福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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江戸の折衝

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 さて、大坂では親子の対面が叶い、幸せな時が流れているが、勝重と入れ違いで江戸に入った備後の一行にとってはここがひとつの正念場だった。
 何しろ、新たに城を築くだけではない。山を切り拓き、芦原を埋め立てて、水路を導いて城下町まで築くというのである。新しいもの尽くしの大行進だった。
 江戸城の一画で計画の全貌を知らされた将軍徳川秀忠以下、幕府老中一同は目を丸くしてしばらく「うーむ」と黙りこむ。そして次の瞬間、矢継ぎ早やに懸念と質問の声が飛んでくる。
 おおむね下記の内容に座の意見は集中した。
「一国一城令の発布後、新規築城を禁じておるというのを知らぬはずがなかろう。ここまでやられては他に示しがつかぬ」
「これまでの藩の規模で、それだけの大普請ができるわけがない」
「備後は十万の石高であろう。かほどの大規模な普請は見合っていないのではないか」
「築城・干拓・山の切り崩しの人と資材をいかがする。通して何十年かかることか。その間に戦となったらいかがする」
「いや、まず先立つものが用意できるのか」

 どれも問い質されると想定していた質問であり、答えを用意していたものでもあった。勝成が用意していた回答、主張は下記のようなものである。勝成は備後の地図を指差しながら一同に説いていく。

・四年前に発布された一国一城令を鑑みて、現在の備後の主城である神辺城を破却し、今回提案したもの一つを備後の城とすることで遵守する。新規築城ではあるが、それは幕府が備後に求めている役目を忠実に実現するものとして計画した。瀬戸内から西国を睥睨(へいげい……睨みを利かせる)するということであれば、従来の津(港湾)や街道を前提にした立地では不十分である。安芸・備後で一国だったときも、広島から三原、鞆、神辺の各拠点を整備するのは難儀があっただろうと思われる。山陽道の宿場としての神辺の位置については変えずにおく方がよい。ただ、津については実際に鞆から笠岡まで検分した結果、備後国の中心とするには不便な点があったということである。



・確かにこれまでの大和郡山藩の人だけでの普請は難しい。総勢数百程度であるから相応に人を増やさなければならない。ただ、今回藩領となる備後と備中南部には昔からの住人や土豪がいる。彼らは昔からの結びつきがあり、毛利、引き続いての福島時代にも土地に根差して暮らしてきた。その総力をもってかかれば不可能なことではないと考えるし、返って協力し合うなら藩としての一体感がより増すに相違ない。加えて他国に在っても意欲がある者ならば、積極的に普請に加えたいし藩でも取り立てていこうと考えている。
 蛇足ながら、自身が以前備中備後を放浪した経験も無駄にはならないと思う。


・干拓造成で新たに得た土地は携わった者に与える、商工業の促進のため租税を免除するなど優遇策を取り新たな定住者を増やしていく。藩としても直轄事業を興し、全体の繁栄、備えを整え幕府への貢献にも寄与するものとする。
 
・備後はただ「十万石の藩」というだけのものではない。さきにも述べた通り西国の外様勢の抑えとして、例え五十万の大軍が襲来しても止めるだけの力を持たねばならない。旧来の城地をその拠点とするならば、その役目はおろか、敵が通りすぎても気づかない始末になりかねない。その前提の計画だというのは承知いただきたい。

・なお、城の資材には破却した城の材を最大限活用する。さきに言った神辺城が主になるが、今回破却が決まった伏見城の遺構をぜひ分けていただくよう願いたい。

 と、そこまで勝成が話したところで一同はざわざわとしはじめた。
 つい先頃、幕府が伏見城の廃城を正式に決定したのは明らかにされている。しかしその遺構、廃材をどうするかについてはまだ決められていなかった。何しろ秀吉の城として改築されて、最終的には東照大権現(家康)が建て直した『天下人』の城である。何の気なしに「はいどうぞ」と手渡せるものではない。
 眼前の秀忠は渋い顔をして聞いているが、がやがやしている一座と線で区切られたように、意外なほど落ち着いていた。
「日向守、まだ他に肝要な話があるだろう。言うてみよ」
 勝成はわが意を得たりといわんばかり、満面に笑みを浮かべて申しのべた。
「はい、どなたか申されておりましたが、やはり先立つものがなければ何事も為せませぬ。金子を何卒お貸しいただきたくお願い申し上げまする」
「昔……権現さまが金子二百枚をおぬしに貸したことがあったというが、その程度では済まないのう」と秀忠はため息をつく。
「はい、あれはありがたく帳消しにしていただきました。こたび、書面にはいたしましたが、その百倍ほどお願いできればと」
 一同のざわめきが一層大きくなる。
 秀忠は渋い表情を変えずに言う。
「うむ、きちんと算段をつけてのことだろう。話はわかった。ただ、ここでただちに可否は出せん。それほど大きな話じゃ。よう皆と諮ってから諸事申し渡す。それまで屋敷に留まられよ」
 勝成は平伏して座を下がる。
 ふと、広間の奥に座す黒い仏像が目に入った。
 東照大権現となった徳川家康が生涯大切にし、戦場にまで持参していたという『黒本尊』だった。勝成はこれまでに何度もこの仏像を見ていた。長い放浪の日々を終えて、伏見で家康に帰参の取りなしを頼んだときの記憶がはっきりと甦る。また、数年前に大坂夏の陣での役目を家康に言い渡されたときも……。

 黒本尊さまはいつでも権現さまの後ろにそっと鎮座しとったがや。そして、この大事なときにもおってくださったんじゃ。わしのことも見守ってくれとるんかもしれんのう。

 勝成は辞して身を翻す前に、一礼し静かに手を合わせた。

 水野日向守勝成の大胆な新藩に関わる願い出の件はすぐさま江戸の大名界隈に広がった。噂の子細は定かでないが、幕府が認めるかということに話題が集中していたようだ。

 勝成に付いて江戸に来ていた中山将監は、世間の風が冷たいような気がして、江戸城の濠端を歩くのにも周りをキョロキョロしながら進むのだった。それを見て、神谷治部長次が宥めるようにいう。
「中山さま、首の塩梅がいかんのですか? 周りに怪しまれますで」
 中山は人差し指を立てて自らの口にあてる。そして辺りを再び窺ってひそひそ声で神谷にいう。
「いや、御前で殿のあの大胆な申しようは見とってまことに肝が冷える。今頃皆に何を言われとるんかと気が気ではないでよう」
 性格なのか、それともまだ若いからだろうか。神谷はなぜ上役の中山がそこまで心配するのか、不思議で仕方がない。
「殿が大胆不敵なんは今に始まったことではありませぬ。ようご存じでしょう。それに、殿が申されたことはわれらも加わりきちんと話し合うて決めたこと、至極真っ当だったではございませぬか」
 中山は年少の家臣に諭されて、やや恥ずかしそうに肩をすぼめる。
「分かっとる。しかし、幕閣やら他のお大名がたがどう思うか……」
 神谷はふうと息をひとつついた。
「中山さまがそう思うのも分からぬでもございませぬし、時にはそのご配慮が役立つこともありましょう。ただこたびは幕府の皆さまがいかなる裁断を下すか分からぬのですから、気に病む要もないでしょう。殿を信じてお任せし、われらは務めを全うするのみ」
「おぬしは達観しておるで、ええなあ」
 二人は夕陽に照らされながら、上屋敷への道を歩いていった。

 中山と神谷の会話をどこかの屋敷の用人が後方で聞いていたが、当の本人らは気づかなかった。用人は少しずつ二人から離れて、次の道を東に折れていった。用人の伝手でその話は主にも伝わるところとなる。
 念のため、内容は機密事項ではない。なので中山と神谷の失言というよりは、噂話の裏付け程度のものだった。
 どこかの屋敷の主はいう。
「まことに微笑ましい。佳い家臣だ。藩主が進取果敢の気性だと時には独断に陥り、家臣も反発して割れたりするものだが、その心配はないようだ。まったく、微笑ましいばかり」

 失言ではなかったらしい。

 勝成らが再び江戸城に呼び出されたのは数日後のことだった。その間幕府は備後の新藩の青写真について、念入りに検討を重ねていたのだが、待つばかりの備後主従は落ち着かない風で屋敷内を行ったり来たりするばかりだった。ようやく呼び出しを受けると、一同は装束を整えイソイソと江戸城に向かったのだった。

 将軍秀忠はやはり渋い表情だった。
 それがどのような判断を意味するのかは判然としなかった。広間のだだ広い空間に、ピーンと張り詰めた緊張感が漂っている。
 勝成が申し出た内容について検討した結果が伝えられる。新規築城と干拓、城下町の形成、山の土木普請、水普請は理にかなっていると認められた。破却する神辺城の廃材を利用することも問題なしとされたが、京の伏見城の遺構譲り受けと金子借り入れについては、老中に替わり将軍自らが説明した。
「まず、これほどの件を認めるだけでも格段の取り計らいである。心して聞くように。
 伏見城の遺構については解体の上、櫓、湯殿、大手門、筋鉄(くろがね)門、練塀四百間、橋三基を福山城に下賜する。なお、願い出のあった金子だが、金一万二千六百両、銀三百八十貫目を貸与することにした。確かに話の中身を検討すると、これほどの費用でなけれは完遂できぬと老中皆も一致しておった。
 繰り返していうが、この助力金は貸し出すものじゃ。ゆめゆめ踏み倒すことのないように。なお破格の取りはからいじゃ、普請と縄張りにあたって幕府から目付を出す。それでよいか」

 勝成は「有り難き幸せにございます」と言ってゆっくりと平伏した。

 わずかな条件はついたが幕府の了承が最初の大きな関門と勝成は考えていたので、秀忠の言葉は無上の喜びだった。
 話が一通り終わった後で、将軍秀忠が思い出したように付け足す。
「そうじゃ、陸奥守が上屋敷に顔を出してほしいと言うとったぞ。日向守は伏見で伊達の屋敷を訪問したそうじゃな。不在で失礼したと言っておった」
「はい、いきなり伺ったのでこちらも失礼をいたしました。仙台藩の水普請は素晴らしいとかねがね聞いておりましたので、ぜひ今後の参考に学ばせていただければと思いまして」と勝成は素直に述べる。
 秀忠がうなずく。
「それは結構なこと。わしらも大いに知りたいところじゃ。聞いたらこちらにも知らせてくれや」
「さすが抜け目がないですな」
「おいこら」と将軍は笑った。

 申し渡しが終わり将軍が去ると老中・側近の面々が勝成に声を掛ける。本多上野介正純、酒井備後守忠利、土井大炊頭利勝、酒井雅楽頭忠世らである。真っ先に声を掛けたのは水野監物忠元である。彼は勝成の従兄弟にあたり、秀忠の側近として仕えている。
「日向どの、願い出がほぼほぼ通ってよかったで」
「いやいや、監物どののお力もあったのでしょう。まことにかたじけない」
 監物は手を横に振って、こっそりと勝成に耳打ちする。
「わしが何かいうと身びいきになるで、うなずいとっただけじゃ。しかし、ようあれほどの大きな図を短い間に用意したものだ。どえりゃあ感心したわ。しかし、あれだけのものをすべてやり通すのはたいへん難儀ぞ。これからが正念場。奮闘を期待しておる」
 
 幕府は驚いているが、それだけ期待もかけている。
 わしらじゃけえ、任された。
 わしらじゃけえ、為すことができる。
 
 勝成は力強くうなずいた。
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