福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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母子が大坂で再会する

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 四つの選択肢の中でもっとも困難が想定される常興寺山を城地に選び、城の名も藩名も「備後福山藩」と新たに名付けた。ただ、それはまだ仮のものである。幕府に話を通さなければならないのだ。
 勝成はさっそく大まかな城割と城下町の区割り図を作成の上、家臣らとともに江戸に上った。今回は中山将監重盛に加えて神谷治部長次も一行に加わっている。

 この頃の人の移動距離は半端ではなかったが、やはり備後から江戸は近いとはとてもいえない。徒歩立ちを端折れるのは瀬戸内海から堺に至る海路だけだった。一方、畿内から江戸への道のりは人の行き来が多い。先頃将軍秀忠も辿っていたし、勝成も何度か行き来している。ただ江戸から見た場合、そこから西はかなり遠方だった。幕府も常時目配りができない。だからこそ、強固な要害を置くことが重要と考えるのだ。
 
 さて、江戸には勝成の長男の勝重がいる。

 彼は徳川秀忠の小姓として江戸に上がり歳月を過ごした。元服を済ませた後は、刈屋藩から大坂の陣に出陣するなど江戸を出る機会もしばしばあった。月代の剃り跡もまだまだ艶と張りがある。天から糸で引っ張られるように背筋を真っ直ぐに伸ばし、目元涼しくきりりとした姿は見るからに真面目な風を感じさせる。
 この時数えで二十歳、そろそろ縁組の話が出てもおかしくない年頃になった。ただ現在、実家の方はそのようなことを悠長に考えてくれる状態ではなさそうだと勝重は承知している。大和郡山から備後に移封を命じられて、ずいぶん大ごとになっているらしい。その空気だけは感じているが、勝重には詳しいことはさっぱりわからない。父の藩の新たな領地が備後であると知って、無性に懐かしく喜ばしい心持ちになるばかりだった。

 勝重は備中成羽で生まれて、刈屋に出るまでの数年をそこで過ごした。土地の領主・三村親成の館で母子ともども世話になっていたのだ。物心つかない勝重は、世話をしてくれた領主の三村親成を祖父だと思っていたし、同居していたお珊は伯母、親良(ちから)は伯父だと思っていた。説明すると複雑なのでここでは記さないが、三人とも親子ではない。いわば他人の寄り合いだったのだが、それでもごく幼い長吉にとっては皆身内であった。
 成羽は生まれ故郷なのである。
 今回、そこからほんの少し離れただけの備後が父の領地となった。これからは故郷へも堂々と足を向けられる。
 勝重にとってそれは密かな喜びだった。

 この機会に勝重は江戸の役目を解かれ、新たな領地で父親の手助けをするように命じられた。それだけではない。父の藩も城の完成までは江戸の公儀普請を免除されたという。勝重は将軍からじきじきにその話を受けたのだが、新藩を興すということがどれほど大ごとなのかと身が引き締まる思いがする。
 小姓組として側で仕えてきた青年に、将軍は粋な心配りをする。
「確か、美作(勝重)はもう長いこと母御に会うてないのだったな。備後への道中、大坂の母御の許でしばらくゆるりとし、堺から船で備後に向かえばよいのではないか。その後は忙しくなり出かける余裕もなくなるだろうから、ええ機会じゃ」
「上様、私ばかりそのような勝手をするわけには……」と勝重は恐縮する。
 身体ごと揺らしながらうなずいて、秀忠は続ける。
「おぬしはよう仕えてくれておる。あの父親の子とは思えぬほど思慮深く真面目じゃ。加えてさきの大坂の陣でも一隊を率いて見事に天王寺を突破した。しかしその間に、母御は再嫁してしもうた。それは日向守から聞いてつねづね気にしておったのだ。まあ、気楽に立ち寄ってくればよい。母御は喜ぶであろうし、おぬしの親父も叱りはせんだろう。かつての日向守は……権現さま(家康)にたわけ、たわけと始終言われておったからのう。おぬしに文句を言えるものでもない」
 勝重は父の若き日の様子を想像して微笑む。
「まことにありがたきお言葉、仰せのように大坂で逗留させていただいてから、備後に向かいまする」と深々とひれ伏した。

 勝重の父、水野日向守勝成はじきに江戸へやってくる。それと入れ替わるように勝重は江戸を発つ。二人はすれ違うような形で久々に対面した。久々に見た父はよく日に灼けて精悍で、生気に満ち溢れているように見える。さきの戦の後は疲労困憊もあって、年齢相応に老けたようにも見えたのだが、五十路も半ばを超えた父はまだまだ健在だった。
「つくづく、父上は日向守だけあって日向(ひなた)が似合いますな」と勝重はふっと微笑む。
 勝成は成長した我が子をじっと見つつ言う。
「ん? 外をほうぼう歩いておるけえな。まあ、日向守には相応しいこと相違ないわ。おぬしは見事に色白じゃのう。じきにわしのように真っ黒になるで覚悟しておけ。ああ、あと……大坂に寄ってから備後に入ったらええ。ゆっくり逗留しとって構わんぞ」
 上様と同じことを言っている、と勝重は妙に可笑しくなった。
「上様も同じように仰せになられました。まるで示し合わせたようじゃ」
 勝重はハッとする。
 備中ことばも三河ことばも江戸では使わない。江戸暮らしもそれなりに長くなり、すっかり忘れて消え失せたものかと思われたがさにあらず。父の言葉に呼び起こされて当たり前のように出てきてしまうのに気づいたのだった。
 それは滅多に顔を合わすことのない親子の絆のように思えたのだ。
 家臣の藤井靱負(ゆきえ)吉親が勝成の命で道中の供をしてくれる。靱負は勝重の母・お登久の甥なので事情が分かっており、気兼ねなく大坂にも立ち寄れる。引き継ぎが済むと勝重の一行は大坂経由備後行きの旅に出発した。
 藤井靱負は勝重に打ち明ける。
「美作さま、殿はもうとうに大坂に文を出されて、都築様にも心積もりをしていただいております」
 勝重は苦笑する。
「どうにもこうにも、皆は承知しとってわしは後から知らされるんじゃのう。不服っちゅうわけではないんじゃが」
 靱負はいたずらっぽい目をしてわざと言葉を変える。
「そりゃあ、あまり決まっとらんもんを言えんちゅうんはあるでしょう。いや、殿はただ……美作さまがたまげるのが楽しみなんかもしれんですのう」
「てにゃわんのう」と勝重は肩を落として、それからふっと笑った。


 摂津に入ると勝重はきょろきょろと辺りを見回す。
 彼らは四年前ここに来たことがあったが、辺りの風景は一変していた。往来は整然と整えられ、店や屋台が軒を並べる沿道には人が賑やかに行き交う。米をはじめとする物資の中継地になっているので牛馬から人まで何でもありになっている。
 皆普通の格好をしている。
 普通の、というのは小袖姿である、羽織姿である、袴を着けているというようなものである。子どもがほうぼう駆けずり回って遊んでいるのも目立った。それも普通だ。
 なぜわざわざ「普通」と表現したかといえば、彼らが以前大坂に来たときには、普通の人をほとんど見なかったからである。皆武装し鑓や鉄砲を所持していた。
 大坂の陣、戦のときだった。
 そして、それが終わった後には死体が累々と一帯を覆っていた。勝重はほんの数年前の有り様に思いを馳せて心の中で合掌し、馬の背に揺られていた。
 泰平というのはこのようなものであろう。
 それが長く続くよう自分たちは務めなければいけない。

 都築家の屋敷に赴き門を叩くと、お登久が自ら彼らを出迎える。今か今かと待っていたようだ。
「長吉……、いえ、美作さま……」
 それだけ言ったきり、お登久は言葉を継ぐことができなかった。勝重も同じで、ただただ懐かしい母の姿をじっと見つめる。山吹色の小袖に髱(たぼ)を少し長く伸ばした旗本の奥方の姿である。不惑まであと少しというところ、当時より多少ふっくらとはしているが、シワなどは少しも見えない。勝重が最後のときに見たのと変わらない、愛らしく優しい印象のままだった。
 二人はしばらく黙ったままお互いの存在を確かめあっていた。
 
 この母子が別れてから十年以上の月日が経っている。その間に少年は立派に成人し戦にも出て功名を上げた、江戸から自分でやって来ることもできるようになった。
 ただ、勝重にとって母は別れたあの日から寸分も変わっていない。見かけの話だけではない。
 他へ嫁ごうとも、そこで子を産んでも勝重の母なのは変わらない。そう思うと息子は胸に万感の思いがこみ上げ、鼻の奥から目頭が無性にツーンとするのを感じた。
「母上……母上、長吉でございます。ようやく、ようやくお目にかかることが叶いました」
 それにうなずくお登久も目に涙を浮かべている。二人がまた何もいえずに向き合っているのを見ながら、靱負は恐る恐る後ろから覗き込むように言う。
「叔母上、拙者も刈屋以来で……ずいぶんお久しゅうございます」
 お登久は涙を拭いながら、笑顔になる。
「そうそう、失礼しました。あなたさまもまこと立派になられましたなあ。さあ、長旅でお疲れでしょう。どうぞお上がりください」
 お登久の今の夫は都築右京といい、勝成の母の縁者にあたる。妻と勝重の事情をよく知っているので、「親子がようやく会えるのに、自分がいては気詰まりだろう」と言って、しばらく家を空けてくれていた。

 積もる話が山ほどあった。
 お登久の大坂での暮らし向き、勝重の江戸で過ごした日々や元服したときの話、大坂夏の陣で一隊を任された話、そこで宮本武蔵という無双の助っ人を得て何とか切り抜けられた話など、長い時間、母子はじっくり語り合った。ここには靱負も同席して合間合間に勝重の様子を補足するように語った。
 お登久は宮本武蔵の名を聞くと微笑みながらうなずいたが、何か口をはさむことはなかった。
「平和になった大坂に在って、犠牲になられた方のご冥福を今でもお祈りしておりますが、あなたさまが怪我もなく無事で帰られたことは、たいへん嬉しく……」とまた涙をこぼした。
「母上……まことに心配をおかけし、申し訳ございませぬ」
「いいえ、せっかくまた会うことができたのに、泣いてばかりいてはいけんね。美作さま、そろそろ縁談などもあるのでは」
 勝重は目を大きく見開いて、首をかしげる。
「まあ、いつかはありましょうが、きっと当分はそれどころではないと思うとります。父と備後との縁組が何より優先ですけえな」
 母は息子にしみじみと語る。
「ほんまに、あのお方はちゃんと戻ってきたんやね……お尋ねもんの流れ武者やなく、藩主として堂々と。ほんまに……そうそう、美作どの。せんだって、藤井の父さまから文がきたんよ」

 お登久はそう言って、脇に置いた漆塗りの文箱から藤井道斎の手紙を取り出し、勝重に手渡す。勝重はそれをためらいがちにゆっくり開き目を通す。そこには、道斎が神辺城を訪れて勝成と面会した次第が書かれていた。
 
〈毛利との決戦の後、散り散りになってしまった藤井の衆を備中芳井に再び呼び戻したい。そのために自分が率先して芳井の地に戻るつもりである。ついては芳井を治める代官様へ取りなしてほしいと日向様に願い出た。それに対して、日向様は希望があれば備後や、今回藩領になった備中高屋に移ってよいし、無論芳井に戻れるよう取りはからうと請け負ってくださった。
 苦節数十年、ようやく藤井の衆が堂々と芳井に戻れる日が来た。これもお登久が水野家に嫁ぎ男子を産み、確かな繋がりを築いてくれたゆえである。感謝のしようもない〉

「お登久は藤井家再興の恩人なり……まことにその通りです」と勝重は文を折り畳みながらいう。

「恩人だなんて……大仰です。それはともかく、靱負どの」とお登久は甥の名を呼ぶ。
「はい、叔母上」
「あなたも備後で新たなお役目につくことと思います。父も綴っておりますが、しかとお勤めになり藤井衆の集まる大きな木におなりなさい。そしてどの家だろうと困る人あらば、ぜひ手をさしのべてやってください。かつて、三村のお屋形さまが私や日向さまにしてくださったように。親良どのともよう力を合わせて勤めてほしい」
 靱負は「はい。しかと心に刻みまする」と力強く答え、深々と頭を下げた。それを見ながら勝重はかねてからずっと抱いてきた言葉を思わず口にしていた。
「母上、私の母はあなたさまだけです」
 お登久は、黙ってうなずく。
「なれば、ともに備後に参りましょうぞ」
 息子の言葉に彼女は少しうつむいた。
「美作どの、今私は都築の家を守っているのです。それはないでしょう。私はあなたの母ですが、日向さまの正室はお珊さまなのです。その主客を間違えたら災いのもとになりましょう」
 母の答えは想像していた通りだったのだが、勝重は落胆した。

 自分が数えで十になるまで、母は正室だったのだ。それなのに、自分が小姓として江戸に上がって間もなく、母は城を出て他に嫁いでいってしまった。自分の知らない事情があったのだろう。しかし……ある日突然、母が家を出たという事態を子がすんなり受け止められるはずがない。
 父からも納得できるような説明はなかった。

 なぜ母は自分を捨てたのか。
 子どもはそう思ったのである。

 勝重は積年の思いを吐き出したかったが、この場は言葉を飲み込んだ。母は勝重の言いたいことを十分理解していたので、うつむいていた顔を上げて口を開いた。

「美作どの……いえ、長吉、あなたさまに何も言わずに家を出たこと、まことに申し訳ありませぬ。わたくしは酷い母にございますが、今だからこそお伝えできます。
 どうか、許して下さい。
 あなたを思い出さない日は一日たりともありませんでした。どのように成長したかと思いを巡らせて今日までずっと暮らしてきました。
 ですので今日、お会いできてこの上なく嬉しいのです。本当に立派なお姿になられて……」

 勝重は目に涙を浮かべて、母の言葉をかみしめる。心に溜まっていた澱がきれいに洗い流されていくようだった。

 冬のわずかな日々、勝重と靱負はしばらく大坂に逗留する。
 勝重が久しく得られなかった、母子水入らずの日々がようやく戻ってきたのだった。
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