水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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■番外編 陸奥守の厄介痛

江戸の天下普請

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 「パン!パン!」と柏手を打つ音が響き渡る。
 政宗が手を合わせているのは日比谷稲荷という社で、彼は江戸へ入るときと出るとき、一行で参詣するのを常としている。ここは仙台藩江戸屋敷のすぐ手前にある。
 江戸屋敷に入る際、ここまで来られたのを感謝して土地の神に挨拶し、出る際には国許への道中の安全を祈る。仙台と江戸間は九十五里(およそ三七〇km)で名古屋へ行くのとほぼ同じ程度であるが、冬季の移動がより厳しいのは言うまでもないだろう。奥州街道を進み千住・日本橋と来て、この社に至ると家の玄関にたどり着いたようで芯からホッとするのである。
 この社の建立された時期は明らかではないが、もともと日比谷河岸沿いの大塚という丘に築かれていたのが、江戸城日比谷門の造営に伴い新橋に移された。
 政宗の参詣を見てのことなのか、他にも参詣する大名がちらほらと現れていた。

 真似をしなくともよいのに、と政宗は思う。

 藩主が年ごとに江戸へ滞在し、その妻子が江戸屋敷に住むのを求められる、いわゆる「参勤交代」制度が発布されるのはもう少し後になってからであるが、政宗の妻子、正室の愛姫(めごひめ)と次男で跡継ぎの忠宗は江戸屋敷に住んでいた。また、政宗自身もことあるごと江戸に入っていた。政宗を含めて「外様(とざま)」と呼ばれる大名はそれを求められることが頻繁だった。

 外様というのは大名の区分けのひとつで、親藩、譜代、外様という順になっている。親藩は家康の子が治めている藩、譜代は古くから徳川家に仕えてきた者が治める藩、そして外様は関ヶ原合戦以降に臣従した者が治める藩のことである。単純にいえば、かつて豊臣秀吉に仕えていた者はみな外様にあたる。政宗も外様であった。どれほど忠義を尽くしてもこの時期にはその前提を変えることはできなかった。
 仙台藩(松平陸奥守)の江戸屋敷は日比谷河岸を埋め立てた一画にあり、敷地は広大であった。石高が多い大藩だからというのもあるが、その他にも理由があった。妻子が住んでいるのもあるし、さらに多くの人が入れなければ用を成さなかったのである。
 天下普請(てんかぶしん)もその理由のひとつである。

 この頃、江戸城と呼ばれる城郭と周辺域はまだ完成していない。

 江戸城廻りの建造物の造営、掘・河川工事、丘陵の掘削、新たな土地の造成などの大がかりな普請は幕府の監督のもと、諸藩の大名が中心となって行っている。これを天下普請(てんかぶしん)、公儀普請、俗に「手伝い普請」ともいった。
 例えば、慶長十一年(一六〇六)の江戸城本丸・外郭工事に参加した大名を挙げれば、縄張(基礎)に藤堂高虎、以下助役として細川忠興が本丸・石垣、他に前田利光、池田輝政、加藤清正、福島正則、浅野幸長、田中忠政……とそうそうたる面々が工事に携わっている。政宗はこの年の天下普請に名を連ねていないが、東北の大名は次の当番であった。
 翌年の本丸工事は従前の天守の基礎を広げて、新たに五層の櫓を築くというものだった。他に上杉・蒲生・最上・佐竹など奥州諸侯の名が連なり石垣普請に携わる中、仙台藩だけで天守閣の二層目を完成させた。
 さらに慶長十六年(一六一一)には西の丸廻りの堀の造営が行われたが、ここにも政宗の名が見える。三月には土取りを開始、四月には籤で割り当てられた貝塚堀(三宅坂下の辺り)の工事に着手し、五月には半蔵堀芝上の工事、五月中旬には竜の口(大手町)の汐入を開削する土木作業、最後に三河守前堀(隼町東側)の土木作業に着手し、七月に完成させている。

 天下普請は毎年、あるいは数年に一度召集されていた。工事は大まかに東国、西国、関東などの大名持ち回りで割り振られている。外様も譜代も、あるいは江戸の人も加わっていたのだが、工事にかかる人手と金銭負担はすべて受け持つ藩が支出するのである。
 他の大名にとっても同様だが、この支出が政宗にとっては密かな、かつ大きな心配の種であった。大坂夏の陣の件は先般家康と忌憚なく話ができたので一安心していたが、当代将軍の肚の内は分からない。これからはますます多くの天下普請を担うことで幕府への忠誠を尽くさなければいけない。
 これまでも精一杯勤めてきたのだが、今後は仙台藩財政への負担もさらに増大するだろう。
 それが実に悩ましい。

 政宗はかつて、尾張名古屋城の天下普請で福島正則が酒に酔って愚痴をこぼしていた話を思い出す。
「何でわしらが大御所さまのお子の城まで普請せんといかんのでや」
 それを聞いた加藤清正はギョッとした顔になり、慌ててたしなめたという。
「そういう心持ちならば、さっさと国に戻り戦じたくをするこっちゃ」

 天下普請は信長のときも、秀吉のときにもあった。安土城や聚楽第(じゅらくだい)などはその有名な例だ。仕えている以上は当然のことだと政宗は考えている。進んで働く方が後の覚えもめでたいと思っている。なので福島のようにこぼすことはない。ただ、すればするほど負担は莫大になる。そのやりくりが二律背反で悩ましいのだ。
 次はどこを普請するのだろうか。

 稲荷社への祈りには、仙台も江戸も万事逆風なく整うようにという願いがあったのかもしれない。国許では大きな寺社をいくつも整備している政宗だが、江戸においては日比谷稲荷を密かなる「自身の江戸の守り神」として崇敬しているのだった。祈願するのに規模の大小はあまり関係がないということであろう。

 元和二年(一六一六)からしばらくは平穏な日々が続いていた。翌三年には家康を東照大権現として祀る日光東照宮の造営が始まったが、こちらの作事は藤堂高虎が担っている。
普請つながりでいえば、政宗の国許仙台では阿武隈川を松島湾に導く運河の工事が進み、続く北上川の工事に着手する算段を始めていた。
川村孫兵衛は変わらず壮健で工事の差配を取っている。残念ながら彼には男子が生まれなかったので、養子を取って事業を継がせると決めていた。まだまだ長くかかるのが見込まれるため、川村も人手と金子が要ることを気にしている。江戸での天下普請にもたいへんな費用と手間がかかっていることは分かっている。できるだけ、藩の負担を減らす形で土木工事が進められないものかと思案もしていた。ときには身銭を切って働くものたちに飯を食わせることもあった。


 しかし、元和五年(一六一九)、外様大名一同が肝を冷やすような一件が起こる。
 この年、秀忠は上洛して伏見や京から畿内を回っている。その間に大坂を天領とし、大阪城と伏見城の破却、公家の配流、徳川頼宣の紀伊への転封を始めとした大きな決定をいくつも下した。これは大御所家康の喪に服する間に十分考えたことを実行に移したものといえる。
 そのひとつとして、安芸・備後を任されていた福島正則に改易の命が下ったのだ。
理由は幕府の許可を得ずに安芸広島城の修繕を行ったからだという。すでに大坂の陣の後「武家諸法度」および「一国一城令」が発布されており、新規築城の禁止、主城以外は破却するようにと命じられている。それに違反したというのだ。
 福島正則の場合は城を築いた訳ではなく、水害で城の雨漏りした部分を修繕したのだが、その許可を受けていなかったのが問題とされた。福島はすでに届けは出していたといい、幕府の指示通りに修繕箇所は元に戻すと弁明した。しかし、福島正則が発度に抵触したのは前年に続いて二度目であった。また、「修繕部分を破却する」としたものの、その箇所が幕府の指示と違っていたため、事態は深刻になった。福島は安芸・備後を取り上げられ、信濃・越後にまたがる高井野藩に改易処分となったのである。

 政宗はゾッとした。
 処分は御法度に違反したにしても、厳しいと感じられるものであった。改易になった真の理由はそこではないだろうと推し量れたので、政宗は恐ろしいと感じたのだ。
 福島正則はもともと豊臣秀吉の子飼いで、さきの大坂の陣で東軍に付いたものの、自身の蔵から大坂方に兵糧米を取らせるなどして、豊臣方に近い大名と思われていた。かつて名古屋城の普請で発言した言葉も伝わっていたはずである。安芸・備後の治世は良好だったし、幕府によく従っていたのだが、要は最後まで信用されなかったということだ。
 果たして、自身はどうだろうかと政宗は思う。

 大坂の陣では疑わしい振る舞いがあり、今は事なきを得ているもののいつ蒸し返されるか分からない。自身の誓いを聞いてくれた大御所家康はもういないのだから、現在の将軍の指図ひとつで何とでもできよう。また、自身の場合は婿の忠輝の件もある。それもまた、後にいかようにも疑惑の根拠にできるだろう。
 政宗はまた久しぶりに目の奥がズキンとするような痛みを感じた。それを覆うように手を当てつつ、政宗は上様(将軍)からいつ呼び出しがかかるのだろうかと考えていた。
 その時は自身も仙台藩にも重要な決定が伝えられるのだろう。それで、一巻の終わりとなるかもしれない。首を洗わなければならないのだろうか。
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