横たわる病人にはそれだけ長い話を聞き応える体力はもう残っていないはずだった。このようなとき、真言のような、磨かれて輝く珠のような一言が言えないものかと政宗は思案した。
「片倉は末代まで伊達の要として働いてもらうゆえ、心配は要らぬぞ」
そう言った途端に、政宗は「しまった!」と気づく。
小十郎が息子を叱り飛ばしたのが頭の片隅にあったのでつい言ってしまったが、これでは話を蒸し返すようなものではないか。また小十郎が激昂してしまったら……とソワソワしながら横たわる人を見ると、その目は閉じられて表情が変わらない。
眠ったかと思っていると不意に声が響いた。
「わが一族のこと、はなからお任せしておりますゆえ、ご随意に願います。殿、私は今……無用の目のような、殿の憂いを斬り払ってさしあげられたらとただ、そればかり願うております。それも叶わず去りますが、何とぞあのときのごとく、明るく開かれた道が殿の許に在らんことを」
真言を知っているのは小十郎の方だった。
政宗は仙台城の天守から、人の行き交う城下を眺める。彼はひとり、ぽろぽろと涙をこぼした。後ろに控えている者はいるが、外を見ていれば誰も気づくものはいない。
彼はぽろぽろと涙をこぼし続けていた。
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