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■番外編 陸奥守の厄介痛
人生は厄介ではなく愉しみじゃ
しおりを挟む幕府からはじきに呼び出しが来た。政宗が江戸屋敷に入った秋口のことである。
正式なものではない。老中の土井利勝に内々に呼ばれたのだ。
「来年、江戸城廻りの天下普請を予定している。ついては、仙台藩に助役(すけやく、普請の作業)を頼むことになるので準備の方をお願いしたい」
事務的な話である。
「次はどちらを?」と政宗はまず尋ねた。
「大坂の陣で中断したところからになろう。権現さまの正遷もつつがなく終えたので、いよいよ再始動ということだ。まずは内桜田から清水門に至る石垣修築と、外桜田、和田倉門、大手門、竹橋門、清水門、田安門、半蔵門の枡形築造を第一と考えている。あと、神田濠(かんだぼり)と土手の方も急ぎ普請が必要な箇所がある」
「正遷」とは日光東照宮に家康を東照大権現として祀る作事のことである。
また、枡形は城の入り口である虎口(こぐち)を防備する門を含めての建造物のことである。北の丸跡に今も残る清水門がよい例だが、一の門(高麗門)を抜けると直角に右折し二の門(櫓門)を通る。この空間は方形(枡形)になっているので、総じて「枡形」という。今の清水門は当時のものとは異なるが、例として置いておく。
今回依頼される工事は城の石垣と門構えである。
「こたびは奥州諸藩に助役を任せようと考えているが、仙台藩は要となるので、あらかじめ支度を進めておいていただきたい」
政宗は「承知つかまつった」と礼をして、しばらく思案したのち、老中に尋ねる。
「次の天下普請はいつをお考えでしょうか」
土井利勝は目をぱちくりさせて答える。
「まだしかと決まってはおらぬが、次は本丸の修築にかかっていただこうと思うておる。それは奥州ではなく、関東と西国に分担し……」
土井が言いかけると、政宗はそれを遮るように言った。
「そちらの普請もわれら仙台藩をお使いくだされっ」
土井利勝は政宗の勢いに気圧され、背をぴょんと後ろに反らせた。そしていったん深呼吸をすると、穏やかに政宗に話しかけた。
「陸奥守どの、安芸のことを気にかけておるのか。それならば心配することはない。上様のお考えゆえ私が確言できるものではないが、今の時点で仙台について何かあるというのは聞いていない。聞いていたら、内々に助役を頼むようなこともせんぞ。天下普請が諸藩にとって負担の重いものであるのは重々承知している。貴公の心配は解るがあまり領民に負担をかけぬ方がよいのではないか」
心配りの利いた、かつもっともな言葉だった。政宗は感じ入ってしばらくうつむいていた。しかし相反する思いも押し寄せる。
これは老中の言葉であって、上様の言葉ではない。福島正則の改易はこれまでにも兆候があったというが、疑いを持って見れば政宗にも兆候があったといえなくもない。いつどうなるか分からないという不安はまだ消えない。
「いえ、ぜひとも続けてわが藩に助役をお申し付けくださいませ」
「あいわかった。一応諮っておく」と土井はうなずいた。
屋敷への道を戻るとき、ふっと政宗は日比谷稲荷に立ち寄ってみようと考えた。
少しばかり、気分が憂鬱になっていた。
助役を懸命に勤めたところで、その後で改易になるかもしれない。それなのになぜ、天下普請の負担を二年分、余分に背負ってしまうようなことを口にしてしまったのだろう。土井のいう通り、連続の負担がどれほど藩の財政を厳しくするか、想像するだに恐ろしい。金をどれほど使うのか……一万両は下るまい。
神頼みで金子が降ってきてくれればよいのだが。
稲荷社の境内で子どもが数人遊んでいる姿が見える。服装からすると、町人の子どものようだ。子らは政宗らの姿を認めると大人しく脇に下がった。武士が通るときは道を空けて伏していなければならないと親から教わっているのである。そこで政宗と供が本殿に進もうとすると、突然、上のほうから子どもの声が聞こえた。
「おーい、鬼が来ないぞう」
伏している子どもたちはその声を聞いたとたんビクッとしている。政宗が声のした方を見ると、子どもが空から降ってきた。
「おいっ、りくっ、武家さまだぞっ。早く下がれ」と子どもの声が響く。
飛び降りて来たのは十にもならないほどの子どもだった。境内の銀杏の木に登って隠れていたらしい。転ぶこともなくスタッと飛び降りるさまはなかなか見事なものだった。髪を後ろに結び、赤い小袖を身につけているので女児だろう。いや、顔かたちも女児である。ただ、小袖はぼろぼろで継ぎはぎがところどころに見える。これ以上尻餅をついたら破けてしまうかもしれない。母親がさぞ頭を抱えることだろう。
それはともかく、女の子は政宗の真ん前に飛び降りてしまった。すぐさま伴に付いていた者が刀に手をかけるが、政宗はその腕をギュウと掴んで止めた。
「木登りか、じゃっぱな弁天さまだべな」と政宗はふっと笑う。
パッと伏した子どもは「申し訳ごぜえません、申し訳ごぜえません」と小さな声で繰り返し詫びている。
じゃっぱな弁天、というのが何なのかは分かっていないようだ。「じゃっぱ」はお転婆という意味である。
「武家に限らず、よく見ずに飛び降りたら人にぶつかってたいへんなことになる。よう回りを見るんだべ。もうええ、家に帰れ」と言うと、こどもたちはこぞって、「しとがいねえか気をつけます。ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえます」と感謝して去っていった。
そのまま政宗は参道を進み、ゆっくりと参拝した。
「見事な身のこなしだった。背丈よりずっと高い枝からふわりと降りてきた」
政宗のつぶやきに、供はためらいがちに付け加える。
「そうでございますな。振る舞いには難がございましたが」
「いや、じゃっぱな弁天だ。その名がりくときた。睦奥にも通ずるぞ。それに鬼が来ないという。まったく、いいものを見た」と政宗はつぶやいて、屋敷への道をゆっくりと進んでいった。
そのすぐ後、天下普請の手配を国許に伝え算段を整えていた頃、政宗はとある大名の訪問を受けた。
他でもない、大坂の陣で因縁のあった大和方面隊先鋒大将の水野日向守勝成である。事前にきちんと訪問したい旨を知らせてきたものの、政宗は気が気ではなかった。家康や秀忠に大坂の陣の件は説明したものの、全滅した神保隊を自軍に編成していた当の水野日向守には面と向かって何も話していなかった。あれから四年あまり経つが、いったい今頃何の用件だろうかと政宗はいくばくか不安になる。いきなり斬りかかってきたりはしないだろうかとも思う。そう想像してしまうほど、大坂夏の陣での水野日向は凄まじかった。後方で戦っていたので頻繁に見たわけではないが、鑓でバッサバサと敵を薙ぎ払う姿が強く印象に残っている。方面大将が自らあれだけ前に出て戦うというのはなかなか見られるものではない。さすが、皆に鬼日向と呼ばれるだけの傑物だ。
あの勢いで来られたら……。
現れた水野日向守を見て、政宗は目を丸くした。大坂の時の甲冑姿とは別人、きちんと裃を着けているし、馬廻りはいたかもしれないが供も一人だけだった。思えばあの時は皆甲冑を身に付けていたのだから、それはお互いさまである。そして水野日向からは怒気であるとか、恨みであるとか、復讐心というようなものが微塵も感じられない。鷹揚な調子で明快に訪問の目的を語る。
用向きを聞いて政宗はさらに目を丸くした。
仙台で川村孫兵衛が担っている阿武隈川の運河工事の仔細を教えてほしいというのである。
それにはわけがあった。
このたび、水野日向守は大和郡山藩から備後に国替えを命じられた。福島正則の領地だったのを二つに分けたうちの一つになる。それに際して、城地を含めもろもろの区割りを考えているので水普請のことを参考に聞きたいということらしい。
想像もしていなかったことで、しばらく政宗は思案する。そして気にかかることを尋ねてみる。
「なぜ貴公に因縁のあるわしにわざわざ聞きに来るのか」
水野日向は目をぱちくりさせてから言った。
「因縁だの何だのといつまでも言っておったら、先には進めんじゃろう。大河の付け替え普請とはどえらい仕事じゃ。わしはそれを貴公に教わりたいと思うてまかりこした」
水野日向守の返しはごくごく単純明快だった。
それで政宗は話を始めたが、だんだんと目の前がパッと開けていくような心持ちになってきた。水野が備後で開く新藩の構想は話しぶりも含めてたいへん面白く、座は盛り上がった。政宗は何かしら協力したいと言い、水野は「ぜひ頼みたい」とにこやかに受けた。家格をいえば水野は家康の母方筋の譜代であり、政宗の外様より上である。その格差をまったくひけらかすこともない。よく聞けば、福岡の黒田長政や柳川の立花宗茂は昔から知っていて、今は亡き肥後の加藤清正の正室は彼の実の妹であるという。
皆外様である。
「しかし、貴公はわしとさほど年齢が変わらぬはず。そこから新藩を任されあれやこれや新しいことを考えている。本当に生気に溢れて、羨ましい限り」
政宗がそういうと、水野日向守は少し照れたように打ち明ける。
「わしは二十から三十五まで、親父に奉公構をくらってずっと放浪しとったでよう、その分いろいろと出遅れたんじゃ。貴公のように奥州を勝ち取る戦いを繰り返し、豊臣について戦うこともしておらん。じゃけえ残りの人生は大いに勤めんといかんのじゃと思うとる」
「そういうものか、貴公ならば生涯走れそうだ」と政宗は笑ってうなずいている。
ふっと水野日向は真顔になる。そして、
「貴公は、人生を楽しんでおられるか」と尋ねる。
「人生を……楽しむ?」
意表をついた問いに政宗はしばらく答えを出すことができない。ふっと俯いてから水野は語り始める。
「戦すら、わしは楽しんでおったことがあったよ。無性に血が燃えるような心地がしてのう。一番鑓をせねば意味がないっちゅうぐらいの暴れものじゃった。度が過ぎて奉公構になっても、客将として戦働きをしたり、逃げ回ったり、ただ放浪するのも楽しんでおったと思う。放蕩といったほうがええかもしれん。時にはひどくやさぐれとったしのう。放浪に飽いた頃、わしは備中の領主に世話になることにした。毛利との戦いでほとんど潰された家だったんじゃ。そこで戦にも出ず、客分として城館の警固をしながら三年過ごした。じきに妻を娶り、子を授かり、ようやく奉公構を解いてもらうことを考え始めたんじゃ。領主の三村親成(みむらちかしげ)はまことにようできたあるじで、実の父にも奉公構を解いてくれと書状を出してくれとった。こんなわしのために力を尽くしてくれたんじゃ。それが今のわしを作ってくれたと思うとるよ。何が楽しかったといわれれば、あの備中の日々がもっとも楽しかった……じゃけえこれからも楽しんで国を築こうと思うとる」と水野は感慨深く語る。
「そうか、なので貴公が備後を任されるのか。至極真っ当なことだ」
水野日向守は笑ってうなずきながらいう。
「貴公ももっと楽しんだらええんじゃなかろうかのう」
楽しんだらええ。
彼の言葉は政宗の心の底にかすかな変化を起こしていた。
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